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学長ブログ

学長ブログ(2021年度)

学長ブログ ~学長のつぶやき~(2021年度)

令和4年3月30日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 東京都に1月21日から適用されていたまんえん防止等重点措置が3月22日に解除されました。しかし、新型コロナウイルス感染症の罹患者数は低下傾向にあるとはいえ、まだ高い値を示しています。東京都では、リバウンド警戒期間の適用期間とし4月24日まで、感染防止対策実施した上での教育活動の実施が求められ、本学では4月以降の新学期は対面での授業実施を考えていますが、引き続き感染防止対策を行っていきます。
 この感染症の予防には、ワクチン接種を繰り返すことが必要なようで、政府は5月以降の4回目の接種の準備を指示しています。本学でも3回目の大学拠点接種を行うこととし、3月24日と4月16日、23日に予定しました。学生諸君の都合がいい時間を予想して準備をしますが、申し込み者数がやや少ないのが残念です。どうも、副反応からのワクチン忌避の様相があります。接種部位の痛み、接種後の発熱など副反応はありますが、予防接種のメリットを考えれば大したことはありません。
 本学では接種会場は3号館を入り口とし、6号館2階としています(写真)。写真に写る3号館は、昭和38年(1963年)に本学創立75周年事業として落成したものです。当時は文芸学部など文科系の校舎として使われました。外壁壁面には洋画家和田三造による聖女奏楽の像があります(写真左)。和田三造(1883~1967年)は、1953年に公開され、カンヌ国際映画祭グランプリを獲得した映画「地獄門」(衣笠貞之助監督)の衣装デザインを担当し、アカデミー賞の衣装デザイン賞(カラー)を受賞しました。和田三造の絵画「南風」は重要文化財に指定され、竹橋の東京国立近代美術館で見ることができます。
 米国アカデミー賞は今年で第94回を数えますが、日本映画が受賞するのはまれです。衣装デザイン賞は1955年の和田三造、1986年のワダ・エミ(黒沢明の映画「乱」)、1993年に石岡瑛子(フランシス・フォード・コッポラ監督の「ドラキュラ」)の3人が受賞しています。日本時間の3月28日に発表された第94回アカデミー賞では、令和4年2月7日のブログで紹介した「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が、国際長編映画賞を受賞しましたが、日本映画初の作品賞と監督賞、脚色賞の受賞はなりませんでした。
 作品賞は「コーダ・あいのうた」(シアン・ヘダー監督)でした。私は2週間前に鑑賞しました。コーダはCODA(Child of Deaf Adults)(聾啞の親を持つ子供)の意味です。聾唖の両親と兄をもつ女性が親の仕事の漁業を助けながら音楽の道に進む話でした。父親役は聾唖の役者(トロイ・コッツアー)で今回アカデミー助演男優賞を受賞しました。アカデミー賞にも多様性が求められています。シアン・ヘダー監督は、女流監督です。今、NHKBSプレミアムにて毎週日曜日の放送されている「しずかちゃんとパパ」は、聾唖の父親と娘の話です。聾唖の父親が思いをよせる相手は音楽の先生です。聾唖の父親の役は笑福亭鶴瓶で演技はうまいけれど、日本では聾唖の役者が演じることができるような役者の奥深さはまだありません。

 3号館を建て替えるとき和田三造の壁画どうするのかなとつぶやく学長でした。






令和4年3月24日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 令和3年度の学位記授与式を3月14日、15日と2日間4回に分け、昨年度と同様に行うことができました(写真左)。東京の桜開花予定は3月21日とされ、昨年の3月14日より遅い開花になりそうで、本館前のしだれ桜は昨年の学位記授与式の日は満開でしたが(令和3年3月18日ブログ参照)、今年はまだつぼみでした。しかし、天気もよく春を思わせる陽気の中、本館前での記念写真を復活できたのは良かったです(写真右)。昨年はコロナ禍を考えて中止しました。
 令和3年度卒業生数は、大学4学部1040名、短大2科227名、大学院では4研究科13名、計1280名の学生、院生が卒業していきます。昨年度の1385名よりやや少ない卒業生数ですが、入学定員厳格化した影響のある学年です。卒業生の多くは、袴姿の晴れ着であり、卒業式らしいいい雰囲気が大学構内にみられました。
 考えてみたら、今年の大学学部の卒業生の多くは私が学長となって始めて入学式(2018年4月1日)に式辞を述べた学生達でした(2018年4月17日ブログ参照)。その時のブログには初めての入学式の式辞で緊張したとありますが、経験を積んでも壇上の式辞の時の緊張は変わりません。
 卒業生一人につき一人の保護者の参列に限ったため、2階の保護者席は混雑しませんでした。本学にとって、共立講堂があることを有難く思いました。式次第としては、昨年と同様に国歌と学園歌は黙唱とし、壇上での合唱団の歌はなしとしました。

 いつになったら壇上で本学合唱団の合唱が聞けるのかなとつぶやく学長でした。






令和4年2月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 コロナ禍が続く中で2月入学試験も無事終わり、学生達はそれぞれ春休み体制となり、学内は静かに経過しています。私を含め、多くの教職員は3回目の新型コロナウイルス予防接種をすませ、学生の大学拠点接種の3回目の準備を考えているところです。
 北京冬季オリンピックも、バブル方式で比較的静かに開催され、2月20日に閉会式を迎えました。バブルという言葉が、バブル景気で使われるのではなく、選手の隔離対策としてのバブル方式で使われるようになりました。北京オリンピックでは、日本は金メダル3個を含むメダル総数18個となり、過去最多になりました。
 私は冬季のスポーツにはなじみがないのですが、我が家ではカーリングが人気です。日本チームが銀メダルを獲得した日の朝日新聞朝刊の記事によると、1980年に北海道常呂郡常呂町(現北見市)に故小栗氏がカーリングを伝え、常呂町中心に広めたのが日本での始まりだそうです。1998年冬季長野オリンピックで初めて正式種目となり、日本のチームも主催国として出場しました。今の選手のほとんどは常呂町で子供の頃からカーリングに親しんだ世代だそうです。
 常呂町は人口3500人のオホーツク海に面した漁業町ですが、冬季は時間を持て余す人が多いので、カーリングをおこなうのが適しているとされたようです。義父(故人)は北見でビニールハウスのビニールを作る工場を営んでいましたが、記事にあった小栗氏と同じころに常呂でカーリングを広めることに貢献したそうです。ストーンはビヤ樽などから手作りしたようです。カーリングが大好きで、長野オリンピック、その次のソルトレークシティオリンピックには応援に行ったほどです。北見市にある義父の墓石の上には本物のカーリングストーンがのっています。カーリングの発祥はスコットランドで、ストーンはスコットランドのある地方の石が使われるそうです。北京オリンピックの試合の前にはバグパイプの演奏がありました。
 そんなこともあり、我が家ではカーリングが人気で写真のようなおもちゃもあります(写真)。実際、カーリングの試合を観戦すると、ゲームのかけ引きが面白くて夢中になります。実力の差以上に運が左右するところが面白いです。今回の北京オリンピックテレビ中継の視聴率では、女子カーリング決勝戦が第一位でした。

 女子カーリング「ロコ・ソラーレ」よく頑張ったねとつぶやく学長でした。






令和4年2月7日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の第6波では今までにない勢いで感染者数の増加が見られます。去年の8月頃の第5波では東京都で5千人と驚いていましたが、今は2万人を越えています。そんな中ではありますが、学事は感染対策をおこなった上で、オンラインも併用した形で行えています。
 1月29日には2号館にて家政学部建築・デザイン学科、3年生の建築・デザイン総合演習最終オンライン講評会をハイフレックス型でおこなうことができました。テーマは神保町を元気にするプロジェクトとして、建築コースとデザインコースの学生が混合チームで提案するものです。神保町商店街の方々にはオンラインで参加頂きました。
 写真は、本学公認のキャラクターである「じんぼうチョウちゃん」をリニューアルしたお披露目の様子です(写真)。じんぼうチョウちゃんは、蝶々をイメージしたキャラクターで、建築・総合演習で作られたキャラクターで、本学の公認キャラクターとして神保町界隈のお祭りに参加して、人気を博していました。令和元年10月31日のブログでは、さくら通リの神保町ブックフェスティバルにおいて、本学吹奏楽団の演奏を応援する様子の写真をみることができます。建築・デザイン学科は2023年から建築・デザイン学部として新生しますが、街づくりを主要なテーマとして引き継がれるものと期待されます。
 2月4日と5日は本学の一般入試の試験日でしたが、大きな混乱なく無事におこなうことができました。2年続いてのコロナ禍の入試となりましたが、今年は本館と2号館に分けておこなう事で混乱を回避しました。
 この時期は、2021年度の映画が総括されて報告されるので、楽しみです。1月26日の朝日新聞朝刊社会面には、「映画興収 昨年なお低調」という記事がありました。日本映画製作者連盟の報告では、2021年の映画興行収入は1618億9300万円となり、2000年以降過去最低であった2020年の1433億円に次ぐ低さ(昨年比117.4%)と報告されました。
 公開本数が959本と2020年の1017本より少ないこと、特に洋画の公開本数が少ないのが影響しました。興行収入の第一位は日本映画では「シン・エヴァンゲリオン劇場版(102.8億)」、外国映画はワイルド・スピード/ジェットブレイク(36.7億)でした。共に、2020年の一位には及びません(令和3年2月15日ブログ参照)。両方の映画ともに若者向きで、私は見ていません。
 2月3日には映画誌「キネマ旬報」2021年公開作のベスト・テンと個人賞が報告されました。日本映画の第一位は「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)でした。同作品は監督賞と脚本賞、助演女優賞も得ました。この映画は、昨年のカンヌ国際映画祭脚本賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、今年のゴールデングローブ賞外国語映画賞、全米映画批評家協会賞 作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞など内外の映画賞を総なめする状態です。私は9月1日に観に行きましたが、不思議と引き込まれる映画でした。
 外国映画の第一位は、「ノマドランド」でした。昨年の米国アカデミー賞作品賞の映画です。主演女優のフランシス・マクドーマンは不思議な魅力のある女優で、何となくひかれる女優です。3回もアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。「ノマドランド」は未見なので今度公開されたら見にいきます。

