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学長ブログ

学長ブログ ~学長のつぶやき~

令和5年3月17日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 3月14日に靖国神社の標本木の桜が開花し、東京に桜開花宣言が発出されました。平年より10日早い開花宣言でした。本館前のしだれ桜も満開近く、学位記授与式を迎えることができました(写真)。令和3年度の学位記授与式(令和4年3月24日ブログ参照)では、まだ咲いていませんでした。新型コロナウイルス感染症は、やっと収束の傾向を見せていますが、今年度の卒業式は14日、15日、4回に分けて、保護者・ご家族を会場にお迎えして行うこととしました。晴れ着姿で、本館前で記念写真を撮影しているのをみると、やっとコロナ前に戻りつつあると実感します。
 本館のロビーや食堂に設置していたアクリル板は撤去したので、制限がないと実感できます。3月13日からのマスク着用は個人の判断にまかせるという国の指針に従い、会場内の学生のマスク着用は個人の判断にまかし、壇上の教職員はマスクなしとしましたが、共立講堂内の学生はマスク着用しているものが多い印象でした。3年も継続したマスク生活だから、マスクのない日常にすぐには戻れません。
 令和4年度の卒業生数は、大学4学部1036名、短大2科172名、大学院では4研究科14名、計1222名であり、昨年度の計1280名よりやや少ない人数であったのは残念です。
 壇上での君が代は黙唱としましたが、合唱団の学園歌斉唱は3年振りに復活し、マスク無しでお願いすることができました。君が代黙唱はありがたく、合唱があるのは卒業式らしくていいです。
 3月12日には2022年度の映画の卒業式のような第95回アカデミー賞が報告されました。「エブ・エブ」と言われる「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が、作品賞、監督賞、主演女優賞を含む7冠をとり注目されました。映画はマルティバースの世界を描いたSFコメディーですが、主演女優賞が初めてアジア系女優に授与されたことが注目されました。アカデミー賞は近年多様性を重視するようになりました。私は未見ですので、見に行かなければと思っています。
 スティーブン・スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」は受賞を逃しました。この映画はスピルバーグ監督の自伝的映画で、彼が若い時にどのようにインスパイアされてあのような映画を作れるようになったかを示す映画かと思ってそれを楽しみに観に行きましたが、主題が異なり残念に思いました。アカデミー賞授賞式では、スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(1984年)の子役として活躍した後、不遇であったキー・ホイ・クアンが「エブ・エブ」にて助演男優賞を受賞してインディ・ジョーンズ役のハリソン・フォードと壇上で抱き合って喜びあったというエピソードは感動的です。今年、ハリソン・フォードがインディ・ジョーンズとなる映画が公開されるのも楽しみです。

 式辞を4回述べるのは大変、早くコロナ前に戻りたいとつぶやく学長でした。







令和5年3月3日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 3月1日入試が無事に済み、本学の2023年度入試は終わり、新入生を迎える準備に入ります。新型コロナウイルス感染症は収束傾向をみせ、政府は3月13日よりマスク着用を個人の判断に委ねるとしています。本学の学位記授与式は3月14日、15日に予定していますが、学生、教職員のマスク着用は本人の判断に委ねる予定です。3年ぶりに本学合唱団の学園歌合唱も復活します。
 4月には建築・デザイン学部が本学の6番目の学部として開設されます。『美術の視点から「空間」や「モノ」をとらえ、創造的に形にしていく力を身につける』ことを目指します。建築コースでは「まちづくり」も主要なテーマになります。写真は、千代田区道である「神田警察通り」から共立講堂、1号館を臨んだもので、この並びは本学自慢の景観です(写真)。今検討中の「神田一ツ橋キャンパスグランドデザイン」でも大事にしているテーマになります。
 神田警察通りは、千代田区もまちづくりの一環として景観を推奨する区道です。2月8日の朝日新聞朝刊東京版では、この写真と同様の写真が「伐採されたイチョウの切り株」として掲載され、区側の整備計画とそれに反対する住民とのことが記事になっていました。まちづくりの難しい側面です。

