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更新日:2018年12月22日

【国際学部】リレー・エッセイ2018(26) 佐藤伴近「スコットランドで橋を架けた日本人」

スコットランドで橋を架けた日本人


佐藤伴近


 2014年9月18日に行われた独立の是非を問う住民投票や、その10日後から放送が始まったNHK朝の連続テレビ小説『マッサン』を通して、連合王国、いわゆるイギリスを構成するスコットランドを知った方は多くいると思います。実は、スコットランドと関わりのある物は日本でも様々な場面で見られます。例えば、マフラーなどの日用品のデザインに用いられるタータン(あるいはタータン・チェック)はスコットランドの伝統的な柄ですし、NHK紅白歌合戦の最後や卒業式で歌われる「蛍の光」の原詩はスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズが書いたAuld Lang Syneです。近代スポーツとしてのカーリングやゴルフの発祥地もスコットランドです。


 人的関係もあります。古くは1603年に江戸幕府を開いた徳川家康が、同年にイングランド王に即位したスコットランド王ジェームズ6世※1と手紙や贈答品のやり取りを行っています。また、1858年に日英修好通商条約が結ばれた際の連合王国全権を務めたのはスコットランド貴族の第8代エルギン伯ジェイムズ・ブルースであり、その翌年1859年に来日し後にグラバー商会を設立したトマス・グラバーもスコットランド出身です。


※1跡継ぎのいなかったエリザベス1世は、スコットランド王ジェームズ6世を後継者としました。これによりジェームズ6世はイングランド王ジェームズ1世を兼務することになりました。一人の人物が二つの国の王を務めたため、1603年にスコットランドとイングランドの間で同君連合が成立しました。この段階では、あくまでもスコットランドとイングランドは別の国で、一人の人物が両国の国王を務めるという状況にありました。スコットランドとイングランドが合同して一つの連合王国を形成するのは100年後の1707年です。


 スコットランドへ渡った日本人も多くいました。その代表は、冒頭で挙げた『マッサン』の主人公・亀山正春のモデルとなった竹鶴政孝でしょう。1918年にグラスゴー大学に留学して有機化学と応用化学を学んだ竹鶴は、スコットランド内の数カ所の蒸留所での修業を通してウイスキー造りのノウハウを身に着けて帰国しました。帰国した竹鶴は寿屋(後のサントリー)の山崎蒸留所の初代所長を務めた後に、自ら大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立し国産ウイスキーの製造・販売を始めました。


 竹鶴政孝の他にも多くの日本人がスコットランドへ渡り、グラスゴー大学などで工学や物理学などを学びました。そうした日本人の中に、現地スコットランドの紙幣に姿が描かれるという栄誉を受けている日本人がいることを御存じでしょうか。渡邊嘉一(わたなべ・かいち)という技術者です。スコットランド銀行が発行している20ポンド紙幣※2裏面には、フォース湾南岸のエディンバラ郊外と北岸のファイフを結ぶフォース鉄道橋が描かれています。紙幣裏面右上にはフォース鉄道橋で採用されたカンチレバー構造の実験の写真が印刷されていて、20ポンドのゼロの中にいるのが渡邊です。


※2日本では日本銀行だけが紙幣の発行を行っていますが、イギリスでは複数の銀行が紙幣を発行しています。スコットランドでは、イングランド銀行発行の紙幣の他に、スコットランド銀行、ロイヤル・スコットランド銀行、クライズデール銀行発行の紙幣が流通しています。それぞれの銀行が発行する紙幣はデザインが異なり、フォース鉄道橋が描かれているスコットランド銀行の20ポンド紙幣もその内の一つです。なお、日本で円に換金できるのはイングランド銀行発行の紙幣のみなのでご注意を。


20ポンド紙幣に描かれている渡邊嘉一


 1884年にグラスゴー大学に留学した渡邊は、卒業後にスコットランドでファウラー・ベイカー工務所の見習い技師になりました。このファウラー・ベイカー工務所が、フォース鉄道橋の設計と建設を担当することになるのです。


 元々、フォース鉄道橋の設計と建設は、鉄道技師のトマス・バウチが担当することになっていました。というのも、バウチはテイ湾南岸のファイフと北岸のダンディーを結ぶテイ鉄道橋を設計し建設していたからです。テイ鉄道橋は1878年に開通し、その功績からバウチは叙勲されました。しかし、完成から1年後にテイ鉄道橋は強風で崩落し、通過中だった列車が運悪く巻き込まれ、多くの犠牲者を出してしまいました。この責任を問われて、バウチはフォース鉄道橋の設計と建設から降ろされ、代わってファウラー・ベイカー工務所が設計と建設を担当することになりました。そして、ファウラー・ベイカー工務所に勤めていた渡邊が建設の現場監督を任されることになったのです。


干潮時には現在の二代目テイ鉄道橋(1887年に開通)の脇に初代テイ鉄道橋の橋脚が現れる(筆者撮影)


テイ鉄道橋のたもとには事故を伝えるモニュメントが設置されている(筆者撮影)


 フォース鉄道橋は1890年に開通しました。これによって、北へ向かう列車はフォース湾を迂回する必要がなくなり、エディンバラからスコットランド東岸のダンディーやアバディーンへの所要時間が大幅に短縮されました。渡邊が建設に関わったフォース鉄道橋は、100年以上経た現在も現役で使用されています。2015年には世界遺産にも登録されました。


 私は、2011年から2016年に、フォース鉄道橋を見ることを目的として、留学先のセント・アンドリュースからフォース鉄道橋までのフットパスを数回に分けて歩き通しました。下から見上げると、フォース鉄道橋は19世紀に建設されたことが信じられないほどの雄大さと構造の緻密さを備えていることがわかります。スコットランドに足を運んだ時には、先達が架けた橋をぜひ見てください。


北岸のファイフからフォース鉄道橋を望む(筆者撮影)