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学長メッセージ

式辞:入学式/学位記授与式

式辞:入学式/学位記授与式

令和5年度

学位記授与式式辞

 令和5年度 学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。

 修了生、卒業生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、中継にてご視聴の皆さま、ご卒業おめでとうございます。

 今年度、本学から大学5学部1356名、短大2科119名、大学院では4研究科16名、計1491名の学生、院生が卒業していきます。その内訳は、家政学部445名、家政学研究科博士前期課程3名、博士後期課程2名、文芸学部421名、文芸学研究科8名、国際学部259名、国際学研究科1名、看護学部89名、看護学研究科2名、ビジネス学部142名、短大生活科学科78名、文科41名です。

 コロナ禍が終わり、保護者の方々に制限をせずにご参加をいただいて、このように対面でコロナ前に戻り、午前午後2回に分けた学位記授与式を行えますことをまず喜びたいと思います。また、本学5番目の新設学部であるビジネス学部の卒業生を初めて送り出すことができることを本学教職員一同お慶び申し上げます。

 学部学生の方々が入学した令和2年は、令和になって初めての入学式をとりおこなう予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の第1波により中止とさせていただき、私のお祝いメッセージを発信するだけとしました。その後3年間にわたりコロナ感染症は第8波を数えるまで消長を繰り返しました。オンラインでの授業やサークル活動の自粛など、本来、人と交わり楽しいはずの大学生活の自粛を3年間にわたりお願いしました。目指した留学をあきらめざるを得ない学生もいたでしょう。看護学部の学生は臨地実習で苦労をしたでしょう。短大生の皆さんには短い2年間の半分を制限された学生生活をお願いしました。新型コロナウイルス感染症が、感染症法の2類から5類に分類が変更になって1年、やっとコロナ前の日常が戻り、学位記授与式の場にいる修了生・卒業生の皆さんに、「よく頑張ったね、おめでとう」と言いたいと思います。

 この間の皆さんの感染防止対策へのご協力に感謝すると共に、この晴れの日を心待ちされていた保護者・ご家族の皆様には、教職員一同、心よりお祝いを申し上げ、これまでの厚いご支援に対して、感謝の意を表したいと存じます。

 令和2年入学生に向けたメッセージを今見てみますと、新設のビジネス学部の入学にあわせてMajor in anything. Minor in Leadership. (主専攻は様々な専門分野、副専攻はリーダーシップ)という学びの基本方針を示していました。本学の言うリーダーシップとは、トップダウン型・支配型のリーダーシップではなく、「指導権」など権限がない状態のメンバーにおいても誰でも発揮できる能力をいい、今は「みずからを恃(たの)み「自立」し、「友愛」により他者と協働して目標達成を目指す力」を共立リーダーシップと定義しています。

 また、令和2年の入学式のメッセージでは、夏に開催予定の東京オリンピックを期待する言葉を添えていましたが、結局1年延期、制限された形のオリンピックとなりました。

 さて、皆さんは、このように令和2年あるいは令和4年に入学した後の、学生時代を今、どのように振り返るでしょうか?学生時代の時代背景はこれからの社会人生活でもいつも思いだされるものです。毎年12月に発表される「ことしの漢字1字」でみてみますと、大学1年生の令和2年は「密」で、新型コロナウイルス感染症予防の3密対策が言われました。令和3年は「金」で、コロナ禍でおこなわれた東京オリンピック2020の金メダルをあらわしました。短大の方々の入学した令和4年は「いくさの「戦」」で、ウクライナの戦争をあらわし、未だ終わりません。最終年度の令和5年は、「税」で増税への不安を現しています。

 4年間、漢字を並べると「密・金・戦・税」となり、変動が激しく、理不尽な時代であったと思います。今年の1月1日には能登半島地震もありました。

 社会は、理不尽と思える出来ことに満ちています。皆さんはこのような社会を避けて通ることはできません。しかし、本学を卒業する皆さんには理不尽な社会と闘う三つの力がそなわっていると私たちは信じます。それを私はRRR、ResilienceとRespect、Reflectionと表現しました。

 Resilienceは、理不尽な想定外のできことに耐え、跳ね返す抵抗力で、建学の精神の「自立と自活」に通じます。

 2つ目のRespectは、他者を思いやり、他者と協働する心で、校訓である「誠実・勤勉・友愛」の友愛に通じます。

 Reflectionは反省ではなく振り返りを意味し、前向きな姿勢をあらわします。


 この3つの言葉は、「共立リーダシップ」にも通じますので、皆さんに送る言葉とします。Resilience、Respect、ReflectionはRRRとなり、私の好きなインド映画RRRをもじったものです。

 今は、こうして学位記授与式を開催できることを皆様と共に喜び、私学長として最後の式辞とします。ありがとうございました。



令和6年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

 本日、令和5年度共立女子大学大学院、共立女子大学、共立女子短期大学の入学式を、コロナ禍前の制限のない状態で、執り行えますことは、学長としてこの上のない喜びです。

 今年度、本学には、大学6学部1309名、短大2科161名、大学院には4研究科16名、計1486名の学生、院生が入学しました。

 新入生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、オンラインでご視聴の皆さま、ご入学、誠におめでとうございます。これまでの皆さんの努力に敬意を表すると同時に、皆さんを支えてこられた保護者・ご家族の皆様に感謝の意を表したいと思います。

 新入生の皆さんの多くはこの高校3年間、コロナ禍のため、様々な制限の中で高校生活を過ごして来られたと思います。部活動を十分に行えなかったり、修学旅行が中止になったりして、悔しい思いをされたこともあったと思います。今、こうしてコロナ禍以前に近い状態で、大学に入学し、それぞれに期するところがあると思います。本学の教職員一同、皆さん一人ひとりの「志」を実現するための手助けをするべく全力を尽くします。

 家政学部被服学科と食物栄養学科は、新設大学として1949年に本学に最初に設置された学部科です。2007年に児童学科が加わり、家政学は生活者の視点から人間生活について多角的に探究する学問として、コロナ禍でステイホームを余儀なくされる中で、今、再びその重要性が再認識されています。学部科の学びには実験実習科目が多いという特徴があり、コロナ禍でも様々に対策をたて、工夫して対面を重視した授業をおこなってきました。是非、対面授業の醍醐味を味わっていただきたいと思います。

 国際学部は、「世界にアンテナを張る」を合言葉に国際的な関係を有する内外の場で活躍できる人材を育成します。今年度から始まるKEITと呼ばれる共立独自の英語教育プログラムは、英語によるコミュニケーションを高める教育システムです。コロナ禍が収束し、今後、急速に復活し、また加速していく国際交流の流れに積極的にコミットしてください。

 建築・デザイン学部は、家政学部から分離独立し、今年度本学の6番目の学部として新たに開設された学部です。この学部の特徴は家政学部時代の生活者の視点という伝統を引き継ぎながら、美術の視点から建築とデザインを学ぶことにあります。数ある建築・デザイン系の学部の中から本学を選んで頂いたことを感謝いたします。物づくり、街づくりを学ぶ上で必要なデジタル機器をそろえてお待ちしています。

 文芸学部は今年70周年を迎える、新制大学となった本学で家政学部に次ぎ戦後2番目に設置された学部です。本学の3号館は1963年に本学の文芸学部、短大文科用に建設された建物です。その3号館正面の壁面には洋画家の和田三造によるレリーフ「聖女奏楽」を見ることができます。和田三造は、1907年、日本で最初の官設展覧会である第1回文展で最高賞を受賞しました。その作品が「南風」で、2018年に重要文化財に指定されました。今、本学より歩いて5分の国立近代美術館で特別展「重要文化財の秘密」が開かれており、見ることができます。開催期間は5月14日までですので是非ごらんください。

 文芸学部は、人工知能AIでは代替できない能力、すなわち創造的な思考、非定型、多様な状況に対応できる能力を養う学部です。皆さんには学校の枠を超えて美術館を訪れたり、映画や演劇を見たりする積極性を持っていただきたいと思いますし、本学はそうした積極性を生かす最適のロケーションにあります。

 看護学部は、今年開設10周年を迎える比較的新しい学部です。コロナ禍では看護師の資格を持つ先生方が区の要請を受け、ワクチン接種の手伝いに積極的に参加しました。このように看護学部は地域との連携の強い学部であると同時に看護学部もまた人工知能AIでは代替できない人間的な看護という能力を養う学部です。ちなみに、昨年度完成年度迎えた保健師コースでは全員が国家試験に合格しました。

 ビジネス学部は、今年度が完成年度となる、さらに新しい学部です。ビジネスの場で活用できる知識・技能と必要な教養を身に付ける人材養成を目指しています。特にリーダーシップ教育を重視して、「リーダーシップの共立」を掲げ、他者と協働してリーダーシップを発揮できる人材養成を目指す本学のリーダーシップ教育を牽引する役割を担っている学部です。

 短大の生活科学科と文科は、1950年の家政科と1953年の文科設置に始まり、家政学部に次ぐ長い歴史と伝統を有しています。生活科学科と文科ともに教養教育とキャリア教育を伝統的に重視していますが、特にそのキャリア教育には定評があります。

 コロナ禍の3年間で大学の教育活動も大きな制限を受けました。しかし、その間、大学内の情報環境が飛躍的に進歩したことはプラス面ととらえることができます。kyoritsuマイパソコン制度を立ち上げると共に、ほとんど全ての教室にwebカメラを設置するなど学内のデジタル環境を充実させました。また、昨年度からは、教養教育科目の「データサイエンスとICTの基礎」を全学部科必修として、ICT教育をおこなうようにしました。本学は、1886年に、34名の人々によって共同で設立された共立女子職業学校にルーツを持ちます。建学の精神は「女性の社会的地位向上のための、自活の能力の習得と、自立した女性としての必要な教養の習得」とされました。当時の自活の能力は「読み、書き、そろばん」でしょうが、今は「新たな読み、書き、そろばん」として情報リテラシーの習得が求められます。生まれた時から周囲にインターネットやデジタル機器があったデジタルネイティブ世代と言われる皆さんの期待に十分に応えられる情報教育をおこなっていきます。

 その一方で、これからは人工知能AIでは代替できない能力が求められると言われています。そのような能力の一つがリーダーシップです。

 学生証に既に「リーダーシップの共立」というシールを貼って頂いたと思いますが、本学の教育の基軸はリーダーシップ教育です。

 本学のいうリーダーシップとは、上からメンバーを強く引っ張っていくトップダウン型ではなく、メンバーに寄り添い、メンバーを励まして皆と協働して何事にも前向きに取り組む姿勢をいいます。今年度から、そのようなリーダーシップを「共立リーダーシップ」と名づけ、「自らを恃み(たのみ)自立し、「友愛」により他者と協働して目標達成を目指す力である」と意味づけました。

 リーダーシップは誰でもが得ることのできる能力です。学生の皆さんが卒業するときに共立リーダーシップが身についたと言えるように支援していきます。まずは、一年生必修の「基礎ゼミナール」の授業で本学の歴史とともに「共立リーダーシップ」についてしっかり学び、理解して欲しいと思います。

 言うまでもなく、大学での「学び」は、人からただ教えてもらうのではなく、主体的に学ぶことにこそ本質があります。すなわち皆さんに期待される「学び」とは、「自ら課題をみつけ問題を解決できる能力を身に着けること」を通じて、「自立」し、「自活」する道を切り開く力をつけてもらう事です。

 社会連携活動やサークル活動などの正課外活動も本学がリーダーシップを育成する場として重視するものです。この一ツ橋キャンパスが、皆さんが新たな価値を創造する場であると同時に、社会を生きぬくキャリア形成の場になるものと信じています。


 最後に 皆さんが 本学で、それぞれに楽しく主体的に学んで下さることを願ってやみません。

 これをもって私の入学式の式辞といたします。



令和5年4月8日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

令和4年度

学位記授与式式辞

 令和4年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。

 修了生、卒業生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、中継にてご視聴の皆さま、ご卒業おめでとうございます。

 今年度、本学から大学4学部1036名、短大2科172名、大学院では4研究科14名、計1222名の学生、院生が卒業していきます。

 コロナ禍にかかわらず例年通リの卒業生数である事と共に、保護者の方々にご参加をいただいて、このように対面で学位記授与式を行えますことをまず喜びたいと思います。本館前のしだれ桜も皆様方をお祝いするように咲き始めました。

 新型コロナウイルス感染症は2020年の第1波以降、今年2023年1月の第8波を数え、感染者総数は日本国内で3千万人を超えたと報告されていますが、本学では感染防止措置を十分に講じた上で、対面授業を重視する方針で授業をおこなってまいりました。本来楽しいはずであるサークル活動など正課外活動も自粛をお願いしてきました。期待していた留学がかなえられなかった学生もいる事でしょう。日常生活も不自由を強いられて、苦しく辛い思いをされてきたことと思います。

 この間の皆さんの感染防止対策へのご協力に感謝すると共に、新型コロナウイルス感染症が、感染症法の2類から5類に分類が変更になる今、学位記授与式の場にいる修了生・卒業生の皆さんに、「よく頑張ったね、おめでとう」と言いたいと思います。

 また、この晴れの日を心待ちされていた保護者・ご家族の皆様には、教職員一同、心よりお祝いを申し上げるとともに、これまでの厚いご支援に対して、感謝の意を表したいと存じます。

 さて、皆さんは、平成最後の年に本学に入学し、令和に卒業していきますが、学生時代を今、どのように振り返るでしょうか?学生時代の時代背景はこれからの社会人生活でもいつも思いだされるものです。

 毎年12月に発表される「ことしの漢字1字」でみてみますと、皆さんが大学1年生の2019年は令和の「令」で、新時代の希望が表現されています。2020年は、「密」で、新型コロナウイルス感染症予防の3密対策が言われました。2021年は「金」で、コロナ禍でおこなわれた東京オリンピック2020の金メダルをあらわしました。最終年度の2022年は「いくさの「戦」」で、ウクライナの戦争をあらわしています。

 4年間、漢字を並べると「令・密・金・戦」となり、変動が激しく、理不尽な時代であったと思います。

 社会は、理不尽と思える出来ことに満ちています。皆さんはこのような社会を避けて通ることはできません。しかし、本学を卒業する皆さんには理不尽な社会と闘う二つの力がそなわっていると私たちは信じます。それを私はRR、ResilienceとRespectと表現しました。

 Resilienceは、理不尽な想定外のできことに耐え、跳ね返す抵抗力で、建学の精神の「自立と自活」に通じます。

 2つ目のRespectは、他者を思いやり、他者と協働する心で、校訓である「誠実・勤勉・友愛」の友愛に通じます。

 ResilienceとRespectは、「共立リーダシップ」の意味付け「自らを恃み(たのみ)自立し、友愛にて他者と協働して目標達成を目指す力」にも通じますので、皆さんに送る言葉とします。

 ResilienceとRespectでRRとなります。これは、最近見て感動したインドの映画RRRをもじったものですが、もう一つのRにつながる言葉はたくさんありますので皆さん自身でお考え下さい。


 春はまた巡り来ますし、やがて社会は復活するでしょう。

 今は、こうして学位記授与式を開催できることを静かに喜び、私の式辞とします。おめでとうございました。



令和5年3月
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

 本日、令和4年度、共立女子大学大学院、共立女子大学、共立女子短期大学の入学式を執り行えますことは、コロナ禍の制限された形とは言え、学長としてこの上のない喜びです。

 今年度、本学には、大学5学部1408名、短大2科135名、大学院には4研究科14名、計1557名の学生、院生が入学しました。

 新入生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、オンラインでご視聴の皆さま、ご入学 誠におめでとうございます。

 入学に向けて勉学に一生懸命、取り組んでこられた入学生の皆さんの努力に敬意を表すると同時に、暖かい愛情をもって入学生の皆さんを支えてこられた保護者・ご家族の皆様にもお祝いと感謝の意を表したいと存じます。

 新入生の皆さんは、これから大学、短期大学、あるいは大学院で学ばれるうえで、それぞれに期待と希望があると思いますが、一人ひとりのかけがえの無い「志」を実現するべく、一層の努力をして頂きたいと思います。本学の教職員一同、皆さん一人ひとりの「志」を実現するための手助けをするべく全力を尽くす所存です。

 さて、2022年度入学生の皆さん方に特記すべきことがらを3点申し述べたいと思います。まず、皆さんは成人として本学に入学する最初の学年となります。もうご存知のように明治9年以来定められていた成人年齢20歳が、この4月1日より18歳に引き下げられました。それによって携帯電話の購入やクレジットカード作成など親権に服さずに自分でできるようになります。

