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更新日:2016年04月11日

海外との交流

【渡航報告】ベナン滞在記~未来へと続く道~

フランス語フランス文学コース 2012年卒業
千葉しほみ

 

 どんな国にも賞賛すべき面も、改善すべき面もあります。私がどんなにベナンの良くない面を見ても、嫌いになれないのはそれ以上にベナン人の素晴らしい人間性をこの滞在を通して実感したためだと思います。私はこのベナン滞在で多くのことを学び、考えました。良いことばかり書くのは簡単なことだと思いますが、皆さんに良いことも、悪いこともすべて含めて、私が体感したベナンを知ってほしいという思いでこのレポートを書いています。そのため、良いことがあまり書かれていない印象を受けるかも知れませんが、ひとつどうしてもわかっていただきたいのは、ベナンは本当に素晴らしい国であるということなのです。
 まずは、なぜ私がベナン共和国に滞在することになったのか、いきさつを簡単に説明したいと思います。私は高校生の時にフランス語を学習し始めたことがきっかっけでアフリカに大変興味を持ちました。最初は、メディアからくるイメージそのもので、「貧困=かわいそう=何とかしてあげたい」という思いでした。しかし、大学2年生から始めたアフリカンレストランでのアルバイトや、アフリカから来ている留学生との触れ合いを通し、彼らの心の豊かさや、ユーモアや、人生に対するおおらかな考え方にひかれていきました。そして、2010年6月に念願かない西アフリカのセネガルに2週間滞在することになりました。
 この時は、怖いイメージはなく、ただ自分があこがれているアフリカが、実際はどんなところなのか見てみたいという気持ちでした。滞在してみて、空気が埃っぽかったり、ハエが至るところを飛んでいたり、断水があったり、ごみが至るところに落ちていたりと良くない面もしっかりと認識することが出来ました。しかし、子供たちも含め人々は社交的で、見ず知らずのアジア人に話しかけてくれて、お茶をごちそうしてくれたり、一緒に散歩したりと、すぐに友達として受け入れてくれる彼らの人間的な暖かさもたくさん感じることができました。困っていると言葉がわからなくても必ず助けてくれ、問題が解決するまで、ずっと気にかけてくれました。おせっかいともいえるほどのセネガル人の優しさが本当に大好きになりました。そして、心に必ずまた戻ってくると誓いました。しかし、この滞在で心残りだったのは、ただの観光になってしまったということでした。アフリカで将来的には働きたいと考えていた私には、仕事に対しての具体的なビジョンを持つには至らない旅となってしまいました。
 アフリカに戻るためには、心配する両親を説得しなければならないことに加えて、時間もお金もかかります。4年生の夏まで、行きたいという思いもありながら、なかなか決断することができないでいました。そんな時に、フランス語フランス文学コースの助手さんもアフリカに行きたいと思っているということを知りました。せっかくなら、行ったことがない国へ、そしてできることなら知り合いがいる国へと2人で話し合いました。また、私は今回こそはただの観光ではなく、自分の将来につながるような滞在にしたいと強く望んでいました。そして、共立にベナンからの留学生が来ているのに、まだ共立からは誰も行っていないことや、アフリカで運営されている日本語学校を見学することで、自分の将来のビジネスのアイディアを得ることができる貴重なチャンスになるのではないかと思い、国際交流室にベナン滞在のお話をしました。すると、国際交流委員会の先生方のお力添えがあり、ことは進み、3月のベナン滞在が決まったのです。何ともチャンスに恵まれていたとしか言いようがありません。
 そんな、将来へとつながる滞在に大きな期待を抱き向かったベナン共和国で、見たこと、感じたこと、考えたことをここに記します。少しでもみなさんに私が体感したベナンが伝わればと思います。まずは、強く印象に残っている3つの点に絞って書いていこうと思います。1つ目は日本語学校についてです。2つ目は国立病院についてです。そして最後にハンガーフリーワールドの活動および学校についてです。その後に、滞在中大変だったことや、町や人の様子などを書いていこうと思います。
