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学長ブログ

学長ブログ ~学長のつぶやき~

令和2年11月27日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本学は、社会連携活動として南三陸町と連携協力協定を令和元年9月より結んでいます。連携協力協定の始まりは、令和元年6月に遡ります。東京都葛西臨海公園と宮城県志津川湾(南三陸町)が新たにラムサール条約登録認定されたことで、小池都知事と佐藤南三陸町長が都内で懇談した際、同席した東京都中小企業振興公社から本学と福井市との連携協定による学校給食献立提供や食育交流を伝えて頂き、南三陸町から南三陸町の食材を使った給食のレシピの開発ができないかの相談があり、連携協定に結び付きました。
 今回の視察は、11月20日に町役場で行われる「1日レストラン」に参加するのが主な目的でした。このイベントは、南三陸町歌津中学校1年生と本学家政学部調理学研究室食物栄養学科4年生が共同開発した地元の食材を使って調理した食事を、町長を初め町役場の方々や私達が食するものでした。メインの食材は地元でも苦手の人が多い「ホヤ」や「タコ、カキ、小松菜」など地元のものでした。ホヤを私は初めて食しましたが、おいしく頂けました。
 好評に1日レストランが終了し、その様子は地元の宮城テレビで報道され、また次の日の地元の新聞、河北新報、三陸新報などに写真入りで紹介されました。大変な準備を手際よくこなされた調理学研究室の近堂先生に感謝です。
 11月27日に南三陸町の小中学校7校に提供される予定の給食献立も本学の木下給食経営管理学研究室の指導によるもので、その一つの入谷小学校の校長先生と面談しました。献立の食材は、鮭、タコ、小松菜など地元のもので、「地産地消」の食育の一環として行われるものです。
 社会連携活動に携わることは本学の学生にとっても好ましい影響があるはずです。また、このような連携活動をおこなうことができるのも首長さんの支援があるからだと改めで感謝する次第です。11月10日に本学の給食経営管理実習で使用された米は「南三陸米 ひとめぼれ」だったそうです。そう言えば美味に感じました。
 南三陸町は、ホームページに「森里海 ひと いのちめぐるまち」とあるように、林業、農業、漁業が盛んな町です。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けましたが、今復興の道筋が見えてきた段階のようです。復興支援祈念公園の防災対策庁舎やモヤイ像を見学しながら(写真)、震災からの復興の状況を体感できました。東北新幹線のくりこま高原駅から車でいく途中に通った登米志津川道路の2016年の完成が復興の後押しをしたようです。
 復興の町づくりとして国連のSDGs(持続可能な開発目標)を掲げているのは大学側が学ぶことが多いと思いました。特に開発目標「11 住み続けられる街づくりを、14 海の豊さを守ろう、15 陸の豊かさも守ろう」が「森里海 ひと いのちめぐるまち」につながります。
 津波で襲われた志津川湾がラムサール条約に認定されるような美しい湾であるのは感激します。地元の海産物である「ウニ、イクラ、タコ・・」は美味でした。海産物が豊かなのは森が豊かであるからだとも聞きました。私の生まれ育った和歌山県海南市は南三陸町と似た環境にあり、万葉の時代には黒牛潟と呼ばれる風光明媚な黒江湾がありましたが、高度経済成長期には入江は埋め立てられ、火力発電所にとって代わられました。その当時の開発には持続可能性のある開発などという考えはなく、高度経済成長優先の開発でした。そのことは平成31年4月16日のブログにも書きました。
 南三陸町は1960年のチリ地震津波でも大きな人的被害を受けました。その縁でイースター島のモアイ像が1991年に贈られましたが、東日本大震災の津波で流され、2013年に再度贈られたモアイ像が写真です(写真左)。チリ地震津波が日本に到達した時、私は小学校5年生であり、前述の黒江湾にて引き波とそのあとの津波を、恐怖を感じながら見たのを思い出します。しかし和歌山県ではチリ地震津波による人的な被害はありませんでした。
 先日の11月5日は津波防災の日でしたが、その由来は私の生まれ育った海南市の少し南の和歌山県有田郡広川町(ヒロガワチョウ)を襲った1854年の安政南海地震の津波にあります。地震のあと濱口梧陵という人が、暗闇の中「稲むら」に火をつけて津波が来るぞと避難を呼びかけた逸話に由来し、2015年に国連総会で採択されました。広川町には濱口梧陵記念館があるようです。今年は生誕200年になります。濱口家はヤマサ醤油の始祖であり、和歌山から千葉の銚子に醤油製造技術を伝えました。
 南三陸町にはあちこちに「モアイみくじ」が設置されています。みくじ好きな私はひいてみると「中吉」でしたが、モアイは「未来に生きる」の意味があり、イースター島で未来を見守る守護像と説明されています。モアイ像は7~8世紀に作られたとされていますが、この文明は18世紀にヨーロッパの船が到達したときには滅びていて、森の自然破壊が原因の一つだと言われています。