 「じんぼうチョウちゃん」もリニューアルされましたので、早く神保町のお祭りでお披露目できればいいのにとつぶやく学長でした。






令和4年1月17日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 2021年に続き2022年もコロナ禍で明けました。昨年末の状況では罹患者数がかなり減少していて、明るい兆しがありましたが、年明けとともに第6波とみられるような顕著な増加が見られています。私の似顔絵は引き続きマスクを着けて新年を迎えます。
 年末の12月13日に京都清水寺で発表された日本漢字検定協会の今年の漢字は「金」でした。2020年は「密」でしたが、2021年はコロナから離れた漢字が選ばれました。2021年はオリンピック・パラリンピックの金メダルラッシュ、大谷翔平選手のMVPや藤井聡太棋士の最年少4冠の金字塔に由来するとされています。
 オリンピックの金メダルでは、水谷・伊藤ペアの卓球混合ダブルス優勝が良かったです。眞鍋淑郎博士の91歳でのノーベル物理学賞受賞もありました。博士のインタビューで研究の継続の要因として好奇心と楽しさをあげていたのが印象的でした。私が予想した今年の漢字「翔」は6位に入っていました。コロナ関連でない漢字が選択されるのがいいです。もっとも、「金」は新型コロナの給付「金」にも関連すると説明されていました。
 私の2021年は学長2期目の初年度でしたが、コロナの影響で内にこもる状況で、とりたてた何もなかった1年でした。巷では行動制限緩和によりクリスマスイベントも行われました。前々回の11月25日のブログでは正月映画のことを紹介させて頂きましたが、コロナの影響で公開を延期していた映画が次々と公開されていますので、映画界は少し賑わいを取り戻しつつあります。しかし、1月早々に岩波ホール7月閉館のニュースがかけめぐりました。岩波ホールのことは何度かこのブログで紹介しましたが、昭和生まれの映画ファンには惜しまれる出来事です。令和3年3月18日のブログでは、朝日新聞2月22日夕刊1面に掲載された岩波ホール支配人岩波律子さんのコロナを生きる言葉として「体に食べ物が必要なように、心には文化が必要です。」を紹介しています。岩波ホールは、令和2年のコロナによる休館から改修工事が始まり、令和3年2月6日に再開されたばかりでしたのに残念です。
 昔は日本映画では定番の正月映画があり、多くの観客を集めました。その中の一つが「忠臣蔵」を題材にしたものです。今年は東映映画70周年として「丸の内TOEI」にて特集上映が企画されています。テレビ時代の前の子供のときに東映時代劇に夢中になっていた私には大変なつかしいです。東映時代劇祭りに「赤穂浪士 天の巻・知の巻」(1956年 松田定次監督)が上映されていたのでついなつかしく年末に見に行きました。この映画は正月映画に特徴的な東映オールキャスター映画です。忠臣蔵の種々のエピソードはもちろん、俳優の方々がなつかしく楽しめました。
 新年になっても今年は初詣に行きませんでした。新年初の映画は、年末に引き続き丸の内TOEIにて「鳳城の花嫁」(1957年、松田定次監督)を見に行きました。この映画は日本初のシネマスコープ映画として有名でしたので、以前から見たいと思っていた映画です。日本の映画が全盛の時代で、テレビが家庭に普及し始めることに危機感を持つ映画界がテレビに対抗するために映画館で上映する映画の大型化を図ったものです。
 今の時代、ネット配信の映画が増えることに対抗して、映画館のスクリーンを大型化した映画IMAXなどを上映するのと同じような状況かも知れません。

 大学入学共通テストが始まりましたが、本学の入学試験も無事に行えますようにとつぶやく学長です。






令和3年12月8日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルスの新しい変異株であるオミクロン株感染が報告され、国内で進んでいた制限解除に水をさす結果となりました。12月1日には外国人の日本入国停止措置がとられ、残念に思うばかりです。ただ、11月23日には朝日新聞社と共催の朝日教育会議を共立講堂で行う事が出来たのは良かったです(写真)。昨年のテーマは「これからの時代に求められるリーダーシップ」でしたが、今年は「地域を変える・社会を変えるリーダーシップ」とし、池上彰氏に2年連続で基調講演をして頂きました。
 昨年の朝日教育会議では、ビジネス学部の開設初年次のリーダーシップ教育に焦点を当てましたが、今年は2023年度設置予定の建築・デザイン学部のお披露目の目的もありました。建築・デザイン学部は、「建築とデザインで未来をつくる」というキャッチコピーが示すように、建築とデザインの力で社会に貢献していく力を身につける学部です。「建築コース」と「デザインコース」の2つのコースで構成され、美術の視点で建築とデザインを融合する日本初の学部です。11月24日の朝日新聞に一面広告を出すことが出来ました。
 池上彰氏の基調講演では、リーダーシップはトランプ式の「おれについてくればよい」ではなく、他人によりそう共感力のあるリーダーシップ、みんなで助け合うリーダーシップの大切さを強調されました。まさにこれが共立のリーダーシップです。建築・デザイン学部では教育の柱としてSDGsとリーダーシップをたてます。家政学部建築・デザイン学科から飛躍する2023年が楽しみです。
 変異株オミクロン株の広がりは、ウイルスに国境がないことを新ためて知らされますが、年末の行事は進みます。12月1日朝日新聞夕刊によると、米辞書、メリアム・ウエブスターは、今年の言葉(Word of the Year)として「ワクチン(vaccine)」を選んだと報道されました。昨年は、「パンデミック(感染症の世界的な流行)」であったので、新型コロナウイルス感染のステージが収束の方向に進んだと考えたいです。
 12月1日に発表された2021年ユーキャン新語・流行語大賞(「現代用語の基礎知識」選)では、今年は「リアル二刀流/ショータイム」(大谷翔平選手)が選出されました。昨年は「3密」(密閉、密集、密接)(小池百合子)でしたので、今年はコロナ禍と異なる言葉で良かったです。トップテンには、コロナ禍関連では「人流」や「黙食」が入りましたが、「親ガチャ」なる言葉は「ガチャガチャ」が好きな私ですが、格差社会を表す言葉としてあまり好きにはなれません。
 前回のブログで紹介したミュージカル映画「ウエスト・サイド・ストーリー」は配給元のディズニーの都合で12月10日公開から2月11日に延期となりました。コロナ事由ではないと思うので、大変残念です。