 まずは、日本語学校とジャパンハウスについてです。私たちがベナンに滞在するに当たり、さまざま手配をしていただいたゾマホン氏が運営している、ベナンで唯一の日本語学校です。共立の留学生もこの日本語学校で学び、共立へと留学してきています。ジャパンハウスの建物の奥に1室だけ教室があります。教室は20人ほどが学べるようになっていて、壁には節分などの日本の文化の紹介や、愛国心、献身、分かち合いなどの心得なども掲示してありました。その掲示物から日本語を教えるだけではなく、人として生きる上で大切なこと、日本人が本来大切にしてきたことまでも伝えようとしているのだと感じました。ジャパンハウスには、日本語の先生2人も一緒に暮らしていました。先生方は大変礼儀正しく、つつしみ深さを感じました。海外において日本人らしくいることは、おとなしすぎると時として批判されることもありますが、やはり日本語の先生として、日本の心を教える立場の場合はある程度必要なことではないかと感じました。また、学生のやる気は、日本人の学生とは比べ物にならないものでした。学習を初めて間もないクラスで、自己紹介をさせていただいたのですが、生徒は完璧に私たちの言うことを理解していました。自分が、フランス語を初めて直ぐにこれほど理解できただろうかと思うと、仕事が終わってからでも勉強しにくるほどのやる気がある学生と、何となく時間を過ごしてしまう学生とでは、学習スピードがあまりに違うことに驚かされました。日本語で「こんにちは」とあいさつすると、恥ずかしそうに「こんにちは」と返してくれる学生が多く、恥ずかしがり屋なところは日本人と似ているなと思いました。
 ジャパンハウスの周りにはたくさんの子供や家族が住んでいます。そして大変多くの近所の住民が私たちに日本語で「こんにちは」とあいさつをしてくれます。きっと教室から聞こえてくるうちに自然と覚えたのでしょう。町でも、日本語学校に通っているというと、私もあそこに通いたいと思っていたとか、どうしたら申し込みができるのかと、ガイドをしてくれたバクミナさんはよく聞かれていました。どんなに遠く離れた国でも、日本語を話せる人がいること、日本の挨拶を知っている人がいること、日本語を学びたいと思ってくれる人がいることを大変うれしく思いました。
 次に、ダサズメ国立病院を訪れた時のことを書きます。ダサズメは、ベナン最大の都市コトヌーから約200キロのところにある、キリスト教の巡礼地になっている町です。コトヌーから車で4時間ほどかかります。私が想像していた国立病院は、ビルのような建物で、ある程度クリニックよりも機器がそろっていて、清潔なイメージを持っていました。しかし、病院に到着したとき、正直「これが国立病院なの?」と思ってしまいました。院長に案内していただきながら、新しく建設している入院施設、小児科、産婦人科を見て回りました。一応、レントゲン室もあるのですが、レントゲン技師の不足のため現在は使用されておらず、部屋に鍵がかかっていました。また、電気で動く機器がいくつかあり何とか使えるが壊れかけていると説明してくださいました。一般病棟ということのようでしたが、実際は産婦人科のような状態で、入院しているのは産科の患者さんばかりでした。個室などはなく大部屋に約6人ずつ入っています。部屋にクーラーはなく、ベッドだけが置いてある状態でした。日本の病院が、今やサービス産業なのに比べて、必要最低限の医療しか提供できない病院の現状を目の当たりにしました。一般的に、産科においては、問題がなく出産する場合は家の近くのクリニックのようなところで出産するそうです。しかし、何らかの異常をきたした場合に、少し早めにダサズメ国立病院に入院してもらうことになっているそうです。そしてダサズメ国立病院で対応ができない場合に、コトヌーの大きな病院に搬送するそうです。
 日本人の私には、病院というと、明るく、白い清潔なイメージがありますが、ダサズメ国立病院は明かりが少なく暗かったというのが正直な印象です。診察室も、産婦人科と小児科にわかれているのですが、机とベッドと、書類があるのみで、あまり清潔な印象は受けませんでした。手術室もあるのですが、そう頻繁には使わないそうで、難しい手術はできないとおっしゃっていました。入院食は、準備がないそうで、入院していてもごはんが出てくるわけではないようです。また、保険もないため、全額自己負担しなければならないのが現実のようです。