 私の座右の銘は「今を生きる」ですが、現状の閉塞状況では「未来に生きる」も追加したいとつぶやく学長でした。






令和2年11月17日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 10月の新入生歓迎式典に引き続き、11月3日祝日に共立講堂にて令和元年度卒業記念式典を行いました。密を避けるために、3回に分け、保護者の列席のない状態でおこない、大学院、大学、短大の卒業者1,411人のうち408人、約30%が参加しました。本館ロビーの展示室は今年度3回目の展示で、卒業お祝いメッセージとなりました(写真)。
 3月15日に予定していた学位記授与式は中止とし、お祝いメッセージをホームページに掲載しました。その時は、卒業記念式典を新型コロナ感染症が落ち着いた時点で挙行する約束をしていましたが、7か月半遅れの11月3日にやっと行うことができました。
 思い起こせば平成23年(2011年)3月15日実施予定の平成22年度学位記授与式は、3月11日の東日本大震災の影響で中止し、その時は2か月後の5月29日に卒業記念式典をおこなうことができました。奇しくも3月11日は今年WHOが新型コロナウイルス感染症のパンデミック宣言をおこなった日でしたが、卒業記念式典までの期間を考えると、今年のコロナ禍の影響の大きさが計り知れます。
 記念式典では、学位記授与、学長式辞と学部長・科長式辞、卒業生謝辞と式次第が進みました。最初の国歌斉唱がなかったので歌う事が苦手な私自身はほっとしたところですが、いつもの学位記授与式と異なり、学部長・科長の式辞があるのはいいと思いました。
 一部の学生は袴姿で参列し、卒業式の華やかな雰囲気があってよかった。コロナの影響で8か月遅れの学位授与式としてマスコミにも注目され、朝1回目の式典にはNHKと新聞各社の取材がありました。NHKでは、当日昼、夕方、翌朝と放映して頂き、壇上の私が学位記を授与する場面と学生のインタービューが放映され、昔の私の友人から「見たよ」と連絡がありました。朝日新聞の翌日4日の東京版には「8カ月遅れの晴れ着、共立女子大学卒業式」というタイトルで、フェイスガードを装着した晴れ着の学生の写真とともに紹介されました。
 しかし今、この文章を書いているとき、新型コロナウイルス感染症の感染者数は全国で増加し、気温と湿度低下に伴う第3波が到来したのかと危惧されています。

 感染対策の基本は「マスク着用、手洗い励行、自身の健康管理」とつぶやく学長でした。  






令和2年10月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 9月21日から始まった後期授業は、対面の授業の割合が多くなり、前期の時より登校する学生の人数が増え、キャンパスに学校らしい雰囲気が戻ってきました。入館時にはカードリーダーによる記録と体温チェック、手指消毒はおこなっていますが、エレベーターの混雑も少なく、順調に経緯しています。毎日約2千人台の学生が入構していますが、今のところ学内での感染の発生もなく、安堵しています。
 今年度の4月の入学式は中止とし、学長のお祝いメッセージをホームページに掲載するにとどめていましたが、10月1日からKyoritsu Welcome Weeksとして3回にわたり共立講堂で新入生歓迎の式をおこないました。新入生の方々に本学に入学したという帰属意識を持ってもらい、勉学の意欲を強くするが目的です。9月から事務組織改編で学生支援課となった事務部が主催しました。本館ロビーの展示は、4月1日のブログで示した「入学おめでとう」メッセージでなく、写真のように華やかな歓迎メッセージでした。
 共立講堂での歓迎の式典では学長と学部長・科長の歓迎の挨拶と、学内公認サークルの紹介ビデオが映されました。私は感染対策をおこなった上で対面授業をおこなっていく重要性を強調しました。
 日程上、登校日と会わない場合もあり、参加した学生の人数が少なかったことは残念です。式はビデオ撮影し、放映するとのことですので、当日参加できなかった学生にはオンラインで視聴して頂きたく思います。
 学生には正課外活動も重要なキャリアです。後期になって学内サークル活動を許可制で始めています。共立祭はオンラインでの開催となり、学校周辺の神保町ブックフェスティバルやカレーグランプリ決定戦などは中止となり、本学学生の社会連携活動はまだ十分にはおこなえません。今後、学内サークルを含め正課外活動の場を確保していきたいと思っています。

