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更新日:2019年11月20日

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【国際学部】リレー・エッセイ2019 (17)辻山ゆき子「横浜寿町のボランティア」

横浜寿町のボランティア

辻山ゆき子


2011311日東日本大震災の翌月から、横浜市寿町の簡易宿泊所街にある福祉作業所を運営するNPO法人空(そら)にボランティアに行き始めました。自宅から片道2時間もかかるのに、8年以上も通い続けることになったのは、この寿町の作業所に不思議な魅力があるからです。


ボランティアに誘ってくださったのは、旧カリタス短大で学長をなさっていたシスター湯原美陽子先生でした。シスター湯原は前任校で私のお隣の研究室にサバティカルにいらしていて、新米教師の私に学生との付き合い方のイロハを手ほどきしてくださいました。シスターが、とにかくちょっといらっしゃいと誘ってくださり、シスターの楽しそうな寿町での冒険譚に魅かれ、また横浜寿町は、社会学の研究対象としても魅力的だと思いながら、NPO法人空の運営する福祉作業所「風のバード」を訪ねました。


手作りの看板


風のバードでは、さまざまな裂き織が織られています。古い着物などの生地を裂いて、機織りをするのです。2011年当時、デザイナーと福祉作業所の作品を結びつけるスローレーベルという横浜市のプロジェクトを介して、裂き織の反物を矢内原充志さんというデザイナーに買い上げていただいていました。矢内原さんはその反物で、美しいバッグを作り、製品は、横浜高島屋や横浜の象の鼻テラスなどで販売されました。初めて風のバードに行った時にまず目に飛び込んできたのは、存在感のある裂き織の反物の数々でした。私には芸術はわからないのですが、創造的なものは大好きです。織り上げられた布が、そのまま現代美術のようだと思いました。いまは、スローレーベルのプロジェクトは終わりましたが、風のバードでは、裂き織を自分たちでデザインして吉祥寺のマジェルカという雑貨店に置いてもらっています。マジェルカは全国の障がい者施設で作られた雑貨を販売するセレクトショップです。ここは意欲的なお店で、東京都美術館などでNPO法人空の自主製品を販売してくれたりしました。


さをり織りの自主製品


  風のバードで機織りをする人は多いのですが、なかでもすごいと思っているのは、ひとりの59歳の男性の作品です。彼が問わず語りに語ってくれた生い立ちは、私の恵まれた環境では出会ったことのない人生でした。生まれたときに1000グラムもない超未熟児で、やっと育ったこと。障害のために学校の勉強にはぜんぜんついて行かれなかったけれど、中学までは卒業した。中卒で近所の和菓子屋に就職して、餡子を毎日かき混ぜていた。20歳の頃に和菓子屋の主人が亡くなって失業して、そのあとはいろいろ。ホームレスもした。風のバードには、8年前から通っています。身体が半身不自由で、言葉がなかなか出てこなくて、てんかんの薬も飲み、さまざまな福祉サービスを利用しながら、簡易宿泊所の一室で一人暮らしをしています。その人の織る布が、とにかく色が美しく、私は見ていて飽きないのです。


 もうひとり、59歳の男性がいます。彼は、独学でパソコンの使い方を覚えて、ネット上の情報を検索しながら、ミシンの使い方、袋物の作り方、洋裁の基本を見よう見まねで覚えました。ひとりで研究しながら、裂き織のポーチやバッグ、ベストなどをつくります。高校を出た後に、最初に就いた職場で木工も習得しているので、電動糸鋸などを使って木工のパズルやキーホルダーなども作ります。手足に障害があり言葉もゆっくりですが、マイペースでなんでもできる人です。10年以上前に、大阪の釜ヶ崎から何か月かかけて歩いてきて、横浜でホームレスをしているときにボランティアの人たちに声をかけられて、福祉につながったそうです。簡易宿泊所の一室で一人暮らしですが、ポケモンゴーをして上野まで行ったり、金魚を飼って餌やりをしたり、ひとりで毎日楽しそうに暮らしています。私は、自立した人だなぁと、感心しているのです。