 12月中旬に公表される今年の漢字(日本漢字能力検定協会)は、昨年は「密」でしたが今年は「翔」になるかなとつぶやく学長でした。






令和3年11月25日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 緊急事態宣言か解除されて1か月半が過ぎ、学内は学生で一杯になりました。これが本来の共立キャンパスの姿だと思います。将来来るかも知れない新型コロナウイルスの第6波に対する対策指針が発表され、外国からの入国制限もすこしずつ緩和されています。年末を迎える巷はもうコロナ前に近い賑わいを見せています。しかし、秋のイベントは中止のままで寂しいものです。学長ブログの令和元年10月31日ではさくら通リの神保町ブックフェスティバル(10月26~27日)の事や、令和元年11月15日では小川広場の神田カレーグランプリのグランプリ決定戦(11月2~3日)の賑わいを伝えていますが、いずれも2年連続中止のままです。特にカレーに関しては、本学と下関市の林兼産業が共同開発した「霧島黒豚あらびき キーマカレー」(写真左)を発売したところだったので、カレーグランプリ決定戦でお披露目できずに残念です。しかし、秋入試に関しては感染対策を実施の上、対面で行うことができています。写真は11月14日の公募制推薦入試等の本館入り口です(写真右)。
 秋のイベントの中止が続く中、映画館はほぼコロナ前の状況で観客を集めているのは喜ばしい状況です。映画ファンの私は映画館に通って応援しています。
 年末から年始の正月映画の状況が報道されるようになり、今度の正月は映画館の自粛がなさそうで多くの映画がラインアップされています。洋画の題名をならべると「ドント・ルック・アップ」「デイア・エヴァン・ハンセン」「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」「ウエスト・サイド・ストーリー」「キングスマン:ファースト・エージェント」「マトリックス レザレクションズ」など、英語の原題をカタカナにしたままの題名が多いのが目立ちます。
 外国映画の邦題は日本の配給会社が作り、集客できるかどうかの要素として重要だと思いますが、この頃は原題の英語を日本語に訳さずに、カタカナで示すだけの題名が多くなりました。人名や地名ならまだしも、辞書をひかないと意味が分からないような単語や接続詞などもカタカナで示すのはいかがなものかと昭和の人間は思います。このような風潮は1980年代から始まり、最近益々ひどくなっています。
 映画の題名は映画の内容を観客に周知する方法です。昔は、外国映画を輸入して配給する会社の方が苦労して、英語題名を日本語訳して観客を呼び込んだと聞きます。映画産業が盛んな頃は、2語の漢字の映画題名が流行りました。例えば、「哀愁」は1940年米国製作、日本公開 1949年の映画で、原題は「Waterloo Bridge」です(マービン・ルロイ監督)。第一次世界大戦中のロンドンのウオータールー橋で、空襲にあった男女が再会を約束して分かれる話です(日本の松竹映画「君の名は」(1953年)は数寄屋橋で空襲に会う男女の再会話でした)。今なら、「ウオータールー・ブリッジ」と名付けるところしょうか。
 「旅情」は1955年の映画で、原題は「Summertime」です(デイビッド・リーン監督)。米国の独身キャリアウーマン(キャサリン・ヘップバーン)が、イタリアベニスで過ごすひと夏の恋愛を描いた映画です。今なら題名は「サマータイム」となるでしょう。因みに1967年の映画「卒業」(マイク・ニコルズ監督)の原題は「The Graduate」でした。
 1984年公開のイタリア セルジオ・レオーネ監督の遺作である「Once Upon a Time in America」の邦題を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」として日本公開してからカタカナ表記が普通になりました。同監督の1969年の「ウエスタン」は原題「Once Upon a Time in the West」ですが、リバイバル公開時の邦題は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」に変更されました。レオーネ監督を信奉するクエンティン・タランテイーノ監督は、2019年に「Once Upon a Time in Hollywood」を監督しましたが、日本公開の邦題は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でした。
 日本の映画文化を維持するためにも外国映画の邦題は重要だと思います。安易なカタカナ表記はやめてほしいものです。米国映画の「ランボー」(1982年)の原題は「First Blood」ですが、日本の配給会社が主人公の名前から「ランボー」と名付けました。この映画は、大ヒットとなり、第二作では日本の題名を踏襲して原題は「Rambo: First Blood Part Ⅱ」(ランボー/怒りの脱出)とされた例もあります。
 私が正月映画の中で最も期待しているのはスピールバーグ監督のミュージカル映画、「ウエスト・サイド・ストーリー」です。この映画は、1961年に公開されたミュージカル映画の金字塔「ウエスト・サイド物語」(ロバート・ワイズ監督)のリメイク版です。「物語」が「ストーリー」になっています。

 映画のジャンルではミュージカル映画が好きだとつぶやく学長でした。






令和3年11月5日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の感染者数は減少傾向が顕著となり、各種イベントの制限も緩和されつつあります。第6波が到来するのか分からない状況ですが、とにかく今は行動制限の緩和を行う時期だと思います。昨年は中止された第74回全日本合唱コンクール全国大会が2年振りに10月30日から大分市のiichiko総合文化センターで開催され、共立女子中・高が高校部門で銅賞を受けたと10月31日の朝日新聞で報道されました。
 9月18日(土曜日)の東京都の合唱コンクールで共立女子中・高が金賞、第二高校が銀賞を受け、共立女子中・高が全国大会に出場が決まりました。そのことを垂れ幕にして、共立講堂に掲示していましたので撮影しました(写真)。私は、その日以来、全国大会の結果を楽しみにしていました。11月10日の朝日新聞東京版では、〔共立女子中・高は自由部門で横山潤子作曲の「三人の魔女を見た」「聞けよ、ひばり」を演奏。コロナ禍を受け、今まで当たり前だと思っていた「歌えることの幸せ」をかみ締めながら歌声を響かせた。部長の渡辺美彩さん(2年)は「SNSを使ったリモート練習などコロナ禍の中、精進の成果を出せた。『最高の音楽を届けよう』との思いを笑顔でかなえることができた」と話した。(江川慎太郎)〕と掲載されていました。
 昨年春の新型コロナウイルス感染症パンデミックでは、世界中で教会や教室でのコーラスでのクラスター発症が報告され、カラオケを含め、合唱は自粛となりました。そんな制限の中で、よく合唱の練習を行いました。大会が相次いで中止となる中、動機付けをよく保てたと思います。同じ学園の学長として「よく頑張ったね」とほめてあげたいです。今回の経験は将来に役たつと思います。
 新型コロナウイルス感染症発症者数は信じられないくらい減少してきました。各種イベントも感染対策を行いつつ開催できるようになりました。10月31日(日)には、「バンクシーって誰?展」を天王洲の寺田倉庫に見に行きました。キャッチフレーズは「それはまるで映画のセットのような美術展」で、天王洲の寺田倉庫の会場内に入るまで混雑していましたが中に入ってからはゆっくり楽しめました。
 11月1日(月)は明治大学創立140周年記念式典に参加してきました。対面とオンラインの併用開催でしたが、私はアカデミーホールに出席しました。規模が大きい大学の記念式典には圧倒されます。この頃、大学ラグビーも調子がいいので、「MEIJI VISION 150」は「前へ」でした。

 共立女子大学合唱団も頑張れとつぶやく学長した。






令和3年10月25日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 10月になって新型コロナウイルス感染症の第5波が収束傾向を見せ、本学構内の学生の人数も増えてきました。そんな中で、2021年共立祭を10月16日(土)、17日(日)の二日間対面で開催することが出来ました。参加を本学学生と教職員に限っての開催であったので、参加者が少ない結果でしたが(写真左、本館受付)、昨年はオンライン開催であったので、対面でできた喜びは大きいものでした。
 共立祭の運営は学生が中心となっている共立祭運営委員会がおこないます。今年のテーマは「Blooming Together!」(コロナ禍という厳しい冬を乗り越え、「共」に花開いていこう)でした。昨年はオンラインの開催であったので、今年は是非に対面でおこないたいと言う思いが通じ、制限された状況ですが、対面での開催ができました。共立祭運営委員会の皆さんのリーダーシップを発揮した感染症対策に留意した運営に感謝すると共に、よくやりましたとほめたいと思います。昨年入学した短大生が、一度でも共立祭を経験できたのは良かったです。
 共立祭の次の日10月18日(月)には本学国際学部を3月に退職された名誉教授の木戸雅子先生が、ギリシャ国より勲章を授与されるとのことで、広尾のギリシャ大使公邸に出かけてきました。写真は公邸内での木戸先生と駐日ギリシャ大使、コンスタンチン・カチュシス氏です(写真右)。木戸先生は、ビザンチン美術史が専門であり、ギリシャのサラミナ島のファネロメニ修道院の壁画修復に貢献し、サラミナ市名誉市民の称号も授与されました(2013年)。今回は、長年のギリシャに対する貢献が評価され、ギリシャ政府より「コマンダー・オブ・ジ・オーダー・オブ・ザ・ベネフィセンス勲章」が授与されました。私どもも大変名誉に思いました。
 コロナ禍が収束に向かい、このようなイベントを対面でおこなうことが出来るのは大変嬉しいことです。10月からは映画館も100%の定員で営業をしています。「007 ノー・タイム・トウ・ダイ」は、007シリーズの第25作で、昨年の4月公開予定が、再々延期の末に今年の10月に全世界で公開されました。私は、前からこの映画が公開される時が、コロナ禍が明ける時と思っていたので、早速見に行ってきました。
 007シリーズのボンド役として6代目のダニエル・クレイグが演じるのは5作目で、今回で見納めらしい。007映画に定番のカーアクション、車や時計の仕掛け、悪役らしい悪役など盛りだくさんであり、予期せぬラストシーンを含め、久しぶりに楽しみました。誰かが言っていましたが、007映画は主人公がスパイをしないスパイ映画で、アクションを楽しむものです。25本の007映画を第一作の「ドクター・ノオ(1963年、日本公開時は「007は殺しの番号」)」以来、ほとんど見ていると思いますが、役者としては初期のボンドを演じたショーン・コネリーが好きです。彼は、前回のブログで取り上げた1930年生まれの映画人の一人で、昨年90歳で逝去しました。彼の出演作品では、初期の007映画だけでなく、「アンタッチャブル」(1987年)が好きです。
 25本の007映画の中では皆と同じで「ロシアより愛をこめて(1964年、日本公開時は「007危機一発」)が一番好きです。映画の題名はその映画の宣伝として大事な要素です。危機一発の発はわざと髪から変更したと聞いています。またリバイバル上映されるときに、危機一発から原題のロシヤより愛をこめて(From Russian with Love)に変更されました。最近は、日本語の題をつけるよりノー・タイム・トウ・ダイのように原題をそのままカタカナで表すことも多くなりました。