 自立してできる権利が増えますが、それだけ自己責任が増すことを自覚して頂きたいと思います。もちろん喫煙・飲酒・公営ギャンブルは引き続き20歳まで禁止です。大学という自由な学びの場でありますが、社会との接点は高校までと違い極端に増えます。成年であると言う自覚を持って過ごしてください。

 本学の特徴は、学生の皆さんが私達教職員から距離が近い指導と支援が受けられることです。学業のみならず学生生活全般について相談できる体制がありますので、ご安心ください。

 2点目は、皆さん新入生から教養教育科目の「データサイエンスとICTの基礎」が全学年必修となることです。現代はAIやIoTに代表されるSociety5.0と言われます。そういう時代に対応する社会人基礎力の一つとして文理融合の情報リテラシーを養うのが目標となります。ICTは、information and communication technologyの略で、情報通信技術のことです。私が大学生の頃は友人に連絡するのに速達で手紙をかいたり、公衆電話を使ったりでしたが、皆さんはZ世代と言われるデジタルネイティブ世代ですので、当然のようにスマホを使い、インターネットによる情報の取得や伝達になれていると思います。

 本学は、明治19年、1886年に、34名の人々によって共同で設立された共立女子職業学校にルーツを持ちます。建学の精神は「女性の社会的地位向上のための、自活の能力の習得と、自立した女性としての必要な教養の習得」とされました。当時の自活の能力は「読み、書き、そろばん」でしょうが、今は「新たな読み、書き、そろばん」としての情報リテラシーの習得が求められます。

 新型コロナウイルス感染症は3年目となりますが、未だに収束の兆しはありません。その中で本学のデジタル環境は飛躍的に進みました。昨年度はkyoritsu My パソコン制度を始め、学生は自分のパソコンを持つようにしました。またkyoritsuDX推進プランで学内のデジタル環境を整備しました。

 コロナ禍で、本学の特徴である対面による学生と教職員の距離の近い学びの重要性も再認識させられましたが、オンライン授業の大きな利点にも気づかされました。

 3点目はリーダーシップ教育です。本学のいうリーダーシップとは、トップダウン型に上からメンバーを強く引っ張っていくものではなく、メンバーに寄り添い、メンバーを励まして皆と協働して何事にも前向きに取り組む姿勢をいいます。Society5.0では情報リテラシーとともに人工知能AIでは代替できない能力、すなわち創造的な思考、非定型、多様な状況に対応できる能力がもとめられます。そのような能力の一つがリーダーシップです。

 リーダーシップは誰でもが得ることのできる能力です。本学では今年度からリーダーシップ教育センターを設立し、学生の皆さんが卒業するときに共立リーダーシップが身についたと言えるように支援していきます。

 先ほど述べました本学の建学の精神である「女性の自立と自活」の自立はリーダーシップ教育につながります。また、共立リーダーシップは校訓である「誠実・勤勉・友愛」の友愛と深く関連するものです。現代の分断の社会でこそ友愛の精神が生きてきます。

 言うまでもなく、大学・短期大学での「学び」は、人からただ教えてもらうのではなく、自ら学ぶことにこそ本質があります。すなわち皆さんに期待される「学び」とは、「自ら課題をみつけ問題を解決できる能力を身に着けること」を通じて、「自立」し、「自活」する道を切り開く力をつけてもらう事です。

 私たち教職員はそのために、入学後の正課教育、正課外教育において、主体的に学べる様々な仕組みを取り入れ、皆さんをサポートしていきます。社会連携活動やサークル活動などの正課外活動も本学がリーダーシップを育成するものとして重視するものです。正課外活動は制限された形ではありますが昨年より活発になっていますので積極的に取り組んでください。

 本学の一ツ橋キャンパスは、皆さんが新たな価値を創造する場であると同時に、社会を生きぬくキャリア形成の場になるものと信じています。


 最後に、皆さんが本学で、それぞれに楽しく主体的に学んで下さることを願ってやみません。

 これをもって私の入学式の式辞といたします。



令和4年4月
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

令和3年度

学位記授与式式辞

 令和3年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。

 修了生、卒業生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、オンラインでご視聴の皆さまご卒業おめでとうございます。

 今年度、本学から大学4学部1040名、短大2科227名、大学院では4研究科13名、計1280名の学生、院生が卒業していきます。

 コロナ禍にかかわらず例年通リの卒業生数であることと共に、制限された人数ですが保護者の方々にご参加を頂き、昨年と同様に対面で学位記授与式を行えますことをまず喜びたいと思います。

 新型コロナウイルス感染症は2020年の第1波以降、今年2022年1月の第6波を数え、4度の緊急事態宣言発出があり、今は東京都にまんえん防止等重点措置が適用されています。

 本学では感染防止措置を十分に講じた上で、対面授業を重視する方針で授業をおこなってまいりましたが、皆さんはここ2年間大学に来ることに大きな制限を受け、本来楽しいはずであるサークル活動など正課外活動も自粛をお願いしてきました。期待していた留学がかなえられなかった学生もいる事でしょう。また、日常生活も不自由を強いられて、苦しく辛い思いをされてきたことと思います。

 昨年末は、コロナウイルス感染者数も減少し、2年間の我慢の末やっと夜が明けるかと思えば、1月にオミクロン株を中心とした第6波によりまんえん防止等重点措置が適用され、本日このように制限された形の学位記授与式となりました。それでも2年前に比べれば、少し前進したと言えますし、今この学位記授与式の場にいる皆さんには、よく頑張ったね、おめでとうと言いたいと思います。

 また、この晴れの日を心待ちされていた保護者・ご家族の皆様には、教職員一同、心よりお祝いを申し上げるとともに、これまでの厚いご支援に対して、感謝の意を表したいと存じます。

 さて、皆さんは、平成に本学に入学し、令和に卒業していきます。卒業までの時代を今、どのように評価されるでしょうか?

 みなさんが生まれ育って来られた時代は、V・U・C・A、ブーカの時代と言われます。Volatility(激動)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(不透明性)、という四つの言葉の頭文字のV・U・C・Aをとってブーカの時代と言います。

 天災が多く、社会情勢の変化も激しい平成の時代が終わり、文字通り「美しくなごやかな」時代を期待して「令和」と名付けられた新しい時代が始まりましたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、あらためて現代がブーカの時代であることがより鮮明になっています。ブーカの時代は一言でいえば理不尽な時代でしょうか。

 社会は、コロナ感染症ばかりでなく、今のウクライナ情勢をみても理不尽と思える出来ことに満ちています。皆さんはこのような社会を避けて通ることはできません。

 しかし、本学を卒業する皆さんには理不尽な社会と闘う二つの力がそなわっていると私たちは信じます。

 一つ目は、誠実であり勤勉であることです。例えば新型コロナについて言えば、世の中に飛び交う風説や風評に惑わされず、自分の行うべきことを誠実にそして勤勉に行うことです。新型コロナを自分の問題として引きうけ、他人にゆだねず自分で考え行動する力、手洗い、マスク着用、社会的距離を保つことなど、地道に行うべきことを勤勉に、そして誠実に行うことです。誠実・勤勉は理不尽な想定外の出来事に耐え、跳ね返す力、抵抗力、レジリエンスにつながります。このような時代に適応していくには、resilientな心が求められます。

 二つ目は他者を思いやり助け合うことです。本学では1昨年の4月から副専攻としてリーダーシップを掲げ、他者と協働してリーダーシップを発揮する力を養うことを明示しましたが、この教育方針はすでに昔から共立の教育にあったものです。その根本にあるのは本学の校訓の一つである友愛です。この感染症はだれでも罹患する可能性があるものです。感染した人を責めるのではなく、思いやる気持ちが友愛です。今、社会のあらゆる領域で分断が進んでいると言われます。特に目に見えないウイルスの脅威は、ややもすれば異質な者、弱者を排除する力を強めがちです。だからこそ友愛による他者への思いやりが大切になります。

 コロナ禍というストレスの多い社会にこそ本学の校訓である「誠実・勤勉・友愛」という徳目は輝くのではないでしょうか。


 春はまた巡り来ますし、やがて社会は復活するでしょう。

 今は、こうして学位記授与式を開催できることを静かに喜び、私の式辞とします。

 ありがとうございました。



令和4年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

 本日、令和3年度、共立女子大学大学院、共立女子大学、共立女子短期大学の入学式を執り行えますことは、学長としてこの上のない喜びです。

 今年度、本学には、大学5学部1382名、短大2科189名、大学院には4研究科13名、計1584名の学生、院生が入学しました。

 本学を選んで頂いたことに学長として御礼を申し上げるとともに、お祝いを一言申し述べます。

 新入生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、オンラインでご視聴の皆さま、ご入学誠におめでとうございます。

 入学に向けて勉学に一生懸命、取り組んでこられた入学生の皆さんの努力に敬意を表すると同時に、暖かい愛情をもって入学生の皆さんを支えてこられた保護者・ご家族の皆様にもお祝いと感謝の意を表したいと存じます。

 新入生の皆さんは、これから大学、短期大学、あるいは大学院で学ばれるうえで、それぞれに期待と希望があると思いますが、一人ひとりのかけがえの無い「志」を実現するべく、一層の努力をして頂きたいと思います。本学の教職員一同、皆さん一人ひとりの「志」を実現するための手助けをするべく全力を尽くす所存です。

 さて、本学の教育の特徴を3つ述べたいと思います。

 一つ目の特徴は、学生の皆さんが私たち教職員から距離が近い指導と支援が受けられることです。

 昨年来の新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、本学は、文部科学省および東京都などの要請を受けて、入学式の中止、オンライン授業、正課外活動の中止など強く制限された学生生活を学生の皆さんにお願いしてきました。その中で、オンライン授業の大きな利点に気づかされるとともに、本学の特徴である、対面による学生と教職員の距離の近い学びの重要性も再認識させられました。

 いまだ新型コロナウイルス感染症の収束が見通せない状況ではありますが、本学は新年度、徹底した感染対策をとりながら可能な限り対面授業を実施していきます。多種多様な考えを持つ友人や教員・職員と場所と時間を共有することで生まれる学びには豊かなものがあります。特に、大学という自由な、学びの場で初めて それを実感する新入生には、その体験・経験の意味は極めて大きいと考えます。昨年度入学生はそれができませんでした。新入生の皆さんは、大学構内に来て、対面で学ぶことができることを喜びとして、是非、しっかり学んで頂きたいと思います。

 今年度入学生から、従来の1回90分、半期15回の授業を、1回100分、半期14回に変え、皆さんが余裕を持って学べるようにしました。高校までの授業の多くは1回50分程度であったでしょうから、この100分授業に最初はとまどうかも知れませんが、心配いりません。先生方は、皆さんが主体的に学ぶ様々な工夫をした授業を準備しています。

 次に、2つ目の特徴として、リーダーシップ教育が挙げられます。本学のいうリーダーシップとは、トップダウン型の 上からメンバーを強く引っ張っていくものではなく、メンバーに寄り添い、メンバーを励まして皆と協働して何事にも前向きに取り組む姿勢をいいます。

 本学は、明治19年、1886年に、新しい時代には「女性の社会的地位向上のための、自活の能力の習得と、自立した女性としての必要な教養の習得」が必要であるという「志」を抱いた 34名の人々によって共同で設立され、「共立」と名付けられました。この「女性の自立と自活」という本学の建学の精神こそ、現在の私たちのリーダーシップ教育につながるものです。

 さきほど述べた、「距離の近い指導と支援」とはつまり「面倒見の良さ」を意味しますが、それは決して「自立」や「リーダーシップ」と相反するものではなく、あくまでも「自立」を促し、「リーダーシップ」を育てるための指導であり支援であると考えています。

 言うまでもなく、大学・短期大学での「学び」は、人からただ教えてもらうのではなく、自ら学ぶことにこそ本質があります。すなわち皆さんに期待される「学び」とは、「自ら課題をみつけ問題を解決できる能力を身に着けること」を通じて、「自立」し、「自活」する道を切り開く力をつけてもらう事であると本学は考えています。

 私たち教職員はそのために、入学後の正課教育、正課外学習において、主体的に学べる様々な仕組みを取り入れ、皆さんをサポートしていきます。

 そして、第3の特徴として、本学の環境が挙げられます。

 本学は、皇居に隣接する都心の一等地に立つ一つのキャンパスに5学部、2科をコンパクトに集中させた女子総合大学です。この都市型・高度集約型キャンパスは皆さんに学部・科を超えた多様で有機的な学びを提供しますし、また交通アクセスの良さは、皆さんの正課外活動や就職活動にとって極めて有利な環境を提供するでしょう。

 近くの皇居や北の丸公園、神保町古書店街は、散歩するのに最適です。本学のキャンパス名称である一ツ橋は、「日本における近代科学研究発祥の聖地」と言われ、東京大学・一橋大学をはじめ各種大学・学校などの発祥の地が多数あり、知的好奇心を刺激する場所に事欠きません。

 様々なことに、生き生きとした知的好奇心を抱くことは、皆さんの主体的、持続的な学びにつながります。

 本学の一ツ橋キャンパスは、皆さんが新たな価値を創造する場であると同時に、社会を生きぬくキャリア形成の場になるものと信じています。


 皆さんがこれから本学で、それぞれに楽しく主体的に学んで下さることを願ってやみません。

 これをもって私の入学式の式辞といたします。



令和3年4月
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

令和2年度

学位記授与式式辞

 令和2年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。

 修了生、卒業生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、オンラインでご視聴の皆さまご卒業おめでとうございます。

 今年、本学から、大学4学部1192名、短大2科177名、大学院では4研究科16名、計1385名の学生、院生が卒業していきます。

 昨年は令和初の学位記授与式でしたが、残念ながら新型コロナウイルス感染症拡大を受け中止を余儀なくされました。その後、緊急事態宣言発令を受け、学校は授業実施に大きな制約を受け、また、本来楽しいはずであるサークル活動など学外活動も自粛をお願いしました。皆さんは大学に来ることを大きく制限され、また日常生活も不自由を強いられて、苦しく辛い思いをされてきたことと思います。

 私たちは、この一年、我慢を重ねてきました。やっと夜が明けるかと思えば、再び緊急事態宣言が発令され、さらに再延長されるという事態を受け、本日このように制限された形の学位記授与式となりました。それでも昨年に比べれば少し前進したと言えますし、今この卒業式の場にいる皆さんには、よく頑張ったね、おめでとうと言いたいと思います。

 また、この晴れの日を心待ちされていた保護者・ご家族の皆様には、教職員一同、心よりお祝いを申し上げるとともに、これまでの厚いご支援に対して、感謝の意を表したいと存じます。

 さて、皆さんが生まれ育って来られた時代は、V・U・C・A、ブーカの時代と言われます。Volatility(激動)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(不透明性)、という四つの言葉の頭文字の V・U・C・A をとってブーカの時代と言い、近年、ビジネスの世界でしばしば使われる言葉です。平成の時代は、天災が多く、社会情勢の変化も激しい時代でした。文字通り「美しくなごやかな」時代を期待して「令和」と名付けられた新しい時代が始まりましたが、新型コロナウイルス感染症が世界を覆い、あらためて現代がブーカの時代であることがより鮮明になっています。

 この一年間、皆さんには理不尽なことばかりだと思われたでしょう。

 しかし、社会は、コロナ感染症ばかりでなく理不尽と思える出来ことに満ちているとも言えます。皆さんはこのような社会を避けて通ることはできません。

 しかし、本学を卒業した皆さんには理不尽な社会と闘う二つの力がそなわっていると私たちは信じます。

 一つ目は、誠実であり勤勉であることです。例えば新型コロナについて言えば、世の中に飛び交う風説や風評に惑わされず、自分の行うべきことを誠実にそして勤勉に行うことです。新型コロナを自分の問題として引きうけ、他人にゆだねず自分で考え行動すること、手洗い、マスク着用、社会的距離を保つことなど、地道に行うべきことを勤勉に、そして誠実に行うことです。誠実・勤勉は本学の教訓ですね。

 二つ目は他者を思いやり助け合うことです。本学では昨年の 4 月から副専攻としてリーダーシップを掲げ、他者と協働してリーダーシップを発揮する力を養うことを明示しましたが、この教育方針はすでに昔から共立の教育にあったものです。その根本にあるのは本学の校訓の一つである友愛です。この感染症はだれでも罹患する可能性があるものです。感染した人を責めるのではなく、思いやる気持ちが友愛です。今、社会のあらゆる領域で分断が進んでいると言われます。特に目に見えないウイルスの脅威は、ややもすれば異質な者、弱者を排除する力を強めがちです。だからこそ友愛による他者への思いやりが大切になります。

 コロナ禍というストレスの多い社会にこそ本学の校訓である「誠実・勤勉・友愛」という徳目は輝くのではないでしょうか。

 春はまた巡り来ますし、やがて社会は復活するでしょう。

 今は、こうして学位記授与式を開催できることを静かに喜び、医療従事者を初めとする日常を支え続けるエッセンシャルワーカーの皆様に、あらためて感謝の意を表し、私の式辞とします。

 ありがとうございました。



令和3年年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

平成31年度/令和元年度

学位記授与式式辞

 令和元年度 卒業生・修了生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 本来であれば、本年3月15日に、ここ共立講堂で学位記授与式の開催を予定していましたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が危惧される中、やむなく学位記授与式の挙行を見合わせ、ホームページに、メッセージを発信するにとどめました。それから半年以上経過し、感染症対策と社会活動の両立を模索する社会の動きに合わせて、本学も対面授業を再開し始めました。この機を捉え、私たちは、春にお約束したように、皆さんの先輩たちと同様に、ここ共立講堂で卒業記念式典を行うことといたしました。

 まず、最初に、本日、ご参加の卒業生・修了生の皆さんや、ライブ配信をご覧の卒業生や保護者の方々にお祝いを申し上げるとともに、このような式典を催すことができたことをともに喜びたいと思います。

 このような事態は、9年前に、東日本大震災に伴い、学位記授与式を同じく見合わせて以来の事となります。東日本大震災は2011年3月11日でしたが、奇しくも本年3月11日にWHOは新型コロナウイルス感染症のパンデミック宣言をおこないました。私たちは大変な時代に生きていることを痛感します。

 皆さんは卒業後、社会人となっての半年間はいかがでしたでしょうか?

