Faculty of International Studies
更新日:2025年10月24日
学生の活動
【国際学部】手仕事をめぐる旅~エストニア旅行記~⑦
学生広報委員2年生の西田倫子さんがエストニアに関する記事を執筆しました。
前の記事はこちらからご覧ください。
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⑥Setomaa(セト地方)
スモークサウナを体験したヴォルのホテルから、バスでセト地方のVärska(ヴァルスカ)へ向かった。
【セト地方とは?】
エストニアとロシアの国境にまたがる地域で、セト人が住んでいる。彼らはセト語を話し、言語的にはエストニア語に近い。古来のエストニア文化を引き継いできた一方で、接触が長かったロシアとは、宗教や民族衣装など影響を受けている所もある。ロシア正教への信仰心が熱く、日常生活にも宗教的な習慣がある。民謡も豊富にあり、Setoleelo(セトレーロ)と呼ばれている。
・Värska Farm Museum(ヴァルスカ ファーム 博物館)
この博物館では、昔ながらのセトの人々の住居や暮らしの様子を展示している。
博物館の方にセト人の日常生活について解説して頂いた。ここではその1部を紹介する。
・倉庫の数が多ければ多いほど、その家に住む農家が裕福だと見なされた。
・ロシア正教への信仰心が強く、部屋の室内に設置されている聖像(イコン)に毎日朝晩祈りを捧げる。
・1つの家に3世帯のおよそ12人が暮らし、食事の時はテーブルを全員で囲んだ。室内の窓から家の門が見える席には、必ずその家の主人が座り、家に訪問者が来てもすぐ家を守れるようにしていた。
・ストーブは調理にも使用し、床下の倉庫にジャムや野菜、漬物などを保存した。
・セト刺しゅうワークショップ
私が行った刺繍は、19世紀後半の、古い民族衣装のブラウスや腰エプロンに施されていたもので、正方形のマス目に沿って刺繡していった。この刺繍は、裏表とも同じ模様になることが特徴である。ツアーで割り当てられた時間内に終わらせることはできず、帰宅後続きに取り掛かったものの、手芸初心者の筆者にとっては難易度が高く、諦めてしまった。
・レストラン "Maagõkõnõ" (セト語で「ポピーの花」の意味)
ポピーがデザインされた、可愛いレストランでランチをいただいた。
そこの料理は日本の洋食屋でも味わえるような感じで、特に受け入れがたい食材もなくとても美味しかった。
・セト民族衣装試着体験
今回試着させてもらったのは、セト地方の民族衣装の中でも初期にあたる18世紀末の既婚女性の衣装。当時の衣装は赤色の彩度が高い。時代とともに変化があり、現代に近づくにつれて、新たに黒が加わり、赤色の彩度が落ち着くようになる。現地で頂いたパンフレットによると、民族衣装で、胸に着ける大きな銀のブローチは、多産な年齢を表し女性の繊細な魂を守るという意味があり、赤色は「生命の色」を表すそうだ。
(『SETOMAA』,Setomaa Turism MTÜ (Transition:Justin Petrone)
URL:Setomaa_mainetrykis_veeb_ENG (1).pdf)
(私自身は未婚だが今回それしか用意がなかったということのでこの衣装を試着させてもらった。)
①一番下のワンピースを着る。
②裾が長く、ノースリーブのワンピースを着て、金属製の胸飾りをつける。
③髪の毛を編んでまとめる。
④最後に頭に巻く布が綺麗な四角形にまとまるように、頭に固定用のバンドをつける。
⑤頭に1枚目の頭巾をまく。
⑥頭に赤い帯を巻いて布を固定する。
⑦2枚目の布を頭に四角く巻き、最後にスカートの裾を帯で止めて調整したり、腰エプロンをつけて完成。
実際に着たところ、銀の大きなブローチは、そこまで重いという感覚はなかった。頭があんこうや2枚の頭巾でしっかりと固定されているため、締め付け感はかなり感じた。当時、ツアーの他の参加者や添乗員、エストニア人通訳の方等15人ほどの視線を同時に浴びていたことからの緊張と、今まで抱いていた大きな夢が叶ってしまった瞬間の受け入れ難さでかなり複雑な気持ちになっていた。この時の気持ちは、現在でも鮮明に思い出せる。
次回へ続く