 このままコロナの収束が継続しますようにとつぶやく学長でした。






令和3年10月4日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 7月12日に始まった4度目の緊急事態宣言は、オリンピックとパラリンピックを間に挟み、2か月半も続きましたが、9月30日で終わりました。今回は、感染者数の減少が顕著であり、またワクチン接種率も高いので、このまま終息してしまうように思わせるところがあります。今まで何度も期待外れでであったポストコロナの明るい未来が来そうな気がします。
 本学では、後期の授業を9月21日オンライン推奨で初めましたが、10月7日以降はハイフレックス推奨対面中心に移行し、10月20日からは原則対面になります。10月1日から本学のワクチン大学拠点接種の2回目が始まりました。今度こそ、逆戻りしないでほしいと願い、感染対策をしっかりおこなっていきます。
 コロナ禍であっても、映画館での映画鑑賞は継続できました。コロナが原因でなくても映画人の訃報には関心があります。リチャード・ドナー監督が2021年7月5日に91歳でなくなったと新聞報道されました。オカルト映画の「オーメン」(1976年)や元祖アメコミ映画「スーパーマン」(1978年)、「リーサルウエポン」(1987年)などアクション映画を得意とした監督でした。
 私が訃報で注目したのは彼が米国のテレビドラマシリーズ「拳銃無宿」(1960~1961年)を監督していた事を知ったからです。このテレビドラマは、テレビが我が家にきたばかりで、小学校高学年の私が毎週欠かさず見た30分の西部劇です。タイトルの原題「wanted:dead or alive」が示すように賞金稼ぎのスティーブ・マックイーンがライフルを短くした銃を扱うのに魅了され、今まで日本の時代劇の「ちゃんばら」にはまっていた私は、西部劇の拳銃に方向転換しました。
 それ以来、スティーブ・マックイーンは大好きな俳優となり、彼の映画が上演されるたびに見に行きました。荒野の七人(1960年)、大脱走(1963年)、ブリット(1968年)、ゲッタウエイ(1972年)などが好きな映画です。彼は、リチャード・ドナー監督と同じ、1930年生まれですが、1980年に「ハンター」を遺作になくなりました。
 小学生のころに夢中になった西部劇テレビドラマでは「ローハイド」(1959~1965年)があります。このドラマで人気を得たのはクリント・イーストウッドです。その後、西部劇人気が低調となるのを尻目に、イタリア製西部劇(日本ではマカロニウエスタン)の「荒野の用心棒」(1964年)に主演しました。荒野の用心棒は黒澤明監督の「用心棒」のアイデアを無断に借用したものでしたが、監督のセルジオ・レオーネと共に一躍有名になりました。
 クリント・イーストウッドは、「ダーティ・ハリー」(1971年)シリーズが有名ですが、監督としても多くの名作を残し、アカデミー作品賞・監督賞を何度も受賞しているのはすごいと思います。1930年生まれの91歳で、「クライ・マッチョ」を監督・主演しているのは信じがたい健康長寿な映画人です。この映画は、今秋の第34回東京国際映画祭のオープニング作品(イーストウッド監督50周年記念作品)です。因みに「キネマの神様」を監督した山田洋次監督(9月3日ブログ参照)は1931年生まれで現役で活躍されています。
 4月25日に3度目の緊急事態宣言が発令される直前に、京橋の国立映画アーカイブに「SCREENを飾ったハリウッド・スターたち」の展覧会をみてきました。写真左のポスターは、ローハイド時代のクリント・イーストウッドです。SCREENは洋画のグラビア雑誌名です。
 9月7日の朝刊ではフランスの俳優、ジャン=ポール・ベルモントが9月6日に死去し、マクロん大統領がお悔やみの言葉を述べたと朝の国際テレビニュースで報道されました。彼は、1933年生まれの88歳でしたが、彼を一躍有名にした「勝手にしやがれ」(1960年)の監督、ジャン=リュック・ゴダールは1930年生まれでまだ現役で活躍しています。1960年頃のフランス映画の新しい波は、ヌーベルバーグと呼ばれ、多くの革新的な作品が発表されました。
 その当時のフランス映画界では、1935年生まれのアラン・ドロンと1933年生まれのジャン=ポール・ベルモントが2大俳優として人気を二分していましたが、私は、自分に似ているジャン=ポール・ベルモントの方が好きでした。
 今回のブログでは、1930年代生まれの映画人を紹介しました。私が好きな映画人が多いことに気づきました。漫画界に劇画のジャンルを作り、映画にも多大な影響を与えたさいとう・たかを氏(1936年生)が9月24日に84歳にて死亡したことが報道されました。彼の漫画のゴルゴ13のことは令和2年6月23日のブログに書きました。新聞の見出しは「ゴルゴ13もすい臓がんには勝てず」でした。

 秋入試の総合型選抜は順調に始まりました。行動制限の解除が順調にすすみますようにとつぶやく学長でした。

 映画人の出生年などはWikipediaを参照しました。






令和3年9月16日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 8月24日に始まった東京2020パラリンピック競技大会は、9月5日(日曜日)に最終日を迎え、大きな混乱無く終わりました。パラリンピックの競技では、車いすラグビーやバスケットボールの激しいコンタクトに驚きました。逆に静かなボッチャの面白さにはまりそうでした。パラリンピックのテーマである「多様性と共生」を納得しました。
 最終日に行われたマラソン競技は、本学前の白山通リを2度通過し、また本学の敷地に救護所を設置したので、本来は公道からの見学は自粛ですが、救護所の様子を見させて頂きました(写真左)。
 見物人も少なく、ボランティアの方が待機している様子が見られました。スピードを出して走る競技用車いすの迫力に圧倒されました。本学は、武道館からも近いので、ボランティアの方の託児所としても6号館託児所をお貸ししました。
 新型コロナウイルス感染症の収束はみられず、第5波の中で9月12日までの予定の緊急事態宣言は9月末まで延長されることが決まりました。変異デルタ株の感染力から若年者へのワクチン接種の必要性が言われる中、本学では文部科学省の大学拠点接種の1回目を9月3日から5日間、おこなうことができました(写真右)。大学拠点接種は6月末から行った大学がある中で、本学の開始が遅くなりましたが、夏休み中に1回目の接種を行うことができました。この間、大学拠点接種の制度設計、医療従事者の確保、国との折衝など様々に尽力された職員の方々に感謝します。特に、大学6号館に接種会場を設営するのは大変だったと思います。今回の大学拠点接種運用に本学のモットーであるリーダーシップがよく発揮されたと思います。
 緊急事態宣言の延長発表と同時に、ワクチン接種が行き渡る11月には行動制限の緩和ができるとする「ワクチン・検査パッケージ」も報告されました。フランスでは衛生パス(pass sanitaire)が8月初めに提案され、バー・レストランの利用、長距離移動、劇場観賞の際に衛生パスの提示が必要となりました。衛生パスはワクチン接種証明や72時間以内のPCR検査陰性証明からなり、提示を義務化し、違反の場合には罰金があります。フランス国内ではその制度に反対するデモがあったことも報道されました。日本の「ワクチン・検査パッケージ」の制度設計はまだですが、日本ではワクチン接種自体は任意なので、フランスのように義務化の制度にするのは難しいかも知れません。
 フランス語のsanitaireは衛生と訳されます。「衛生」という語は、明治初期今の厚労省に相当する内務省の長与専斎がドイツ語のHygieneを訳したとされています。Hygieneはギリシャ神話の健康の女神ハイジア(ヒュギエイア)(医神アスクレピオスの娘)に由来しますので、意味的には病気の予防、健康を意味します。実際、明治期の長与専斎はコレラ予防のために上水道、下水道の整備や痘瘡の予防接種の普及に努めます。衛生という言葉には明治のにおいがしますが、ワクチン・検査パッケージより衛生パスという言葉でもいいのではと思いましたが、「ワクチンパス」という言葉は既に使われているようです。
 現状のワクチンは新型コロナウイルス感染症の感染を100%防ぐ効果はなく、breakthrough 感染(免疫の殻を破る感染)が生じえますが、重症化予防効果は確実にあります。しかし、その効果を得るには2度目の接種を受ける必要があります。本学の大学拠点接種の2回目の接種日は、後期授業開始後の10月1日から5日の間ですが、接種の為や接種後の副反応のために授業を休むのは配慮するように授業担当者には既に通知しています。

 拠点接種で一度目の接種を受けた学生の皆さん、副反応を恐れず2度目の接種も受けましょうとつぶやく学長でした。






令和3年9月3日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言下、多くの映画館は座席数を半分にして営業しています。松竹映画100周年記念作品と銘打った映画「キネマの神様」(松竹、山田洋次監督)が8月6日より公開されましたので、8月23日に見に行ってきました。映画のカットとカットの間に神様が宿っているという映画を愛する映画人達の話です。
 この映画は本来、松竹映画100周年の昨年公開予定の所、主役の「志村けん」がコロナに斃れて、主役交代の撮り直しがあり、1年遅れての公開となりました。昨年国立映画アーカイブに「松竹映画の100年」の展覧会を見に行ったことは令和2年8月19日の学長ブログに記載しました。展覧会に行った日付は、奇遇にも「キネマの神様」公開日の丁度1年前の令和2年8月6日でした。
 写真は、映画公開前に監督の山田洋次が、劇場に寄せた自筆のメッセージです。「劇場スタッフの皆さんへ、 こんな時代だからこそ映画は人々の生きる喜びと楽しみになると、信じています。ともに乗りこえましょう! 山田洋次」と書かれています。私が最近よく映画を観る心に通じるメッセージです。
 代役となった沢田研二は、「志村けん」風に主役を演じていて良かったです。劇中に「東村山音頭」を歌う場面もあり、「志村けん」を偲ぶ感じが良くでています。松竹大船時代の助監督がアルコール、ギャンブル依存症となり、妻と友人に支えられながら、最後は望み通リに映画館で昔の映画を観ながら死んでいくという話です。女優の「片桐はいり」が映画館の観客としてカメオ出演しているのは楽しいです。「片桐はいり」が、映画館シネスイッチ銀座の切符もぎり嬢をしていたころの話を書いた「もぎりよ今夜も有難う」(幻冬舎文庫)を読んだ後だったので余計に楽しく思いました。
 映画俳優の千葉真一氏が、8月19日にコロナ肺炎で死亡したと報道されました(享年82歳)。予防接種は受けていなかったとされ、もし予防接種を受けていたらと思うと残念な結果でした。千葉真一は国際的なアクションスターでしたが、私は「柳生一族の陰謀」(1978年、東映)の柳生十兵衛役が好きでした。隻眼の立ち回りがいいです。
 新型コロナウイルス感染症を収束させる第一歩は、ワクチン接種があげられます。志村けんも千葉真一も予防接種を受けていませんでした。本学では国が主導する大学拠点接種を9月3日より始めることができました。ワクチンには発症と重症化予防効果が認められています。
 学生、教職員の皆さん、ワクチン接種に前向きにとつぶやく学長でした。