 春一番が昨年より4日早く吹きました。このまま春の陽気が続きますようにとつぶやく学長でした。







令和5年2月6日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の第8波が収束傾向をみせ、政府は5月8日より感染症法の2類から5類に変更する方針を示しています。行動制限がほとんどない現状では、感染症法の分類が変わっても、実態はそんなに変わらないのではと思われます。流行が続く限り、マスク着用などの感染防御は継続しそうです。
 2月4日と5日には、本学の一般選抜(2月日程)入試が行われました。今年から一部の学部を除いて両日志願可能としたので、延べ志願者数1447名となり、昨年の898名を大きく上回りました。入試課課長の発案の効果があったと喜んでいます。志願者数は増加しましたが、2号館だけの試験会場とすることができました(写真左)。感染対策は従前通リとし、大きな混乱なくおこなうことができました。
 この時期は2022年に公開された映画の総括がなされます。2月1日の朝日新聞社会面では、「映画興行収入100億円超4作 昨年 コロナ禍前並」と報道され、興行収入はコロナ禍前の2019年の水準に戻ったとけれど、洋画の回復が待たれるというコメントを記載しています。日本映画製作者連盟の報告では、公開本数は1143本と前年の959本より増加していますが、邦画634本(前年490)、洋画509本(前年469本)と、洋画の公開本数の増加が少ない状況でした。邦画興行収入のベストワンは東映配給のアニメ「One Piece Film Red」でした。洋画のベストワンは「トップガン マーヴェリック」でした。私は、トップガンを2回も観に行ったのでこの順位には満足です(令和4年6月28日ブログ参照)。
 私の2022年は学生時代に戻ったようによく映画館に出かけ、その記録もとりました。映画館で観た映画は1年間で、邦画新作11本、旧作15本、洋画新作34本、旧作6本でした。約1週間に1回映画館に出かけていることになります。邦画の旧作が多いのは、神保町シネマの影響です。前述した国内の公開映画本数と比較すると、洋画の本数が相対的に多いのは、私の洋画志向のためです。この中で、自分なりにベストワンを選出しようと思うも結構難しい作業です。洋画では「コーダあいのうた(CODA)」や「ハウス・オブ・グッチ」などが気になる映画でした。スティーブン・スピルバーグ監督の「ウエストサイドストーリー」は期待はずれでした。1961年公開の「ウエストサイド物語」(ロバート・ワイズ監督)がミュージカル映画として素晴らしすぎて、そのリメイク作品の出来栄えはスピルバーグをもってしてもかなわなかったなと思いました。邦画では、倍賞千恵子にひかれて「PLAN75」が印象に残りました。近未来の日本で、75歳を超えると安楽死を選択できる公的制度ができた状況での人間模様を描いた映画です。第95回米国アカデミー賞国際長編映画賞出品作品として日本映画製作者連盟から推薦されています。似たテーマの映画として昔見た「ソイレント・グリーン」(1973年、米国映画)を思い出しました。
 2月3日には映画誌「キネマ旬報」2022年第96回ベスト・テンが発表されました。日本映画の第1位は「ケイコ目を澄ませて」(三宅唱監督)でした。この作品を含め、第10位までの作品で私が観たのは第6位の「PLAN75」だけでした。洋画の第1位は、「リコリスピザ」(写真右)、第2位「トップガン マーヴェリック」でしたが両方ともに鑑賞しました。自分が観た映画がベストテンにランクインされると何だか嬉しいものです。次は、米国のアカデミー賞の発表を待ちます。

 春の入試が無事に終わりますようにとつぶやく学長でした。







令和5年1月12日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 コロナ禍第8波が継続しているなか、3年振りに行動制限のないお正月を迎えました。新年のお参りは、品川神社(写真左)と亀戸天満宮に出かけ、令和2年の正月以来に「東京10社」を完全制覇しました(令和2年1月10日のブログ参照)。この間3年間コロナ禍で、参拝できませんでした。これで少しは疫病退散のご利益があればと思います。品川神社は、由緒によれば源頼朝が安房国の洲崎明神(館山市)を迎えて海上安全と祈願成就を祈ったのを始まりとされ、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に戦勝を祈願されたと言われます。今年の大河ドラマは「どうする家康」なのでお参りするのに丁度良かったです。
 正月4日には3年前と同じように上野の森美術館へ「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産」の展覧会を観に行きました。兵馬俑には圧倒されましたが、入場料2100円は高くなったなと感じました。
 年末の12月12日に京都清水寺で発表された日本漢字能力検定協会の今年の漢字は「戦」でした。ロシアのウクライナ侵攻、円安物価高、スポーツ熱戦などから選ばれた漢字でした。今年もコロナに対する戦いも続き、「戦」は終わりそうにありません。年末には神保町古書店の「古賀書店」が閉店しました。古賀書店は、クラシックの楽譜や資料で有名でした。建物もいわゆる「看板建築」と言われる戦前の重厚な建物でした(写真右)。閉店の理由はコロナというわけではないようですが、神保町の名物がまた一つ消え寂しく思います。
 三省堂辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」は「タイパ」でした。「タイムパーフォーマンス」の略語で時間効率を示し、タイパが良いなどと使われるようです。「コスパ」は納得できる言葉ですが、タイパはどうでしょうか? 2022年の新書ベストセラーに「映画を早送りで観る人たち、稲田豊史、光文社」があります。2時間の映画を倍速でみたり、最後だけをみたりする若者の心理を解説した新書です。これは当然ながらネットで観る映画になります。ネット配信の映画が益々盛んになる現状では、映画をみなくなるよりはファスト映画でも観てもらうのを良しとするしかないのかも知れません。
 映画を映画館で観賞する没入感が捨てられない私は相変わらず映画館に出かけます。コロナ禍になって却って映画館観賞をするようになりました。2022年の映画界は「トップガン・マーヴェリック」に始まり、「アバター:ウエイ・オブ・ウオーター」に終わった感じでした。やや物足りなさを感じる1年でした。