 私が強く感じたのは、衛生概念の違いです。消毒は病院においては必要不可欠で、病室の前には消毒液が置いてあり、必ずマスクをつけなければならない病院もあるほど、日本では衛生には気を使うべきだとされています。しかし、ダサズメ国立病院には消毒液はおいておらず、シーツはどれくらいの頻度で取り換え、掃除は毎日しているのかなど、あのときは医療現場の現実を見てショックで思い浮かばなかったことも、後から考えると気になることばかりです。日本の産婦人科がどのような設備なのか、入院中はどのような処置をするのか詳しいことは良くわからないですが、私が妊婦だったら、あの病院のベッドには寝ていたくないと思いました。しかし、現地の女性には選択の余地はありません。他の国がどんな衛生概念を持ち治療をしているのか、どんな器具で診察をしているのか知らない人も多いのではないでしょうか。そもそも、設備が整っていないのですから、衛生という概念に至らないのかもしれません。しかし、同じ女性として、やはりより安全性の高い場所で出産できるように協力していくことは大切なことだと思います。私は、衛生に関しては設備の問題ではなく、意識の問題だと思います。そのため、衛生という概念が根付いている日本人だからこそできるベナン人への意識改革もあり、ベナン人女性とともに考えていくべき課題ではないかと思いました。
 最後に、ハンガーフリーワールドという日本のNGOの活動を見学させていただきました。まずは、中学校を見学しました。もともとこの地域には学校がなく、地域住民が発端となり学校建設が始まったそうです。そして、それをハンガーフリーワールドがサポートする形で参加し、2棟の新しい教室が建設されました。日本の学校のように、数階建てではなく、1階平屋建てです。生徒は800人ほどいるそうですが、古い1棟と合わせて、3棟の教室ではとても入りきる人数ではないことは明らかでした。しかし、近くに学校がないため遠く離れた地域から学習しにくる生徒もいるそうです。休み時間は3時間ほどあるのですが、家が近くの生徒はうちに帰りご飯を食べ、遠い生徒は持ってくるか、近くで買うそうです。私たちが訪れたのもちょうどお昼時でしたが、たくさんの生徒が教室に残っていました。
 次に保育園を訪れました。こちらは3教室あり、年齢ごとに教室が分かれていました。保育園も同じように遠くから通っている子供がいるそうです。中に入ると、やはりNGOがサポートしているため、建物はきれいで、遊具や絵本など学習用具もしっかりと揃えられていました。子供たちは日本と同じように、絵をかいたり、アルファベットを習ったりするそうです。教室には、大きなバケツのようなものがあり、水が入っています。子供たちはそこから水を飲むようです。校庭には、井戸が掘ってあり、常にきれいな水を手に入れることが出来ます。その水を、地域の人々に売り、保育園経営に充てているとのことでした。最初は、私たちを不審そうに眺めていた子供たちも、少し時間がたつと一緒に遊んでくれるようになりました。カメラを向けると興味津々にこちらを見つめ、撮った写真を見せると、写真に写った自分を指さしながら、私だ、僕だとにこにこ笑ってはしゃいでいました。子供たちの笑顔から、大きなパワーを得られるのは万国共通です。
 やはり、NGOや何らかのサポートを得ている学校の施設は、ある程度充実していると実感しました。私たちは滞在中、合計で4つの学校を訪れました。そのうち3つは、日本のNGOなどのサポートがある学校です。1つは先ほど記しました、ハンガーフリーワールドがサポートしている学校です。2つ目は、井上小学校というゾマホン氏が設立したIFEというNPOが支援して建てられた学校です。もちろん井上小学校の脇にも井戸があります。1年生から6年生まで6つの教室があり、それぞれ40人から50人ほどの生徒が学んでいます。また、この学校には給食があります。その給食を食べられるならと通ってくる子供たちもいるようです。3つ目は、あいのり小学校という、日本のテレビ番組で募った募金で建設した小学校です。私たちが訪れたときは、生徒はすでに帰宅していて、建物内部を見ることはできませんでしたが、ここにもちょうど井戸が建設されたところでした。この井戸の建設に携わっていたのが、松井さんという日本人の男性でした。会社を定年退職された後、井戸を掘るための器具をすべて自費で揃え、2年にわたりベナンで井戸掘りをしている方でした。また、井戸を掘るに当たり、松井さんはベナン人の青年たちと協力しながら行っていました。若者に掘り方を教えるという考えのもとで行っているのか、必然的にそうなったのかはわかりませんが、私はこの現地の人々と協力して行うということは大変重要であると考えています。