令和3年8月20日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症は収束の方向性を示さず、8月2日には8月22日までの予定の東京都の緊急事態宣言は8月31日まで延期とされ、更に8月17日には9月12日までの延期が決まりました。東京都の新規感染者数は毎日過去最多を更新し、5千人を越える数を記録しています。不要不急の外出を控えるために、自宅でのテレビ観賞が続きます。
 「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」という近代オリンピック創始者のクーベルタン男爵の言葉はありますが、日本人選手の金メダルの数を確認する毎日でした。最終的に金27個と1964年東京オリンピック、2004年アテネオリンピックの16個を上回り、毎日過去最多を更新しました。試合が終わった後の選手の表情も見逃せませんでした。勝って金、勝って銅の嬉しさ、負けて銀の悔しさが感動を呼びます。個人的には応援していたバドミントンの桃田賢斗選手が1次リーグで敗退したのと男子400メートルリレーの失格が残念に思いました。
 「スポーツは筋書きのないドラマ」などと言われるように、スポーツ観賞は私達に感動を呼びます。映画のジャンルには「スポーツ」があり、オリンピックも題材になりますが、試合そのものの感動は映画では再現できません。試合はリアルタイムに「ドキドキハラハラ」して見るから感動があるものと思います。
 オリンピックの映画には、記録映画(東京オリンピック(1965年、市川崑監督)、札幌オリンピック(1972年、篠田正浩監督))や、オリンピックに出場した選手やチームを題材にしたものがあります。1964年東京オリンピックで始めて採用された女子バレーボールで優勝した大松監督のチームを映画化した「おれについてこい」(1965年、堀川弘通監督)があります。伝記ものでは、1936年のベルリンオリンピックで陸上短距離4冠のジェシー・オーエンスの伝記映画(栄光のランナー/1936ベルリン)(2016年)は、オリンピックヒーローを黒人問題としてとりあげた映画です。
 オリンピック映画など事実に基づくものと対極にあるのがSF(サイエンティフィックフィクション)のジャンルの映画になります。SFでは、架空の状況で筋書きの予想できないドラマを楽しみます。SF映画のジャンルに怪獣映画があります。
 日本を代表する怪獣映画は「ゴジラ」(東宝)になります。最初に公開されたのは1954年になります。ゴジラは自衛隊などと闘いますが、怪獣同士の戦いを、テーマにしたものが多いのはスポーツの要素を取り入れたものと思います。米国の怪獣は「キングコング」ですので、日米対決では「ゴジラvsコング」(2021年、米国)となります。この映画は、昨年11月に公開予定がコロナの影響で今年の7月公開に延期されていたものです。私は、公開されてすぐ7月15日に観賞しましたが、残念な感想です(写真左)。日本人の俳優、小栗旬が出演していましたが、いい使われ方ではありませんでした。
 私は未見ですが、「キングコング対ゴジラ」は東宝映画として1962年に公開され、大ヒットしたようです。ゴジラ映画は日米合わせて53作品あるそうです。
 怪獣は架空ですが、それ以外の部分にリアリティがあると映画は面白くなります。2016年の「シン・ゴジラ」(東宝)は、キャッチコピーが「現実対虚構」であり、ゴジラに対峙する日本政府の描き方に現実味があり、大変面白かった。娯楽映画をあまり評価しないキネマ旬報が選ぶ2016年日本映画ベストテンの第二位となったのも驚きでした(因みに第一位は「この世界の片隅に」でした)。
 私は「シン・ゴジラ」を東宝シネマズ新宿にて、IMAX4D映画として鑑賞しました。4Dは、眼鏡をかけて立体映像をみる他に、アクションシーンにあわせて座席が揺れたり、水が出たりする効果を出すものです。私は初めての経験でしたが、映画そのものも面白かったです。そういえば東宝シネマズ新宿のビル上に顔を出しているのはゴジラです(写真右)。
 怪獣映画は、現実味があると子供には怖い映画になります。私は、「空の大怪獣 ラドン」(本多猪四郎監督)(東宝、1956年)を見たのは小学生2年生ころになりますが、炭鉱の坑道に出現した巨大幼虫が怖くて、夜も不安だったのを思い出します。「モスラ」(東宝、1961年)(本多猪四郎監督)を見たのは小学校6年の頃なので、もう怖さはなく、ザ・ピーナッツが歌う歌が忘れられません。モスラの歌と1964年の東京オリンピックの「オリンピックマーチ」を作曲したのは同じ古関裕而です。今回の東京オリンピックの閉会式でもこのオリンピックマーチが演奏されていました。ゴジラはシリーズの途中から善玉になり、ゴジラ、ラドン、モスラは、団結して宇宙怪獣キングキドラと戦います(「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964年東宝))。

 ゴジラは人類の敵と戦う役割を持っています。新型コロナウイルス感染症と闘ってほしいとつぶやく学長でした(ゴジラに関する内容は、朝日新聞、be on Saturday 2021年7月17日、第2面「今こそ!見たいゴジラ映画、斉藤勝寿」を参考にしました。)






令和3年7月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 「三度目の正直」と3回目の緊急事態宣言発出時には、4度目は無いだろうと希望を持っていましたが、仏の顔も三度までと、7月12日の4度目の緊急事態宣言が東京に発出されました(5月20日ブログ参照)。これを最後の発出としたいと希望的な感想が述べられていましたが、東京都での新規罹患者数の増加の勢いは止まりません。そのような中で、何とか前期が終われそうです。
 オリンピックの開会式は23日、無観客で始まりました。ブルーインパルスの5輪マークを描く飛行も行われ、自宅マンションから少し見えました。
 オリンピック関連のイベントはほとんどが中止となるなか、神保町シアターでは7月17日土曜日から「あっぱれニッポン! 祝祭の映画」の特集上映が始まり、初日は「東京五輪音頭(1964年、日活、小杉勇監督)」が上映されるので、見に行ってきました(写真左)。東京五輪音頭を三波春夫が劇中歌として歌い1964年のオリンピック当時の雰囲気の味わえる映画でした。東京の築地が舞台になっていますが、オリンピックに向けて東京に首都高速ができ、新幹線が開通し、国中が湧きたつ雰囲気が表現されています。
 令和2年5月1日付けのブログでは「オリンピックのレガシー」のことを書きました。当時日本では、埃っぽい道路が舗装され、ごみが整理され、街が清潔になった気がしました。東京五輪音頭の映画の中で「東京で2度目のオリンッピクが見られるかね?」というつぶやきがありますが、当時中学3年生であった私もそう思いましたが、今2度目のオリンピックを目の当たりにしています。1964年のオリンピックの開会式は天候晴れで、学校が休みとなったので自宅で、テレビ観賞したのを思い出します。
 TOKYO2020オリンピックは、1年延期、新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言下の無観客と異例づくしのオリンピックとなりました。私はただ選手を応援したいと思います。
 7月23日の開会式はテレビで観賞できました。テーマは「多様性と調和」とし、抑制した演出だと思いました。選手行進では選手のほとんどがスマホのカメラを手に持っているのが、印象的でした。新しくできた国立競技場は1週間前に見学に行ってきました(写真右)。周囲は塀で覆われていましたが、競技場の雰囲気を味わえました。新国立競技場は2020のオリンピックのレガシーの一つとして記憶されるでしょう。
 河瀬直美監督は東京2020の記録映画を作ることになっています(令和元年11月28日ブログ参照)。彼女がコロナ禍のオリンピックをどのように記録するか今から楽しみとつぶやく学長でした。