 今年はうさぎ年です。うさぎの上り坂を期待しますとつぶやく学長です。







令和4年12月12日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染症の第8波を思わせる流行が継続していますが、厚労省は新型コロナウイルスを感染症法の2類から5類に格下げをする検討を始めています。本学本館から小学館にかけて電飾イルミネーションが点灯し、巷はクリスマスを迎える気分です。12月23日には神保町交差点にて「クリスマスキャロルの夕べ」が復活して、中高の生徒が吹奏楽と歌を披露するようです。
 12月1日に発表された2022年ユーキャン新語・流行語大賞(「現代用語の基礎知識」選)の年間大賞は「村神様」(ヤクルト村上宗隆選手)でした。昨年の「リアル二刀流/ショータイム」(大谷翔平選手)に続いて、野球から選出されました。1958年に西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の稲生和久投手を「神様、仏様、稲生様」と呼んだのに似ています。
 前回ブログと今回ブログの間に、カタールでのサッカーワールドカップが開催され、日本は一次リーグを通過したのち、決勝トーナメントでは初戦で敗退しました。一次リーグでは、ドイツとスペインに勝利し、歴史的勝利と言われました。ドイツに勝利した後、インタービューで長友選手が「ブラボー、ブラボー」と同僚選手をたたえたのが印象的でした。新語・流行語大賞の応募期間内であれば、「ブラボー」は今年の大賞になっただろうと思いました。
 12月4日には紅葉を見学に駒込の六義園に行きました(写真左)。六義園は江戸大名庭園の一つで、1695年に5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保が造成したとされ、私の出身である和歌山の「和歌の浦」近辺の名所を模した庭園があり、親しみがあります。春のしだれ桜と秋の紅葉が有名です。明治維新後に三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が購入して整備し、1938年に東京市に寄贈されました。写真のように「イロハモミジ」がきれいでした。私は寒いときに来園すると園内でお汁粉を頂くのが楽しみにしていて、その日も頂きました。
 当日は引き続いて、丸の内明治生命館に新たに作られた静嘉堂文庫美術館に「静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展Ⅰ響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき―」を見学にいきました。新規に開館したばかりで人気があり、予約制でしたが混雑していました。明治生命館(写真右)は1930年(昭和5年)に再建された歴史的建造物で、重要文化財に指定されています。明治生命館は昭和の建物としては初めて、1997年(平成9年)に重要文化財に指定されました。私は同館内の診療所に心電図の判読に通った昔をなつかしく思い出しますが、その当時は重要文化財ではありませんでした。静嘉堂文庫は、三菱創始者の岩崎弥太郎の弟、岩崎弥之助とその子、岩崎小弥太が設立した美術館です。今回の展示では、国宝「様変天目」が目玉となるものでした。同じ日に見学したのがたまたま両方ともに明治の三菱財閥に関連した施設でした。

 サッカー日本代表強くなった「ブラボー!」とつぶやく学長でした。







令和4年11月16日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 10月末には3年振りに神田古本まつり(第62回)と神保町ブックフェスティバルが開催され、人出は大変多く、コロナは終わったと思わせました。11月5日、6日には第10回カレーグランプリ決定戦がこれも3年振りに小川町広場にておこなわれました。本学も社会連携センターが出展し、本学製レトルトカレーの販売をおこないました。11月3日には、本学家政学部の渡辺直先生の個展を見学するため、横浜の日本大通のギャラリーに出かけました。彼の彫刻には知られざるストーリーが隠れていて、見るのが楽しいです(写真左)。写真は彼の息子の像です。横浜の日本大通から桟橋の方面は多くの人出でした。
 このように私は芸術の秋、食欲の秋、読書の秋を楽しんでいますが、コロナウイルス感染症の患者数は全国的に漸増傾向にあり、第8波が来るのではと言われ始めました。この新型コロナウイルスは飛沫・エアロゾル感染を起こし、感染力が強く、無症状感染も多いので隔離対策が難しい。予防接種を繰り返ししたうえで、基本的な感染症対策であるマスク着用、手洗い、混雑した状況を避ける生活をしていくのが最善の方法らしいです。本学では当面の間、基本的な感染対策を推奨した上で、対面による授業をおこない、学生に行動制限は求めません。総合型選抜入試、学校推薦型入試も対面で予定通りにおこないます。
 映画館での映画上映はマスク着用の上、通常のようにおこなわれています。見たいと思う映画の数がこの頃やや少ないのが不満ではありますが、週1回程度のペースで映画館に通っています。今年は日本最初の映画製作会社の日活110周年です。日活に所属し日本映画の父と言われた牧野省三が提唱した映画憲法は「1スジ(筋) ―― 脚本(シナリオ)、2ヌケ(抜け) ――鮮明な映像 (撮影・現像の技術)、3ドウサ(動作)――俳優の演技」(令和2年10月8日ブログ参照)ですが、やっぱり映画は脚本が大事と思います。
 11月6日には京橋の国立映画アーカイブに「脚本家黒澤明」の展示を観に行きました。私の好きな黒澤明映画の脚本ばかりでなく、他の映画監督作品の脚本や映像化されなかった脚本(例:暴走機関車)などが展示され興味深いものでした。黒澤映画の面白さのもとは脚本だと思いました。黒澤が脚本を提供した他の映画監督の作品の中で私が鑑賞したのは谷口千吉監督の「銀嶺の果て」(1947年)や木下恵介監督の「日本の悲劇」(1953年)があります。
 今年黒澤明監督が再び脚光を浴びているのは、先日開催された第35回東京国際映画祭、にて、黒澤明賞が14年ぶりに復活したこと、黒澤映画のスクリプターであった野上照代さんが特別功労賞を受けたこと、クロージング作品として「生きる」をリメイクしたイギリス映画が上映されたことなどがあげられます。野上照代さんは今95歳ですが、黒澤映画の生き字引として撮影現場などの興味深い話を聞かせてくれます。
 「生きる」(1952年)は「七人の侍」(1954年)と共に、黒澤映画の2大金字塔です。学長ブログで映画の話の1回目は令和元年11月28日ですが、その時のテーマとして黒澤明監督をとりあげました。「生きる」は定年近いやる気のない町役人(志村喬)が、胃がんにて余命いくばくもないことを悟ります(その当時は余命を宣告されたのはなく医師のいう「胃潰瘍ですという」言葉から何となく雰囲気で悟ります)。彼は、残された人生を相談できる家族や同僚もなく、若い同僚と遊んでもむなしいばかりですが、町に公園を作ることに生きがいをみつけます。最後は、完成した公園のブランコで「ゴンドラの唄」を歌いながら死にいたります。志村喬が歌う歌は、地獄の底から聞こえるような歌声で歌われます。「七人の侍」でも准主役を演じた志村喬は歌を歌うようなキャラクターには見えないのですが、戦前のオペレッタ時代劇映画「鴛鴦歌合戦」(1939年、マキノ正博監督)ではしっかりミュージカルスターを演じていたのは驚きました。
 「生きる」は2020年に宮本亜門のミュージカル劇として上演され、私は日生劇場で観劇しましたが、ブランコで歌を歌うシーンはもちろんありました。今回リメイクされたイギリス映画「生きるLiving」では、どのように表現されているのか、脚本がノーベル賞作家のカズオ・イシグロとされているので楽しみです。