 大学は、在学中は早く出たいと思うけれど卒業すると、もっといたかったと思うところであるとよく言われますが、卒業後社会人となって半年は「つらい、苦しい」と思うことが多くなる時期ではないでしょうか。まして皆さんは、コロナ禍という未曾有の状況下での社会への船出となりました。さぞかしご苦労が多いことと推察します。本日は、式典のあとで学部科の先生方と懇親の場を設けていますので、ひと時、学生時代に戻り、楽しく語り合ってくださればと思います。

 さて、皆さんが生まれ育って来られた時代は、V・U・C・A、ブーカの時代と言われます。Volatility(激動)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(不透明性)、という四つの言葉の頭文字の V・U・C・A をとってブーカの時代と言い、近年、ビジネスの世界ではしばしば使われる言葉です。

 今年になり新型コロナウイルス感染症が世界を覆い、ブーカの時代がより鮮明になっています。コロナ感染症対策には、正解がないことが私達を不安に陥れます。

 社会は、コロナ感染症ばかりでなく理不尽と思える出来事に満ちています。しかし、皆さんはこのような社会を避けて通ることはできません。

 本学を卒業した皆さんには理不尽な社会と戦う二つの力が備わっていると信じます。

 一つ目は、自分で考え行動する自立の力です。不条理さと戦う方法は誠実さです。例えば新型コロナを自分の問題として引きうけ、他人にゆだねず自分で考え行動する力、例えば手洗い、マスク着用、社会的距離を保つことなど、地道に行うべきことを勤勉に、そして誠実に行うことです。

 二つ目は他者と協働する力です。自立とは他者を排除するのではなく、他者を思いやり、他者と共に立つ力です。本学では今年の 4 月から副専攻としてリーダーシップを掲げ、他者と協働してリーダーシップを発揮する力を養うことを明示しましたが、この教育方針はすでに昔から共立の教育にあったものです。その根本にあるのは本学の校訓である友愛です。この感染症はだれでも罹患する可能性があるものです。感染した人を責めるのではなく、思いやる気持ちが友愛です。思いやりは当事者意識の中から生まれると言います。コロナ感染症を我が事と捉え、感染症に罹患した人に対する思いやりの心こそ友愛でしょう。

 昨年のラグビーワールドカップでは連帯、ワンチームの重要性が言われました。しかし連帯によって全体の調和や協調を重んじることは、ややもすれば異質な者、弱者を排除する方向に向かいがちです。だからこそ友愛の心による他者への思いやりが大切になります。

 コロナ禍というストレスの多い社会にこそ本学の校訓である「誠実・勤勉・友愛」という徳目は輝くのではないでしょうか。

 新型コロナウイルス感染症がまだ懸念される中、感染リスクがある現場で、この瞬間にも献身的に働く医療関係者の方々がいらっしゃいます。本学の多くの卒業生も活躍しております。

 看護学部・看護学研究科の先生方は、医療従事者を育成・輩出しているという自らの立場を重く受け止め、本日の卒業記念式典に、卒業生を含め看護学部・看護学研究科関係者の出席自粛を決定されました。

 今、こうして卒業記念式典を開催できるのも、そのような方々の犠牲的な精神・ご尽力のおかげです。この機会にお集まりの皆さまと共に、卒業生をはじめとする医療従事者ならびに日常を支えるエッセンシャルワーカーの皆様に心から感謝の意を込めて拍手を届けたいと思います。

 全員ご起立ください。(拍手)


 ありがとうございました。これで私の式辞とします。



令和2年11月3日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

 本学の校章は桜です。本学近く、都内屈指の桜の名所である千鳥ヶ淵の桜は今日、見事に咲きほこり、皆様の新たな出発を祝うかのようです。

 本日ここに、多くの皆様のご臨席を賜り、平成 31 年度共立女子大学大学院、共立女子大学、共立女子短期大学の入学式を執り行えますことは、学長としてこの上のない喜びです。

 ここに、お祝いの言葉を一言申し述べます。


 新入生の皆さん、ご入学誠におめでとうございます。

 入学に向けて勉学に一生懸命、取り組んでこられた入学生の皆さんの努力に敬意を表すると同時に、暖かい愛情をもって支えてこられた保護者・ご家族の皆様にもお祝いと感謝の意を表したいと存じます。

 新入生の皆さんは、これから大学、短期大学、あるいは大学院で学ばれるうえで、それぞれに期待と希望があるとともに、不安もあるかと思いますが、皆さん一人ひとりの「志」を実現するべく、一層の努力をして頂きたいと思います。

 本学の教職員一同、そのために全力を尽くす所存です。


 本学は、明治19年、1886年に、新しい時代には「女性の社会的地位向上のための、自活の能力の習得と、自立した女性としての必要な教養の習得」こそが必要であるという「志」を抱いた34名の人々によって共同で設立され、「共立」と名付けられました。この「女性の自立と自活」という本学の建学の精神は、開設者たちによる、女子教育に対する熱い「志」を示したものです。本学の女子大学・短期大学としての社会的な存在意義はそこにあり、私たちは現在においてもそれは全く色あせていないと考えています。皆さんには、この本学の建学の精神をしっかり受け止めてもらいたいと思います。

 言うまでもなく、大学・短期大学での「学び」は、人からただ教えてもらうのではなく、自ら学ぶことにこそ本質があります。すなわち皆さんに期待される「学び」は、「自ら課題をみつけ問題を解決できる能力を身に着けること」を通じて、「自立」し、「自活」する道を切り開く力をつけてもらう事と考えています。私たち教職員はそのために、入学後の正課教育、正課外学習において、主体的に学べる仕組みを取り入れ、皆さんをサポートしていきます。

 また、主体的な学びには正課外の活動、サークル活動や学生ボランティア活動も重要です。本学は、都心の一等地の一つのキャンパスにコンパクトにまとまりながら、4学部、2学科を有する総合大学です。ここには、多彩な学問をおこない、多種多様な考えを持つ友人や教員と交わることができる場があります。それは、皆さんが新たな価値を創造する場であると同時に、社会を生きぬくキャリア形成の場になるものと信じています。

 本日の入学式は平成最後の入学式になります。新しい元号は令和に決まりました。

 平成の時代は、想定外の出来事の多い、変化の大きい時代でした。地震や集中豪雨などの負の出来事が多い中で、日本人のノーベル賞受賞が続いたことは、学問の世界に身を置く者としてとても嬉しい出来事でした。

 2018年度のノーベル医学生理学賞を受賞した本庶先生は、その受賞会見で、時代を変える研究には6つのC(Curiosity 好奇心、Courage 勇気、Challenge 挑戦、Confidence 確信、 Concentration 集中、Continuation 継続)が必要とおっしゃっていました。それを私なりに大学、短大での学びにあてはめてみました。まず、様々な問題を自ら見つけて、考えるには、その問題について面白がること(好奇心、Curiosity を持つこと)が第一歩です。何でもまず面白がって、調べることから始まります。そしてさらに挑戦(Challenge)的に課題を設定し、学びを深めることが大事です。例えば、本庶先生は、教科書に書いていることを安易に信じない事が大切であると言われています。

 そのあとは、自らの「学び」を、集中力(Concentration)をもって継続(Continuation)しないと、「学び」は深まりもしませんし、課題解決にも至りません。確信(Confidence)に至るまで、集中して継続する忍耐力が必要だとも言えるでしょう。このようなプロセスをたどるためには、周囲の雑音に惑わされずに突き進む勇気(Courage)も必要でしょう。

 勇気は、内から湧き出るだけでなく、外からも与えられます。今年は、ラグビーワールドカップが、1 年後 2020 年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。本学の本館前の白山通りはマラソンのコースになることが決まっています。アスリートたちが自らの限界に挑む姿を間近に見ることで、私たちは感動を受け、「学び」続ける勇気を貰えるでのはないでしょうか。

 皆さんがこれから本学で、それぞれに楽しく主体的に学んで下さることを願ってやみません。


 これをもって私の入学式の式辞といたします。



平成31年4月1日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

平成30年度

学位記授与式式辞

 平成30年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。

 修了生、卒業生の皆さん、そしてご臨席賜りました保護者、ご家族の皆さま、ご卒業おめでとうございます。

 本日、大学4学部1146名、短大2学科244名、大学院では4研究科24名の学生、院生が卒業していきます。

 皆さんは、入学式の日から、今日まで、勉強や研究、サークル活動にと、楽しかったこと、苦しかったことなどさまざまな経験をし、大学生活を送ってこられたと思います。今この卒業式の場にいる皆さんには、よく頑張ったね、おめでとうとまず言いたいと思います。

 また、この晴れの日を心待ちされていた保護者・ご家族の皆様には、教職員一同 心よりお祝いを申し上げるとともに、これまでの 厚いご支援に対して、感謝の意を表したいと存じます。

 本学は、明治19年、1886年に、34名の人々によって共同で設立され、「共立」と名付けられました。設立に携わられた方々は当時の東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の先生方でした。

 今年の NHK の大河ドラマ、「いだてん」では、明治43年に熊本の玉名から東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)に入学した金栗しそうが主人公で、当時の東京高等師範学校は男性の学校として描かれています。

 実は、この学校とも本学とは深い関わりがあります。明治19年ころ、官立の東京高等師範学校と東京女子師範学校を合併する男女共学化の話がありました。女性には女性独自の教育があるとして、その方針に反対して分離して設立されたのが本学の前身である共立女子職業学校です。

 建学の精神は「女性の社会的地位向上のための、自活の能力の習得と、自立した女性としての必要な教養の習得」とされました。建学の精神とは学校の開設者によるこういう教育をしたいと言う志を示したものです。

 本学の女子大学・短期大学としての社会的な存在意義はそのところにありますし、その意義は現代においてもまったく失われていないと私たちは考えています。

 本学の人材養成目的も建学の精神である「女性の自立と自活」によっています。人材養成目的は、「本学は、専門の学芸を教授研究し、学生の主体的な学びをはぐくみ、幅広く深い教養および総合的な判断力を培うとともに、誠実で豊かな人間性を涵養し、社会に広く貢献する自立した女性を育成することを目的とする」とされています。

 社会人基礎力と言われるものは、主体性やリーダーシップであると同時に他者と協働する力です。皆さんにはそのような力がついているものと信じています。

 皆さんが卒業後に向かう社会は、今急速に変化し、やがてAI、IoTなどが中心となる高度な情報社会となり、人間に求められる役割がもっと大きく変わっていくでしょう。AIが代替できないスキル、すなわち多様な非定型的な想定外の状況に対応できる能力、創造的な思考、自分と異なる他者とのコミュニケーション力などが求められます。

 本学を卒業する皆さんには、そのようなスキルの基盤となる力が養成されていると信じています。

 さて、本日の卒業式は平成最後の卒業式となります。5月1日からは新しい年号となります。皆さんは、平成最後の20数年を過ごしてきました。どのように振り返りますか?

 平成の意味は、「外に平に内に成る」とされます。

 しかし、平成 30 年の漢字として「災」が選ばれたように、平成7年の阪神淡路大震災、平成23年の東北大震災、平成30年の北海道地震、と忘れたころにやってくる筈の天災が多発しました。平成元年のベルリンの壁崩壊から、平成13年の米国同時多発テロなど、世界情勢の変化が激しいのも特徴でした。

 平均寿命は延長するも、少子化、格差社会など理不尽な予想外の出来事の連続です。

 私は昨年4月の学長就任時に、座右の銘の一つとして「resilience」をあげました。理不尽な想定外の出来事に耐え、跳ね返す力、抵抗力のことです。このような時代に適応していくには、resilientな心が求められます。

 皆さんが卒業後社会人として巣立つうえで、本学の校訓である「誠実・勤勉・友愛」とともに、このレジリエンスを心の支えとしていただきたいと思います。


 この切なる願いをこめて、皆さんの門出を祝すとともに、ご列席の保護者・ご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げて、私の式辞といたします。



平成31年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

入学式式辞

 平成30年度入学式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。


 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。ご列席いただいているご家族の皆様にも、お祝いと感謝の意を表したいと存じます。


 新入生の皆さんは、大学、短期大学、あるいは大学院で学ばれるうえで、それぞれの方面でそれぞれに希望を持っていることと思います。その希望を達成するべく、努力をしていただきたいと存じます。みなさん今日の気持ちを忘れずに、努めていただきたいと存じます。本学の教職員一同、そのために全力を尽くす所存です。


 皆さんは、大学・短期大学での学びをどのようにとらえているでしょうか?本学の建学の精神である女性の「自立と自活」を実現する学びを続けていただきたいと思います。すなわち皆さんに期待される学びは、「自ら課題をみつけ問題を解決できる能力を身に着けること」です。入学後の講義や演習においては、主体的に学べる仕組みを取り入れています。学ぶ内容も、専門分野だけでなく幅広く教養科目を学べる仕組みを取り入れています。


 主体的な学びには正課外の読書も含まれます。


 最近の新聞報道によると、2017年度学生生活実態調査において、学生の1日の読書時間は3年連続減少し、1日の読書時間がゼロ分の学生の割合は 53.1%とあります。この割合は、文科系でも理科系でもほとんど変わりありません。すなわち半数以上の学生において1日の読書時間がゼロということです。皆さんはこれを聞いてどう思ったでしょうか?「大学では読書をしなくてもいいんだ」とは思わなかったものと、私は考えたいです。

 学生になると意識しないと読書をしなくなります。スマートフォンの利用時間は1日平均177分もありますが、読書時間の平均は23.6分です。小説でもノンフィクションでも、本を読むことは皆さんに必ず楽しさや勇気を与えてくれるものと、私は信じています。読書によって得られることを私はうまく表現できませんが、皆さんが読書をすることによって始めて体得できるものです。

 幸い、本学は世界有数の本の街、神保町にあります。本との出会いは学内の図書館だけでなく ちょっと外にでればおのずと得られます。皆さんが入学後読書によって知的好奇心を満たしていくことを期待します。

 さて、今年は明治150年であり、明治時代を振り返る行事が予定されています。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と明治時代をなつかしむ俳句を 中村草田男 がよんだのは昭和6年ですが、明治100年の昭和43年(1968年)に「明治は遠くなりにけり」という言葉がはやりました。丁度その年、私は皆さんと同じ大学1年生でした。皆さんと50年の年齢差があることを、この原稿の準備をしながら気づかされました。

 皆さんは平成生まれですが、来年には年号が変わる予定です。私のような高齢者が、昭和のことをなつかしむように、皆さんも来年以降は平成の時代をなつかしむようになるのでしょうか?自分の生きた時代のことを認識できるのは楽しいことです。そのためにも、本学に入学した平成最後の 1 年間をしっかり心にとめておいていただきたいと思います。

 また、来年はラグビーのワールドカップ、2020 年はオリンピック・パラリンピックが東京を中心に開催されます。先ほど終了したピョンチャン冬季オリンピックが私たちに感動を与えてくれたように、トップアスリートの戦う姿は私たちに生きる勇気と学ぶ意欲を与えてくれます。東京オリンピック・パラリンピックを日本で開催する価値はそのあたりにあるのではと私は思います。本学にほど近い靖国通りはマラソンの走路に予定され、間近で感動を味わうことができるでしょう。