令和3年7月9日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前期の授業も残り2回、オリンピック開会式まで2週間となりましたが、新型コロナウイルス感染症の状況は改善の兆しがなく、都内公道での聖火リレーは中止となり、オリンピックに向けて盛り上がりません。1964年(昭和39年)の時は、私は中学3年生でしたが、何となく気持ちが高揚したのを思い出します。そのような高揚感を今回は感じられませんが、日本で2回目のオリンピックを見ることができるとは思ってはいなかったので、私自身は密かに楽しみにしています。
 1年前のブログ(令和2年7月30日)には、健康診断が不要ではないが不急と判断され、9月に延期になったことが書かれています。健康診断は私達労働者に年1回受診が義務化されているものです。今年は緊急事態宣言中でしたが、学内にて6月9日、10日に行われ、その結果が6月30日に送付されてきました(写真)。健康診断は疾病を早期発見し、早期治療に結び付ける二次予防が目的ですが、日ごろの生活習慣の状況を把握して、健康増進に結び付ける一次予防的な役割もあります。今回の健診では、コロナ前と比較して体重が4㎏、腹囲が5㎝増加していました。日ごろの身体活動量の低下の影響と考えます。体重1㎏、腹囲1㎝の原則が成り立ち、増えた体重は内臓脂肪によるものでしょう。
 職域の健康診断では業務上疾病の早期発見を目的とした項目があります。聴力検査もその一つです。今回初めて聴力検査の左耳高音域での低下を指摘されました。聴力検査は低音域(1000ヘルツ)と高音域(4000ヘルツ)で検査します。騒音に長時間暴露されての難聴は高音域に生じるとされていますが、加齢による難聴も高音域に生じます。私は学生達の騒ぎ声を騒音と思う時もありましたが、難聴の原因は加齢だと思います。学生のころ、心臓の音を聴診器で聞く場合、高齢になって難聴になっても、心臓の音は低音なので聞こえるはずであると学びました。
 このごろ、他人の声が聞こえにくいと思うことがあります。そういえば、体温計のピピという音がよく聞こえないと思っていました。
 朝日新聞誌上で朝日川柳(2021年6月26日 「聴力も測ってくれる体温計」(群馬県樺澤信雄))を見つけ、上手いとつぶやく学長でした。






令和3年6月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月25日から始まった3度目の緊急事態宣言は、延長を繰り返した後、6月20日に解除され、まん延防止等重点措置に移行しました。本学では、6月30日までの準備期間を経て7月1日より対面を中心とした授業に移行する予定です。学生は夏休み前に大学に来る習慣を取りもどしてほしい。
 6月14日から前期の授業見学会が始まりました。緊急事態宣言中に関わらず保護者や外部の方に授業見学に来ていただけました。授業見学ではハイフレックス型の講義を見学して頂くのが今回の主な目的となりました。ハイフレックス型授業(HyFlex:Hybrid-Flexible)は、同じ授業を教室での対面と、オンライン双方で受講できる方法です。本学では、教室内のカメラで撮影してLIVE配信する方法を取っています。今年の4月の新学期に合わせてほとんどの教室にwebカメラを設置し、同期して配信できるシステムを備えました。Kyoritsu DX 推進プランと呼んでいます。ハイフレックス型授業では教室内で少数の学生が受講している様子が見学できました。この授業では自宅でも対面と同じように学べるので大学に通学するのに不安を持つ学生は自宅で受講することが出来るので、教室内で受講する学生は少数になりました。
 医学系の学術集会は、昨年来のコロナ禍で、中止、延期となり、またフルオンライン等で行われてきました。今回、日本心臓リハビリテーション学会はハイフレックス型で学術集会をおこなうと連絡があり、教育講演の座長を依頼されましたので、6月19日会場の幕張メッセに行きました(写真左)。学会場に出かけるのは令和元年以来久しぶりです。
 学術集会は、ハイフレックス型の発表と、オンデマンド配信の両方からなります。ハイフレックス型の発表では、写真右のように会場に椅子をまばらに配置し、実際に会場で聞いている人は少ない状況でした(写真右)。丁度、本学のハイフレックス型授業の状況と同じです。大学での授業では教員は教室での講義が求められますが、学会では発表者は、会場で発表する場合とオンラインで発表する場合があります。この学会は、医師、看護師、理学療法士が集う学会で、いつもは多数の学会員が集う集会ですが、今回は会場内にいる会員が少なく、寂しい限りでした。
 オンラインの学術集会のメリットは、遠方からの参加が容易となる点があげられます。しかし、私のように学術集会参加を地方の観光や友人との情報交換のための会食を主な目的としているものには、オンライン学術集会は魅力がありません。
 今回参加した学会の心臓リハビリテーション学会のリハビリテーションの意味は、「再び社会に適合させる」です。フランスのジャンヌダルクが、異端として破門され火刑になりますが、その後復権したことをリハビリテートと言ったことに始まります。私が関係していた心臓リハビリテーションは、心疾患で低下した機能を訓練して、社会復帰させることを目的とします。本学の教育学術推進課長はハイフレックス型授業で在宅でのオンライン授業に慣れた学生を対面授業に変更させるにはリハビリが必要と言われました。

 学生の皆さん、大学に来て対面授業へのリハビリをしてくださいとつぶやく学長でした。






令和3年6月15日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 緊急事態宣言再延長下、新型コロナウイルスワクチン接種は企業や学校を対象に始めると報道され、本学でも学内でのワクチン接種の体制を考える時期が来たようです。前向きに検討していきたいです。本学の学生のうち、臨地実習や教職実習を予定している学生には早くワクチン接種ができたらいいと思います。
 6月1日以降の緊急事態宣言延長では、美術館や映画館の休業要請は緩和され、多くの映画館が人数制限して再開しました。映画館好きな私には、大変喜ばしいことです。6月5日土曜日には、神保町シアターが再開し、4月24日土曜日公開を予定していた「没後40年横溝正史 銀幕の金田一耕助」が上映されることになりました。私は早速6月5日に出かけました。多くのファンがかけつけ、半分にした定員がほぼ満席となる盛況を嬉しく思いました。上映作品は「三つ首塔(1956年、東映)」で、「金田一耕助を最初に銀幕で演じたのは時代劇スター片岡千恵蔵」がうたい文句です。探偵の謎解きの面白さはありませんでしたが、昔なつかしい昭和の映画という感想でした。
 5月25日の朝刊には2020年10月16日から公開されていた「鬼滅の刃」が興行収入過去最高400億円、入場者数2896万人と報道されていました。この映画は外国では「Demon Slayer」として公開され、外国でもヒットしました。しかし、コロナ禍で昨年の春から公開が延期されている「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」や「ゴジラvs コング」のようないわゆる大作が公開されなければ、アフターコロナの映画界と言えません。
 緊急事態宣言下でも営業を続けている映画館、岩波ホールには「ブータン 山の教室」に次いで「ペトル―ニアに祝福を」を見に行きました(写真左)。この映画は、2019年の北マケドニア映画(女性監督テオナ・ストウルガル・ミテフスカによる)です。北マケドニア共和国のことは知りませんでした。旧ユーゴスラビアから独立した国で、元々はマケドニア共和国であったのが、ギリシャの圧力で北マケドニアとなりました。マケドニアはアレクサンダー大王の生誕の場所でもあり、ギリシャにとっても大事な地域なので国の名前にこだわったと思われます。
 映画は、大学で歴史を学んだ32歳の無職の女性が男女差別のなか、就職活動をおこなうところから始まります。就職の担当者が、大学でアレクサンダー大王のことを学んだのかと聞くと、彼女は共産主義と民主主義の兼ね合いを学んだと答えます。マケドニア正教にも男女差別があり、女性に禁じられた幸せの十字架を偶然手に入れたところから、彼女の戦いが始まります。この映画は女性の「自立と自活」をテーマにした映画だと思いました。英語の原題「God Exists, Her Name is Petrunya.」の方が映画の主題をよくあらわした題名だと思いました。
 5月28日金曜日から再開したヒューマトラストシネマ有楽町へは5月30日に「5月の花嫁学校」(2020年、フランス、マルタン・プロヴォ監督)を見に行きました(写真右)。私の妻が珍しく見て見たいとつぶやいたのでいきました。1967年、フランスのアルザス地方(ドイツとの国境地方)の1年制の花嫁学校での話。この花嫁学校(字幕では家政学校と訳されていた)は、良妻賢母、夫唱婦随を養成するために調理、裁縫を教える学校ですが、丁度5月にパリで革命がおこり、その影響で女性の自立と自活の意識が高まる喜劇映画です。英語の題名は「How to be a good wife」ですが、日本語の題名「5月の花嫁学校」は、5月革命の5月が入っていてうまく作ったと思いました。
 1967年パリの「5月革命の自由の風」は、1968年大学1年生の私にも影響し、前代未聞の授業ボイコット、学内ストライキにつながりました。この映画をみて、昔の学生時代を思い出しました。パリの学生運動の中心地のカルチェラタンから駿河台や神保町付近は神田のカルチェラタンと呼ばれました。