 イギリス映画「生きるLiving」は見に行きたいとつぶやく学長です。







令和4年10月20日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 10月15日、16日の二日間は、共立祭が外部者も迎えて対面で開催され、延べ入場者数は4千人を超えました。一昨年はオンライン、昨年は学生と教職員のみの参加としましたので(令和3年10月25日ブログ参照)、3年振りに賑やかな共立祭となりました。今回のテーマは「Bright our Smile」でした。「共立祭に関わった全ての人の笑顔が輝き、私たちの力で未来を明るくしたい。」という思いが込められています。
 学内には保護者の方々だけでなく、男子学生の姿もあり、学園祭らしい雰囲気でした。ただ、いわゆる模擬店の出店を制限したので、もの足りなく思われたと思います。男子学生らしい来校生からどこで共立祭をしているのと質問されました。共立講堂でのミュージカル研究部の発表をみましたが、マスクを着けての歌と踊りはさぞ残念だったろうと想像します。来年こそは、完全復活を目指したいと思いました。
 コロナの状況は第7波で終わりそうにありませんが、10月11日には外国からの入国制限が解除され、巷では秋祭りが制限なしで行われ賑わっています。10月15日には友人に誘われ、3年振りに開催された川越祭りを初めて見学しました。山車の巡行は楽しかったです。道路の露店は禁止されていたようですが、それでもすごい人出でした。
 10月16日には東京レガシーハーフマラソン2022が行われ、共立講堂前の白山通リは、行き来する選手で賑わいました(写真右)。
 私の手元には文京区から5回目の予防接種の案内が届きました。来週末は、神保町ブックフェスティバルがすずらん通リで開催されますが、飲食の出店はなく、セレモニーもないようです。

 いつになったら昔のような社会が戻るのだろうかと弱気につぶやく学長でした。







令和4年9月26日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナ感染症の罹患者数が減少傾向を示すなか、夏休みが終わり、学生たちが元気にキャンパスに戻ってきました。大学・短大では対面を中心とした授業が始まりました。このまま大過なく、後期のプログラムが進むことを祈るばかりです。10月15日には共立祭も対面で外部者も迎えての開催を予定しています。
 学士会館の脇に「野球伝来150年について」という張り紙がありました(写真左)。「学士会館かわら版」9月号にも詳細が説明されています。1872年(明治5年)に米国人教師ホーレス・ウイルソン氏がこの地で学生にベースボールを教えたのが日本の野球の始まりとされています。学士会館の場所は、150年前の学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた開成学校で(後に東京大学予備門)、英語の教師のウイルソン氏が学課のかたわら野球を教えたのが日本への野球伝来とされています。
 ウイルソン氏は2003年に野球伝来の功労者として野球殿堂入りを果たし、それを記念して「日本野球発祥の地」のモニュメントが学士会館前に建立されました(写真左)。このモニュメントは、ブロンズ製でボールの上に世界地図が描かれ、ボールの縫い目が日本と米国を結んでいます。2003年と言えば、私が共立女子大学に奉職した年です。2022年が野球伝来150年記念として、「日本野球聖地・名所150選」に本モニュメントも選ばれました。日本野球聖地には本学近くの東京ドーム、野球殿堂博物館などが選ばれています。
 野球と関連の深い文人に正岡子規がいます。ウイルソン氏は1877年(明治10年)に帰国しますが、ベースボールは学生たちに愛され、正岡子規は1884年(明治17年)に東大予備門に入学し、ベースボールに熱中したらしい。「打者」「走者」「直球」という野球用語の和訳を考えたようです。「野球」という訳語は正岡子規ではなく1895年(明治28年)に第一高等中学校の中馬が書いたとされています。正岡子規は2002年に野球殿堂入りし、その功績にて、上野恩賜公園内の野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が2006年につけられました。上野公園の空き地で友人とプレーを楽しんだそうです(朝日新聞土曜版、2022年9月17日「はじまりを歩く、日本の野球」による)。正岡子規の同窓に夏目漱石がいますが、漱石も子規と一緒に野球をしたかも知れない。
 正岡子規は1902年(明治35年)9月19日に34歳にて死亡しますが、最後まで看病した妹の正岡律が、子規の死後本学の前身である共立女子職業学校に入学して、卒業後に母校の和裁の教師になります。そのような意味では本学も野球との縁があります。職員の野球部は強いらしい。
 共立女子第二中高は、ゴルフで有名です。9月16日、共立講堂に「全国高等学校ゴルフ選手権大会文部科学大臣杯争奪第68回個人の部 祝優勝 共立女子第二高等学校2年 上田澪空」の幟がたてられました(写真右)。二中高のゴルフ部のレベルは相当高いらしい。団体でも第10位の成績でした。私が2003年に本学家政学部に奉職時は、1、2年生が八王子キャンパスで授業を受ける時代で、週に1回は八王子キャンパスに授業にいきました。八王子キャンパスは体育施設が充実していて、ゴルフ練習場もあるのには驚きました、残念ながら一度も使うことはありませんでした。

