国際学部

Faculty of International Studies

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更新日:2019年10月31日

授業紹介

【国際学部】リレー・エッセイ2019 (15)李錚強「夏休みに国際学部中国研究旅行を実施しました」

夏休みに「国際学部 中国研究旅行」を実施しました

 

李 錚強

 

 9月上旬、国際学部主催の海外事情/フィールドワークで一行13名は、11日間の日程で中国大連市・長春市、哈爾浜市及び北京市を訪れました。

 

 

天壇公園内の祈年殿

 

 私が中国研究旅行の引率をしたのは今回で3回目です。1回目は「神秘的な九寨溝および域内の少数民族の暮らしを体験」、2回目は「世界遺産――麗江とナシ族文化」と、どちらも楽しそうなテーマを選びましたが、今回は「日露戦争の激戦地及び中国東北地方(旧満州国)を訪問し、近代史における日本と中国の歴史的つながりを体験する」という深刻なテーマとなり、企画した当初から学生が集められるかなと、不安が多少ありました。

 

 中国東北部出身の私は幼い頃から目にしていた満州国時代に残された旧跡や出来事をいつか学生にも知ってもらえばいいなとずっと思っていましたが、暗い話題ばかりなので、なかなか学生を向き合わせることができませんでした。しかし、2年前にあるゼミ生は、終戦直前に満蒙開拓団員の親に連れられて満洲へ渡り、中国残留孤児となった祖母にインタビューをし、満州国に焦点を当ててその波乱万丈の人生を描いた卒論を提出しました。その卒論は涙が出るほど感動的なものでした。

 

旧満鉄路線を大連から長春に向かう新幹線の車内

 

 そこで、旧満州国を含め、日中近代の出来事をもっと学生たちに研究してもらわないといけないと思い、今回は日露戦争激戦地及びその後、日本の統治下にあり、歴史のつながりの深い中国東北地方を訪問し、旧満鉄路線を大連から長春を経て哈爾浜まで旧満洲の史跡を訪れる鉄道の旅を企画しました。また、首都北京を訪れ、万里の長城や故宮博物館(明・清時代の宮殿)など世界文化遺産を見学し、中国の歴史と文化について体験を通して知識を深め、さらに、現地の大学生との交流を通して中国の大学生活を肌で感じてもらうことを目的としました。

 

 幸い、国際学部だけでなく、家政・文芸・文科からも1人ずつ参加してくれた学生もいて、みな、事前勉強会から日中近代史または中国文化について熱心に取り込んでくれた学生ばかりでした。また、助手の小林弥生さんも在学中、短期留学した経験を活かし、引率の細かい仕事まで分担していただき、大変助かりました。

 

上野駅をモデルとした大連駅

 

 成田から大連まで約2時間40分、中国に行く最短の空路になります。三方を海に囲まれた大連市は、かつて日露戦争の激戦地として史跡が色濃く残った街です。今回は203高地・水師営・東鶏冠山などを廻りました。

 

 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の舞台の一つになった203高地とは、日露戦争で旅順港を巡る攻防で日本とロシアが激突した場所です。この激しい争奪戦の末、日本軍とロシア軍はそれぞれ死傷者が1万人を超えたそうです。

 

 

(左)『坂の上の雲』にも登場した白玉塔   (右)『坂の上の雲』の坂を登る

 

 一行はバスで203高地に赴き、車窓からNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』にも登場した白玉塔が目に入ると思わずシャッターを押しました。そして、バスを降りると203高地の山頂につながる坂道を登っている途中、ガイドさんから、実はこの坂が『坂の上の雲』の坂であると紹介されました。およそ8年前に見ていたあの人気ドラマのタイトルの意味を確認できたことは私にとって予想外の収穫でした。

 