 ウイズコロナの学内サークル活動が順調に進みますようにとつぶやく学長でした。






令和2年10月8日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 私は読む本を選ぶときは、書店内を散策しながら、ふと手に取った本が気に入って買う場合が多いです。3月以降のコロナ自粛の中、このようにして購入した映画に関する本を何冊か読みました。
 令和2年5月22日のブログのドライブインシアターの件で紹介した「映画館と観客の文化史」(中公新書、2006年、加藤幹郎著)もその一つですが、9月30日の新聞記事で、著者が9月26日に63歳で死亡されたことを知りました。たまたま手に取って購入したのを読んで面白かったので、今回の訃報は残念に思いました。
 「日本映画について私が学んだ二、三の事柄(ワイズ出版、2015年、山田宏一)」を読んで、日本映画の歴史を学びました。その中で、日本映画の父と言われる牧野省三が提唱した映画憲法「1スジ(筋)――脚本(シナリオ)、2ヌケ(抜け)――鮮明な映像(撮影現像の技術)、3ドウサ(動作)――俳優の演技」を紹介する文章があります。
  これはサイレント映画時代の映画のルールだと思われます。トーキー映画ではこれらに加えて「音響」が重要な役割を占めると思います。「ようこそ映画音響の世界へ」というドキュメンタリー映画が8月28日から公開されていましたので、9月2日に見に行ってきました。
 1927年に初めて誕生したトーキー映画「ジャズ・シンガー」から、最近のデジタル技術による映画までの映画音響の歴史が語られていました。革命的な映画である「スターウオーズ」の監督であるジョージ・ルーカスの「音は感情を伝える。映画体験の半分は音だ」という言葉には同感します。映画の音は、「音楽、声、効果音」からなります。 今回の映画では音楽に関する部分が少なかったので、私個人としてはこの映画には少し不満でした。映画音楽についてはいずれブログで述べたいと思います。
 映画の要素で重要なのは俳優の演技であることは言うまでもありません。俳優は男優・女優、主役・脇役、ヒーロー・悪役(Heros and villains)、主演・助演などに分けられます。 俳優の演技分野の賞は男優・女優で分けるのが普通ですが、ベルリン国際映画祭の主催者が来年の2月の映画祭から性別で分けるのをやめて、主演と助演に分けるのみにすると今年の8月に発表しました。 JALは10月1日から「ladies and gentlemen」というメッセージをやめて「all passengers」にすると発表したようにジェンダーフリーの時代です。
 男優・女優の区別がなくなっても、脇役と主役の区分はなくならないでしょう。ヒッチコックは「悪役よければ映画よし」と述べたそうですが、脇役がいいと映画は面白くなります。
 コロナ禍の自粛生活の中で読んだ本で面白かったのは脇役本(ちくま文庫、2018年、濱田研吾著)(写真左)です。これは日本映画の脇役と言われる俳優が書いた自叙伝、エッセイなどや遺族の回想本(まんじゅう本と言うらしい)について書いた本です。 映画でしか見たことがない名脇役の別な側面がうかがい知れて興味深かったです。
 月形龍之介は、令和元年6月25日のブログで「不敵な笑みを浮かべる敵役としての役が好きでした」と紹介したが、脇役本でも「善悪どちらでもいける役者ながら、ぼくの好みを書くと悪役」と書かれています。 令和元年11月28日のブログで私の一番好きな映画として紹介した「七人の侍」では、脇役本に紹介される俳優が目白押しです。主役の三船敏郎は百姓出の暴れん坊として描かれ、脇役本には登場しません。 脇役本で紹介されている准主役の志村喬はリーダーシップを発揮して6人の侍を率いて野武士群団と戦います。孤高の剣士を演じる宮口精二は、「俳優館」というミニコミ誌の雑誌編集者として紹介されています。 宮口精二は、山田洋二監督のフーテンの寅さんシリーズのマドンナ吉永小百合の父親役に代表されるような、ちょっと物分かりの悪い、頑固なインテリの父親役にピッタリの脇役です。 七人の侍は初めての時代劇出演だそうですが、かっこいい侍を演じることができました。特に百姓と違う武士の走り方をうまく演じていました。 黒澤明監督の「生きる」では、主人公の志村喬におどしをかけるやくざの役を演じていますが、ほとんどセリフが無い中で凄みを出していました。
 三船敏郎は黒澤映画の主役で活躍し、国際的に著名な俳優となりました。今、国立映画アーカイブでは羅生門展が開催されていますので見てきました(写真右)。 1950年に黒澤明監督の大映作品として公開され、今年で70周年を記念した企画です。この映画は、1951年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を、1952年米国アカデミー賞名誉賞を受賞することで、戦後の日本映画の水準の高さを世界に知らしめるきっかけになりました。
主役の三船敏郎は今年が生誕100年となり、「映画俳優 三船敏郎」特集として27作品が上映されます。もちろん「七人の侍」は上映されます。 私は、三船敏郎の映画としては、この特集の中には含まれませんが、黒澤明監督の「椿三十郎」(1962年、東宝)と「無法松の一生」(1958年、東宝、稲垣浩監督)が好きです。後者は1958年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得しました。

 主役より脇役のリーダーシップがいいとつぶやく学長でした。






令和2年9月25日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の収束の方向が見えない中、9月19日から劇場等の観客数の制限は緩和され、ウィズ・コロナの状態での社会経済活動の再開が模索されています。本学では、秋の行事である共立祭をweb開催に移行、家族懇談会、授業見学会は中止となっています。隣の共立女子中学高等学校では、授業はほぼ通常に始まっています。文化祭と体育祭は中止となりましたが、体育祭で高校3年生がおこなう演舞「荒城の月」だけは是非に発表をおこないたいと、グランドでの練習が始まりました(写真左下)。この風景をみると毎年秋を感じます。
 本学では、後期の授業は感染症対策のもとで対面の授業の回数を増やす方向で9月21日に始まりました(写真右)。多くの学生が集まる講義形式の授業はオンデマンドでおこないつつ、学生が少なくとも週1回は、大学構内での授業ができるように配慮した授業構成としました。前期の6月1日から一部の実験・実習は対面での講義を始めたとは言え、4月からまだ一度も大学に来ていない学生をなくす目的です。本学の教育は、教員との距離の近い、面倒見のよい支援を特徴としています。対面での授業ならではの教育が期待されます。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、同じコロナウイルス感染症であるSARSやMERSのように命名されないので、呼び方が面倒です。COVID-19の19は、2019年に発生したという意味だそうですので、外国の呼び名に合わせてCOVID-19と呼ぶのがいいかも知れません。 COVID-19は、若年者の感染者数が増えているので、自分は大丈夫だと思わずに、重症化しやすい高齢者への感染を防ぐ必要があります。COVID-19対策には、正解はない、ゼロリスクは存在しないと考えて、今考え得る最善の対策で取り組んでいく必要があると思います。
 秋の行事は中止にしましたが、9月25日の学位記授与式は人数が少ないので例年通リに対面でおこないます。総合型選抜や指定校推薦の秋入試は対面での面接をおこなう予定で準備をしています。ウイズ・コロナの心構えで実現可能な合理的な感染防御対策をおこないつつ、日常を取り戻していくつもりです。