 今年は、鉄道開業150周年、学制150年記念、東京国立博物館創立150周年、とつぶやく学長でした。







令和4年8月24日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 コロナ禍の3年目の夏は行動制限の無い夏休みとなり、第7波の新型コロナウイルス感染者数は、全国で過去最多を更新しています。学内でも学生、職員の感染の報告があり、トム・クランシーの「いま、そこにある危機」(Clear and Present Danger)という感覚を覚えます。感染症の専門家からは日本では感染症のパンデミックのフェイズからエンデミック(風土病)のフェイズに移行しているという意見があり、今後季節性インフルエンザのように流行を繰り返し、重症化のリスクの高い層には予防接種を繰り返しておこなうことが推奨されています。私自身は予防接種4回すんでいるので、今できることはマスク、手洗いなどの感染防御対策だけです。
 私の個人的な夏休みのイベントは、息子家族の居る札幌に行って、ルスツリゾートで孫もりをすることでした。1983年開園のルスツリゾート遊園地は昭和の雰囲気があり、好きでした。北海道も感染者数過去最高と言いながら、3年ぶりの行動制限の無い夏休みを楽しむ観光客であふれていました。
 8月20日土曜日は神宮外苑花火大会を見るために、神宮球場に行きました。3年振りの開催で41回目と聞きましたが、私は初めての鑑賞でした(写真)。雨の中でしたが、6万7千人が集まったと報道されていました。真下からみる花火の経験は初めてで迫力がありました。隅田川花火大会も開催できたのにと思いました。
 今夏は比較的によく高校野球の甲子園大会もTV応援することができました。甲子園球場は入場制限なく、コロナ前の雰囲気になっていました。決勝戦は仙台育英対下関国際の対戦で、154年前の戊辰戦争(1868年)になぞらえる方もいました。戊辰戦争では政府軍は山口の長州藩が中心で、旧徳川幕府軍は会津藩に与する奥羽越列藩同盟(仙台藩を含む)が対します。結果は、戊辰戦争とは異なり仙台育英が東北勢としては初めての優勝となり、高校野球の優勝旗が107年の歴史で初めて白河の関を超えることとなりました。
 今年は戦後77年で、戊辰戦争から154年です。これからは明治維新から終戦までの期間より戦後の期間の方が長くなります。

 ウィズコロナの心づもりで生活していきたいとつぶやく学長でした。







令和4年7月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 第7波の新型コロナウイルス感染者数は急速に増加し、毎日過去最高更新と報道されています。東京都の感染者数は毎日3万人を超え、ピークが見えません。国民が3回の予防接種を打つことで第6波で収束するのではと考えていた私の予想ははずれました。
 本学では授業期間最後の7月28日を控え、感染対策をしながら対面を中心とした授業をおこなっています。コロナに罹患した学生の報告数は急増していますが、学内での感染クラスターは今のところありません。7月18日のオープンキャンパスも多くの来場者を迎えておこなうことができました。今はただ感染対策をおこないつつ、感染のピークが過ぎ去るのを待つだけです。
 昨年の7月23日は新型コロナウイルス感染症の第5波の中、東京2020オリンピックの開会式がおこなわれました。1年目の7月23日には国立競技場にて「東京2020大会1周年記念セレモニー」が午後5時から開催され、私は招待されたのでいってきました(写真)。主催は東京都です。本学学長が招待されたのは、昨年のオリンピック、パラリンピックに際して、大学施設の一部をお貸ししたことによると思います(令和3年9月16日ブログ参照)。
 私自身はもちろん初めての国立競技場です。2階席から小池都知事の挨拶、小池都知事を先頭にしたボランティアの方々、選手の行進などを見学しました。席はひとつおきとされていましたが、今回のセレモニーでは約1万5千人の観客が入場したそうです。2階席は涼風がよくとおり、日陰となっていて観戦には最適でした。座席は丁度、グラウンドの100メーター走のレーンがよく見える位置でした。小池都知事のそばにはSPと思われる人物がつきそって歩いているのが印象的でした。国立競技場は東京2020オリンピックの最大のレガシーだと思います。