 話が少しそれましたが、このように何らかのサポートがある学校は、ある程度施設は整っていますので、通年通常に授業を行うことが出来ます。しかし、1つだけ私たちが訪れたどこからのサポートもない学校では、屋根に穴が開き、窓からは車の雑音が響き、もちろん井戸などありません。雨季になると、雨漏りがひどく授業はできないそうです。また、すぐ隣を走る車の雑音のせいで生徒たちは勉強に集中できないともおっしゃっていました。もちろん、NGOなどの協力が得られればなんでもうまくいくということを言いたいのではありません。井上小学校の校長先生は、職員の給料を自分のポケットマネーを使って支払っていると聞きました。それでは、学校の施設だけが立派でも継続していくのは大変難しいと思います。例えば学校や施設ならば、建設するだけではなく、軌道に乗り現地の人だけで継続できる状態にしていくことが理想だと私は考えています。「建設しました。引き渡すので後はそちらで何とかしてください」といったサポートの仕方はあまり好意を持てません。しかし、今回いくつかの学校を訪問し、建設するだけでも十分に子供たちの学ぶ環境づくりに役立っていることは確かであることを実感しました。
 以上の3点が強く印象に残っている事です。ここからは、大変だったことや、町の様子などを書いていこうと思います。
 ベナン滞在を通して1番大変だったことは、トイレを探すことでした。ホテルや、大きな街では問題ないのですが、移動中や、小さな村などに行くとやはりトイレには困りました。水洗のところもありますが、扉がなかったり、明かりがついていなかったり、水が流れなかったりしました。村の一般家庭では、穴があるだけといったところもありましたし、ただ囲いがあるだけで、用を足したあとを水で流すだけという時もありました。ある意味で大変印象深く、今後はどんなトイレでも躊躇なく用を足せる「生きる強さ」を身につけられた気がします。
 ベナン人はとても穏やかな人が多いと思いました。少し恥ずかしがり屋なところもありますが、仲良くなると、大変おしゃべりで、ユーモアにあふれています。時間の概念はやはり違うようで、時がゆっくりと流れているような印象を受けます。約束の時間に30分以上遅れてくることは日常茶飯事で、遅刻が30分以内だと早く感じてしまうほどです。そんなゆっくりとした時間の流れが、人々の心を豊かにし、ベナンを訪れる者に解放された自由を感じさせ、穏やかな気分を味あわせてくれるのだと思いました。町は、やはり衛生に対する考え方の違いか、ごみが至るところに落ちています。特に、買い物をすると何でも黒いビニール袋に入れてくれるのですが、この袋は至るところに落ちています。そのため、川の近くを通ると、淀みから悪臭がすることもありました。町のレストランでは、飲み物のビンにうっすらと砂埃がかかっていたりもします。ビンの飲み口が汚いままで、テーブルに運ばれてくることもあるので注意が必要です。主な交通手段がバイクということもあり、排気ガスの空気汚染がひどいことも事実です。バイクの運転手が布で口を覆っているのを何度も見かけました。
 今回の滞在では、一人で旅行をしていたら絶対に立ち入ることのできない場所や、出会うことのできなかった人や、聞くことのできなかった貴重な話を聞き、見て、出会って、感じることが出来ました。この経験を、将来アフリカで働きたいという自分の夢に生かしていきたいです。今回の滞在で、自分には何もできないこと、今の自分は未熟であることを痛感しました。夢を語るだけでも、理想を描くだけでもなく、自ら行動を起こし、夢に向かって確実に成長していきたいと、自分の意思を強く再認識することが出来ました。こんな素晴らしい機会を与えってくださった、学園長をはじめ、後援会、国際交流室の皆様、そして私たちのベナン行きを支え、応援してくださった方々にこの場をかりて感謝の意を示したいと思います。本当に言葉では言い尽くせないほどの素晴らしい経験をさせていただき、どうもありがとうございました。


あいのり小学校の井戸


子どもたち


幼稚園見学