 後期の授業が順調に進行しますようにと祈る学長でした。






令和2年9月7日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症のピークは7月末にあったらしく、8月の感染者数は横ばい、漸減傾向にあり、本学では予定していたリアルオープンキャンパスを8月21日(金曜日)、22日(土曜日)とおこなうことができました(写真左)。完全予約制で人数と時間を制限した形ではありますが、多くの高校生と保護者の方に来て頂けました。
 7月4日からおこなっていた土日曜日限定の学校見学会も継続していますが、オープンキャンパスでは教員による学部科の紹介や模擬授業があり、高校生に学部科の魅力を直接紹介する機会になっていて、来られた方の満足度も高いようです。web オープンキャンパスもホームページ上で更新を繰り返しながら公開を継続していますが、実際にキャンパスに来られて生の講義を聴講するのは生徒や保護者の方への影響が大きいと思います。
 新型コロナウイルス感染症拡大の収束が見られないうちにキャンパスに人を集めてのイベントは感染症対策を十分に行った上で開催できるのではと思っています。寺田寅彦は、随筆の中で「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書いているそうです。新型コロナウイルスに対して正しく恐れるつもりで取り組んでいきたいと思います。
 8月28日には7年8か月の最長在位を記録したばかりの安倍総理が突然の辞意表明をなされました。収束しないコロナ禍や来年に延期したオリンピックのことを思えば断腸の思いであったと推察します。次期総理候補の一人として菅義偉官房長官の名前があがっています。菅氏は、平成31年の4月1日に官房長官として新年号を「令和」と記者会見で発表しました。平成31年4月5日のブログにその事を書いています。写真右は、国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)に展示されている菅氏が発表した時の「令和の書」の複製を写したものです。
 国立公文書館では「競い合う武士たち -武芸からスポーツへ-」と題した企画展が行われていて、私はたまたま8月20日に見学に行って令和の書の写真を撮りました。この展覧会は東京オリンピックに合わせて、企画されたようでしたが観客は少なかったです。無料でかつ予約のいらない展覧会なので見学に行って、記念に令和の写真をとりました。
 そう言えば平成の新年号を昭和64年1月7日に記者発表した当時の小渕恵三官房長官は、平成10年に第84代内閣総理大臣に就任しました。
 官房長官は政府の公式見解を公表する報道官の役割があるらしい。

 9月に予定されているオープンキャンパスも無事に行えますようにとつぶやく学長でした。  







令和2年8月19日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナ感染症対策のために休館となっていた美術館や映画館が再開されましたが、美術館は期日指定入場券を予約して入場が求められ、映画館は座席数を半分以下にした座席指定を求められます。美術館や映画館には時間をしばられず、気の向いたときに行きたいものです。
 国立映画アーカイブ(京橋)では、「松竹映画の100年」という展覧会が7月7日から行われていて、上映会は予約が必要ですが、展覧会は予約不要なので出かけてきました(写真)。国立映画アーカイブは、前身のフィルムセンターから2018年4月に変身した施設です。令和元年11月28日のブログにも書きましたが、今回国立映画アーカイブとなってから初めての訪問でした。
 松竹が松竹キネマ合名社を創立し、蒲田に撮影所を開設して映画の製作を開始した1920年(大正9年)から今年は丁度100年になるのを記念した企画です。松竹という名が白井松次郎と大谷竹次郎の兄弟の名前に由来することを初めて知りました。
 フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、映画を最初に上映したのはフランスリヨン1895年(明治29年)でした。日本での初上映は1897年(明治31年)とされ、上映館の一つに神田錦輝館があげられます。「神田錦輝館活動大写真の図」は、国立映画アーカイブの常設展示室の最初に展示されていました。神田錦輝館は、神田錦町3-3、神田税務署のところにあったとされ、1918年に火災で焼失しましたが、共立女子職業学校の学生もきっと見に行ったに違いないと思いました。
 日本における映画の製作は1899年(明治32年)が最初とされます。松竹映画は1920年からですが、その前に日本活動写真株式会社(日活)が1912年(大正元年)にできています。今回は松竹の初期の無声映画(1927~1930年)を3本鑑賞しました。松竹の映画の特徴は、小市民映画と呼ばれるメロドラマ風、喜劇風なもので、その特徴が既にでていました。
 戦後には小津安二郎や木下恵介監督が1950年代の日本映画の全盛期を作りました。1960年代以降は、松竹ヌーベルバーグと言われた大島渚監督作品、「男はつらいよ」で代表される山田洋二監督作品などを輩出しました。
 令和元年11月28日のブログで述べた黒澤明監督の「七人の侍」(東宝)は、私の見た映画の中でベストワンですが、1954年のキネマ旬報ベストテンでは、第3位です。その時の第1位は、木下恵介監督「二十四の瞳」(松竹)、第2位は、木下恵介監督「女の園」(松竹)でした。この両作品ともに木下恵介が脚本を書き、高峰秀子が主演し、音楽は木下忠司が担当しています。この3人が組み合わさった映画には世界の黒澤でもかないません。高峰秀子は、自立と自活がにあう女優でした。男性に負けない自活した女性を演じました。黒澤映画で目立つ女優は、弱い立場の妻として描かれる香川京子(天国と地獄、悪いやつほどよく眠る)か、夫をそそのかす悪女として描かれる山田五十鈴(蜘蛛巣城、用心棒)でした。そこが、黒澤監督作品が木下恵介監督作品にかなわない理由と思われます。
 8月末から神保町シアターでは、「生誕百年記念 映画女優原節子」特集をおこないます。原節子は松竹映画ができたときに生まれたことを確認しました。

