共立女子大学・共立女子短期大学

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学長ブログ

学長ブログ ~学長のつぶやき~

2018年7月21日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 6月28日には学生を対象にした防災訓練が学内で行われました。千代田区の災害対策・危機管理課の方の出前講演では、地震に対する心構えを示して頂きました。千代田区は東京の中心にありますが、夜間人口6.2万人の23区内で最も人口の少ない区です。しかし、昼間の人口は約85万人もいて、昼間に地震が生じたら多くの人が帰宅困難者となります。私たち教職員や学生を含め、ほぼすべてが帰宅困難者となることが予想されます。地震がおきて交通機関がストップしたら、無理に帰宅しようとせずに学園内にとどまることを考えることが大事です。学内には、その準備をしています。このことは、東日本大震災のときに経験したことからの教訓です。
 中庭では、地震体験車による地震体験ができました。出前講演で強調された地震が発生したら、まずは落下物から身を守る重要性について体験できるものでした。中庭では、神田消防署の方々による消火器の訓練も行われました。一度経験しておくといざという時に役に立つでしょう。防災訓練は地震対策が主ですが、火災についても準備しておく必要があります。
 江戸時代には東京は大火が多かった様子が、NHKスペシャル7月1日日曜9時にて放送されていました。明暦の大火では、1657年に文京区本郷から始まり、千代田区、中央区に広がり、江戸城の天守閣まで焼き尽くしたようです。それ以来、天守閣は再建されていません。世界三大大火の一つにも数えられるようです。本学近辺は焼け野原だったでしょう。その当時の火災時には火消しより、広がりを防ぐほうに主眼をおいたようです。防災として、火除地としての空き地や広い道路が作られたようです。前回の学長ブログで述べた護持院ケ原は、享保2年(1717年)の大火で焼失した護持院の跡地を火除地として残したものです。将軍の鷹狩の場となったというから相当広い空地です。明治に学習院や開成学校が建造され、今は石碑が残ります。
 防災訓練の最後は炊き出しの経験です。アルファ化米を使ったカレーライスはおいしかったとつぶやく学長です。








2018年6月29日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは、1858年のお玉が池種痘所(神田岩本町2丁目)が、東京大学医学部発祥の地とされると書きましたが、実は東京大学発祥の地は、本学本館前の学士会館の地とされています(神田錦町)。種痘所は1年で神田和泉橋のところに移転し、1863年に医学所、1869年から大学東校と呼ばれていました。神田錦町には開成学校が明治元年1868年に作られ、洋学の教育がなされました。開成学校と文京区本郷に移転していた大学東校が一緒になって、明治10年1878年に東京大学が開設されました。神田錦町には法学部、文学部、理学部の校舎がありましたが順次本郷に移転しました。今学士会館のある地が東京大学発祥の地、我が国の大学発祥の地と言われます。
 明治19年に共立女子職業学校が創立されたことを考えると、本学の歴史は日本の大学の歴史と同じくらいに長いです。
 学士会館の斜め向かい側の学術総合センターのところには東京外国語学校発祥の地の石碑があります。1876年開設とされ、現在の東京外国語大学の前身です。九段下交差点のところに蕃書調書跡の石碑がありますが、これは江戸幕府が1856年に開設した洋学研究機関であり、これを引き継ぐのが東京外国語学校です。
 神保町界隈には他にも専修学校(後の専修大学)、東京法学社(法政大学の前身)、明治大学の前身の明治法律学校、中央大学の前身の東京法学院、などがあり、神保町界隈は大学発祥の街なのです。神田錦町には学習院(華族学校)開校の地とする石碑もあります。この地に何故、大学の前身の学校が数多く開校されたのかは良くわかりませんが、神田錦町は護持院ケ原という、防火のためのスペースがあったことも一つの要因と思われます。千代田区以外では、中央区の明石町近辺も慶應義塾発祥の地など、立教学院(後の立教大学)等複数の学校の発祥地が集まっています。これは、当時外国人の居留地があったことと関係するかもしれません。
 多くの大学はその後、この地から移転していきましたが、共立女子大学は発祥の地に残り発展してきました。発祥の地に現在の大学があることを誇りに思います。ただし、発祥当時を思わせる建物は残っていません。発祥時の遺跡が残っていればいいのにとつぶやく学長です。