 本学のキャッチフレーズは、東京駅に一番近い大学、小さな総合大学です。学ぶ環境はととのっています。

 皆さんが、このような環境を活かし、皆さんがそれぞれ入学時に抱く希望を達成するべく 学び続けられることを祈念します。


 これをもって式辞といたします。



平成30年4月1日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 川久保 清

平成29年度

学位記授与式式辞

 平成29年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。修了生および卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんの努力の結果として本日があることを、ご列席のご家族の方々と共に喜びたいと思います。

 本学は明治19年に34名の人々によって共同で設立されました。共立という名前の由来もそこにあります。これら34名の人々はほぼ男女同数から成り、いずれも当時第一級の知識人でした。それぞれの考え方や生き方はさまざまだったと思われますが、当時の女性の社会的地位の低さを憤る気持ちで一致し、女性が職業能力を持つことの必要性を訴えて本学を設立したのです。彼らは、女性のためというよりは、いわば彼らが一致して社会正義と信じたもののために立ち上がったのです。

 今や女性が職業を持つことは普通のことになりましたが、かつての厳しい時代に多数の人々がそれぞれ個人の立場で一つの主張のもとに集まり、協力して本学を設立したというところに本学の永遠の存在意義があります。

 本学は短期大学を含めて「小さな総合大学」であることを特質としています。小さい大学でありながら極めて多様な専門課程を擁しています。幅広い教養は大切ですが、それも中心に確固とした専門があって初めて意味を持つものです。自己を確立するうえで、専門教育がその核にならなければならないことは言うまでもありません。本学の創立者たちがそうであったように、自己が確立されて初めて対等の立場で他者との協力が可能になるのです。皆さんが今後どのような人生を歩まれようとも、本学で努力して身に着けられた専門上の見識を、生きてゆくうえでの拠り所にしていただきたいと思います。

 そして、本学では、小さいがゆえに総合大学であることの特質がすべての学生にゆきわたり、学生は、それぞれの専門について集中的に学びながら、しかも総合的に物事を判断する習慣と能力を自ずと身につけることになります。その習慣と能力は、今、日本で、そして国際社会で、最も必要とされているものです。卒業生の皆さんは、そのような教育の場に身を置いてきたことをここで再確認し、自信を持って巣立っていっていただきたいと思います。

 ところで、本日は季節外れの暖かさですが、今年の冬はとりわけ寒さが厳しく、特に日本海側の諸地域や北海道ではかつてないほどの低温や積雪が記録され、様々な被害をもたらしました。東日本大震災の傷が癒えないまま、過酷な天候や地震、噴火などによるさまざまな自然災害が後を断ちません。しかし、自然をコントロールする力を人間は持たず、被害に会われた方々が一日も早く立ち直られることを祈るばかりです。

 人間は自然現象を規制することはできませんが、人間が作り出したものは、それを規制するかどうかは別問題として、少なくとも規制できるようでなければなりません。例えば銃社会と言われるアメリカにおけるように、規制しなければ銃が勝手に暴走する、ということがあります。また、例えば核エネルギーのように、人間が作り出したものでありながら人間がコントロールするには極めて困難、というものもあります。それを平和利用するにせよ軍事利用するにせよ、エネルギーとしての効率を求めるあまり、人間そのものが置き去りにされてきたのではないか、と感じないではいられません。これから科学が発達するにつれて、同様の事態が次々に起こってくることが懸念されます。

 身近な例で言えば、近年のコンピューターを始めとする情報機器の発達はめざましく、情報機器はすでに便利な道具の域を超えて一人歩きし始めているのではないか、という不安があります。近年、インターネット関連で様々な事件が報じられていますが、さしあたって打つ手がないといった印象を受けます。

 いま求められているのは、人間が作り出したものをあくまでも道具として使いこなしながら、一方において、人間とは何か、社会はどうあるべきか、が総合的に判断され、追求されなければならないということです。万が一にもすべての民族や文化に共通する人間性や社会正義が効率化の犠牲に供されるようなことがあってはなりません。それには各人が警戒を怠らないことが必要であり、また、本学の成り立ちや特質から考えて、特に本学の卒業生にはその心構えが求められていると言えます。

 皆さんがこれから個人としての幸福を追求しながら、同時に社会の担い手としての責務を果たされることを願っています。人生は常に困難に満ちています。しかし、孟子の言葉にある通り、顧みて心に恥じることがなければ千万人と雖も吾ゆかん、といった気概を持って生きていっていただきたいと思います。


 この切なる願いをこめて、そしてご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げて、式辞といたします。



平成30年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成29年度入学式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。


 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私ども本学関係者一同、この日を心待ちにしておりました。今日からは本学の一員として、本学の持っている機能や特質を使い尽くすつもりで、受け身ではなく、意欲的に学生時代を過ごしていただきたいと思います。


 さて、今年の冬は近年では特に寒かったように思います。日本の真冬の時期は南半球は真夏で、日本人がスキーを楽しんでいるときにオーストラリアでは人々は海水浴に興じているそうです。そしてオーストラリアから多くのスキー客が雪を求めて日本を訪れます。彼らが雪ばかりでなく日本人の優しさにも満足して帰ってゆくという話を聞くと、心がなごみます。

 冬が過ぎて、今や桜の季節です。桜は一輪の花びらを見ても美しいものですが、桜の並木や木立の全体が花に覆われているのを見ると心が浮き立ちます。いっそ山や林の全体が桜であればどんなに美しいだろうと思わないではいられません。

 しかしながら、毎年、秋になると、まったく同じことをもみじについて思うことになります。「全山紅葉して」の言葉通り、山がもみじに覆われて、山全体が燃え上がるようであればどんなにいいだろうと思うのです。そのときに桜の花を思い出すことは稀です。

 山といえば、日本の山には鹿がたくさんいて、その穏やかな、愛らしい姿は日本人に親しまれ、日本画の主題としてもしばしば描かれます。鹿の優しさはどこかで日本人の心情に通じるものがあるのでしょう。

 しかしながら、鹿が木の芽を食い荒らすため、日本の山林の多くが危機に瀕しているという話を聞きます。テレビなどで無残に枯れた木々の映像を見ると、なんとか鹿の数を減らして日本の山林を守らなければ、といった気分になります。

 桜を見てもみじを思い出すのは難しく、鹿の愛らしさを見ながら山林保護に思いを馳せることは困難です。ある国が寒さに震えているその同じときに他の国が暑さにうだっている、ということは、理屈ではわかっていても、感覚的に受け入れることはたやすいことではありません。

 しかし、そこに大学教育の本質があると申し上げたいと思います。一つの事象を全く別の方向から同時に見ることのできる能力、あるいは両立不可能に思われる対立的価値観のどちらの側に立っても考察することのできる能力、それを在学中に身につけていただきたいと思います。俗に、互いに相容れないものを「水と油」などと言いますが、実際には、人間は水と油の双方を認め、双方から絶大な恩恵を受けています。その考え方、その立場こそ、人間社会の発展に最も大切なものなのです。

 本学は、情報を集め、集めた情報を分析し、独自の結論へ導くというプロセスをとりわけ重要な能力と位置付けていますが、世間の在り方を見ると、はじめに結論を想定して、そこに導くのに都合のいい情報を集めるという逆転の現象がしばしば見られます。それでは情報を集める意味がありません。皆さんは本学で、偏りのない豊富な情報から客観的な結論を導き出す訓練を受けることになります。

 社会は偏見に満ちています。問答無用とばかりにのっけから切り捨てられるものがあまりに多いのが現実です。自分とは異なる考え方や価値観を一方的に排撃するようでは社会は発展しません。矛盾したたくさんの要素を抱え込みながら人間の歴史が刻まれてきたことに思いを致し、それぞれの要素や価値観への知識と共感を持つことが求められます。しかし、それは容易なことではありません。受け身ではなく、意欲的な問題意識をもって、これからの大学生活を切り拓いていっていただきたいと思います。

 本学で培われた能力は、皆さんが将来どのような方向に進もうと、社会の発展に寄与するばかりでなく、必ず皆さん自身の役に立ち、皆さんを支えてくれるものです。それを願い、信じればこそ、本学教職員は本学の教育と運営にあたっているのです。

 その意味から、本日皆さんを私たちの仲間にお迎えしたことに限りない喜びを感じ、また、それを可能にしてくださったご家族の方々に深い感謝の意を表します。


 これをもって式辞といたします。



平成29年4月1日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成28年度

学位記授与式式辞

 平成28年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。卒業生・修了生の皆さん、おめでとうございます。学校教育の各段階で卒業式がありますが、皆さんの多くにとっては、これが最後の卒業式かと思われます。最後の卒業式には、いよいよこれから社会に出るという、特別な意味があります。これからは社会人として、立派にその本分を尽くしていただきたいと願っています。


 ここで、社会に出る、あるいは社会人として本分を尽くす、ということに関連して申し上げたいことがあります。それは、社会では、好き嫌いとか賛成反対とかにかかわらず、いわゆる「建て前」とまともに向き合わなければならない、ということです

 建て前と対立するものに本音があります。建て前は形式とか習慣とかにこだわり、本音は正直にありのままの自分を表現するものというのが一般の受け止め方のようです。建て前は俗なもの、本音は純粋なものというイメージで捉えられているようです。したがって、ここで、「皆さんはどうか建て前ではなく、本音で生きていってください」と言えば、無理なく受け入れられるだろうと思います。そう言いたい気持ちは私にもあります。しかしながら、いま言おうとしているのは、それとは別のことです。

 本音と建て前は必ずしも明確に区別できるものではなく、建て前の立て方のうちに本音が示されているとも言えますが、基本的に、建て前は社会的なものであり、本音は個人的なものです。建て前は、社会的なものであるだけに、時代の変遷のなかで試練を受けています。両者の決定的な違いは、建て前は議論の対象になりうるが、本音は個人的なものであるため議論の対象になりえないということです。皆さんはこれまで主として本音で生きてこられたと言っても過言ではありません。そういう幸福な時期を過ぎて、これからは、建て前はどうあるべきか、ということを常に意識することになります。


 ところで、今日は3月15日です。本学は例年この日に卒業式を行っています。この日は欧米では Ides of March と呼ばれ、歴史的に有名な日とされています。この日に本学が卒業式を行うのは単なる偶然にすぎませんが、この偶然には意味があるように思います。

 この日がなぜ有名かといえば、紀元前 1 世紀のこの日に、古代ローマのジュリアス・シーザーが暗殺されたからです。この間の事情はシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』に詳しく語られています。

 シーザーは、ブルータスを始めとする暗殺者集団に議事堂内で暗殺されました。当時のローマは共和制のもとにあり、一般民衆が政治の主体でした。ブル ータスはシーザーが皇帝の位に就く野心を持っていることを察して、共和制を守るためにシーザー暗殺を決意し、仲間を募ります。実はシーザーとブルータスは深い信頼関係にあり、ブルータスは本音の部分ではシーザーに好意と敬意を抱いていました。しかし彼は共和制を守るという建て前に従ったのです。しかしこの計画に賛同して集まってきた他の人たちは、いずれもシーザーに対して個人的な恨みを抱く人たちでした。ブルータスは、そういう動機でこの計画に加わってはいけないと力説するのですが、どうせ目的は同じだからと理解されず、そのまま計画は実行に移されます。暗殺は成功しましたが、それぞれの思惑に食い違いがあったために力を結集することができず、暗殺者集団は自滅の道を辿ることになります。その後、ブルータスが恐れていたとおり、ローマは共和制を捨てて、一個人が絶対的な権力を有する帝政への道を歩むことになります。


 ブルータスの教訓は今日でも生きています。たとえば、最も社会的存在であるべき政治家が、特に、大きな国の指導的な立場の政治家が、建て前をかなぐり捨てて、議論の対象になりえない本音だけで語るようになれば、その国のみならず、国際社会も混乱に陥ることになります。そうならないことをひたすら願うばかりです。

 言うまでもなく、いつでも建て前を取って本音を捨てなければならないということではありません。本音を守るということは自分を守るということであって、自分を社会の犠牲として差し出す必要はありません。しかしながら、社会生活においては、政治家ならずとも、本音を抑えて建て前をとらなければならない局面に立ち会うことがあります。それは自分との戦いに他なりません。その戦いに勝った人こそ、社会の担い手になる資格がある人なのです。皆さんにはその立場が期待されているということを、ここで強く意識していただきたいと思います。


 本日この日に卒業される皆さんが、個人としての自己と社会人としての自己とを二つながらに確立し、個人としての生きがいを探求しながら、同時に社会人としての責任を立派に果たしてくださることを希望します。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げて、式辞といたします



平成29年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成28年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。ご列席いただいているご家族の皆様にもお祝いと感謝の意を表したいと存じます。


 新入生の皆さんは、それぞれ大学、短期大学、あるいは大学院で学ばれるわけですが、それぞれの方面でそれぞれに希望がおありのことと思います。その希望を達成するべく、努力していただきたいと思います。本学もそのために全力を尽くす所存です。


 よく、若い人への忠告として、好きなことでなければ長続きしないから好きなことを選ぶように、と言われます。それはその通りなのですが、好きなことの中にもあまり好きでないことが含まれてくることも事実です。たとえ趣味の世界でもそれはありうることで、まして大学での専門となるとなおさらです。好きでないことも含めて努力する、という覚悟が必要です。つまり、好きだから、という動機づけには限界があって、それ以上の何かを持つことが必要になります。

 努力というものは、その言葉の響きは美しいものの、実態は、あまりにも地味で退屈で辛いものです。今日やらなくても明日やればいいのではないかとつい考えたくなります。しかしそう考えているとついにやるときはなくなってしまいます。今日の努力は明日の自分へのプレゼントだと考えてください。明日の自分にプレゼントを贈れば、明日の努力は少し楽になります。毎日、今日の自分は昨日の自分からどのようなプレゼントをもらったか、そして、今日の自分は、明日の自分にどのようなプレゼントをしようとしているのかを考えてください。

 繰り返しますが、努力というものは、いつだって、モタモタしていて格好悪いものです。颯爽とした努力などありえません。企業では高能率を目指しますが、大学での努力は本質的に能率の悪いものです。能率を目指す努力は決して豊かな実を結ぶことはありません。


 では、努力はどの方向でなされなければならないか、という話になります。

 いずれの専攻あるいは専門においても重要なことは、いかにして主観を離れて、客観の世界を自分の内部に持つかということです。その訓練をするのが教育の最終段階だと思ってください。自分の体験からしか発想できないのは訓練が足りないということになります。好きというだけの理由で続けるには限界があると先ほど申しましたが、要するに好きとか嫌いとかいうことは主観の問題であって、そのことのうちにすでに客観性を拒む要素が含まれているのです。ここを克服しなければなりません。皆さんはこれから教養科目や演習科目を通じて、それまでまったく興味のなかったテーマでレポートを書いたり発表したりすることを求められるでしょう。そのとき、ここが勝負なのだと思ってください。興味のない分野については、比較的楽に主観の束縛から逃れることができるので、よい練習になります。そして、考察し、結論に達するためには、根拠がなくてはなりません。根拠は厳密な意味で客観的なものでなければなりません。こういう努力を通じて、初めて自己の内部に客観性を確立することができるのです。


 大事なことは、客観性を確立することによって、初めて自分という存在が見えてくるということです。自分を見るためには、自分を離れなければなりません。むかし聞いた笑い話ですが、パリに住んでいるフランス人でエッフェル塔が大嫌いだという人がいて、その人がそう言いながら毎日長い時間をエッフェル塔で過ごしているので、ある人が、エッフェル塔が嫌いなのにどうしていつもエッフェル塔にいるのだと聞いたら、パリでエッフェル塔が見えないのはここだけだから、と答えたということです。中に入ると見えなくなる、見るためには離れなければならない、という重要な教訓をここに読み取ることができます。つまり、自分から離れられない人には自分が見えていないことになります。つまり、客観性を確立することは、主観性を確立することでもあるのです。

 口で言うのはやさしいのですが、これを達成するのは容易なことではありません。しかし、大学・短期大学での努力はこの方向でなされなければならないこと、そして本学を出たあともこの方向で努力がなされなければならないことは自信をもって言うことができます。なぜなら、それこそが本学で若い一時期を過ごしたことの証だからです。


 皆さんがこれからの努力によって自らを確立し、よってここにご列席のご家族の方々の熱い期待に応えられることを切望いたします。


 これをもって式辞といたします。



平成28年4月1日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成27年度

学位記授与式式辞

 平成27年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。卒業生・修了生の皆さん、おめでとうございます。皆さんの多くは、長かった学校生活にひとまず終止符を打って、これから社会に出て行かれようとしています。学校生活にもそれなりに辛いことや苦しいことがあったに違いありませんが、社会に出られれば、学校生活がいかに自由で楽しかったかを痛感なさることでしょう。