 早く映画館や美術館に自由に行ける日がこないかなとつぶやく学長でした。







令和2年7月30日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 毎年6月に実施されていた健康診断は延期され、9月に実施予定と連絡がありました。健康診断は不急であるけれど、不要ではないと判断されたようです。
 定期健康診断受診は、労働安全衛生法で決められた労働者の義務ですが、健康診断は疾病の早期発見と早期治療を目指すもので、公衆衛生では2次予防と呼ばれます。早期発見を目指す疾病は、慢性に進行する比較的多い疾病で早期発見して治療することで、生命予後改善が期待されるものです。例えば、「がん」や循環器疾患(心疾患や循環器疾患)です。
 心疾患や脳血管疾患は合わせると「がん」と同じくらいの死亡率になるものです。ただ、急に発作として発症するので、発症そのものの予防は難しく、循環器疾患の危険因子(なりやすくする因子)である高血圧、脂質異常症、糖尿病などを健康診断で早期発見して早期治療することになります。急性心筋梗塞などの心疾患は急死として発症することが多いので、発症時の対策が重要となります。私は、病院で循環器内科の医師をしていましたので、急性心筋梗塞を発症して入院する患者さんの診察は経験しましたが、実は病院に到着前に心室細動などの不整脈で死亡する例の方が多いのです。
 先日、本館前で心肺停止の男性が蘇生されるのを目撃しました(写真)。中年の男性が、心肺停止の状況で倒れており、若い女性二人が心マッサージを行っていました。近くのビルの警備員らしき人が持ってきたAEDを装着し、電気的除細動がおこなわれました。当該男性は自発呼吸を開始し、やがて到着した救急隊員が心肺蘇生を引き継ぎ、救急車に乗せて搬送する様子を写したのが写真です。この男性は恐らく蘇生した心臓性急死と記録されるでしょう。心肺停止後、除細動をするまでの時間が短いほど蘇生できる可能性が高くなります。
 わが国で心疾患の救急蘇生の必要性が言われ始めたのは1990年代からで、救急救命士の第1回国家試験は1992年(平成4年)、非医療従事者もAED使用可能としたのは2004年(平成16年)からです。年間約12万件の心肺停止例が救急搬送されていますが、救急隊が到着前に蘇生術がおこなわれると救命される可能性が高くなります。
 疾病の早期発見早期治療の二次予防は、新型コロナウイルス感染症には適用されません。そもそも急性の疾患には適用されないし、早期発見しても治療法はありません。
 疾病が発症する前の予防対策は一次予防と呼ばれます。一次予防は、健康増進と特異的予防からなります。健康増進は、ある特別の病気を考えずに、病気に対する抵抗性を高める行動をいい、適度な身体活動、十分な睡眠、たばこを吸わない、適度な飲酒、生活環境改善などです。特異的予防は、ある疾病の侵入を防ぐ行動であり、予防接種、職業病の予防、事故の防止(シートベルト着用)、発がん物質の防止などです。新型コロナウイルス感染症予防では、咳エチケット、マスク着用、手洗いなどが相当します。
 7月24日はスポーツの日としてオリンピックの開会式が予定されていた日です。来年の同じ日にオリンピックが開催できるのかどうか、皆考えたくないようでテレビでも話題にはなりませんでした。オリンピック開催の条件として新型コロナウイルス感染症の予防接種ができることなどと言われます。予防接種には、集団・社会防衛を目指すものと、個人防衛を目指すものがあります。集団防衛を目指すには、集団の8割程度が予防接種を受けないと集団の免疫状態にはならないと言われます。個人防衛はインフルエンザなど、その感染症に罹患するとリスクが高い人が受けるものです。新型コロナウイルスの予防接種は、個人防衛の考えに基づくものとしてスタートすると思われます。予防接種の事は2018年6月12日のブログにも書きました。

 カウチポテトから脱却して少しは体を動かしたいものだとつぶやく学長でした。







令和2年7月13日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 7月4日の土曜日に、学校見学会の1回目が行われました(写真)。これはオープンキャンパスに代わるものとして始めたもので、土曜日曜限定1日3回、毎回完全予約制にて、キャンパスツアー、入試相談、学部科個別相談、学生フリートークなどを体験して頂くものです。写真は、最初の説明をしている学生と見学会に参加した高校生と付添者の様子です。私の挨拶は終わった後です。見学者が座る机にはアクリルボードを立てかけています。
 新型コロナウイルス感染症が収束しない状況のため、対面でおこなうオープンキャンパスは5月から7月までを中止とし、ホームページ上でwebオープンキャンパスを6月5日より本格公開しています。しかし、オープンキャンパスの本来の目的は学校に来ていただいて、キャンパスや学生の様子に直に触れて頂くことです。本学の特徴である、アクセスの良いキャンパス、親切で優しい学生のことはwebでは分かりません。そのため、土曜日曜日に人数を限定して学校見学会を行うこととしたのです。オープンキャンパスのミニ版と言えます。
 webオープンキャンパスは、いつでもアクセスできる、繰り返し視聴できる、遠方の方にアクセスの利便性がある、などのメリットがあります。しかし、キャンパスを体感して頂くには学校に一度来ていただきたいと学校見学会も企画されました。
 webオープンキャンパスのコンテンツは日々に更新されていますが、7月19日にはその日限定のone day web オープンキャンパスも準備しています。one dayはsome day の対語であり、その日限りの意味のほか、いつか必ず努力で引き寄せる未来の意味があるそうです。この時期にふさわしい言葉だと思います。ホームページ上でone day web オープンキャンパスの案内をしていただいているのは本学の卒業生で2020年度ミス・インターナショナル日本代表の方です。昨年度本学にお出で頂き、ミス・インターナショナル日本代表になったと報告がありました。その後、コロナによる自粛が進むなかで何かお手伝いできることがあればとお申し出があり、このような形でお願いすることになりました。有難いことです。
 新しい生活様式は新型コロナウイルス感染症の感染拡大による悪い状況をうまく利用して良い状況に変える「転禍為福」(禍転じて福と為す)の機会と捉えたいと思います。IT化が進むことはその一つです。講義のIT利用は予想外に進んでいませんでしたが、前期にオンラインの遠隔授業をおこなったことにより、一気に進みました。来年度以降、コロナ対策としてではなく、オンデマンド教材を用いた講義がおこなわれていくと予想されます。通学に苦労する学生にとってはメリットがあるだけでなく、アクティブラーニングのいいツールとなります。
 社会を見渡しても、在宅勤務、テレワークを取り入れる企業が増加し、毎朝の通勤ラッシュが緩和されていけばいいと思います。なかなか進まなかった首都機能の移転も進むかもしれません。地方再生の足掛かりになるかも知れません。