2018年6月12日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは、WHO(世界保健機関)の世界禁煙デーを紹介しました。WHOの活動で顕著なのはもちろん感染症対策です。5月21日月曜日の朝日新聞朝刊に、「ポリオ根絶 最後の闘い 昨年の発症者、パキスタン・アフガンの21人に」という記事がありました。ポリオ(急性灰白隨炎、脊髄性小児まひ)は、ポリオウイルスによる感染症で、便を通じて経口感染し、後遺症として麻痺を起すことのある病気です。日本でも、戦後流行し、私たち団塊の世代には小児まひとして恐れられました。その後予防接種が普及し、ワクチン株由来の感染以外はなくなりました。世界的にみても、WHOの活動によりワクチン接種が普及し、感染者のいる地域はパキスタンとアフガニスタンの国境地域を残すのみとなっています。もうすぐWHOによりポリオが根絶されたと宣言され、ポリオ予防接種が不必要になる日がくるものと思われます。
 私が何故このようなことをブログに書くかというと、公衆衛生の歴史の目撃者であることを意識したいからです。WHOが最初に根絶した感染症は、1980年の天然痘(痘そう)です。天然痘はウイルス疾患で、感染力が強く、また致死率が高い感染症として、古来から恐れられてきました。新世界で欧米諸国により持ち込まれた感染症により多くの原住民が死亡したのは、天然痘や麻疹に感染したためと言われています。天然痘に対する予防接種は、種痘と言われ、英国のジェンナーが1797年に始めたとされています。その後、種痘は全世界に広まり、日本にも1858年に神田に種痘所ができました。WHOは、1967年に根絶計画をたて、1978年に最後の患者を観察し、1980年に天然痘撲滅宣言、予防接種の中止をおこないました。
 1980年ころ、私は医師として内科系の診療に携わっていましたが、天然痘が撲滅されたことは全く認識しませんでした。その後、1989年から公衆衛生分野にかわり、WHOの活動のことを知り、歴史の目撃者になれなかったことを悔やみました。今度こそは、ポリオ撲滅の宣言を認識したいと思っています。
 WHOがポリオの次に根絶を目指している感染症は麻疹(はしか)です。麻疹は空気感染するウイルス感染症で、感染力が強いことが特徴です。しかし、予防接種を普及させることで予防できる感染症です。日本は予防接種が義務接種から勧奨接種に移行したのにともない予防接種が十分におこなわれず、2007年や2011年に麻疹が成人の間に流行し、日本は「はしかの輸出国」だと言われました。日本の予防接種の状況が世界標準より劣っていました。しかし、その後の予防接種2回摂取普及の努力により、国内の感染者がなくなり、2015年にはWHO世界保健機関西太平洋地域事務局より日本が麻しんの排除状態であることが認定されました。
 しかし、先日海外渡航者により麻疹が国内に持ち込まれ、二次感染も生じたことが大きくマスコミに報道されました。麻しん撲滅の道は遠いとつぶやくのでした。

※1(写真左) お玉が池種痘所跡(神田岩本町2丁目)
   1858年に伊藤玄朴、大槻俊斎らが種痘所を作る。東京大学医学部発祥の地とされる。
※2(写真右) お玉が池跡 近くに種痘所跡あり。








2018年5月30日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 先日の5月23日に、学内の敷地内を全面禁煙とするために喫煙場所を閉鎖するスケジュールが全学的に周知されました。新学長となっての初めての仕事のような気がして嬉しいです。ちょうど5月31日は世界禁煙デーです。世界禁煙デーは、世界保健機関(WHO)が、設立40周年を迎える1988年4月7日を第1回世界禁煙デー(World No Tobacco Day)としましたが、同日が世界保健デーと重なるために1989年から毎年5月31日を世界禁煙デーとしました。WHOの目標は世界のたばこの使用を減少させ、たばこ関連疾患を減らすことです。今年は第31回にあたります。毎年、WHOはテーマを決めており、今年は「たばこと心疾患」です。たばこ関連疾患としては肺がんなどの悪性腫瘍が有名ですが、心疾患との関連もあることを啓発するための標語です。
 たばこと心疾患の関連は、たばこと肺がんの関連とは異なる関連性を示します。喫煙者が肺がんになるリスク(危険性)は、禁煙してからも10数年は続きますが、心疾患になるリスクは、禁煙したらすみやかに低下します。私のように心疾患を心配して禁煙する人も多いのです。
 日本の厚労省は5月31日からの1週間を禁煙週間として、「望まない受動喫煙」をなくそうという標語で啓発しています。受動喫煙に望むものがあるのかという疑問がありますが、厚労省とWHOで標語は異なるようです。
 日本で受動喫煙防止の機運が高まったのは2002年の健康増進法により施設管理者に受動喫煙対策を努力義務化したことからです。これがきっかけで駅や電車内での禁煙がすすみました。本学の本館でも喫煙室が整備されました。2005年にはWHOのたばこ規制枠組み条約が発効し、たばこ広告の規制、未成年者への販売の規制などがおこなわれるようになりました。
 たばこを吸う環境が規制されるにつれ、日本人の男性の喫煙率も顕著に低下してきました。喫煙場所を閉鎖するのは、受動喫煙対策だけでなく、喫煙者の方々が禁煙しやすくするためです。これを機会に禁煙する方が増えると嬉しいとつぶやく学長です。