 皆さんもよくご存じの高村光太郎の詩に「僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る」とあるように、皆さんの後ろに道はあるものの、皆さんの前に道はありません。後ろの道と言っても、それは多分にすでに用意されていたものであって、皆さんが切り拓いてきたという要素は比較的薄いかもしれません。しかし、もうこれからは、皆さんの前に道はないのです。かつては卒業後の道もある程度社会が用意してくれていたという気配がなくもありませんでした。男性も女性も、どうやって生きてゆくべきかはすでに決まっていて、その道を進んでゆくしかない、という感じがなくもなかったのです。しかし今は違います。誰かがそれを用意してくれるということはありません。ない道をどうやって切り拓いてゆくか、その発端の位置に皆さんは立っています。その自覚をいま新たにしていただきたいと思います。


 ところで、今年の冬はときどき急に冷え込んだりしたものの、全体的には暖冬といえるものでした。暖かい方が寒いよりいいわけですが、それでも、特にウィンタースポーツの愛好者やその関係者でなくても、そしてそうとう寒がりの人であっても、冬はやっぱり寒い方がいい、というのが一般的な受け止め方のようです。

 宮澤賢治は「雨にも負けず」という詩のなかで、「なりたい自分」について、「雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち」としながら「寒さの夏はおろおろ歩き」とうたっています。冬の寒さ、夏の暑さには耐えられるが、それが逆転することには耐えられないということでしょう。宮澤賢治は農民への愛をうたったのであって、その範囲内で解釈すべきですが、これは一般論としても通用しそうです。


 地球温暖化のせいか、世界中で異常気象が伝えられています。雨季に降雨量が少なく、雨季でもないときに大雨が降り続く、ということはもはや日常化しているようです。南極の氷が溶け始めている、とも聞きます。日本人は特に四季の移り変わりに敏感で、それぞれの季節の特徴を愛してきましたから、よけいに不安にかられるのでしょう。季節の移り変わりに、人々は自然界のあるべき姿、つまりは秩序とか摂理とかの象徴を見ているのであって、前述の高村光太郎の詩も「ああ、自然よ、父よ、僕を一人立ちにさせた広大な父よ」と続くことからも分かるとおり、自然は人間にとって厳格な父のような存在であって、それが崩れてしまうことに一種の恐怖感を持っていると言っても過言ではないでしょう。なぜ夏が寒ければいけないか、なぜ南極の氷が溶けてはいけないか、と問われてうまく説明できない人であっても、夏は暑い方がいいに決まっているじゃないか、南極には氷がある方がいいに決まっているじゃないか、と憤然として答えることになります。


 それは天候の話にとどまりません、つまり、ものごとにはすべて、それらしさ、つまり、あるべき姿、というものがあり、それを外れると不安だということであって、この感覚はとても大切なことのように思います。

 例えば、人間らしくとは、あるいは自分らしくとはどういうことか、という話になります。それを厳密に考えて、それを守るということがなければ、すべてが崩れていってしまいます。ここだけは譲れない、という意識がなければ、人間として、また自分として生きている意味も薄れてしまいます。

 但し、自分らしく、ということは、とりあえず自分の現在のあり方を肯定してそこに安住する、ということではありません。自分はどうありたいのか、どのようになることが自分らしいのか、という厳しい追求がそこにはなくてはなりません。宮澤賢治は「そういう者に私はなりたい」と言っているのであって、これが現在の自分だと言っているわけではありません。自己満足からはなにも生まれないことを彼はよく知っていたのです。

 自己を確立する、ということが、大学の、とりわけ本学の使命であることは言うまでもありません。皆さんは、在学中に、授業や各種の課題をこなしてゆく過程で、そしてサークル活動などの課外活動を通じて、さらには友人たちとの触れ合いを通じて、意識しないまでも、自分とはなにか、自分とはどうあるべきかを自らに問い、あるべき自分の確立のために努力してきたのです。しかし、僅か数年でそれが達成されるはずはありません。それを問い続け、その実現のために努力し続けることが、これから皆さんに課された課題であり、また、それこそが人生を生きるということなのだと考えてください。その出発点にある皆さんに、心からお祝いを申し上げる次第です。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げて、式辞といたします。



平成28年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成27年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。幾多のご努力とご苦労とを経て、ついに皆さんは本学に入学されたわけで、その喜びはいかばかりかとご推察申し上げます。また、ご列席のご家族の方々にもお祝いを申し上げます。私ども本学関係者一同、この日を待ち望んでおりました。これからの日々を皆さんと共に過ごすことに、大きな喜びと、さらに大きな責任とを感じております。


 最近の新聞報道によれば、投票権の年齢が18歳にまで引き下げられることがほぼ本決まりのようです。若い世代にはこれまで以上に大きな期待が寄せられることになります。言うまでもなく、それはさらに大きな責任がかぶせられるということであり、それが若い世代にとってよいことなのかどうか、にわかには判断できません。「若さ」ということは一つの特権であって、特権を与えられてこそなしうることもあるのです。その特権をそう簡単に奪ってよいものか、はるか昔に若さを失った一人として、疑問を感じないではいられません。


 最近は、若い人に「頑張れ」と言ってはいけないのだという声をよく耳にします。そして、それに呼応するかのように、「頑張らなくたっていいんだ」「やってだめならやりなおせばいい」「人生はいくらでもリセットできる」「ゆっくりいこう」等々の声を聞くことが多いように思います。そこにはそれなりの時代性なり必然性があってのことでしょうから、特に異を唱えるつもりはありません。しかし、正直申せば、それで若者が育つのか? という思いがあることも事実です。時代性であるとすれば、現代の若者は以前の若者よりひ弱になっているということになりそうですが、そのことと、投票権の年齢を引き下げることとがどうリンクするのか、理解に苦しみます。


 時代性ということで言えば、大学・短期大学もまた時代の波に洗われています。旧態依然たる体質を保持することはとうてい許されません。大学教育が、従来、教育する側から教育される側への一方通行になりがちであり、教育される側への配慮が必ずしも十分でなかったことは反省されなければなりません。いくら豊かな栄養を含んだ食品であっても、それを摂取する者の体質や体調によって拒否反応が生じる場合があります。うかつに「頑張れ」と言うなという教訓も、その点を踏まえたものとも考えられます。高卒者の半数以上が大学・短期大学に進学する現在、学生の個性も多様化しており、教育する側が単なる自己満足に陥らないよう、配慮する必要があります。本学でもそのための教員の研修会を行ったり、学生の意見を聞くなどして、時代の先端を行くように努めています。


 しかし、そうは言っても、教育は、教育される側の意図を超えて、教育する側に「これを与えたい」という強い意欲があって、初めて成立するものです。教育される側の意図の範囲内に留まるのであれば、あえて教育を受ける意味もないことになります。大学教育が社会のニーズに応えなければならないことは言うまでもありませんが、どのレベルで「社会のニーズ」を捉えるかには難しいものがあります。社会の変化に対応することと社会の変化に振り回されることは違います。本学は、変転する社会現象のなかで、創設以来の教育機関としての信念を保ちながら、不変の人間性に根ざした教育を心がけています。


 ところで、神田地区、とりわけ本学の位置する近辺は、本学の新2号館や本学に隣接する小学館の建築工事を始めとして、現在いくつかの建築工事が進行中です。工事中は周囲に柱を立てて布で覆い、近くを通るのも不便で、決して快適な環境とは言えません。覆いをかけるのは、外界に影響を及ぼさないためですが、外界からの影響を防ぐためでもあります。覆いの中では最新の建築技術を駆使して、多くの人が汗まみれになって働いていますが、その様子を見ることはできません。そしていったん工事が完了して覆いが取り除かれると、そこには近代的な美しい建物が出現することになります。


 大学生活もそのようなものです。大学・短期大学は目に見えない布で覆われた特権的な場所なのです。特権を与えられてこそなしうることもあるのです。覆いは社会からの雨風が直接かからないためであって、もちろん、それはたくさんの出入り口によって外界との行き来も自由ですが、覆われることによって勉強のための環境が整えられるという側面を否定することはできません。勉強する、ということは、決してきれいごとで済むことではありません。汗にまみれる、歯をくいしばる、という要素が伴います。友人と激論を交わす、ときには涙を流す、など、無関係な人に見られたくないような様相を呈することもあります。それらの経験の積み重ねによって大学・短期大学に入学した目的が達成されるのですが、それは生易しいことではありません。頑張らなくてもいいんだ、とは決して申しません。それはあまりにも無責任な言葉です。頑張って、そして、疲れたら休む――その繰り返しが大学生活であり、また、人生なのです。頑張る前から休むことを考えるようでは、大学生・短期大学生という覆いを取ったとき、そこに光り輝く社会人の姿が現れるか、不安です。


 皆さん、どうぞ頑張って下さい。そして、本学で、将来につながる確かなものを掴んで下さい。そのために、本学の教職員も全力を尽くします。


 これをもって式辞といたします。



平成27年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成26年度

学位記授与式式辞

 平成26年度学位記授与式にあたりお祝いの言葉を申し述べます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。以前は高校を卒業すれば社会に出て働くのが当然とされ、一部の恵まれた人だけが大学に行って社会に出るまでの数年間を好きな勉強その他をして過ごす、と考えられていました。今日ではその観念は薄れていますが、それでも、それが恵まれた状況であることに変わりはありません。人間として完成する二十歳前後の数年間を社会から一歩引いた静かな環境のなかで勉学と友情のなかで過ごすことの価値には計り知れないものがあります。その状況を確保してくださったご家族の方々に、皆さんと共に感謝を捧げたいと思います。


 今から4年前の3月11日に東日本大震災が日本を襲い、そのためその年の卒業式は2か月延期されて5月29日に挙行されました。入学式も2週間遅れの4月16日に挙行されました。卒業式と入学式の順序が逆転するという現象が起きたわけです。皆さんの多くはまさにその日の入学式に列席されたわけであります。皆さんの大学生活は、大震災後の混乱と喧噪のうちに過ぎたと言っても過言ではありません。そのなかには政治的不安定ということもあったわけで、皆さんは自分たちの将来への不安を抱えながらの4年間だったと思います。そのなかで皆さんはよく努力されました。そのことを、本学関係者は等しく誇りに思っています。


 大学側も震災対応に追われた日々でした。会議を重ね、学生やご家族にご理解とご協力を求めてきました。そして4年たちました。4年前のあの日に入学した人たちが本日卒業する、ということに、本学関係者として感慨なきをえません。


 しかし、そのような感慨が社会的にどのような意味を持っているかということになると、話は途端に曖昧になります。東日本大震災で提起された諸問題はその後どうなったか──そこでは事実だけが問われます。事実として、データとして、どの点がどこまで解決されたか、だけが問題とされます。何事によらず、皆さんは個人的な感慨など何の力も持たない厳しい社会にこれから出てゆくことになります。社会はどうあるべきか、現在の社会はあるべき姿からどの点でどのようにずれているか、を、事実に即して考えながら、確かな足取りで進んでいってください。それが社会人になるということの意味合いにほかなりません。そして、そのための基礎力を大学で培ったのだということに自信と誇りを持っていただきたいと思います。


 皆さんはこれから社会で活躍されるわけですが、そして社会は皆さんの活躍を歓迎しているはずですが、社会に出られた皆さんがまず実感されるのは、活躍するには制約とか制限とかが多すぎる、ということかと思います。こういうことをしなければならない、とか、こういうことをしてはいけない、とかいう言葉を聞いているうちに、自発的な活動意欲がだんだんに萎えてくるのを感じられるかもしれません。しかし、ここで申し上げたいのは、制約こそ活動の源だということです。制約とは活動の場を設定することであって、いわば、スポーツにおける競技場のようなものです。選手たちは動ける範囲を頭に叩き込んで競技することになります。動く範囲が限定されるからこそ、動けるのです。どこまで動けるかがはっきりしている、ということほど、動きを楽にしてくれるものはありません。そして、制約を活動の原動力にするほどの気概がなければ、この世ではとてもやってゆけない、ということを、ここで申し上げたいと思います。皆さんは、どこに身を置こうと、まず、自分に託された仕事と責任はどこからどこまでかを、事実としてしっかり確認して、その範囲のなかで最大限に動き回ることを考えてください。そうすれば、そのうちに範囲そのものが拡大してゆくことを実感なさるでしょう。それが発展ということにほかなりません。


 ところで、むごたらしい事件が後を絶ちません。これが人間のやることか、と思えるような行為が、国内・国外で、個人によって、あるいは特定のグループの名において、なされています。そしてそのとき、私たちは、人類に共通の人間性といったものは存在しないのではないか、と思いたくなります。それは当然のことですが、しかしながら、共通の人間性が存在するという前提で人間の文化が発達してきたことは事実です。明らかに非人間的と思われる人をも人間とみなし、そのことの痛みを共有する覚悟がなければ、人間としての進歩はありえません。人間としての痛みを共有していない人が非人間的な行為に走るとも言えるのです。


 大事なことは、どんな残虐行為にも、歴史的な、あるいは社会的な背景があるということです。だからといって行為そのものが正当化されることはありませんし、これを弁護する必要もありませんが、歴史的・社会的背景を事実としてとらえ、整理し、解釈するということがなければ、問題そのものが解決されることはないでしょう。


 私たちは、世界で何が起ころうと、共通の人間性への夢を捨てることはできません。その夢を捨ててしまえば、もはや人間世界は存立してゆかなくなるのです。これから先、社会がたとえどのような局面を迎えようと、皆さんが人間としての誇りと夢を失わず、力強く生きていって下さることを、そして、そのことを通じて社会をリードするよう努めて下さることを切望します。そのためにこそ本学の教育はあるのだということを忘れないでいただきたいと思います。


 終りに、改めてご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成26年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。本学教職員一同は皆さんの入学が決まったそのときから、今日の日を心待ちにしておりました。私どもは毎年新入生を迎えているわけですが、人間の出会いは常に一期一会のものであり、毎年の出会いの感動は常に新鮮です。お互いに、この感動を大事に守ってゆきたいと思います。


 始めにあたり、所信の一端を申し述べます。


 かつての教育がどうであったかを一括りにすることはできませんが、一般的には、教える側が教えられる側に一方的に知識を与えるというものでした。これが一定の効果を収めてきたことは疑いないものの、それでは効果も限定的であるという反省から、教育界全体で、とりわけ大学教育において、改革が叫ばれています。本学としても、もうかなり前から、学生の主体的な学びを促進すべく、検討を重ねています。


 古い体質と言われたかつての教育の現場であっても、「馬を水のある場所まで連れてゆくことはできても、飲む気のない馬に水を飲ませることはできない」と言いならわされていました。学生を馬に喩えるのは気の引けることですが、要するに、「勉強する気のない人に教えるのは無理だ」という意味でしょう。それは、「教える」という作業は他人にできても、「学ぶ」という作業は本人にしかできない、と言い換えることもできます。大学はそういう意味での「学びの場」だということを、ここで再確認していただきたいと思います。当然のことながら、学生諸君には、ただじっとして何かが与えられるのを待つのではなく、自ら進んでその「何か」を取りに行く、という姿勢が求められます。


 では、その「何か」とは何か、という問題になります。それはひとことで言い表されるものでないことは言うまでもありませんが、あえて申し上げれば、どの分野であれ、そこには基本的な「型」というものがあります。その型をきっちりと修得した人が、つぎの段階で独自の型を作りあげることになります。かたちから入ってかたちを突き抜けることが何によらずすべての習い事の基本なのであって、皆さんはそのプロセスを主体的な学びを通じて自分のものにするために本学に入学されたのだということを、まず申し上げたいと思います。


 たとえば茶道の達人のお点前を拝見すると、まるで作法など関係ないかのように自由に振舞っているように見えますが、その自由さには流動感やめりはりがあって、その世界に不案内な者が見てもたとえようもなく美しく感じられます。作法を完璧に自分のものにすることによって自由さを獲得しているのです。


 また、ピカソをはじめとするキュビスムの画家たちのように、現実をデフォルメしたような絵を描いた人の若い頃のデッサンを見ると、その見事さに驚嘆させられます。現代の優れた抽象画家・抽象彫刻家についても同じです。彼らはデッサンを究めることで、目に見える現実世界を突き抜けたその先まで見えるようになったのです。