裂き織


 横浜市が寿地区と指定している簡易宿泊所街は、横浜市中区寿町を含む約0.06㎢の狭い場所に、120軒以上の簡易宿泊所が密集し、約5700人余りが住んでいます。かつて、寿地区は東京の山谷地区、大阪市あいりん地区と並んで、手配師が日雇い労働者を募集する日本の三大寄せ場のひとつとされていました。そして横浜の港で働く労働者たちの町として、たいへん活気がありました。しかしいまでは、高齢者が多く、65歳以上が約3200人、寿地区の人口の55%余りに上ります(平成30年度横浜市寿地区対策担当調べ)。 


 寿町を形作っている簡易宿泊所とは、「宿泊する場所を多数人で共用する構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業で、下宿営業以外のもの」(旅館業法24項)を行う施設と定義されています。私の知る簡易宿泊所は、3畳ほどの個室に冷暖房完備、テレビ付、高齢者、車椅子対応のバリアフリーでエレベーター付です。コインシャワーとコインランドリーなどもついています。一日中入浴OKの共同風呂付もあります。いまは、寿町はすっかり福祉のまちになっているのです。町の中には、高齢者向けのヘルパーステーションやデイサービスなどが見られます。


寄せ場の中心だった寿町総合労働福祉会館は20196月に立て替えられ、建築家の小泉雅夫氏の事務所が設計して、健康福祉交流センターへと生まれ変わりました。1974年に開設された旧総合労働福祉会館は、がっちりとした印象の建物でした。一階の日雇い労働者の職安前の広場は、寿町が寄せ場としての機能を失ってからも町の中心でした。新しく竣工した健康福祉交流センターは、前と同じく市営住宅や、公衆浴場、図書室、診療所などを含む複合施設ですが、その中にあった職安は寿町の外へ移転しました。建物は現代的で美しく、たいへん居心地が良いです。わたしには、フランスの都市の再開発で、恵まれない地域の中心に現代美術の施設などが建設され、街がきれいになってゆくのを見るような既視感があります。外部から前衛的な感覚のおしゃれな人々がやってきて、やがて恵まれない人々の影は消えて、お洒落な街に変わってゆきます。


2017年の夏の横浜トリエンナーレでは、建て替えのために更地になった総合労働福祉会館の跡地で、水族館劇場のテント芝居が行われました。それは、町の人々が毎年夏祭りを行っていた場所でした。工事のために使えないと思っていたのに、横浜トリエンナーレのために降ってわいたようにそこに大掛かりなテントが設けられて、芝居がかけられたのです。水族館劇場の座付き作者の桃山邑氏は、1970年代から日雇い労働をしながら芝居をしてきた人です。1987年に水族館劇場を立ち上げたあとも、芝居と建設現場での仕事を続けてきました。水族館劇場は、寿町で毎年元旦に公演し、野外テントは女優さんも一緒に工事現場で作り上げ、芝居の内容も作り方も下層の人々に寄り添うものです。しかし、水族館劇場のテントによって夏祭りの場所が「失われ」、外から日頃寿町に来ない観客が押し寄せ、芝居の初日のころは、寿の人々の戸惑いが感じられました。また、水族館劇場にとってもそれは大いに心外だったのではないかと思います。寿町の変化はおしなべて、善意で行われているように見えるのですが、さまざまな点で寿町の将来は不透明だと思います。


 寿町の福祉作業所でボランティアをして、よく考えることは、現代社会を覆う業績主義的な価値観についてです。ここで出会う人は、本当にさまざまです。私にはとても手の届かない経済的な成功を収めたことがあるにもかかわらず、ふとしたきっかけでそれを失い、友人、家族も失い、その過程で障がいを負って、いまは寿町に一人暮らしの人がいます。いっぽうで生まれつきの障がいがあり、守ってくれる家族に恵まれず、子どもの時から苦労をしてきている人もいます。そして、多くのひとが自分の能力を自分の価値と同じように思い、それを確認しようとするのです。あるいは、かつてできていたことが出来なくなって、自分の価値が失われたように感じているのだろうかと思わせる人もいます。


 ただ、NPO法人空の運営する作業所には、別の空気もあります。能力ではなく、人がそのままで存在することを尊重する雰囲気です。それが、私のボランティアを続けている魅力だと感じています。 さまざまな問題はあっても、これを守っていかれればと思っています。