国際学部

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更新日:2022年01月27日

学生の活動

【国際学部】学生広報委員による原基晶先生講演会記事




皆さんこんにちは。国際学部1年で学生広報委員の宮地理子です。

今回は原基晶先生の講演会についてお伝えします。


2021年12月2日、イタリア文学・ルネサンス文化を専門とし、イタリア最大の詩人、ダンテの『神曲』の翻訳を手掛けられた原基晶先生をオンラインでお招きして講演会が行われ、国際学部1年次の学生が参加しました。





会場の様子。原先生はオンラインで参加された。


今回の講演会は「世界の中のダンテ」をテーマにお話していただき、実際に質問もすることができました。


講演ではダンテの生涯、中世イタリアの様子、ダンテの世界観と表現、そして自身の翻訳活動について聴きました。写真を交えながらのお話で、当時の様子を思い浮かべながら穏やかな時間を過ごすことができました。『神曲』は3行一区切りで書かれており、3という数字は神を表すなど文学の深さを知りました。また、ダンテが書いた『神曲』の文章と世相との繋がりから歴史の面白さにも触れました。


原先生が翻訳活動の中でイタリア語の音とリズムを日本語でどう伝えるか、イタリアの哲学を理解し、読み手にどう伝えるかということに苦労したとおっしゃっていました。実際にイタリア語で『神曲』地獄篇の一節を朗読していただいたときには胸に響きました。それと同時にイタリア語の美しさを感じることができました。


講演会後、質問の時間を設けていただきました。『神曲』の翻訳は18年間の歳月を経て完成したということですが、長く続けられた理由には原先生の信念がありました。『神曲』の翻訳を出すために研究者になり、これが終わるまでは他のことはやるつもりはないという、作品にかける強い思いが印象的でした。



講演会後、質疑応答の時間。



新型コロナウイルスが世間を騒がせてから3年が経過しようとしています。突然の慣れない生活の中でも前を向いて生きようとする一方で、苦しみ、時には絶望を感じた人もいることでしょう。『神曲』地獄編の冒頭は以下のように綴られています。



我らの人生の半ばまで歩んだ時

目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。

まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。

  (訳文は原基晶先生訳の講談社学術文庫による)


Nel mezzo del cammin di nostra vita

mi ritrovai per una selva oscura,

che la diritta via era smarrita.



ダンテは光をたどっていけば神の元へいけると信じていたものの戦争が勃発、光は閉ざされてしまいます。平和が必要だと考えたダンテは『神曲』を書くことにしたのです。まだまだ気を緩めることができない毎日ですが、日常にある小さな光を頼りに前へと進んでいくことが大切なのだと感じました。近い将来、以前のような日常が訪れることを願って、このレポートを終えたいと思います。とても貴重な経験でした。ありがとうございました。



Q&A

Q. 『神曲』の翻訳にあたって最も苦労したことを教えてください。


 『神曲』ではイタリア語の不協和音が多く、リズムが畳みかけられています。地獄編では、日本語へ音とリズムを生かすことにとても苦労しました。また、天国編では哲学を理解し、読者に伝わるように、わかりやすく、翻訳することにも重きを置き、その点にも苦労しました。



Q. 講演では翻訳に18年間かかったとおっしゃっていましたが、なぜ続けられたのでしょうか。


 元々、とある編集者に見いだされて研究者になりました。『神曲』の専門家として研究者になり、その目的はこの作品の翻訳を出すということにありました。イタリア文学に関する就職先が大変少ないことから研究者をやめなければいけないかもしれない、という思いも頭のどこかにありました。しかし、もし研究者をやめるにしても『神曲』の翻訳を出してからやめたいという意思をもって翻訳活動に携わり、今に至ります。もう少し早く出したかったという思いもあります。自分自身が年月を経て変わっていくので、ある程度年が過ぎると文章を直す必要が出てきます。直す作業も繰り返した結果、18年間かかりました。


Q. ダンテのような中世の人の世界観と現代の私たちとの違いは何ですか。


 ダンテやその時代の人々は「神がこの世界を創って運行している」と考えていました。現代では信仰心のある人は「神がこの世界を創った」と信じているかもしれませんが、「神が運行している」ことを信じる人は少ないのではないかと思います。むしろこのような存在はいないと考えていると思います。現代の人々は、地上の事象は神の意志とはかかわりなく起こると考えています。それらは偶然によって起こるのだろう、ということです。私たちは住んでいる空間に神がいるとは考えませんが、ダンテらは神が存在すると考えていました。神への考え方がダンテと現代で異なるでしょう。