 スポーツの世界では、初めのうちはひたすらコーチの指示に従うことを求められます。そこでは個性などまるで抹殺されるかに見えます。しかし、野球に例をとれば、名選手と言われる人たちが、それぞれ独自のフォームを持っていることが注目されます。バッターにしろピッチャーにしろ、フォームを見ただけでそれが誰だかすぐに見分けられるほどです。彼らが初めからそのフォームを持っていたはずはありません。コーチの指示で決まった型を練習し、練習を重ねてついにそれを習得し、さらにそこを突き抜けた段階で自分独自のフォームに到達したわけです。はじめから自己流を編み出す選手が大成するはずはありません。


 大学での勉強も同じです。学生の主体的な学びを尊重するといっても、学生が自由に言いたいことを言ってそれで終わり、ということではありません。それでは敢えて大学に入った意味がありません。教員にはそれぞれ伝えたい型というものがあります。思考方法や研究方法といったものにも、基本的な型があるのです。学ぶ人は、それをまず自分のものにし、さらにそこを突き抜けて自分独自の型に至ることが求められます。教員は学生の自由な発想を大事にしながらも、と指導しています。指導する側とされる側とのあいだに十分な対話がなければ指導は大きな効果をあげることができません。そして、そのようにして覚えた型だからこそ、やがてその型を乗り越えてゆくことができるのです。そのような体験を皆さんはこれからしようとしていることになります。


 新入生諸君が、本学の教育の趣旨をよく理解し、努力することによって、将来につながる確かなものを身につけられることを祈っています。


 終わりに、ご列席のご家族の方々にお祝いとお礼を申し上げて私の式辞といたします。



平成26年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成25年度

学位記授与式式辞

 平成25年度学位記授与式にあたり、お祝いの言葉を申し述べます。修了生および卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんのご努力を見守ってきた者として、喜びにたえません。また、今日まで皆さんを物心両面にわたって支えてきてくださったご家族の方々に、心からの感謝を捧げたいと存じます。どうもありがとうございました。


 今年卒業する大学生の多くは、その一年次の終わりに東日本大震災を経験し、以後、その影響や問題意識のなかで大学生活を送ることになりました。直接的に被害に遭われた方々はもとよりとして、そうでない人も、その後の政治情勢の混乱と激変を通じて、否応なく社会に目を向け、社会に生きるとはどういうことかを痛感しながらの学生生活だったと思います。これが貴重な体験であったことは疑いありませんが、もしこれを社会教育というのなら、まことに高い代償を支払ったことになります。


 さらに、現在の不況はいくらか好転のきざしが見えてきているとはいえ、一般市民がその恩恵に浴するにはまだほど遠いものがあります。考えてみればこの不況はもう20年以上続いております。ということは、本日卒業される皆さんの多くにとって、これまでの人生はもっぱら不況の中にあったということになります。皆さんが立派に成長されて今日を迎えられたことについては、ご家族の並々ならぬご苦労があったわけですが、しかしこれからは、皆さんは社会に出られて、社会の厳しさを自分の身一つで受け止めることになります。


 以前は、就職希望の卒業期学生に、なぜ就職したいかを聞くと、「社会を見学するためです」と答える人がいました。しかし、こんにちでは、そのように答える学生はいません。それは当然のことです。言うまでもなく、皆さんが社会に出るのは、社会を見学するためではありません。社会を支え、社会を動かすためです。その意欲と能力を持った卒業生を世に送り出すために、本学の教育はあるのです。社会を支え、社会を動かす決意を、今あらたにしていただきたいと思います。


 さて、つい1か月ほど前にはロシアのソチで行われた冬季オリンピックに日本中の関心が集まっていました。どの選手も全力を尽くしましたが、期待されながら結果が思わしくなかったり、期待通りの結果を手にしたり、あるいは期待以上の活躍を見せたりなど、結果はまちまちでした。そのなかで、挫折を乗り越えて40代になってメダルを取ったある選手が、テレビのインタビューに答えて、「努力は裏切らないことがわかりました」と言っていたことが印象に残っています。その選手を心から祝福する一方で、私のようにいたずらに年齢を重ねてきた者からすれば、その言葉は誤解を招く恐れがあるのではないかと余計な心配をしたことも事実です。「それでは、メダルを取らなかった選手は、努力しなかったことになってしまいませんか」と私は心の中でその選手に話しかけていました。


 「努力は裏切らないかどうか」と尋ねられれば、私は、「努力は裏切らない」と自信をもって答えます。しかしながら、それは努力した結果とは関係のないことです。挫折を重ねながらようやくオリンピックに出場して、しかもメダルに手が届かなかった選手が数多くいます。そればかりか、血の滲むような努力を重ねながらもついにオリンピックに出場できずに選手生活を終えた無数の人々がいます。私はむしろ、そういう選手および元選手に、「努力してよかったです。努力はちゃんと報われたと思っています」と言ってほしいと思います。現在はともかく、彼ら、彼女らが、少なくとも、将来においてそう思える日が来ることを信じています。結果ではないのです。


 努力しても少しも報われないという思いで生きている人もいるかもしれません。しかし、努力して努力して、努力しぬいてある年齢に達した人は、人生を振り返ったとき、努力してよかった、という強い感慨にとらわれるはずです。それが生きるということの意味なのです。努力は虚しい、などと思っている人があるとすれば、その人は、結局、大して努力しなかった人なのです。


 結果ではない、ということについてひとこと付け加えます。


 例えば、ヒマラヤなどの、頂上に達するのが極めて困難な雪山に挑む場合、山頂を極めれば大きく報じられて英雄扱いされますが、一方で、山頂をすぐ目の前にして引き返してくる人もいます。その人は、先に進めば自分や同行者の命を危険にさらすことになると考えて、将来に希望を託して、あえて引き返すことを決断したのです。そう決断するためには、言葉では言い表せない強い精神力がいることと思われます。この人が、努力が無駄になったと考えているはずはありません。前に進むとは、いつもしゃにむに突き進むということではありません。立ち止まる、あるいは引き返す、という選択肢が皆さんの前に現れることがあるかもしれません。そのときには、本当の勇気をもって、将来のためにどうすべきかを判断していただきたいと思います。それもまた、前に進む、ということの意味合いに含まれているのです。


 皆さん、そのときどきの状況のなかで、精一杯の努力をしてください。努力に方向性があり、その方向性に意義があると信じれば、あとはなにも考える必要はありません。そのとき、皆さんの前には、光り輝く一筋の道が見えているはずです。自信をもってその道を進んでいただきたいと思います。


 この切なる願いをこめ、皆さんの前途に幸多かれと祈って、私の式辞といたします。



共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成25年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。またご列席のご家族の方々にもお喜びを申し上げます。


 今年の入学式は、大学看護学部の第一回生をお迎えしたという意味で、記念すべき入学式です。看護学部の母体となった共立女子短期大学看護学科の教職員の方々および学生諸君のご努力に対し、この場をお借りして、改めて感謝の意を表します。


 東日本大震災から2年たちましたが、被災地では、いまだに終りの見えない苦しみが続いています。今年も本学では被災地からの入学生をお迎えしています。本学で将来への希望の道筋を見出されるよう願っています。


 さて、大学・短期大学は高校に比べてずっと自由だとよく言われますが、これはあまり正確ではありません。授業への出席が厳しく求められることは同じで、しかも通学時間は大学の方が長いという場合が多いようです。時間割も、朝早くから夕方遅くまで広がっています。授業で頻繁に課題提出を求められ、また授業内発表のための準備もしなければなりません。恐らく、多くの学生にとっては、資格取得のための受験はあるものの、もう進学のための受験ということを考えなくてもよい、ということが解放感につながっているのだと思われます。解放感はとても素晴らしいもので、それをぜひ勉強への意欲に振り向けてくださいますように。


 大学は、かつては象牙の塔と呼ばれ、社会から隔絶した存在とされていましたが、こんにちでは、大学は社会に直結したものであるべきであり、そこで行われている教育や研究が社会にどのように役立つか明らかにすべきである、と言われています。本学の創設と発展の経緯を見れば、本学が社会と直結したものであり続けてきたことは明らかであり、その点に本学の特徴を見るのですが、同時に、純粋に学問のための学問という要素を積極的に取り入れつつ本学が発展してきたという側面も否定することができません。大学と社会が価値観や関心領域において多く重なる部分がなければならないことは言うまでもありませんが、かといって全部が重なってしまうと大学の存在意義が問われることになりかねません。新入生諸君も、社会に出る準備段階としての大学教育というものを意識しながら、同時に、学問の本質を知り、そこに喜びを見出すという心構えを持っていただきたいと思います。大学は社会の発展のためにあるのですが、社会の発展というものを、経済的・物質的側面からのみ捉えるのでなく、文化という大きな枠組みの中で捉えていただきたいと思います。


 現代は情報社会と言われます。私たちは豊富な情報に埋もれるようにして生活しています。しかし、そのなかから、本当に必要な情報はなにか、あるいは、情報に誤りはないか、を見極めることは困難な作業となります。俗に「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」と言われるように、情報とは結局は興味本位なものです。したがって、大多数の人が特に興味を示さないことについては、どんなに重要なことであってもニュースにはなりにくい、という側面があります。東日本大震災とそれに伴う原子力発電所の事故の直後からこんにちに至るまで、それに関する情報が洪水のように流されてきましたが、常に問題になってきたのは、どれが正確な情報か、どれが必要な情報か、ということです。そして常に、情報の曖昧さ、それも、意図された曖昧さ、が指摘されてきました。さらに言えば、私たちは情報を受け取るだけでなく、情報を発信する立場でもあります。情報を発信する側の責任をどう全うするか、は、私たち一人ひとりの問題でもあるのです。若い皆さんは、大学・短期大学で幅広い教養と、深い専門性を身につけることにより、情報社会の限界の壁を突き破らなければなりません。時流に流されず、他におもねらない、確固とした自己を築く必要があります。しかしそれは容易なことではありません。そのための努力がこれから始まることになります。


 努力とは、登山のようなものです。登山の目的が山頂を極めることにあることは言うまでもありません。しかし、登山の過程で山頂を仰ぎ見ることは稀です。見るのは足元だけです。足元を見ながら、地道に一歩一歩を刻む──それが登山のすべてだと言っても過言ではありません。一歩一歩は単調で面白味のないものかもしれません。しかし、それが山頂への過程だと思えば、一歩一歩にも小さな達成感があります。その小さな達成感に喜びを見出さない人には、ついに山頂の喜びは無縁でしょう。授業に出る、課題をこなす、といった作業を、その一歩一歩と見なし、常に小さな達成感の喜びを感じていただきたいと思います。


 終りに、皆さんの本学での学びを可能にしてくださったご家族の方々に感謝申し上げ、皆さんの学生生活の豊かならんことを祈念して、式辞とさせていただきます。



平成25年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成24年度

学位記授与式式辞

 平成24年度卒業式にあたり、お祝の言葉を申し述べます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんのこれまでのご努力に対し、心からの敬意を表します。


 また、本日ご列席いただいているご家族の皆様方にもお喜びを申し上げます。皆様方のご支援がなければ、本学も学生もこの日を迎えることはできませんでした。篤く感謝申し上げます。


  2年前の東日本大震災以後の社会的、政治的混乱は大学をも揺さぶり続けてきました。以前であれば、大学はいかにして社会的混乱から身を遠ざけ、超然として日常を維持するか、が問われたわけですが、こんにちの大学は、むしろ、その混乱のなかに身を置き、社会と共に揺さぶられながら、混乱そのものを取り込んだかたちで新たな日常を形成することが求められています。本学も、その方向で努力してまいりました。皆さんの大学生活も、いろいろな意味で、社会と共にあることを実感されるものだったと思います。この経験を社会で生かされるよう、そしてそれぞれの立場で日本の復興と再生に貢献してくださるよう、希望します。


 さて、昨年のロンドン・オリンピックで日本代表選手が史上最多のメダルを獲得したことはまだ記憶に新しいところです。その後、繰り返し、日本人メダリストの活躍ぶりがテレビで放映されました。昨近の日本の沈みがちな雰囲気を高揚させ、国民に感動と勇気を与えてくれたという意味で、彼らが大きな功績を残したことは否定できません。メダリストたちの幸福そうな笑顔に、私たちは心からの賞賛と祝福を贈ってきました。


 しかしながら、実人生における感動は全く別物だということをここで申し上げたいと思います。スポーツは相手に勝つためのもので、相手頼みといった側面を否定できません。たまたま相手が自分より格段に優れていれば、どうあがいても勝てないのです。しかし実人生においては、戦う相手は自分自身に他なりません。そして自分との闘いは、スポーツにおけるよりもはるかに苛酷で厳しいものです。しかも、たとえ勝利しても、他の誰かがほめてくれるわけでも、感動してくれるわけでもありません。本学が誕生した1886年のその同じ年にアメリカでEmily Dickinsonという女流詩人が亡くなりましたが、その人の詩に「大声あげて戦うのはとても勇ましい/だが胸の中で苦悩の騎兵隊と戦う者は/さらに勇敢だ/その人が勝利を得ようと国民は目を向けず/たとえ倒れようとだれも注意を払わないけれど」という一節があります。胸の中の苦悩は騎兵隊ほどに多数で頑強です。しかし私たちはその戦いを勇敢に戦い抜かなければなりません。それが生きるということだということを、ここで申し上げたいと思います。


 本学が誕生したのは1886年だと申しましたが、その9年前の1877年に、クラーク博士が札幌農学校を去るにあたり、馬上から ‘Boys, be ambitious.’ との訓示を行ったとされています。この‘Boys, be ambitious.’ は一般に「少年よ、大志を抱け」と訳されているようですが、そしてそれは特に間違っているとは言えませんが、ambitiousのニュアンスをよく伝えているとは言い難いものです。たとえばShakespeareはその作品のなかでambitiousを40回、その名詞形のambitionを52回用いていますが、そのほとんどが、「上の者を蹴落として権力の座につきたがっている」といった意味合いで用いられています。つまりambitionは本来、「野心」あるいは「権力欲」という意味であって、それはマイナスのイメージが大変に強いものです。こんにち、一般的な意味でこの言葉を使うときも、このマイナスイメージを逆手にとった誇張的な表現となります。クラーク博士の言葉もそうしたもので、博士は「少年よ、野心家たれ」と言いたかったものと思われます。博士があえてマイナスイメージの言葉を使ったのは、当時の厳しい状況のなかで生きてゆくのは、きれいごとではすまされないのだと言いたかったものと思われます。当時の札幌農学校には男子生徒しかいなかったので ‘Boys’ という呼びかけになったわけですが、当時、そしてこんにちであっても、 ambitiousであることを求められているのはむしろ女性であるかもしれません。この僅か9年後に、職業によって女子の自立を促すことを根本理念として本学が発足したことを思えば、この言葉は本学の卒業生に向けられたものと考えることもできます。上の者を蹴落とせとは言いません。しかしながら、「大志」といったきれいごとの言葉では済まされない世界がこれから皆さんを待ち受けているのだということを心に銘記してください。そして、自分なりの野心を持っていただきたいと思います。


 厳しいことばかりを申しました。しかし、どんな状況にあっても、希望は必ずあります。Emily Dickinsonの別の詩にも、希望を小鳥にたとえて、「希望とは翼のあるもの──/心の奥の枝にとまって/言葉のない歌を歌い/決して歌い止むことがない」とあります。皆さんも自らの心の中の希望の歌に耳をすませながら、これからの人生を力強く生きていってほしいと思います。


 終りに、改めてご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成24年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。日本に約800の大学がある中で、特に本学に入学された縁(えにし)を貴重なものと感じ、心から皆さんを歓迎します。皆さんもこの縁(えにし)を貴重なものと考え、本学との結びつきを大切にしていただきたいと思います。また、東日本大震災の被災地からも入学生をお迎えしています。ご家族・ご親戚の方々ともども、言葉では言い尽くせないご苦労を経験されたことと存じます。本学はこの惨事を厳粛に受け止め、誠実に対応してきたつもりですが、これからもこの姿勢を崩さずにやってゆきたいと考えています。


 東日本大震災から1年が経過しましたが、この間、テレビや新聞などで、震災、津波、原発事故についての論議が交わされなかった日は1日もありませんでした。もうすべてが語り尽くされたかと思いきや、まだ何も語られていないとの思いの方がはるかに強いというのが実感です。そして、この解決には30年かかるとも50年かかるとも言われています。それは皆さんの人生の大きな部分がそこに含まれることを意味します。大事なことは、ここから眼をそらしながら生きてゆくか、まっすぐにそれを見つめながら生きてゆくか、です。本学は明治19年に、職業によって女性の自立を図ることを目的として設立されましたが、自立とは、社会の担い手となることであり、それは社会が負っている負担を自ら進んで担うということにほかなりません。しかし、それは容易なことではありません。まず、そのための力を蓄えること、それなくしては何も始まりません。そのために皆さんは本学に入られたのであり、そのために我々は全力を尽くす覚悟です。本学は学生の自主的な学びを教育の基本とし、同時に、学生が学生生活を楽しめるよう、数々の配慮をしていますが、この厳しい社会に卒業生を送り出す立場にある者として、学生に必要な力を与えなければならない、そのためにはしゃにむに学生を鍛えなければならないという思いが根底にあります。我々の笑顔の裏には、必死の思いが隠されているのだということを、まずご理解いただきたいと思います。


