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更新日:2016年04月08日

出版助成

平成24年度出版助成

文科 教授
前之園 亮一
『「王賜」銘鉄剣と五世紀の日本』
500部
岩田書院
ISBN 978-4-87294-787-8

 

 千葉県市原市の稲荷台一号墳(5世紀中葉に築かれた直径27.5メートルの中小規模の円墳)から出土した鉄剣(「王賜」銘鉄剣)に刻まれた銘文(金銀合金の象嵌)は、日本で書かれた最古の銘文である。
 本書は、この「王賜」銘鉄剣の銘文に関する最初の研究書であり、「王賜」銘鉄剣に刻まれた「王賜」以下推定12文字(判読可能な文字はわずか6文字)と『古事記』『日本書紀』および中国南朝劉宋の正史『宋書』をもとにして、稲荷台一号墳の被葬者のごとき中小豪族の立場・観点から未開拓・未解明の5世紀中葉の允恭天皇の時代と5世紀の歴史的な特徴を論じ、5世紀末の雄略天皇朝を画期と見る通説・定説を批判しつつ新興の中小豪族を登用して大王の権勢を一躍強大にした允恭天皇とその時代こそ5世紀における画期であったことを主張したものである。
 本書のもう一つの特色は、名代の刑部について新説を提示したことである。「王賜」銘鉄剣を允恭天皇から下賜された稲荷台一号墳の被葬者は刑部に設定された中小豪族であるが、刑部(允恭天皇の皇后忍坂大中姫の名代、大王家の財産の中で最大級のもの)は刑罰に関与した部であるとする江戸時代以来の通説は間違っている。刑部は刑罰に従事した明証はない。刑部は顔面や体に習俗としての入墨をしているので、また刑という漢字には入墨の意味があるので刑部と表記されたのであり、彼ら刑部は猪を飼育していた山野の勇猛な民と首長であった。全国にひろく設定された刑部は猪膏を大和政権の忍坂や石上神社の武器庫に貢進し、猪膏でもって膨大な数量(推定約80万~200万点)の武器武具を瑩く職務を負っていたことを明らかにし、刑部と莫大な武器武具は倭の五王が国策とした高句麗遠征に投入されたことを論じた。
 本書は共立女子短期大学文科『紀要』などに発表した論文10篇に、新稿9篇を加えて1冊にまとめた。
 主要目次は下記の通りである。

序 章 「王賜」銘鉄剣の時代=五世紀はいかなる時代か
第Ⅰ部 「王賜」銘鉄剣
第1章  稲荷台一号墳と「王賜」銘鉄剣
第2章 「王」とは誰か
補 論 「王賜」銘鉄剣下賜の理由と意味
第3章 「王賜」銘鉄剣と上総の海部郷・海上潟
第4章  稲荷台一号墳の被葬者はいかなる豪族か
第Ⅱ部  山野河川の中小豪族の台頭と王族同士の殺戮
第1章  山野河川の中小豪族の台頭
第2章  刑部・宍人部・猪使部-入墨をした山野の民-
第3部  川部-河川に生きる人々-
第4章  多治比部-入墨をした山林の民-
第5章  石上神宮と中国王朝の武器庫の武器の数量
第6章  宋書南斉書・名代・猪膏からみた氏姓成立と盟神探湯
第7章  倭国・劉宋における王族同士・皇族同士の殺戮
第Ⅲ部  倭国の高句麗遠征と通宋
第1章  倭の五王の通宋の開始と終焉-辛酉革命説・戌午革運説からみた場合-
第2章  允恭天皇の高句麗遠征と茅渟行幸伝承
第3章  倭王済の通宋・高句麗遠征と文帝の北伐
第4章  倭王済の配下が除授された軍郡
第5章  倭の五王・司馬曹達・府官の単名
終 章   允恭天皇朝の画期性と高句麗遠征