 国立競技場の競技をスタンドから見学したいものだとつぶやく学長でした。







令和4年7月13日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染者数は7月に入ってから急速に増加し、第7波が到来したと言われます。東京都では1日の感染者数が12日に1万人を越えました。今回のオミクロン株の変異株は若いひとの感染者が多く、罹患後の重症化率が低く抑えられているので、緊急事態宣言などの発令はありません。プロ野球は観客制限せずに集客していて、巷も普通ににぎわっています。
 本学では学生の罹患報告は多くなってきましたが、学内での集団発生はなく、感染対策をしながら対面を中心とした授業をおこなうことができています。本館の1階ロビーでは7月4日からの週を伝統文化企画とし、その一環で、7月7、8日を浴衣デーとして学生、教職員が浴衣を披露することができます(写真左)。この企画も3年振りにおこなうことができました。今年は浴衣に着替える元気がありませんでしたが、マスクなし浴衣姿の似顔絵を前回ブログから披露しています。
 今夏は隅田川花火大会の中止は決まっているようですが、ニュースによれば、京都の祇園祭の山鉾巡行が3年振りに再開されるそうです。祇園祭の山鉾巡行は疫病の怨霊を鎮めるために平安時代に始まったとされるので、丁度いい時期に再開されます。
 1968年公開の映画「祇園祭」(山内鉄也監督)は、応仁の乱で途絶えていた祇園祭を町民が復活させる話で、現在のコロナ禍からの復活に通じます。また、この映画は独立プロの日本映画復興協会(代表 中村錦之助)が製作し、今までの邦画5社(東宝、東映、大映、日活、松竹)が製作、配給するのではなく、独立プロが製作し、映画の公開も洋画ロードショー並みに行われました。映画製作が斜陽産業となるなかで、俳優が独立プロを作り映画製作をするさきがけの映画でした。しかし、日本映画の斜陽化は、止まりませんでした。
 日曜日に散歩で文京区の護国寺にいくと、縁日をやっていました(写真右)。残念ながらその時間帯、お目当ての「イカ焼き」は営業されてなく、門をくぐっただけで帰りました。帰ってから、護国寺のホームページを見ると、7月の9日と10日は「四万六千日法要」の日で、この両日に参拝すると、わずか1日で46、000日、すなわち126年間日参したのと同じ効果があるとされていました。護国寺は徳川5代将軍綱吉公の生母、桂昌院を祀る由緒ある寺です。

 護国寺にお参りしておくべきだったとつぶやく学長でした。







令和4年6月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染者数は下げ止まり、東京都では増加傾向ですが、制限解除の状況は続けています。映画館や劇場、スポーツ施設などもほぼコロナ前の状況に戻りつつありますが、美術館などは日時指定券の予約を求めるところが多く、面倒に思います。
 さて、フランスの映画俳優、ジャン=ルイ・トランティニヤン氏が6月17日に91歳で逝去したと報道されました。彼も令和3年10月4日の学長ブログで紹介した「1930年生まれの映画人」の一人です。1960年代のフランス映画の俳優としてアラン・ドロンやジャンポール・ベルモントと同世代ですが、渋い役の多いジャン=ルイ・トランティニヤンが何となく好きでした。映画としては「男と女」(1966年、クロード・ルルーシュ監督)が有名です。アヌーク・エーメ演じる女性との恋愛映画ですが、フランシス・レイ作曲の映画音楽も流行しました。
 特筆すべきは「男と女」の男女の53年後の様子を同じ俳優、同じ監督、同じ作曲家で作ったのが「男と女 人生最良の日々」(2019年、クロード・ルルーシュ監督)です。「「男と女」から53年、運命の恋がまた始まる・・」のキャッチコピーにひかれてみにいきました(写真左)。昔をなつかしむのではなく、今から始まる恋の物語だそうです。
 私は未見ですが、「男と女Ⅱ」(1986年、クロード・ルルーシュ監督)という20年後を描いた映画もあるようです。こんな映画他にないなと感銘します。
 クロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビは、フランスグルーノーブル冬季オリンピックの記録映画「白い恋人たち」(1968年)も有名です。
 映画のジャンルにスポーツ記録映画があります。オリンピックのたびにIOCの要請にて記録映画が作られます。「東京2020オリンピック」の記録映画は、河瀬直美監督が撮影することになっていて、出来上がった映画はSIDE:A、SIDE:Bに分けて6月3日に公開されました。河瀨直美監督に決まったことは令和元年11月28日のブログに書きました。
 6月15日に日比谷の映画館へ見に行きました。無観客の開催、1年延期などの逆境で良く作ったと私は思いますが、SIDE:Aは無観客上映と揶揄されるように100人規模の会場に1日1回の上映にて10人未満の観客数でした。
 一方、5月27日から公開のアクション映画「トップガン:マーヴェリック」(2022年、ジョセフ・コンシスキー監督)は、シネコンのメリットを活かして、複数のスクリーンで1日何回も上映され、毎回満席に近い観客を集客しています(写真右)。この映画は36年前の映画「トップガン」の続編的な映画ですが、トム・クルーズの人気とあいまって観客動員数がすごい勢いで伸びています。「東京オリンピック2020」との差に愕然とするばかりです。