 今年の夏にはロンドン・オリンピックが開催されます。それに先立ってまた聖火リレーが行われることでしょう。ギリシャのアテネで太陽から採火された炎が、数えきれないほど多くの人々のリレーによって国々を巡りロンドンを目指すことになります。ここで、ロンドン・オリンピックが正式決定された日の翌日にロンドンで同時多発テロが発生し、イギリス中の祝祭気分を吹き飛ばしてしまったことが思い出されます。中東地域での悲惨な政治闘争はまだ続いています。さらに、ギリシャの財政破綻がヨーロッパ経済を危機に陥れていることも思われます。こういう中で聖火を運ぶことにどんな意味があるかを問うことは簡単ですが、ここに比喩的な意味を見るならば、人類は、どんな苦境にあっても、つねに何かを運び、伝えようとしていたのではないか、聖火リレーはそれをかたちとして表したものではないか、と思われるのです。私たちの命は、地球上に生命の発生したその瞬間から、えんえんと伝えられ、私たちに到達したわけですが、しかし、それは人間以外のすべての動物や植物にとっても同じです。人間は生命を伝えると同時に、本能的に、他の何かを、もしかしたら人間としての証(あかし)のようなものを、伝えようとしてきたのではないか、そして、その意義は、特に東日本大震災後の、混乱と疲弊のさなかにある現在の日本においては、いっそう重みを増しているのではないか、と思われるのです。問題は、私たちの一人ひとりが、前の世代から何を受け取り、次の世代に何を伝えようとしているか、です。自分にとっての聖火はなにか。それを考え、究めるために大学に入ったのだと思ってください。私たち大学関係者には、ぜひ若い人たちに伝えたいものがあります。その思いには炎のように激しいものがあります。それを伝えるために大学を運営しているのです。ぜひそれを受け取っていただきたいと思います。そのために、共に努力しようではありませんか。


 終りに、皆さんの本学での学びを可能にしてくださったご家族の方々に感謝申し上げ、皆さんの学生生活の豊かならんことを祈念して、式辞とさせていただきます。



平成24年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成23年度

学位記授与式式辞

 平成23年度卒業式にあたり、お祝の言葉を申し述べます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんが入学以来、本学で学び、また体験したことを思い出してみれば、それは簡単には言い尽くせないほど多様で、中身の充実したものであったものと思います。その結果としてきょうの卒業式があるわけで、皆さんの喜びはいかばかりかとご推察いたします。心からお喜び申し上げる次第です。


 また、本日ご列席いただいているご家族の皆様方にもお喜びを申し上げます。本学も限られた条件のなかで最善を尽くしたと信じておりますが、なによりも、学生諸君が、持てる力を振り絞って努力したのであります。このような学生を本学にお送りくださったことに感謝し、また卒業までの日々を支えてくださったことに、厚くお礼申しあげます。


 昨年の卒業式を東日本大震災のために予定通り行うことができず、五月末に延期して行ったことが思い出されます。予定したことを予定通り行えることがいかに幸福か、ということを実感しているところです。


 どんなに長い時間でも、過ぎてしまえば、「あっというまだった」という感慨を持つものですが、東日本大震災以後に過ぎてきた時間は、すべての日本人にとって、実に長く辛いものとして思い出されます。直接の被害にあわなかった人々にとってもそうですから、ましてなんらかの被害にあわれた方々の苦しみを思うと、言葉を失います。せめて、すべての人が、この痛みを自分の痛みとして感じているかぎり、まだ希望の灯は消えていないと考えるほかありません。


 本学もこの1年間は大震災とそれに伴う原発事故への対応に追われました。国や都から求められたという側面は否定できないものの、義務や困難をできるかぎりかわしてしまおうというのではなく、むしろまともにこれにぶつかってゆこうという姿勢を本学は貫きました。それは本学創設以来の理念に従ったものと言うほかありませんが、そのために学生諸君にも協力を求めざるをえず、ときには苦労ないしは苦痛を強いることがあったかもしれません。そのことについてはお詫び申し上げます。しかしながら、逃げるのではない、まともにぶつかるのだという本学の姿勢に共感を持っていただけたものと信じています。そして、それを皆さんのこれからの生き方の基本に置いていただきたいと思います。


 現在の国際情勢や国内情勢が大きく揺れ動いていることは誰しも認めるところです。しかし、考えてみれば、今まで、それらが安定していた時期など一度もありませんでした。不安定あるいは混乱は人の世の常だと断言することができます。しかしながら、戦時下を除けば、現在のように、政治も経済も崩壊の危機に瀕したことはかつてなかったのではないかと思われます。この時代に生きる私たち、とりわけ若い世代の人たちは、何を心のよりどころとして生きてゆけばよいのか、と考えるに、それは、ひとことで言えば、人間という存在への信頼というものであろうかと思われます。私たちが立つ時、たとえ世界のどこにいようとも、私たちの頭はまっすぐに天を指し、私たちの足はまっすぐに地球の中心を指しています。人間が直立歩行を始めた時、人間は人間になったのです。私たちは人間としての誇りを失ってはいけないのです。地球の中心と宇宙とをまっすぐに指し示す屹立した精神を保たなければなりません。不正を許さず、卑怯・卑劣を憎み、弱者への思いやりを忘れず、地球と宇宙への愛を保つこと、それらのことが精神の直立ということでなければなりません。皆さんが、これからどんな苦境にあろうとも、人間であること、そして自分であることの誇りを持って、毅然として生きてゆかれることを切望します。


 本学は、皆さんがこれから社会で活躍され、社会の発展に寄与されることを願い、また、信じています。そのためにこそ、すべての大学はあるのです。しかしながら、皆さんがいかに有能で意欲的であろうとも、皆さんの活躍の場がいつも用意されているとは限りません。ある時期には、皆さんは、自分の存在が社会から求められていないかのような錯覚に陥り、孤独や自己不信に苦しむことがあるかもしれません。しかし、それは、次の活動のための、いわば天が与えてくれた充電期間なのです。イギリス・ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクは、「虎」と題する有名な詩で、夜の森の中で行動の時期を窺って身を潜める虎を、たとえようもなく美しいものとして歌っています。恐ろしいまでに均整のとれた体、炎と燃える眼、溶鉱炉で溶かされ鉄床の上で鍛えられたかのような脳髄、それらのものが神によって作られたのだとしています。行動に備えてしばし身を休めることを、ブレイクは、むしろ激しいイメージで捉えているのです。もし皆さんの生涯にそのような時期が訪れたなら、それを積極的・肯定的にとらえて、人生に生かしていただきたいと思います。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



平成24年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成23年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。幾多のご努力とご苦労とを経て、ついに皆さんは本学に入学されたわけで、その喜びはいかばかりかとご推察申し上げます。また、ご列席のご家族の方々にもお祝いを申し上げます。


 しかしながら、今年は、この喜びにも、社会の暗い影がさしていることを意識しないではいられません。先ほど、東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を祈り、共に黙祷を捧げていただきました。ここにご出席の方々のなかにも、ご本人やご家族・御親戚、あるいは近い関係の方でなんらかの被害にあわれたり、あるいは犠牲になられた方がおられるかもしれません。現在の日本は、先の大戦以来の最大の危機的状況にあると言っても過言ではありません。本学では、今年3月に行う予定だった卒業式をその時期には行わず、またこの入学式を2週間延期いたしましたが、それも、数々の外的状況を考慮したばかりでなく、現在の日本人一般の心のあり方を考慮した結果にほかなりません。


 この時期にあたり、大学はいかにあるべきか、学生生活はいかにあるべきか、改めて考えてみないではいられません。


 本学では、毎年、緊急避難訓練と防災訓練を個別に実施しています。危機は自然災害だけではありません。人間に起因する危機も数多く、現代はかつてない困難な時代に直面しています。さらに本学では、環境問題に関わる授業を強化するように努めています。自然環境の急激な変化にどう対応するか、自然環境の変化に人間はどう関わっているのか──そのことに無頓着でいられる時代は遠い過去のものとなりました。危機管理教育と環境問題教育とは、根は一つです。これらの方面についての知識と見識を備えた卒業生を世に送り出すことが、現代の大学が社会に対して負っている責任だと、本学は考えています。


 大きく揺れている地面の上を歩くときは、足の裏の全体を地面に密着させる心持で、一歩一歩を確実に踏みしてゆかなければなりません。人生とか社会とかの歩き方も同じです。この社会は常に大きく揺れています。浮ついた気持ちで歩いていれば、転んでしまいます。確実な歩き方を学ぶ、そしてそのための脚力あるいは精神力を獲得する、ということが、皆さんがこれからの大学生活で、第一にしなければならないことです。きょうやるべきことはなにか、それを考えて、確実にそれを実行する──それ以外に大学生活の、そして社会生活の過ごし方はありません。


 大学生活は、真剣勝負です。大学は単位や卒業証書の自動販売機ではありません。どれだけ努力したか、それだけが問われる世界です。しかし、ここで申し上げたいのは、努力というものは、ブーメランのようなものだ、ということです。ブーメランは、ふわっと投げれば、向こうの地面に落ちるだけですが、力を入れて飛ばせば、自分のところに戻ってきてくれます。いい加減な気持ちで大学生活を送っても、得るものはなにもありませんが、全力でこれにあたれば、その成果は必ず自分のところに戻ってきます。その成果を得るために、皆さんは本学に入学されたのであります。断言しますが、努力こそ青春の花です。努力なくして、楽しい青春などありえません。


 ハムレットは、「思考は決心の切っ先を鈍らせる」と言っています。なにかをやろうとするとき、あれこれ考えているとやれなくなってしまう、ということです。なにかをやろうとするとき、それをやるべき理由は、通常、たった一つです。しかし、それをやらないでもいい理由は、無数にあります。やらないでもいい無数の理由を退けて、やるべきたった一つの理由を貫くためにはどうすればいいか──そのための訓練がこれから始まるのだと思ってください。やらなくてもいい理由に引かれていては、ついに何もやらない人生になってしまうでしょう。


 終りに、皆さんの本学での学びを可能にしてくださったご家族の方々に感謝申し上げ、皆さんの学生生活の豊かならんことを祈念して、式辞とさせていただきます。



平成23年4月16日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成22年度

学位記授与式式辞(5月)

 平成22年度卒業記念式典にあたりお祝いの言葉を申し述べます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんのなかには、2カ月前に巣立ってゆかれたこの母校に、卒業後初めて来られた方も少なくないかと思われます。最も感受性が鋭敏で受容力の強い時期を、社会の喧騒から一歩引いた、ここ、皇居と神田古本屋街の中間に位置する神田一ツ橋キャンパスで、学問や友情に包まれて過ごしたことの幸福や有利さには計り知れないものがあります。このことを可能にしてくださったご父母をはじめとするご家族の方々に、本学は皆さんと一緒になって感謝を捧げたいと思います。


 さて、この卒業式を、予定していた3月15日に行えなかったことについては、すでにじゅうぶんご理解をいただいているものと存じます。東日本大震災が日本中に与えた衝撃の余震はいまだ少しも弱まることなく続いておりますが、そのなかで卒業記念式典を行うのは、卒業式を行わないままではいつまでたっても気持ちに区切りがつかないということと同時に、犠牲になられた方々のご冥福を共に祈り、かつまた我が国の復興に向けてお互いの決意を確認しあう場を設けたいとの願いからであります。気遅れや逃げ腰であっては、国の再建という大事業に立ち向かうことはできません。いま我々に求められているのは、闘う姿勢であります。闘うことこそ、亡くなられた方々へのご供養にほかなりません。伝説の火の鳥が、自らを焼いた灰の中から蘇るように、日本はこの心の廃墟のなかから蘇らなければならないのであります。


 平成22年度卒業生の皆さんも、すでに社会人としての苦労を経験しておられることと思います。期待通りの満ち足りた生活を送っている方もおられるでしょうが、むしろ、そうではない、こんなはずではなかったとの思いのなかで日々を過ごしておられる方の方が多いのではないでしょうか。特にこの社会の混乱期のなかで新社会人となられた皆さんには、その思いがひときわ強いことと察せられます。社会の混乱期には、政治や経済が揺らいでいるばかりでなく、価値観も揺らいでいます。社会はこのままでいいのか、という思いを多くの人が抱いています。それは、若者の活躍の場が広がっているということでもあります。動揺を助長するのではなく、高次元の安定に向けて力を発揮していただきたいと思います。どんな混乱や不幸に対しても、その後の努力によって積極的な意義づけを与えることができます。じゅうぶんな努力をするだけの時間と活力のある若い人々の活躍に期待するゆえんであります。


 しかし、努力というものは、決して派手な、人目につくものではありません。日々の日課のなかで、どれだけのものを積み上げられるか、にすべてがかかっています。日課には、個人の意志に関わりなく外的条件によって決められる要素が多いことも事実ですが、そのなかで、自分と社会のために、どれだけのものを貯えてゆけるかが問題となります。自分はこの社会とどう関わろうとしているのか、そのためにはいま、どのような準備をしておくべきか、を常に考えていなければなりません。そのためにも、自分で納得のゆく習慣を作り上げることが重要です。シェイクスピアの晩年に、「日課を失えばすべてを失う」という言葉があります。よい日課の確立と維持は、人生のすべてだと言っても過言でありません。そして、そのことを通じて、一人一人が社会の発展に貢献することになります。


 人間と動物の大きな違いの一つは、人間は歴史を生きている、ということです。人間は、よくも悪くも、歴史をひきずり、過去からの時間の流れのなかで生きています。今回の大震災は、これから皆さんの生涯を通じて、語り継がれ、教訓としての意味を持ち続けるでしょう。


 同時に、時間は、過去から未来に向かって流れるのではなく、未来から過去に向かって流れるのだ、という考え方もあります。すべてのものは時間によって過去に押し流され、日々、遠のいてゆく、というわけであります。しかしながら、時間という波は、どちらに向かって流れるにせよ、ともすれば、人間の存在そのものを押し流してしまう強さを持っています。都合よく、忘れたいものだけを洗い流してくれるというわけにはいきません。私たちは、時の流れに押し流されないだけの強さを持たなければなりません。過去がどうであれ、結局、いつも現在から出発しなければならない理屈は同じです。皆さんが、個人として過去と責任ある関わりを保ちながら、しかも、日々、不死鳥のように蘇られることを切望します。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



平成23年5月29日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

卒業生の皆さんへ――式辞に代えて――(3月)

 卒業生の皆さんにご挨拶申し上げます。


 つい先日の3月11日に記録的な大地震が東北・関東地方を襲い、それに伴って日本全土の主として太平洋沿岸地域を津波が襲い、さらに追い打ちをかけるかのように原子力発電所の事故まで起こり、大きな被害をもたらしました。被害の全容がどれくらいのものか、また、それが明らかになるのがいつか、現時点では推測もできませんが、現在明らかになっている被害状況だけを見ても、そのあまりの凄まじさに、言葉を失います。卒業生の皆さん、およびそのご家族・ご親戚の方々で、なんらかの被害にあわれた方もおられることと存じます。あるいは、近い関係の方で、犠牲になられた方がおられるかもしれません。言葉はすべて虚しいものですが、衷心よりお見舞い申し上げます。


 さて、卒業生の皆さん。皆さんが巣立とうとしている社会は、現実的にも、あるいは比喩的にも、多くの災害に満ちています。自然災害ばかりでなく、交通事故やテロなど、人間に起因する災害をも考慮すれば、今、人類は、かつてなかったほど多様で大規模な危険にさらされていると言っても過言ではありません。さらに、中東を始めとする世界各国の政治的混乱と、その、他国への波及効果、あるいはまた我が国のさまざまな憂慮すべき国内事情を考えれば、不安ばかりが先に立ってしまうのもやむをえません。こういう社会に皆さんは巣立とうとしているのです。それは、言葉を換えれば、社会は、皆さんの巣立ちを待ち受けている、ということでもあるのです。今ほど不安定な社会がかつてなかったとすれば、今ほど、若い、有能な人材が求められている時代もかつてなかったのです。