 「転禍為福」の絶好機 もっといい事ないかなとつぶやく学長でした。







※当該記事写真の掲載にあたりましては、小学館集英社プロダクションの了承を得ております。

令和2年6月23日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナ感染症による休業要請が解除され、神保町の古書店も再開し、本の街神保町に賑わいが少し戻ってきました。休業要請の解除は、美術館や映画館などから始まったのは嬉しいことです。こういう時こそ不要不急のエンタメが求められると思います
 休業していた神保町シアターは、6月1日(月)より営業再開し、緊急企画「にっぽん喜劇の底力」として、1960-1970年代の喜劇映画が特集されました。フランキー堺、植木等、ザ・ドリフターズが主演の映画です。館内は席を半分にしてマスク着用にて利用する形でした。コロナ自粛の落ち込んだ気分を晴らすには喜劇はいいですが、笑い声は自粛でした。神保町シアターファンとしては閉館にならずによかったとまず思いました。
 学長ブログの2018年5月16日では、「神保町はエンタメの街」として神保町シアターとまんがの聖地のことを書きました。両方ともに本学隣の小学館が関係しています。
 「本の街・神保町を元気にする会」というのがあり、本学も理事として参画しています。今年の2月7日に理事会があり、出席してきました。その場で紹介されたのが、「現代マンガは神保町から始まった!?」という野上暁氏の原稿でした。戦後の第一次マンガブームは、1950年代に神保町周辺で創刊された月刊誌に始まります。その中には少年画報(神田三崎町3丁目)の赤胴鈴之助(2019年2月20日ブログ参照)も含まれます。
 1959年には小学館から「週刊少年サンデー」が創刊され、同時創刊された文京区講談社の「週刊少年マガジン」とともに当時小学生であった私達団塊の世代のエンタメ欲求を満たすものでした。しかし、私の家では、厳格な祖父が孫の教育をコントロールし、週刊まんが雑誌は読ませてもらえませんでした。その反動もあってか大学生になると小学館が発行する青年マンガ誌ビッグコミック(1968年大学1年生の時に創刊)や集英社の少年ジャンプ(1968年創刊)、秋田書店(飯田橋)の少年チャンピオン(1970年創刊)などにはまるようになりました。これらの漫画雑誌は、漫画は子供の読むものという認識を変え、当時の若い世代の人々に読まれました。ビッグコミックの手塚治虫、石ノ森章太郎、さいとう・たかを作品、少年チャンピオンのブラックジャック(手塚治虫)やドカベン(水島新司)などをよく読んだことを思い出します。
 小学館は私達団塊の世代が成長するにあわせてマンガ雑誌を制作するかのように1974年には大人むけマンガ雑誌ビッグコミックオリジナルを創刊しました。小学館が小学生用学年誌に、ドラえもん(藤子・F・不二雄)(写真)を掲載し始めたのは1970年であり、団塊の世代の子供をターゲットにしたようでした。ドラえもんは、作者の藤子・F・不二雄が1996年に死亡後も、テレビや映画で引き続き制作され続けています。小学館が運営する神保町シアターでは、ドラえもん映画祭2020年として、今年の2月1日から3月5日まで過去の39作品の上映会をおこなっていました。1980年の「のび太の恐竜」から2019年の「のび太の月面探査機」までです。私は、2月20日に「新・のび太の日本誕生(2016年)」を見にいきましたが、丁度新型コロナウイルス感染症の感染が始まったころで、劇場内には観客は数人しかいませんでした。ドラえもんの2020年度の新作「のび太の新恐竜」は、3月の公開を8月公開に延期しています。
 マンガ制作が新型コロナウイルス感染症蔓延による自粛の影響を受けた例として、朝日新聞5月9日の朝刊社会面に、「ゴルゴも「3密」回避 初の休載」という記事が掲載されていました。「ビッグコミック」(小学館)に1968年11月から連載52年のさいとう・たかをによる人気劇画。「ゴルゴ13」を当面の間休載するという内容でした。「ゴルゴ13」は、国籍不明のスナイパー デューク東郷が活躍する劇画ですが、3密状態での10人超のスタッフによる分業制のため3密の作画課程を維持できないというのが休載の理由でした。創刊の年から連載していたのはすごいことですが、手書きを中心とした分業制によるマンガ制作は日本独自のようです。これを契機に制作方法が変わるかも知れません。
 「ゴルゴ13」は、2016年のダッカ襲撃テロ事件を受け、外務省が作成した中堅・中小企業向け「海外安全対策マニュアル」に登場します。今回ゴルゴ13休載中にビッグコミックに掲載された過去作品は、主人公がエボラ出血熱とおぼしき感染症に罹患するストーリです。
 コロナウイルスとは関連がありませんが、漫画家のジョージ秋山氏が、2020年5月12日に77歳で逝去されたと新聞に掲載されていました。同氏は、「浮浪雲」をビッグコミックオリジナルに1973年から2017年まで連載していたので有名でした。浮浪雲は江戸時代末期の品川宿にて問屋をいとなむ頭を描いた漫画で、渡哲也主演でテレビドラマ化もされました。
 大学時代からまんが好きであった私は、毎週のようにマンガ雑誌を購続していましたが、2003年に本学に赴任以来中断していました。今回、上記のような新聞記事をみて、もう一度読んでみたくなり、先日来ビッグコミックとオリジナルを買って読んでいます。久しぶりながら昔から連載している作品があり、いいなと思いました。

