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更新日:2016年11月25日

【国際学部】リレー・エッセイ 「ウィーンでの経験が教えてくれたもの」:寺尾範野先生

ウィーンでの経験が教えてくれたもの


寺尾範野

 わたしの留学体験は大きく3つの時期に分けられます。15歳のころに1年間を過ごしたオーストリアの首都ウィーン、大学4年次に交換留学で1年間学んだイングランドの都市バーミンガム、そして大学院時代に3年間を過ごしたイングランドのシェフィールドと、ウェールズのカーディフです。このうちイギリスへの2回の留学は研究者としてのわたしを形成してくれたいっぽうで、ウィーンでの経験は、教育者としてのわたしの原点をかたちづくってくれた時期であったように思います。

 親の仕事の都合でウィーンに移り住んだのは、中学校を卒業したばかりの1997年の春でした。未知の言語であるドイツ語(オーストリアの公用語)よりも、学校で習った英語の方がまだついていけるだろうとの親の配慮で、地元の高校(ギムナジウム)ではなくアメリカ式のインターナショナル・スクールに通いました。

しかしながら、日本の田舎の公立中学校での授業以外、何ひとつ特別な英語教育を受けたことのなかったわたしは、当然のことながら英語などまったく話せません(中学での英語の成績もいつも「4」で、とりたてて英語が得意というわけでもありませんでした)。はじめの学期は、クラスメートから何を言われても、先生から何を聞かれても、何ひとつ理解することができませんでした。いまでも覚えていますが、入学してひと月ほどたったころ、ある先生に‘How do you like the school?’(学校生活はどうですか?)と聞かれたことがあります。わたしはそれも聞き取れず、先生に「なんとおっしゃっているのか、紙に書いてください」とたどたどしい英語でお願いしました。けれど文字で読んでも意味は分からないまま。ただ‘Yes, Yes!’と答え、先生を困惑させるだけでした。

 日々がこんな調子でしたから、授業にも全くついていけません。わたしはつねにクラスの最劣等生でした。(ただし計算さえできればよかった数学だけは別です。あるときアメリカ人のクラスメートが「64わる4は…」と計算しようとしていたので、「16だよ」と瞬時に暗算したところ、「おまえはコンピュータか!」と賞賛されたことがありました。)このころ毎日抱いていたみじめな思いを、いまでもまざまざと思い返すことができます。日本で比較的優等生だったわたしは、授業についていけないと学校がこんなにも居づらい場所になるのだということを、このときはじめて知ったのです。

このウィーンでの経験は、教える側となったいまのわたしの原点となっています。講義やゼミを、まず学生にとって「腑に落ちる」、「分かる」内容にすることを心がけているのは、「分からない」ことがどれだけ学校を居心地の悪いものとし、学ぶ意欲をそぐかを、わたし自身がウィーンで身をもって体験したからに他なりません。

 もちろん、「分からない」ことがさらなる学びへの刺激となることもよくあります。ウィーンでの最初の一学期を乗りこえられたのも、そうした刺激をいつも与えてくれたあるアメリカ人の先生の存在があったからです。ユーモアと包容力を兼ね備えたその先生のおかげで少しずつ英語も上達していったわたしは、二学期目には海外のよき友人を作り、外国語での異文化コミュニケーションの楽しさに目覚めることができました。カフェやオペラ、クラシック音楽といったウィーン文化を楽しむ余裕も出てきました。

 教壇に立つようになったいま、あのアメリカ人の先生はわたしの理想の教師像となっています。また、あのときのわたし自身の苦労は、学生に寄りそった教育を心がけるよう、日々わたしに教え続けてくれているのです。


2008年に思い出のアメリカン・スクールを再訪



よく宿題をした近所のカフェ。何時間いても怒られなかった

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