 本学が心掛けていることは、どんな事態に直面しても、自分を見失わず、自分および回りの人々を確かな未来に導くことのできる力を持った卒業生を輩出することです。本学は、各々の専門課程の教育に力を入れ、その方面で人生を築いてゆけるよう配慮するばかりでなく、教養教育を一本化し、強化することによって、この側面に特に力を入れていると広言することができます。目指すところは、精神力、あるいは人間力の涵養です。本学はそのことのために全力を尽くしております。


 大学が究極の目的とするところは、社会の発展に寄与できる人材を育成することです。卒業生の皆さんが、自らの価値観を信じ、守りながらも、同時に、全く異なった価値観の存在を認め、尊重することによって、人々のあいだに和をもたらす原動力となってくださることを切望いたします。言うまでもなく、この世には、大きな悲しみや不幸が存在します。その現実を冷静に見据えたうえで、一人一人が、それぞれの可能性の範囲内で、人類の幸福のために力を尽くすことが求められています。皆さんにも、それぞれ、本分を尽くしていただきたいと思います。


 これからの皆さんには、さまざまなかたちで仕事とか義務とかいうものが課されてきます。それが仕事とか義務とかである以上、言い訳や言い逃れの許されない、厳しいものであることは言うまでもありません。しばしばその重荷に耐えかねて、しばらくの休息を必要とする場合が生じることも事実であり、そのときには断固として休息をとらなければなりません。しかし、今、皆さんに申し上げたいのは、仕事をただ単に重荷と考えないでいただきたい、ということです。自分に課されている義務があり、自分に期待されている仕事があれば、その遂行のために全力を尽くし、期待に応えることは、大きな喜びです。そこからくる達成感、充足感は、生きる喜びと直結するものです。安楽な人生を求めず、むしろ闘う人生を求める心で巣立っていってほしいと思います。


 今さら申し上げるまでもなく、私ども学園関係者は等しく、卒業生の皆さんが幸福になられることを、ご家族の方々と共に、願っています。皆さんは、幸福になるためにこの世に生を享けたとも言えます。しかしながら、「幸福は、幸福以外のものを追い求める人のところへやってくる」という言葉があります。幸福は求めて得られるというものではありません。皆さんが、幸福以外に、一生をかけて追い求めるものを持ち、その結果として幸福になられることを、切に願っております。


 皆さん、辛いことがあっても挫けないでください。本学での思い出を心の糧として、本学の卒業生としての誇りを失わず、力強く人生を築いていってください。卒業はその門出です。卒業生の皆さんのご卒業を心からお喜び申し上げる次第です。皆さん、ご卒業、おめでとうございます。


 終りに、ご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。



平成23年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 平成22年度入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。幾多のご努力とご苦労とを経て、ついに皆さんは大学生、あるいは大学院生となられたわけで、その喜びはいかばかりかとご推察申し上げます。また、ご列席いただいているご父母をはじめとするご家族の方々にもお祝いを申し上げます。


 本学にとって入学式は毎年のこととはいえ、新入生にとっては大学入学は通常では一生一度のことであります。本学関係者も、そのことをじゅうぶんに意識して、毎年、新たな気持ちで入学式に臨んでいます。


 さて、改めて言うまでもなく、大学は教育と研究の場であります。言いかえれば、研究と教育が分かちがたく結びついているところに大学の本質があります。ここのところが、大学が、高校までの教育機関と決定的に異なる点です。ひとことで言えば、大学は学問の場だということです。新入生の皆さんは、まずこのことを、すなわち、自分たちは学問の場に入ってきたのだということを自覚していただきたいと思います。


 学問というものが、人類に常に幸福をもたらしてきたと断言することはできません。ときには過ちを犯したことがあったかもしれません。しかしながら、人類の歴史のなかで、そもそも学問という概念が成立したときから、人間は学問というものに、文化とか社会とかの発展の夢を託してきたことは間違いありません。そして、事実、幾多の紆余曲折を経ながらも、人類は学問の発展に導かれて、常にその夢のなにがしかを実現してきたのです。つまり、学問に携わることは、夢を紡ぐことにほかなりません。大学関係者は、教職員も学生も等しく、絶えず夢を紡ぎ続けていることになります。


 一方、若い皆さんにとって、大学生活がそれぞれの人生設計のなかで大きな重要性を持っていることは疑いありません。それだからこそ大学に入学してきたのだと言っても過言ではありません。自分の人生を見つめ、そのために努力することは、結局、夢を紡ぐ作業にほかなりません。シェイクスピアの晩年に「我々は夢と同じ素材でできている」という言葉があります。この「我々」を「人生」と置き換えることもできます。大学生活のなかで、人生という夢の基礎をどのように築いてゆくのか、それがこれから問われることになります。蜘蛛が糸を紡ぎながら美しい幾何学模様を織りなしてゆくように、皆さんは夢の糸を紡ぎながら、将来の計画を織りなしてゆくことになります。


 その大事な作業をするときに、他人任せにしたり、のんびり遊び半分にしたりすることが、果たしてありうるでしょうか。仮にそういう人がいるとすれば、その人は夢を見る資格のない人です。皆さんのなかにそういう人がいることを、本学は想定しておりません。夢を紡ぐのは必死の作業なのだということを、ここで確認したいと思います。


 大学生活の中心をなすものが授業であることは言うまでもありませんが、大学での「学び」は授業だけから得られるものではありません。サークル活動、課外講習、ボランティア活動、など、あらゆる活動が、かけがえのない体験となります。すべてが夢を構成する重要な要素となります。


 こんにちの社会情勢にはきわめて厳しいものがあり、大学もそのことに無関心でいることはできません。経済ばかりでなく、政治や国際情勢にいたるまで、不安な状況が続いています。その中にあってなお、夢を見続け、夢の実現に向かって努力するだけの力を皆さんが本学在学中に身につけられることを切に願っています。


 皆さんの学生生活の実り豊かならんことを祈念して、式辞とさせていただきます。



平成22年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成21年度

学位記授与式式辞

 平成21年度卒業式にあたり、お祝の言葉を申し述べます。卒業生の皆さん、おめでとうございます。人生のなかでも、最も感受性が鋭敏で受容力の強い時期を、騒がしい、一瞬も静まることのない社会から一歩引いた場所で、とりわけ、ここ、皇居と神田古本屋街との中間に位置する神田一ツ橋キャンパスで、学問や友情に包まれて過ごしたことの幸福や有利さには計り知れないものがあります。このことを可能にしてくださったご父母をはじめとするご家族の方々に、本学は皆さんと一緒になって感謝を捧げたいと思います。


 卒業は社会へのスタートラインであり、すべてがこれから始まるわけですが、このスタートラインに到達するまでの、幼稚園や小学校からの長い道のりを考えれば、卒業生も、ご父母の皆様も、感慨ひとしおであろうと推察されます。とりわけ、大学に入学後は、本学の厳しいカリキュラムのもと、講義に、演習に、そして実習、実技に、ゼミナールに、教室から教室へ渡り歩くような忙しい日々を送り、最終年度においては卒業論文あるいは卒業制作に没頭し、それらのすべてにおいて合格点を得た結果としてきょうの卒業式があるわけであります。


 しかしながら、今後の歩みの厳しさを思えば、そう感慨にふけってばかりもいられません。かつてのような人生の標準モデルは今日では失われております。社会は一寸先も見えない状況であります。花火と祝杯で前途を祝うにはあまりにも不安な状況にあると言わなければなりません。


 しかしながら、ここで、本学が職業によって女性の自立を促すことを設立理念として発足したことを思い出していただきたいと思います。設立当時の女性の社会的立場を思えば、このことがいかに画期的だったかがわかります。つまり本学は、設立当初から、卒業生が、他人頼みではなく、自分ですべて責任を持つという前提で教育を始めたということであります。社会の厳しさはすべての人に一様にのしかかっています。その中で、本学の卒業生には、本学の卒業生としての誇りと自覚をもって、毅然として、社会に、そして自らの人生に対処していただきたいと思います。


 さらに皆さんに望みたいことは、社会を引っ張る存在になってほしい、ということであります。今ほど社会が有能な人材を求めている時代はありません。ただ他人の指示に従うだけでそれ以上のことは考えない、という無気力・無責任が、こんにちの状況を作り出したと言っても過言ではありません。教養と叡智と社会正義に裏打ちされたリーダーシップを、社会は求めているのであります。そうかと言って、始めから引っ張るわけにはいきません。始めは謙虚に多くのことを学びながらも、いつかは自分の力で社会を、そして周りの人たちを幸福に導くのだという気概を持っていただきたい。本学の教育はそれを目指して実践されているのであります。


 とかく年配者は、若い人に、人生について語るとき、悲観的な面ばかりを強調するきらいがあるかもしれません。それは、若い人に強く生きていってもらいたいという願いの現れであって、当然のことと言えます。しかし年配者は、心の中では、人生はそんなに捨てたものではないと考えているのです。困難に断固として立ち向かう気力さえあれば、この世は幾多の喜びを提供してくれます。親しい人と心を通わせること、優れた芸術に親しむこと、大自然の息吹に触れることなどはその代表的なものですが、さらに身近なところで一例をあげれば、例えばきょう、皆さんのような優れた卒業生を世に送り出すことは、本学関係者とご家族との、共通の夢の結実であります。このような喜びのある社会を、我々は祝福しないではいられません。我々は、皆さんに、将来の夢を託しているのです。辛いこともあるだろうことは疑いありません。しかし、いつもきょうのこの日を思い出して、困難に打ち勝ってほしいと願っています。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



平成22年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

入学式式辞

 入学式にあたり、お祝いと歓迎の言葉を申し述べます。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。幾多のご努力とご苦労とを経て、ついに皆さんは大学生、あるいは大学院生となられたわけで、その喜びはいかばかりかとご推察申し上げます。また、ご列席いただいているご父母をはじめとするご家族の方々にもお祝いを申し上げます。


 さて、大学生になられた方々は、これまでにいろいろな折に、大学生活についての話を聞いてこられたことと思いますが、今日(きょう)、とりあえず、それらの話は全て忘れて、先入観のない、ま新しい気持ちで大学生活のスタートを切っていただきたいと思います。


 大学生活は、長いようで実に短いものです。この間に何かを学び、何かを身につけることはたやすいことではありません。大学の各学部、各学科および大学院各研究科にはそれぞれ専門分野があり、それを目指して皆さんは入学されたわけですが、大学教育には、ただ専門を学ぶという以上の意味があることを知っていただきたいと思います。


 私は戦後間もない時期に教育を受けた者ですが、そのころ何度か聞いた話にこういうものがあります。戦時中、若者を動員して工場で靴を作らせたところ、大学生がいちばん上手に靴を作った、というのです。この話が真実かどうかについては甚だ疑わしい点があります。たまたまそこに手先の器用な大学生がそろっていたのかもしれませんし、本学を卒業すると靴が上手に作れるようになる、と保証するわけにもいきません。しかしながら、この話が比喩として伝えようとしていることは真実に触れていると思われます。つまり、教養とは応用力ということだ、ということです。大学で専門とすることがそのまま職業に直結するとは限りません。いちど就いた職業を途中で変更せざるをえなくなるかもしれません。そのためにも逞しく豊かな応用力を身につけていただきたいと思うのです。最近、人間力という言葉を耳にすることがありますが、人間力というものも、結局は応用力と言い換えてもよいものかと思います。しかし、漫然と日々を過ごしても、その力はつきません。


 大学は高校に比べて自由だと考える人がいますが、それは必ずしも正しくはありません。授業自体はむしろ高校よりも厳しいものだと思ってください。授業に関して自宅や学校で行う作業も、高校よりははるかに多くなります。但し、勉強のなかで、学生の自主性や独自の発想が尊重される、という点では、確かに自由だと言えます。自由ということを、気ままとかのんきとかの意味に解釈していると、大学生活の始めからつまずくことになります。


 自主性は大学の本質であり、命であります。投げかけられる大きなものを受け止めるとき、棒立ちのまま受け止めては、取り落したり、後ろにひっくりかえったりする危険がありますが、自ら一歩前に出る気持ちで受け止めれば楽に受け止められます。自ら一歩前に出る気持ち、それを大学では自由と言うのです。棒立ちのまま大学生活を送る人は、かえって余計な苦労をしたり、不自由な思いをしたりすることになります。自由の意味を知っている人にとっては、大学はかぎりなく楽しい場所です。どうか皆さんには、本当の意味での自由を謳歌していただきたいと思います。それが青春というものではありませんか。


 今日(こんにち)の社会情勢にはきわめて厳しいものがあり、大学もそのことに無関心でいることはできません。経済ばかりでなく、政治や国際情勢にいたるまで、不安な状況が続いています。皆さんが本学に在学中に、豊かな教養に裏づけされた、どんな状況にも耐えうる確かな人間力を身につけて、力強く社会に巣立ってゆかれることを願っています。


 皆さんの学生生活の実り豊かならんことを祈念して、式辞とさせていただきます。



平成21年4月2日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生

平成20年度

学位記授与式式辞

 騒がしい世間から離れてしばしの学生生活を送られ、本日めでたく卒業式を迎えられた卒業生の皆さんにお祝いの言葉を申し述べます。世間は騒がしいばかりでなく、常に不安定なものですが、近年はとりわけ不安定かつ不安な状況が続いています。こういう社会へ皆さんを送り出すにあたり、皆さんが本学でどのような生活を送り、なにを身につけられたか、ふりかえってみないわけにはいきません。皆さんの多くは、四年前に入学されて、まず八王子に通われました。


 八王子キャンパスは、都心から離れた場所にあり、通うのはそれなりに大変だったはずですが、着いてしまえば、明るい太陽、濃い緑、さわやかな風に恵まれた別天地でありました。スクール・バスや広いグラウンドや大きな図書館など、思い出は尽きないことと思います。そして皆さんはここ、皇居と神田古本屋街との中間に位置する神田一ツ橋キャンパスに移られました。ほとんど時を同じくして、本学は30年間に及んだ八王子での日常的な教育活動を打ち切り、神田集中化を達成したわけですが、八王子での生活はいまなお美しい思い出として私たちの心の中に息づいています。変革期に学生時代を過ごされた皆さんには、あるいはご苦労をおかけした面があったかもしれません。しかしながら、変革期に特有の興奮や活力を皆さんと共有できたことを、本学は誇りに思っております。社会は常に不安定だと申しましたが、日常的に変革を繰り返すのが社会であり、またあるいは人生というものであるかもしれません。皆さんには変革に耐える活力があるのだということを信じていただきたいと思います。講義を聞く、発表をする、レポートや論文を書く、実験や実習をする、という経験の積み重ねが、今後の社会生活のなかでさまざまなかたちで生きてゆくことは明らかです。しかし、そればかりでなく、最も感受性が鋭敏で受容力の強い時期を、社会から一歩引いた場所で、学問や友情に包まれて過ごしたことの幸福や有利さには計り知れないものがあります。このことを可能にしてくださったご父母をはじめとするご家族の方々に、本学は皆さんと一緒になって感謝を捧げたいと思います。心から御礼申し上げます。


 本学は各学部及び大学院各研究科の独自性を重視しており、その教育内容や教育方針をとりまとめて一言で言い表すことは困難ですが、いずれにも共通して言えることは、本学で学び、体験したことが、社会に出て役立つようでありたい、と考えていることです。そのことが一目で分かる学部や研究科がある一方で、比較的分かりにくいものがあることも事実です。しかしながら、本学で培った、課題をこなし、問題を解決する能力が、社会で役に立たないはずはありません。さらに教養科目や専門科目を通じて得た教養や洞察力、他者への理解・共感力などが、これからの人間関係を構築し、円滑にするうえで、役に立たないはずはありません。皆さんにお願いしたいことは、それらの能力によって、皆さん自身が幸福になるばかりでなく、皆さんの身近な人々をも幸福に導くように努めていただきたい、ひいては社会とか世界とかの幸福や発展に貢献するようであっていただきたい、ということであります。もし大学教育が、それを受けた者だけの利益を図るものであれば、大学教育には大した意味はないことになってしまいます。大学はそこに直接関わる人々のためだけにあるのではなく、いわば世界の発展のためにあるのです。本学はその強い信念のもとに教育・研究活動を行っています。卒業生の方々も同じ使命感を持って社会に巣立っていっていただきたいと思います。


 人生には困難がつきものとはいえ、包括的に見れば、人生はやはり生きるに値するものです。そのことを信じて、逞しく自らの人生を築きあげていっていただきたいと願っています。


 終りに、ご列席のご家族の方々にお祝いと御礼を申し上げ、卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍を祈念し、式辞といたします。



平成21年3月15日
共立女子大学 共立女子短期大学
学長 入江 和生