 早くゴルゴ13連載復活してほしいとつぶやく学長でした。







令和2年6月4日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 5月25日に45日間の緊急事態宣言が解除され、東京都の大学休止の要請も解除されました。本学では6月1日より一部の科目の対面授業を開始し、一部の学生が登校を開始しました。緊急事態措置の解除といっても、「新しい生活様式」に従い感染予防対策をおこないながらの学校再開です。
 写真のように入構時にチェックし、食堂ではお弁当のみの販売として、座席は対面にならないようにしています。対面の授業は主に実験・実習・実技系科目ですが、先生方にはマスクやフェイスシールドをして講義をおこなっていただいています。
 学生はみなマスクをして登校してきます。休み時間の様子ではマスクはしているけれどソーシャルディスタンス(最低1m)を保つのは難しいようです。
 そもそも本学の校訓には「友愛」があります。学生同士の距離が近く、仲がいいのが特徴です。「新しい生活様式」のソーシャルディスタンスには抵抗があるかもしれません。
 しばらくは、自分がコロナかからないために手洗い励行し、ソーシャルディスタンスを保ち、食堂などでは対面で座らない。他人にうつさないために、マスクをし、おしゃべりはほどほどに、毎朝検温し、発熱など体調が悪い時は登校しない、という生活様式が求められます。
 行動変容とか生活様式などの言葉は健康科学の領域で、健康づくりのための行動変容、たとえば喫煙しない、運動をする、朝食を毎朝食べる、野菜は1日350gなどポジティブな行動を継続する目的で使われます。おしゃべりを控えてソーシャルディスタンスを保つというような生活様式はいつまで続けるのかと思ってしまいます。

 アマビエ様にお祈りするしかないのかと弱気な学長です。







令和2年5月22日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症対策に対する緊急事態宣言が延長され出口が見えないなかで、在宅勤務を中心とした生活が続いています。テレビ視聴が多い中で、コロナウイルス感染症対策に関する様々な言葉よく聞くようになりました。
 例えば、『「3密(密閉・密集・密接)」を避けるために、「不要不急」の外出を避けるようにしましょう。できるだけ「Stay Home (巣ごもり)」に努めましょう。外出しなければならないときはマスクをして、「ソーシャルディスタンス」を保ちましょう。』などです。また、救急医学の用語である「トリアージ」も話題になりました。いずれも今年の新語・流行語大賞に選考されそうな言葉です。
 この中で私にといって一番インパクトが強かったのは「不要不急」です。様々な社会活動を休止するかどうかの判断をするときに色々考えさせる言葉です。緊急事態宣言を受け、東京都から休業の要請を受けた業種には、古本店があり、写真のように神保町の古本店の大部分が休業に入りました(テレビ放映では9割が休業と放送されました)。新刊書店はそのまま営業を続けている店が多いので、古本販売は不要不急と判断されたのでしょう。
 大学は休業を要請され、本学も学生の入構を制限し、閉鎖しています。その中で、5月4日からオンライン授業を遠隔で始めることができました。その準備が大変でしたが、昨年度より運用が始まっていた新kyonetが役立ちました。大学の授業が不要不急と判断されずによかったです。もっとも、今回のことを契機に、大学での授業の在り方が変わることが予想されます。様々な職業を不要不急の判断から区別するような方向性には反対ですが、新型コロナウイルス感染をきっかけに社会が変わることは間違いなさそうです。
 映画館の多くは「3密」を避ける上で休業中ですが、映画そのものを「巣ごもり」生活で鑑賞する需要は高まっているように見受けます。映画と観客の関係性が変わる可能性があります。以前のブログ(令和2年2月1日)で述べた「映画は映画館で鑑賞するものだ」という自分の考えも変更せざるを得ないかもしれません。
 5月15日の朝日新聞夕刊には、「ドライブインシアター復権 山梨などで開催、神奈川・大磯でも企画」という記事が掲載されていました。「ドライブインシアターは、駐車場などの野外に大きなスクリーンを設置し、FMラジオを通してカーステレオから音を出す上映方法。車社会の米国で生まれ、日本でも1990年代に流行したが、シネコンの普及などによって下火となっていた。しかし最近は米国や韓国など海外でも、コロナ流行下の映画鑑賞方法として復活の兆しをみせている。」と記載されています。
 たまたま「映画館と観客の文化史」(中公新書、2006年、加藤幹郎著)を読んでいて、ドライブインシアターの歴史を知りました。ドライブインシアターは、1933年に米国ニュージャージー州で誕生し、1950年代に「戦後の大衆車文化の到来と住宅地の郊外化」の波に乗って最も広がりを見せますが、ちょうどテレビの普及によって映画産業が衰退するのと同期して少なくなっていきます。ドライブインシアターは、家族や恋人同士で映画を楽しみたい要望にあったものでした。1950年代の「古き良きアメリカ」を描いた映画ではドライブインシアターを楽しむカップルがよくでてきます。私は残念ながらドライブインシアターの経験はありませんが、小学校の校庭にスクリーンを張った、屋外映画鑑賞会での開放感は覚えています。ホームシアターの大きなテレビ画面で映画を楽しめる時代にドライブインシアターが日本で普及するとは思えません。しかし、残念ながら映画館の密閉空間で映画を鑑賞する機会は今後少なくなりそうです。