 映画のジャンルでは恋愛映画よりアクション映画好きだとつぶやく学長でした。






令和4年6月9日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 新型コロナウイルス感染者数の状況は減少傾向が続き、様々な制限が解除されつつあります。巷には賑わいが戻り、初夏の祭りも一部復活しています。文京区住民の高齢者の私には、4回目の予防接種の接種券が届きました。
 5月29日には在学生家族懇談会を3年振りに対面で開催することができました。予約申し込み制にしましたが、820組、1061人の参加を頂きました。共立講堂は久しぶりに保護者の方々であふれるように賑わい、感激しました(写真左)。コロナ禍のために保護者の方々が多数来られる機会はなかったため受付や案内が不慣れで、出席者に迷惑をかける場面もありました。共立講堂の「第一部 保護者ガイダンス」では私の教育方針の話、学生生活支援グループの学生生活全般の話、学生支援課長による就職活動の話がありました。就職の話については出席者が一生懸命メモを取る姿が見られました。就職の面接では最近は「ガクチカ」といって、学生生活に力をいれたことが問われるという話など説得力がありました。
 以前の家族懇談会では1年生の保護者の方の参加が大部分でありましたが、今回はコロナ禍の空白を経ての懇談会でしたので、2年生、3年生の保護者の方の参加もあり、個別相談では就職や留学に関する相談が多く、午後遅くまで対応が必要でした。学生支援課の方々ご苦労さまでした。
 学外者を学内にお招きする催しを復活していきます。6月13日の週は学外者も対象とした授業見学会を予定しています。文部科学省の高等教育局私学部長と千代田区長さまに案内にいきました。千代田区役所庁舎の区長室を訪問したあとは、9階の千代田図書館で展示中の「ありがとう岩波ホール」(写真右)を見学しました。3期にわけた展示の2期目で、「エキプ・ド・シネマ」として上映された映画についてなつかしく閲覧しました。エキプ・ド・シネマはフランス語の映画の友達の意味らしいのですが、岩波ホールでは昭和49年以来、60か国、255作品の映画を上映しています。
 11月には神田カレーグランプリの小川広場での決定戦が再開されるという情報もあります。

 やっとポストコロナになりつつあるなとつぶやく学長でした。






令和4年5月23日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 三省堂神保町本店は、5月8日(日曜日)に一時閉店となりました。写真(写真左)の建物は築41年ですが、1881年明治14年創業とされますので、本学の前身の共立女子職業学校創設時の明治19年には既に営業していたことになります。5月7日土曜日の朝日新聞の夕刊では「本の街に141年 いったんさよなら」と大きく取り上げられました。6月1日より小川町で仮店舗営業を開始し、2025~26年に新社屋が竣工予定とされているとは言え、寂しい気落ちがします。「本の街神保町に人を呼び込む拠点」(本の街・神保町を元気にする会)という表現があるように神保町の古書店街の西の玄関口の役割をしていました。
 私自身は専門書や子供本購入にてお世話になっていました。1階のすずらん通り側の出口の広場は、ベンチもあり、昔は喫煙場所として利用させて頂いたのがなつかしいです。一時閉店のキャッチフレーズは「「いったん しおりを挟みます」「神保町本店は、第二章へ。」となっていて、新社屋が新しい神保町の顔になることが期待されます。
 白山通りを越えて、西側には岩波書店の神保町ビルがあり、その10階にある岩波ホールがこの7月に閉鎖が予定されています。すすらん通りをはさんで東西の両雄のような三省堂書店と岩波ホールが閉鎖するのは残念です。岩波ホールも再開を予定して頂けると嬉しいのですが。コロナ禍が3年目となり、社会・文化に影響を与え続けています。
 岩波ホールでの最後の映画上映の一つ前ですが、4月28日に「メイド・イン・バングラデシュ」を観に行きました(写真右)。この映画は岩波ホールが上映してきた映画の系統、「映画産業がメインでない国の映画、女性監督、題材が社会問題」等の特徴のある映画です。バングラデシュの女性監督ルバイヤット・ホセイン監督による2019年製作の映画で、バングラデシュにおける女性の労働環境の厳しさを伝えています。昨年のブログ(令和3年6月15日)にて紹介した北マケドニア映画「ペトルーニヤに祝福を」(テオナ・ストウルガル・ミテフスカ監督)と同じ系統の映画でした。同時期に観た「ブータン山の教室」は男性監督によるブータンの映画ですが、忘れ難いいい映画でした。ブータンの山奥で教育を渇望する子供たちの笑顔がいいです。