2018年5月16日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本学の隣の小学館は、まんが「ドラえもん」や「うる星やつら」の出版社であり、地下鉄神保町のA8出口から通う方は、これらの宣伝画像を目にすることがあると思います。小学館の隣の集英社は、週刊少年ジャンプの「ワンピース」の出版社として有名です。このように神保町は、まんがの聖地の中にありますが、エンタメとしては映画との関連も深いようです。
 神保町の古本屋には古い映画のパンフレットやブロマイドなどを専門に扱う店があります。私が本学の勤務を始めたころ(2003年頃)、休みの日に古本街を散歩していると、私の卒業大学の先輩の先生にお会いしました。その先生は、大阪にお住まいでしたが、小津安二郎の映画ファンで、その関連書籍を探しにわざわざ古本街を散策しているところでした。私には近しい先輩でしたので、大変なつかしくまた嬉しく思い、近くの喫茶店で思い出話をしました。実は私も小津安二郎の映画ファンなのです。
 神保町界隈は比較的に映画館のある街です。現在は、岩波ホールと神保町シアターがミニシアターとしてありますが、昔はもっとあったらしい。本学の本館竣工後、卒業生の方が屋上から東の高層ビルの方を指さしながら、「学生の頃、授業の合間によく映画を見に行ったけれど、その映画館はもうないわ」と言われたのを聞きました。今の三井ビルのところに映画館があったらしい。
 岩波ホールは、1968年開設の岩波神保町ビル内のミニシアターで、大手興行会社がとりあげない名作を選んで上映しているのが特徴です。日本では戦後に映画ブームがおき、映画館数は今の10倍近くあり、観客数も年間10億人を超えていました。その後、1960年代のテレビの普及に伴い、映画館数、観客数も減ってきました。私が生まれたK市は、人口5万人でしたが映画館が5館もあり、小学生のころは毎週のように祖父につれられ映画館に通いました。そのころの映画は連続活劇が多く、毎回に「続く」という終わり方をするので、次の週には見に行きたくなります。今では、その市には映画館は1館もありません。映画斜陽の時代に、映画の灯を消さないように作られたのが岩波ホールです。映画に凝っていた学生時代に見に来たのを思い出します。ちょっと難解な芸術的な映画が上映されるのが特徴です。
 私が今凝っているのは神保町シアターです。神保町シアタービル(神田神保町1-23)にお笑い劇場の神保町花月と一緒に入っています。神保町シアターは小学館運営で、いわゆる名画座の範疇に入る映画館です。名画座とは過去に封切りされた映画を、封切り映画の料金より安価で上映する映画館です。私が学生のころには都内には多くの名画座があり、安価な料金で名画が見られるのが特徴で、学生に人気でしたが、減ってきました。その中で神保町シアターは11年前にオープンしました。このシアターの特徴は、主に日本映画について特集を組んで上映し、自由席定員制、整理番号順、各回完全入替制をとり、私のようなシニアは1回千円と安価であるのがありがたい。お客さんは私より年配の方が多い。先日の特集は、先に述べた小津安二郎の特集で、「映画監督小津安二郎「をんな」たちのいる情景」として、14日間で10作品が上映されました。私はその中で私が生まれた年に制作された「晩春」をみにいきました。
 私が今見たいと思っている特集は、笛吹童子、赤胴鈴之助などの子供の時に見た冒険活劇です。
 もっと映画を見る余裕がほしいなとつぶやく学長です。







2018年5月7日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月29日のNHK日曜日スペシャルのテーマは、シリーズ大江戸 サムライが築いた「水の都」で、東京の水路のことが紹介されていました。
 そういえば、先日から本館の入り口に連休中の三崎神社祭禮の「のぼり」が飾られていました。三崎神社は、千代田区三崎町にある由緒正しい神社です。本学からほど近い水道橋駅の近くにありますが、三崎神社の三崎は、「岬」に通じ、元の三崎神社の界隈は海岸であったことを示唆します。
 東京は水路の街といわれますが、本学の周りにも水路があり、水路の街の真ん中にあります。3号館の前の水路は日本橋川で、日本橋に通じています。本学は、首都高速道路の竹橋の近くからキャンパスが見えるので有名ですが、実は首都高などは水路の上に建設されたために、高速道路からキャンパスが見えるということはキャンパスが水路に囲まれていることを示します。昭和39年(1964年)の前の東京オリンピックのときに東京に高速道路を建設するのに水路の上に高速道路を作るしか方法がなかったのでしょう。今は日本橋のたもとから船にのり、隅田川、神田川を経て水道橋のところから日本橋川にでて、本学の3号館前の水路をとおり、日本橋に戻る観光船があり、下から本学を望むこともできます。
 なるほど共立女子大学・女子短期大学は東京の中心にある大学であるとつぶやく学長でした。