 女性の自立と自活をテーマにした映画はそれほど多くありませんので、今回ブログでとりあげました。

 自立と自活、学生の皆さん就活頑張ってとつぶやく学長でした。






令和3年6月2日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 緊急事態宣言延長下、感染者数の顕著な減少が無く、6月20日まで宣言の再延長が5月28日に発令されました。学内に登校する学生は少ないのですが、対面授業も堅実に行われています。今は新型コロナウイルスの予防接種の拡大に頼るしかない状況で、地方自治体だけでなく国の予防接種センターの運用も開始され、少しずつ進み始めました。そのせいか少し前向きな雰囲気が見られるのはいい傾向です。
 私は65歳以上なので住居地の文京区から高齢者への新型コロナウイルスワクチン接種の案内がきて、4月30日(金)からの予約受付でした。ICT音痴の私は、ネットによる予約に四苦八苦していると、大学事務部長が来てさっと予約して頂きました。私の妻を含め、高齢者の方が予約に苦労しているのが分かりました。
 予約した時間と接種場所は、5月19日午後2時半、順天堂大学7号館でしたので、大学を早退し出かけました。神保町から水道橋まで都営三田線に乗り、水道橋からお茶の水坂をお茶の水方面に上っていくと、左手に順天堂大学があります。
 順天堂大学7号館は2020年にA棟(新研究棟)に生まれかわり、写真の地下1階が接種会場になっていました(写真)。受付、問診、接種、経過観察と順調にすすみ、30分以内に終わりました。副反応としては次の日の接種部位の軽い痛みだけでした。3週間後に同じ場所で2回目の接種です。
 待合室としていた部屋に順天堂の歴史資料が展示されていました。順天堂の初代堂主和田泰然(後の佐藤泰然)は、1838年(天保9年)に江戸日本橋に日本最古の蘭医学塾(和田塾)を開始しました。神田お玉が池の種痘所は東京大学医学部の発祥の地とされますが(2018年6月12日のブログ参照)、それは1858年とされるので、それより早い開始です。佐藤泰然は、その後1843年(天保14年)下総佐倉に移り、「天道に順う」の言葉から順天堂と称します。2代目の佐藤尚中は、大学東校(東大医学部の前身)の初代校長ののち、1873年(明治6年)下谷練塀町(現在の秋葉原駅構内)に東京の順天堂を開院し、1875年(明治8年)に現在地の本郷湯島の高台に順天堂医院を開設し、初代院長になります。
 本郷湯島の高台は本学ともゆかりがあります。写真の建物から油坂を経た隣の順天堂病院B棟の地は、本学の前身である共立女子職業学校が、誕生した地です。明治19年3月に渡辺辰五郎の裁縫私塾(和洋裁縫伝習所)に間借りした形で誕生しました。その後、本郷弓町、神田錦町(設立地)を経て、明治20年に現在地(神田校舎2号館のところ)に落ち着きます(共立女子学園の110年、1996年、による)。
 今回初めて、順天堂と本学とゆかりがあることを知りました。順天堂センチュリタワーのある所には、最初の私立医学校である済世学舎(明治9年)の発祥の地もあります。
 江戸末期から明治初期の蘭医たちは、天然痘(疱瘡)の予防接種である種痘の普及に努めました。ワクチンはドイツ語のVakzin(英語ではvaccine)によりますが、昔は痘苗(弱毒化した牛痘ウイルス液)とも言われ、ラテン語のVacca(雌牛)に由来し、種痘が牛痘で天然痘予防することに始まったことによります。牛痘の痘苗を接種すると牛になるという風評にもめげず先人達は種痘を広めました。それぐらい、天然痘の被害が大きかったと言えます。
 今は、ワクチンと言えば新型コロナウイルスのワクチンをさしますが、コロナのワクチンは遺伝子ワクチンと言われるもので、病原体から精製したものとは異なります。

 早く2回目の接種が終わって気持ちが楽になりたいとつぶやく学長でした。






令和3年5月20日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 5月11日までの緊急事態宣言は5月31日まで延期となりました。学内ではハイフレックス型授業も順調に進み、学生の入構者数は制限できています。
 3回目となる緊急事態宣言でも新型コロナウイルス感染症の収束は見られず、「二度あることは三度ある」となりました。「三度目の正直」と収束すればいいのですが、「仏の顔も三度まで」と感染爆発が生じたら困ります。
 このような時には神様仏様と疫病退散のお祈りをしたくなります。日本においてパンデミックが続いた過去の疫病に天然痘(疱瘡)があります。天然痘は新型コロナウイルス感染症に比較すれば、感染力、致死率、後遺症などの点で比較にならないくらい恐るべきウイルス感染症です。しかし、予防接種である種痘が全世界に広まり、1980年にWHOが根絶宣言しました。そのことは、2018年6月12日のブログに書きました。5月14日は「種痘記念日」とされ、1796年にイギリスのジェンナーが少年に牛痘のうみを接種した日とされます。日本ではその50年後ぐらいに種痘が広まることになります。
 天然痘、疱瘡のことは「いも」ともいい、「いもあらい(一口)」は、疱瘡の治療のことをさすようです。千代田区神田駿河台1丁目の太田姫(一口)稲荷神社(写真左)は、もともとは疫病(天然痘)退散祈願の社のようです。私は、2回目の緊急事態宣言の後3月31日にお参りに行き、お祈りしましたが、残念ながら3回目の緊急事態宣言が発令されました。
 この社のいわれは、「江戸城にいた太田道灌の姫君が疱瘡にかかり命があやういとき、山城の国の一口の里の一口神に祈祷したところ、姫君は平癒したことにより江戸の市民の悪病除災の信仰を集めた」とあります。最初、江戸城内にあったのを家康が駿河台土堤上に移したのが始まりです。JRお茶の水駅の秋葉原よりにあったのが、総武線の線路敷設用地と重なり、1931年に現在地に移設しました。JRのお茶の水駅のところには「元宮」と書かれた板が木についています。
 元宮の目の前の坂である淡路坂(江戸時代に鈴木淡路というひとの屋敷があったので)と下方の神田川にかかる昌平橋は、それぞれ一口坂、一口橋とも呼ばれます(以上、「長沢利明、江戸東京の庶民信仰、講談社学術文庫、2019年」によります)。また、「横関英一、江戸の坂 東京の坂(全)、ちくま学芸文庫、2010年」によると、「いもあらい坂」は今、東京に3つしか残ってなく、千代田区九段北3丁目と4丁目の境の一口坂(ひとくちざか)は、もとは「いもあらい坂」と言ったのを明治以降に「ひとくちざか」と呼ぶようになってしまったとあります。「いもあらい(一口)」は芋洗とも書き、疱瘡神が芋を好むことに由来するようです。
 3回目の緊急事態宣言を受けて、多くの美術館や映画館は休業を余儀なくされましたが、本学の博物館では、「和と洋が出会う博物館 共立女子大学コレクション・7」が開催されています(4月5日~5月22日)。5月1日に見学させて頂きました。春と初夏をテーマにした展示でしたので、コロナが明けた来春に思いをはせました。
 博物館の入り口にて「アーツ千代田3331」(外神田6丁目)の特別企画展「疫病・たいさーん! 江戸の人々は病いとどう向き合ったか」(4月17日~5月16日)の紹介がされていたので、ついでに見に行きました(写真右)。
 江戸時代に疫病である疱瘡や麻疹(はしか)退散を祈願するために神仏にお祈りをした様子の絵のコピーが展示されていました。疫病退散には源為朝や鍾馗さんが神田祭りの山車人形として飾られていたようです。令和2年12月17日のブログで紹介した酒呑童子は禍の象徴であり、その首を引き回した須田町の例祭のこと、疫病退散の力を持つと信仰された牛頭天王(令和3年1月8日ブログ参照)は素戔嗚尊(スサノオノミコト)に通じることなど知りました。
 本来疫病退散の祭りである神田祭などの例祭は今年も中止になりそうですが、コロナ禍が明けた後の例祭が楽しみとつぶやく学長でした。

 岩波ホールは上映を続けているので、5月8日に「ブータン 山の教室」を見ました。ブータンの秘境の教室に赴任した先生の話。そこには電気もトイレットペーパーもなく、携帯もつながらないけれど、勉強したいと思う子供たちがいましたというストーリーで、教職を目指す学生は見た方がいいと思いました。






令和3年5月7日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月25日から5月11日まで、3回目となる緊急事態宣言が発令されました。変異株の影響もあり、新型コロナウイルス感染症の勢いは止まりません。本学では対面を中心とした授業展開を進めていましたが、緊急事態宣言を受けてハイフレックス型授業を先生方にお願いして、対面でおこなう授業を同時双方向で配信し、学外で受講することを勧めました。その結果、学生の来校者数は半分以上減りました。
 ハイフレックス型授業が可能になったのは、新学期から全教室にカメラを設置して対面授業の配信ができる環境を整備したからです。これを本学では、kyoritsu 教学DX推進プランと呼んでいます。
 4月26日には新型コロナウイルス感染症の死亡者数が累積総数1万人を超えたと報道されました。1月の緊急事態宣言時と異なり、今回の宣言下では昨年の第1回に近い制限が要請されましたが対応はやや不統一です。神保町の本屋街では、古本屋の休業が目立ちます。映画館では神保町シアターは休業し、岩波ホールは営業しています。
 神保町シアターでは、「没後40年横溝正史 銀幕の金田一耕助」が4月24日(土曜日)から始まる予定でしたのが、上映中止となりました。横溝正史の金田一耕助は、昭和51年(1976年)に角川映画第一作として公開された「犬神家の一族(市川崑監督、石坂浩二主演)」の大ヒットで有名となりました。角川春樹はメディアミックスの手法を用い、原作本の売り出し、テレビコマーシャルの併用などで映画をヒットさせました。横溝正史の本も角川文庫として出版し、よく売れたようです。角川春樹のメディアミックスについては令和2年12月17日のブログに書きました。
 今回の特集では、金田一耕助を演じた俳優として6人が紹介されています。私としては、子供時代の「三つ首塔(昭和31年公開東映映画)」の片岡千恵蔵の金田一を見るのを楽しみにしていましたが、中止になり残念に思いました。この6人の俳優の名前をすべて言える人がいたら、相当な日本映画のマニアだと思います。
 新型コロナウイルス感染症の影響で大型映画の公開が延期され、かわりに普段なら日本で公開されにくい小型の映画が公開されるのは「転禍為福」と喜びたいです。有楽町イトシアにあるヒューマントラストシネマ有楽町では、ちょっと風変わりで楽しい小型の映画が公開されるので、時々見に行きます。都営三田線の日比谷で降りてすぐなので大学からのアクセスもいいです。
 今回は、「ブックセラーズ」というアメリカ映画を4月24日(土曜日)にみにいきました(写真左)。世界最大規模のニューヨークブックフェアで米国の希少本、古本などを売る人たちが出演するドキュメンタリー映画です。ネット社会になり本の役割が問われる中、本を愛するひとたちの熱意が伝わる映画でした。
 映画のエンドロールの最後に出演者の一人が再度でてきて「本はひとに貸してはいけません。ひとに貸した本は絶対戻ってきません」と訴えるシーンには笑ってしまいましたが、同感です。世界共通の悩み事だと思いました。
 4月23日が「世界本の日」であり、スペインのカタルーニアのサン・ジョルデイ伝説から、赤いバラを添えて本を贈る日であることを初めて知りました。神保町は本の街ですが、世界本の日のことは聞いたことがありませんでした。赤いバラを添えて本を贈る習慣を素敵だと思います。
 この映画は本の日4月23日(金曜日)に合わせて公開されたのに、今回の緊急事態宣言を受けて4月27日(火曜日)には休館になってしまったようです。休館になる前に見られてよかったです。
 1616年4月23日はスペインのセルバンテスとイギリスのシェイクスピアの命日だそうで、これも本の日の由来になります。
 シェイクスピアが16世紀末から17世紀初頭にイギリスロンドンで活動した時、何回かのペストの流行により劇場(グローブ座)の閉鎖を余儀なくされ、隔離されていた時に「リア王」を書いたというエピソードを「シェイクスピアの窓、村井華代、文芸学部報135号」から知りました。学長室には、前学長の入江先生か残して下さったロンドン、テムズ川の俯瞰図があり、1647年当時のグローブ座を見ることができます(写真右)。