 学長職が不要不急の職のようだとつぶやく学長でした。







令和2年5月1日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 オリンピックのレガシー(遺産)は、オリンッピクの開催都市ならびに開催国にレガシーを残すことを推奨すると2002年にIOCがオリンピック憲章に記されてから、意識されるようになりました。レガシーには、スポーツ、社会、環境、都市、経済などの側面があり、負のレガシーとされるものもあります。2012年のロンドンオリンピックの時のロンドン東部地区の再開発が都市レガシーとして有名です。
 1964年の東京オリンピックは、物心両面で様々なレガシーを残しました。東京オリンピックを契機に完成した東京を縦横に走る首都高速道路、新幹線などの移動手段の変化は日本人の生活を変えました。写真は、首都高速の竹橋ジャンクションです。首都高速は、過密な東京のため水路の上に作られ、竹橋ジャンクションは日本橋川の上に作られました。東京の水路と首都高速の話は、2018年5月7日のブログで述べました。日本橋の上の首都高速の建て替え問題が起きていることを考えると、首都高速は負のレガシーと言えるかもしれません。もっとも本学は、首都高速の竹橋ジャンクションから神田一ツ橋キャンパスが見え、中央高速から八王子キャンパスが見えることで有名ですので、高速道路のメリットを受けています。
 ちなみに、写真に写る3号館は、昭和38年(1963年)、東京オリンピックの前年に本学創立75周年事業として落成したものです。当時は文科系の校舎として使われました。外壁壁面には洋画家和田三造による聖女奏楽の像があります。和田三造は、1953年に公開され、カンヌ国際映画祭グランプリを獲得した映画「地獄門」(衣笠貞之助監督)の衣装デザインを担当し、アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞したことで有名です。3号館は本学にとっての東京オリンピックのレガシーかもしれません。
 東京オリンピックの時、私は中学3年生でした。あの時の高揚した気分は忘れません。それが心理的なレガシーかもしれません。しかし、今、本来なら、オリンピックの聖火が全国を駆け巡り、全国的に歓迎ムードになっていたと思われるのに、COVID-19の国内感染は収束の傾向がなく、オリンピック関連だけでなく様々なスポーツ活動の自粛が続いています。気分は落ち込みますが、「明けない夜はない」と元気づけています。

 来年オリンピックが無事に開催され、私達に夢と希望を与えてくれますようにとつぶやく学長でした。







令和2年4月1日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス(SARS-CoV2)の国内感染は収束の傾向がありません。また、世界的には更に拡大傾向があり、3つの条件(①換気の悪い密閉空間、②手の届く距離に多くの人がいる、③近距離での会話や発声がある)が重なる場をできるだけ避けることが求められるようになりました。この3つの条件が重なる場はまさに学校ではないかとある事務職員がつぶやきました。学位記授与式中止、入学式中止に引き続いて、春休みの後の授業再開も延期を決定しました。
 このウイルス感染は、隔離や検疫で予防するのが難しい性質を持っているようです。3月24日には、東京オリンピック・パラリンピックの1年延期がついに決定されました。無観客スポーツイベントは面白くないなどと言っている場合ではないようです。
 4月1日予定の入学式中止の判断をおこないましたので、その代替として入学お祝い学長メッセ―ジを発信させて頂きました。その中で、「協働とリーダーシップ」のKWUビジョンを強調し、新年度から導入された全学共通副専攻制度「リーダーシップ」を紹介しました。キャッチフレーズは、Major in anything. Minor in Leadership. (主専攻は様々な専門分野、副専攻はリーダーシップ)です。
 ここでのリーダーシップは、単に上に立つリーダーとしてではなく、自ら主体的に動きながら、他者や周囲を励まし、支援するリーダーシップをさします。この4月に開設したビジネス学部の人材養成目的に通じる考え方です。昨年の春のビジネス学部開設準備の広報では、「一人の愛よりチームの愛」というキャッチフレーズを示していました。ラグビーワールドカップ日本チームの「ワンチーム」より早くとなえていました。
 新型コロナウイルス感染拡大を抑制する社会的使命がある中、大学では教職員がワンチームとなって感染症予防対策を行っていく必要があります。その時に必要なのが皆それぞれのリーダーシップだと思います。
 本館1階ロビーの展示室には私の知らないうちに写真のような入学お祝いのメッセージが飾られました。これを自主的に作って頂いたのは学生課職員のリーダーシップによるものと感謝しました。

 本館ロビーの展示は学長のビデオメッセージよりいいなとつぶやく学長でした。