2018年4月28日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本学の住所は千代田区一ツ橋です。 一ツ橋は、今NHKで放送中の大河ドラマ「西郷どん」の中で活躍する「ヒー様」こと一橋慶喜の住居地として有名になるかもしれませんが、神田神保町の方が本学になじみのある町名です。神保町は本の街として有名ですが、カレー屋の多い街としても紹介されます。神田神保町界隈に300件のカレー店があるそうです。何故神保町にカレー店が多いかは、本を読みながら、片手で食べるのにカレーが適しているからだと説明されています。
 神保町はまた中華料理店が多い街で、神田チャイナタウンなどとも呼ばれることがあるそうです。私が感激したのは、すずらん通りに日本で最初に「冷やし中華」を販売した揚子江菜館(神田神保町1丁目)があることなどです。
 ところで何故神保町に中華料理店が多いかは、カレー屋が多い理由より学術的です。明治期には、日本は中国から留学生を多く受け入れたそうです。東亜高等予備学校は日本語学校の一つで、そこにはかの周恩来が学び、学校の跡地である神保町の千代田区愛全公園(神田神保町2丁目)には、「周恩来ここに学ぶ」の石碑があります。ちなみにこの愛全公園も千代田区の喫煙所が設置されていましたが、4月1日より閉鎖されたのは前のブログに書いたとおりです。
 明治期に来日した中国人を悩ましたのが当時日本で流行っていた「脚気」でした。脚気は、白米を主食とする当時の日本人に多い欠乏症で、重症となると心臓脚気を生じ心不全で死に至ることもあります。NHKの「西郷どん」の先日の放送で、又吉さん演じる徳川家定が急死したのは持病の脚気によるとされています。今ではビタミンB1欠乏症として認識されていますが、当時は漠然と食事に原因があると思われているだけでした。中国からの留学生に多い脚気を何とかしようとして中華料理を食べてもらうために中華料理店が多く開店したのが神保町に中華料理店が多い理由として説明されています。
 今日の昼食はカレーライスであったので、明日はチャーハンと餃子にしようとつぶやく学長です。







2018年4月20日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 春らしい天気の日は外に出て散歩をしたくなります。本学界隈は本当に散歩に適した街と思います。花鳥をめでるのが好きな人には北の丸公園があるし、街角ウオッチングが好きな人には神保町界隈は散歩していて飽きがきません。
 春の散歩では、春らしいにおいも楽しめますが、公園などに喫煙所が配置されていると煙草のにおいで折角の気分が害されてしまいます。今日たまたま俎橋のところを歩いていると、橋のたもとの公園内の喫煙所が閉鎖されていました。千代田区が生活環境条例により公園内禁煙を4月1日より行うことになったと区の職員により説明を受けました。
 これはとてもいいことだと思います。千代田区は、平成14年から罰則付きに路上禁煙をとりいれていました。平成15年に本学に赴任した私は、千代田区の禁煙の状況をつぶさに見てきました。路上が禁煙であるために、公園に喫煙所が設置されることになったのだと思われます。今回、公園内禁煙が条例で決まり、喫煙所の閉鎖になったようです。
 受動喫煙の問題は、他人の煙で自分の健康が害される理不尽さもさることながら、においの不快感が大きいと思います。実際に、喫煙者であってもレストランでは禁煙の席を好むのです。
 千代田区は屋外の禁煙が厳しいので、かえって屋内のレストランなどで喫煙ができるところが多い気もします。この頃は、煙の出ない電子たばこを屋内で吸うひとが増えているとはいえ、屋内禁煙もすすむことを期待するex-smokerのつぶやきです。







2018年4月17日

共立女子大学・共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月1日より学長に就任しました。新学長のデビューは、4月1日に行われた入学式での式辞でした。人前で話すことには慣れているとはいえ、大変緊張しました。式辞の内容の準備にも時間をかけましたが、いざ登壇して多数の入学生とその保護者の方々を目にすると声がふるえました。新人のデビューは1回きりですが、これから卒業式、入学式のたびに緊張しそうです。
 4月4日の金曜日は入学式を挙行した学校が多いようでしたが、私は孫の小学校の入学式に保護者として出席しました。校長先生の式辞につい聞き入りました。内容は小学校1年生に対して短くわかりやすい話でした。「みなさん3つのことに努めてください。1つ目は、学校では元気に挨拶をしましょう、2つ目は友達となかよくしましょう、3つ目は、自分で進んで勉強しましょう。」 この3つの目標を聞いて、私が大学の入学式で話そうとしたことと大きく変わらないことに気が付きました。日本の学校の教育の目指すところは、小学校から大学まで一貫しているものと思いました。

 以上が学長のブログのデビューです。