Faculty of International Studies
更新日:2017年05月24日
【国際学部】リレー・エッセイ(6)阿部圭子「『下山の時代を生きる』(平凡社新書)を読んで」
阿部 圭子
今回のリレー・エッセイでは鈴木孝夫・平田オリザ対談『下山の時代を生きる』(平凡社新書)を紹介したい。それは本著の刊行を記念して4月23日に「銀座Chair」で開催された著者二人の出版記念対談(出版プロデユーサーの神山典士氏司会)に参加したことによる。そもそも参加者数が限定されたこのライブ(対談)に私が参加することができたのは鈴木孝夫先生を囲む「タカの会」(代表:松本輝夫氏)に友人の紹介で加えて頂くことができたからである。先生は現在92歳にして弁舌さわやか、平田氏と丁々発止のやりとりで、時にはお得意のユーモアを加えて会場を沸かせ、あっという間の1時間半の対談であった。そして参加者全員が先生からみなぎるパワーと一緒に宿題を与えられた。それは『下山の時代』を意識して日々を生活するということである。
この本が生まれたきっかけは平田オリザ氏が20代の頃に鈴木先生の著書を読みあさり、大きな影響を受けたことに始まる。日本語を相対化して俯瞰して見る習慣を身につけるきっかけとなり、西洋演劇をそのまま日本語に翻訳して持ち込むことの難しさがその演劇手法に生かされ、「現代口語演劇理論」の基礎となったそうである。以来、鈴木先生を30年来の心の師と仰いできた平田氏の著書『下り坂をそろそろ下る』(講談社現代新書)をそんな経緯を知らない鈴木先生が読んで、自分と似たようなことを考える人がいるな、と思ったそうである。
本書『下山の時代を生きる』は、小学生の頃から日本野鳥の会のメンバーでもある鈴木先生が、年々野鳥の数が減少していることから、地球が疲弊してきていると感じたことが主張の動機となっている。これまでの大量生産、大量消費型社会は、より高みを目指そうとする「登山の思想」であり、これをそのまま続けていくことは地球自滅への道を歩むことになる。これからは全生態系の持続的安定こそを目指す「下山の時代」であるというのが主題である。
本書は4章構成で、第1章:今求められる日本式の思考スタイル、第2章:新たな武器としての言葉、第3章:「登山の時代」から「下山の時代」へ、第4章:下った先に見える風景となっている。
第1章では外国人が日本語や日本文化に触れると、思考が柔らかくなることを日本語の「畳」に例え、それをさらにフランス語の動詞にして「タタミゼ」効果と呼び、鈴木先生はこれを世界に広めたいと主張している。その詳細は『日本の感性が世界を変える』(新潮社選書)に詳しい。
第2章では、主題の内容から方法論まですべてが欧米輸入方式となっている文系学問を止め、日本独自の文化や世界観を相手のコンテクストで発信することの重要性を説いている。
第3章では登山の思想は終わり、人間が自然と調和し、地球全体を考える「循環の思想」が求められていることを指摘している。
第4章では「力こそ正義」がこれまでの世界の主流だったが、これからは力で相手を支配するのではなく、日本式の協力、共存、調和を重んじるリーダーの必要性を主張している。そして極端な主張ではあるが、世界の環境や歴史・文化が異なる国々が標準化を目指すのではなく、ある意味での、「鎖国」を目指すことも必要ではないかと提案している。
地球を救う「地救原理主義」の生活スタイルの奨励、すなわち「2割の贅沢をやめる」提案と人間中心ではなく地球上の全生物を視野にいれた地球憲法の構想も提案されている。
お二人の対談の中心テーマとなっている「下山の時代」という表現は、とても含蓄に富むものである。ついつい人は頑張ってしまう、その姿勢はまさに「登山の発想」なのだ。しかし、人々は皆、特に日本人は、右肩下がり時代の生き方が良く解っていないのではないだろうか。放っておくと習い性で頑張ってしまう。それを戒める言葉として『下山の時代』は、人々に改めて今の時代認識を再考するための「ハッとする気づき」を与えるヒントになる表現ではないだろうか。