 米国の第93回アカデミー賞が4月26日に発表になりました。例年より1か月遅い発表でした。「配信大手のネットフリックスが7部門、アマゾンプライムビデオが2部門を獲得した。コロナ禍で映画館が休業する中、今年は映画館での上映という要件が緩和された。その影響もあるだろう。ただし、配信映画の隆盛の流れはもはや止まらない。」そんな中で、作品賞の「ノマドランド」で主演女優賞を得たフランシス・マクドーマンドが、受賞スピーチで「今夜紹介されたすべての作品を、大きなスクリーンで見て下さい。知り合いを連れて映画館に行き、暗闇の中で隣の人と肩と肩を触れあわせながら見てください」と話したそうです(以上 朝日新聞4月27日朝刊 文化欄、編集委員 石飛徳樹による)。同感です。

 本の街、映画の街、神保町 頑張ってとつぶやく学長でした。






令和3年4月26日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月12日月曜日は前期授業の開始日でした。本学は対面での授業を中心とする方針でしたので、多くの学生が校内に集まりました。久しぶりに学生が集うキャンパスとなりました。大学での学びは、多種多様な考えを持つ友人や教員・職員と場所と時間を共有することで生まれるものではないかと実感しました。もちろん、感染症対策を万全におこなっている上でのことです。
 4月14日水曜日は、東京2020開会式の100日前と報道され、この日聖火は大阪から四国に渡りました。しかし、コロナ感染症罹患者増加の著しい大阪市の聖火リレーは無観客にて万博記念公園にて行われました。オリンピックを迎える雰囲気にはなりません。1964年の東京オリンピック前の高揚した気分を覚えている私としては残念です。
 4月16日金曜日には、小池東京都知事から大学に対してオンライン授業を増やす要望文書が届きました。不要不急の外出を控え、県を超えての移動は控えるように要請されます。4月20日火曜日には、大阪の方から国に対して緊急事態宣言発出の要請がなされました。その中には映画館の休業要請が含まれます。東京にも緊急事態宣言が発出され、また、映画館が休業するのかと思うと悲しくなります。昨年の緊急事態宣言下の状況は、令和2年5月22日のブログに書きました。
 映画好きの私は、映画館にいくかわりに時々テレビで映画をみます。最近は、NHKBSプレミアムのお昼のプレミアムシネマを録画して見るのが楽しみです。プレミアムシネマの放送作品を選んでいる人は映画好きらしく、古い外国映画としてチャップリンやヒッチコック、西部劇、日本映画の名作から最近のヒット作まであり、新聞のテレビ欄で映画の名前を見るだけでワクワクするようなラインアップに感心します。
 3月30日火曜日には「笑の大学」(2004年)が放送され、私は後日、録画ビデオを見ました。この映画は、三谷幸喜原作・脚本の舞台劇を映画化したもので、2004年製作(星護監督)です。戦時下の劇団の台本を検閲する警察官と劇作家の話です。
 映画が終わった後のエンドロールには、映画製作の協力者などが示されるので、私はそれを見ながら、映画の撮影状況を想像するのが好きです。「笑の大学」のエンドロールの最後に「共立女子大学 劇芸術研究室」と書かれていました。ビデオに録画していたので停止してその場面を写真にとりました(写真)。
 この映画の製作に本学の劇芸術研究室の先生が協力されたのだろうと想像して、深津文芸学部長にお聞きしたところ、すぐに以下の返事がきました。この文章は劇芸術研究室の阿部由香子先生のメイル文章です。
 「映画『笑の大学』(2004年公開)は製作段階で共立女子大学文芸学部劇芸術研究室に取材にいらっしゃって阿部が対応いたしました。なぜうちに来たかというと、戦前の築地小劇場検閲台本のコレクションの原本を所蔵していたからです。本学でこの貴重な検閲台本を所蔵していることはよく知られており、『笑の大学』製作スタッフは、とりわけ検閲印を小道具として作るために原本を見たいというリクエストでした。当日、実際にお見せして写真も撮影を許可したかと思います。映画の中でも、冒頭で向坂(役所広司)が台本に「不許可」の印を押す場面で、印をアップにして下からのアングルで撮られています。舞台版ではこのようなシーンはありませんので、映画版を撮るにあたって検閲の印や台本(ガリ版刷り)の厚みなど、より感触が伝わる作品になっている傑作であると思っております。ちなみに「劇芸術概論A」(演劇の入門的な内容)の社会と演劇の回ではこの10年近く必ず映画『笑の大学』を見せながら観客論や検閲制度について話してきました。検閲台本も現在は図書館の貴重書扱いで保管してもらっています。本学所有の貴重な文化資源の一つとしてアピールできるタイミングがありましたらいつでもお手伝いいたします。」
 築地小劇場は、日本初の新劇の劇場で、1924年から1944年まで活動したようです。このような貴重な資料が本学にあるのは知りませんでした。本学には実は少し貴重な資料をたくさん保有しているようです。

 本学の貴重な資料がもっと世間に公開されるといいのにとつぶやく学長でした。






令和3年4月12日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言を安倍前首相が2020年4月7日に発令して1年になりますが、収束の兆しはなく、4月8日に東京都が「まん延防止等重点措置」の適用を政府に対して要請しました。そのような状況の中で、4月8日、9日に入学式を共立講堂にてとりおこなうことができました(写真左)。
 前回の共立講堂での入学式は、2年前平成31年4月1日でした(平成31年4月5日の学長ブログ参照)。昨年度は入学式を中止とし、かわりに入学お祝い学長メッセ―ジを発信しました。また、10月1日からKyoritsu Welcome Weeksとして3回にわたり共立講堂で新入生歓迎の式をおこないました(令和2年10月28日ブログ参照)が、やはり4月のこの時期に共立講堂での入学式典は、学生にとっても、私達教職員にとっても特別の感慨があります。
 今年度は、感染症対策として4回に分け、ご家族の方の列席はお一人に限り、式の様子はビデオ撮影して同時配信しました。式の内容は、国歌や学園歌、学生歌は黙唱としました。1昨年までは4月1日でしたが、今回は4月8、9日とし、また例年より暖かい日が多かったせいで、白山通リ沿いの桜の木は葉桜となり、つつじが咲き始めていました。
 学園の共立講堂を入学式典に使えることはありがたく思います。
 共立講堂は昭和13年に落成し、2500人(今の定員は1769席)を収容できる大講堂として多くの人に使われてきました、本学のシンボル的な建物です。
 戦前は三国同盟の決起集会、戦後は1948年(昭和23年)第1回のど自慢全国大会、1950年(昭和25年)湯川秀樹博士ノーベル賞受賞式から帰国後講演会などに使われました。残念ながら昭和31年に焼失しましたが、昭和32年に再建され、その当時このようなホールは数少なく、フォークの殿堂として、吉田拓郎など多くのコンサートが開催されました。そのため、共立講堂は今でも有名であり、一般の人には共立女子大学より有名かも知れません。最近私が知ったことですが、白山通リと内堀通リが交わる平川門交差点にある標識には、共立女子大学ではなく共立講堂(Kyoritsu Auditorium)と示されています(写真右)。
 協同で設立したことを意味する「共立」は一般名詞なので、共立をなのる企業は多いので、「共立」だけで本学をイメージするのは難しいです。しかし、共立女子大学のブランディングに、「共立講堂のある共立女子大学」とする訳にはいかないので、やはり「共立」(Kyoritsu)そのものを大学のブランドにすることを目指したいとつぶやく学長でした。