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更新日:2017年09月29日

【国際学部】リレー・エッセイ(15)辻山ゆき子「フランスとの出会い」

フランスとの出会い

辻山ゆき子


 わたしのフランスとの初めての出会いについて、思い出してみたいと思います。


 1960年代の初めに両親とパリに暮らしたのが、フランスとの出会いでした。2歳から5歳の日本語が覚束ないときに連れていかれたので、当時はフランス語のほうが上手で、両親の話している日本語は理解しても自分では思い通りに話せませんでした。


 通りを漂うパンの焼ける美味しそうな匂い、甘いお菓子の匂い、メトロの籠った臭い、大人の女性たちの香水の香り、サーカスの動物たちの悪臭。カトリックの幼稚園のシスターたちの19世紀のような制服。夏の林間学校に預けられたときのなんとなく心細い気持ち。これらが私のフランスでした。


 母によれば、当時は日本人がフランスにはあまり多くなかったので、良くも悪くも珍しがられることが多く、人に見られるのが大嫌いだったそうです。


 日本には船で帰国しました。マルセイユからスエズ運河、紅海を抜けて、インド洋に出て、ベトナムなどを回ってあちこちの港に寄り、長い時間を掛けて日本に戻りました。飛行機の時代は始まっていたのですが、船の時代はこれで終わりだからとあえて客船を選んだそうです。船の生活でいちばん印象に残ったことのひとつは、1等、2等、3等とゾーンが分けられていることでした。ある日、船員さんたちが一人で遊んでいる私を案内してくれました。1等の子どもたちは夕方6時ごろになると大広間に集められて、夕食を子どもだけで食べます。さっきまで一緒に遊んでいた10人くらいの子どもたちが、美しい広い部屋で大きな食卓を囲んで、親とは別に食事をしていました。その光景を、大広間の上のほうのシャンデリアのすぐ横にある窓から見下ろしました。ポツンと食べている様子がなんだか可哀想に見えました。私は、たった1人の2等の子どもだったのですが、もっと遅い時間に両親や他の大人と一緒にがやがやと夕食を食べます。その後、船のなかをあちこち巡って、一度も行ったことのない船の下のほうに連れて行かれました。天井の低い薄暗い広間の床に直にたくさんの人が座っていました。白い衣を着て、頭にも布を巻き、浅黒い肌に真っ白な白目の部分が印象的な人がこちらを向いていました。恐ろしくなって逃げ出しました。どうしてこんな居心地の悪い場所にたくさんの人が入れられているのか、恐ろしかったのです。


 日本に帰り、東京の生活が始まると「いってきます」の代わりに「さようなら」などという私は、笑われました。1ヶ月ぐらい何も話ができなくなって、その後、日本語ばかりを話すようになりました。フランス語はすっかり忘れてしまいました。


 小中高、それから大学生になってからも、自分の幼い頃の経験は友人たちには話しませんでした。幼い頃は上手く伝えられないと思ったこと、その後は、自分の存在が周りのいわゆる垢抜けた帰国子女とずいぶん違っていると思っていたからです。


 大学では社会学を学んでマイノリティのテーマに魅かれました。それは、初めてのフランスとの出会い、その後の日本での経験と関係があると思います。


 また、幼い目で見た1960年代のフランスは、当たり前のことですが、いまは現地にいってもほとんど残っていません。フランス語の授業の最中に、教材の古い映画や小説、流行歌の中からときどきふっと立ち上ってくることがあり懐かしく思うことがあります。



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