 コロナに負けず岩波ホール復活を期待しますとつぶやく学長でした。






令和4年4月27日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月24日までのコロナウイルス感染症リバウンド警戒期間が5月22日まで延長になりました。東京都の感染者数は減少傾向とはいえ、高い数値で推移しています。オミクロン株は感染力が強いとされるBA.2にいれかわり、これから5月の連休を迎えるにあたって感染者数の増加が危惧されています。
 私が気にかける映画館の開館状況はほぼ制限ない状態ですが、公開される映画の本数も観客数も減少傾向にあり、ネット公開の映画に押されて映画館は苦しい状況を迎えています。1990年代から始まり21世紀にはいってからは映画館のほとんどがシネマコンプレックス方式となり、単館上映の地方の映画館やいわゆる名画座の運営は苦しいようです。神保町の岩波ホールは今年の7月末の閉館が決まりました。千代田図書館で「ありがとう岩波ホール」の展示が始まりました。
 私のような昭和レトロの映画ファンは単館上映方式で市街地にある映画館が好きです。シネコンと違い、切符一枚で何回でも連続してみられるのも魅力でした。座席指定はないから立ち見も大丈夫でした。
 4月21日に80歳での訃報が報じられたフランスの俳優ジャック・ペラン氏の代表作品は「ニューシネマ・パラダイス」(1988年、イタリア映画)とされ、イタリアシチリア島の田舎町の映画館の映写技師と子供のふれあいの物語でした。映画館での映画上映の場面が感動を呼ぶ作品でした。もっともこの映画は主人公の子供時代の役者が可愛いので有名であり、ペラン氏は成人してからの役と説明されます。
 日本でも映画館を舞台にした映画がありますが、シネコンが舞台では映画になりません。2021年度の映画では令和3年9月3日のブログで紹介した「キネマの神様」(2021年、松竹、山田洋二監督)では、映画の助監督から落ちぶれた主人公(沢田研二)が友人の経営する映画館で、好きな映画を観ながら死んでいく話でした。「浜の朝日の嘘つきどもと」(2021年、タナダユキ監督)は、閉館間際の南相馬の映画館朝日座を継続させるために奮闘する若い女性(高畑充希)の話でした。映画館の話だとつい見に行きたくなります。
 京橋の国立映画アーカイブでは「日本の映画館」の展示が4月12日から始まったので見にいきました(写真左)。日本での映画館の歴史を概観できます。展示の第1章は「映画常設館の誕生」ですが、何と本学近くの神田錦輝館から始まります(写真右)。「スクリーンに投影される動く写真をみるという映画の興行はエジソン社製のヴァイタスコープにより、1897年(明治30年)3月6日神田錦輝館に始まります。」と説明されています。神田錦輝館は神田錦3丁目にあったらしいです(写真右)。日本初の映画常設館は1903年の浅草六区の電気館です。神田錦輝館は1911年に映画常設館となりましたが、1918年の火災で焼失し、その後は再建されませんでした。1923年(大正12年)の関東大震災以降映画館が流行し、神保町界隈には11の映画館があったとされます。その中で有名なのが1924年(大正13年)に開館した神田日活館です。錦華通リと靖国通リの交わるところにあり、1968年(昭和43年)頃まであったようです。神保町はエンタメの街でした。

 本学の前身である共立女子職業学校は明治19年1886年設立ですから、そのころの女子学生はきっと近所の映画館に見に行ったに違いないとつぶやく学長でした。






令和4年4月13日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本館前のしだれ桜は葉桜となり(写真左)、2号館脇の雉子橋通リ沿いには八重桜とつつじが共に咲く時期に(写真右)入学式を執り行うことができました。新型コロナウイルス感染症はオミクロン株のBA.2系統への置き換わりが進む中、令和4年度の入学式は昨年度と同様に4月8日、9日の2日間、4回に分けておこないました。両日ともに天気が良く、入学式日和でした。他大学の男子学生がサークルの勧誘で集まってくる混乱はありませんでしたが、今年度は4号館でのサークルの勧誘などを再開したので、入学式らしい雰囲気でした。
 今回から桂由美櫻友会会長の祝辞が加わりましたが、国歌、学園歌、学生歌の黙唱は継続しました。学長としての壇上での式辞は相変わらず緊張します。
 今回は入学する学生が成人である初めての入学式です。この4月1日から明治9年以来の民法の改正で成年年齢が20歳から18歳に引き下げられました。大学生になると大学への通学、アルバイトなど社会との接点が急に増え、成人の自覚をもって臨んでほしいと式辞で述べました。喫煙、飲酒、公営ギャンブルは20歳まで禁止なのは変わりありません。
 私が18歳で大学に入学した頃のこと(1968年)を思い出しますと、クレジットカードや携帯電話の契約の必要性もなく、20歳が成年年齢であることに不都合は感じませんでした。飲酒、喫煙は今と同じに禁止ですが、先輩に誘われ飲酒にはまってしまいました。今では反省しています。
 当時は成人映画というカテゴリーの映画があり、今でいうR-18指定の映画については、18歳まで映画館入場禁止でした。成人年齢は20歳でしたが、映画だけ成人は18歳という壁が設けられ、18歳未満の者には映画鑑賞不適当と映画倫理規定管理委員会が認定していました。

 大学拠点接種の申し込み状況は低調です。 学生の皆さん、3回目の予防接種受けましょうとつぶやく学長でした。