 山頂には203高地争奪戦で戦死した者を弔う「爾霊山記念碑」が建てられています。銃弾形の塔は203高地で拾い集められた弾丸と砲弾の薬莢を鋳造し、日露戦争後の1913年に完成しました。あれから100年余りの歳月を経てもこの記念碑に足を運び、山頂から旅順港を俯瞰しますと戦争の悲惨さを痛感させられます。

 

 

(左)爾霊山記念碑       (右)203高地の山頂から旅順港を一望

 

 この記念碑を「爾霊山」と命名したのは旅順攻囲戦の第3軍司令官の乃木希典です。その戦争で次男乃木保典が戦死したこともあり、「なんじの魂がこの山にあり」と慰霊する意味だったのはご存知の通りですが、「汝(なんじ)」の替わりに「爾(なんじ)」という漢字を選んだことに興味深く思います。この「爾霊山」を中国語で読みますと「ěrlíngshān」と「二〇三」(èrlíngsān)の発音とほぼ一致しているからです。即ち、「爾霊山」という3文字は中国語の「二〇三」と語呂を合わせてつくられたのです。

 

 

 

(左)満州国皇帝愛親覚羅溥儀が執務した宮廷府  (右)映画『ラストエンペラー』にも登場したダンスホール

 

 次に訪れたのは長春です。かつて新京として旧満州国皇宮博物院をはじめ、八つの行政機関の建物及び満洲映画製作所などの旧跡がたくさん残され、2日間をかけて見学しました。

 

 

(左)国会議事堂を思わせる満州国国務院旧跡      (右)満洲映画製作所史料館

 

 そして、長春でもう1つのメインテーマは大学体験です。在学生が3万人を超える東北師範大学の2つのキャンバスを訪れました。当大学の教授に東アジアの近代史について日本語での講義をしてもらったり、現地の学生と交流会を行ったり、大学キャンバス内のレストランで懇親会をしたり、女子寮を見学したりして、1日限りの“遊学”体験でした。

 

 

(左)東北師範大学の教授による特別講座     (右)現地の学生との交流会を終えて

 

 実はちょうど40年前の9月に私はこの大学に入学しました。その後、4年間教鞭をとったこともある懐かしい場所です。40年の月日を経て、今回かつての同級生に頼んで講義をしてもらったり、母校の学生たちと共立生が直接交流を行うことができたことに、胸いっぱいの思いでした。

 

大学キャンバス内のレストランでの懇親会

 

 3つ目の訪問地は中国最北東部に位置する黒龍江省の哈爾浜市です。哈爾浜は19世紀末から20世紀初頭にかけて旧帝政ロシアによって建設された街で、現在でもロシア風の建物が多く残されています。

 

 

(左)聖ソフィア大聖堂        (右)中央大街の歩行者天国

 

 今回は、高校でも学んだ伊藤博文暗殺事件の発生地を訪れ、現地の資料館の見学し、110年前に発生した歴史的な事件についてそれぞれの見方を確認しました。また、限られた時間で中国と西洋両方の建築スタイルが融合した雄大な聖ソフィア大聖堂やヨーロッパ風の中央大街といった異国情緒に満ちた建築を駆け足で観て回りましたが、ロマンチックな街の風貌に惹かれて1泊だけでは学生が満足し切れなかったようです。

 

 最後に訪れたのは首都北京です。世界文化遺産を廻り、3日間だけで万里の長城・故宮博物館・天壇公園・定陵など名勝地を見学することができて感動の連続でした。こんなにきついスケジュールにもかかわらず、学生の皆さんが終始精力的に楽しく研修できたことは本当に感心しました。

 

 

(左)万里の長城              (右)故宮博物院

 

 今回の旅は中国のことわざ「走马观花」(馬上の花見)と言われたように大ざっぱに物事の表面だけを見ることしかできませんが、皆さんの最終レポートにところどころ自分の言葉で記された見解を読むことができて本当によかったと思います。今回の体験がこれからの勉強や研究に役立つことができれば何より嬉しく思います。

 

北京再見!