国際学部

Faculty of International Studies

HOME

学部・短大・大学院/教育

国際学部

取り組み・プロジェクト紹介 詳細

一覧へ戻る

国際学部取り組み・プロジェクト紹介 詳細

更新日:2018年03月14日

【国際学部】海外研究旅行(中東欧)を実施しました

 国際学部では毎年、国外で見聞を広め、現地の大学、学生と交流することによって視野を広げることを目的とした海外研究旅行を実施しています。本年度は、ポーランド、ドイツ、チェコの中東欧の三国を訪問する研修旅行が2/27~3/10の日程で行われました。参加者は学生14名(国際学部11名、家政学部3名;4年生2名、3年生1名、2年生6名、1年生5名)、学内スタッフとして引率教員1名(西山暁義)、助手1名(小倉弥生さん)、さらに旅行代理店の添乗員1名(JTB、奈良京一郎さん)の総勢17名でした。


 旅行出発前には、2回の事前研修会が開かれ(計5授業時間)、見学の趣旨であるヨーロッパの歴史と文化、訪問地について、さらに後述するポーランド・クラクフのヤギェウォ大学での合同ゼミの準備のため、引率教員の講義と学生たちによるグループ発表が行われました。


 そしていよいよ2/27の朝、全員成田空港に集まり、ワルシャワ経由でクラクフへと出発しました。そのころの東京も決して暖かくはありませんでしたが、夕刻クラクフに到着した時の気温はマイナス10度と段違いの寒さでした。翌28日には早速バスに1時間半ほど揺られ、オシフィエンチムのアウシュヴィッツ強制収容所記念館を見学しました。そこでの気温はさらに下がってマイナス15度。「働けば自由になれる」という、現実とは正反対の標語がかかった入口で有名な第一収容所(アウシュヴィッツ)には多くの建物があり、展示の多くは室内でしたが、広大かつ荒涼たるビルケナウでは冷たい風にもさらされ、一同うち震えながら奥の破壊された遺体焼却炉、記念碑の地点まで見学して回りました。じっくり立ち止まって考えるには寒すぎましたが、ヨーロッパ各地から強制移送、収容されたユダヤ人たちの生と死に思いを馳せるにはかえってよかったかもしれません。多くの学生にとって、アウシュヴィッツ・ビルケナウ見学が研究旅行参加の大きな動機であったこともあり、震えながらもガイドさんの説明に一生懸命耳を傾ける姿が印象的でした。


ビルケナウのプラットホーム(貨車から降ろされたユダヤ人たちが「選別」を受けた場所)前にて、遠景には「死の門」


 翌3/1は、交流プログラムとして、前に述べたクラクフのヤギェウォ大学との合同ゼミを開催しました。これは、西山の知己である同大学国際関係学部中東・東アジア研究所教員のオルガ・バルバジェヴィッツ先生(東アジア政治専攻)のご尽力によって実現しました。テーマは「隣国の認識における歴史の役割」ということで、中央ヨーロッパにおけるドイツとポーランド、東アジアにおける日本と韓国の関係と歴史問題について、比較しながら考えてみるというものでした。

 

 バルバジェヴィッツ先生のゼミの学生たちは日本を中心とした東アジアの政治を学んでいます。彼らにとって、今回の企画はネイティブスピーカーの「生きた」日本語にふれるまたとない機会ということで、共立の学生たちは、日韓関係やドイツ・ポーランド関係について日本語で(日本語のレジュメ付きで)、一方ヤギェウォ大学の学生たちはドイツ・ポーランド関係を英語と日本語で、それぞれ発表しました。同年代の外国人学生たちが次々に日本語で発表するのを聴くことは、共立の学生たちにとっても新鮮かつ刺激となる経験であったことと思います。


 

ヤギェウォ大学図書館小講堂における合同ゼミで発表する共立生のグループ


 その後、休憩をはさみ、教員によるミニ講義が行われ、バルバジイェヴィッツ先生は(日本語を交えながら)”Government’s apologizes – a crucial issue for the postwar reconciliation?”、西山は”Asymmetrical Place of History in Perception of the Other: Japan – South Korea (in Comparison with Germany –Poland)”と題して、それぞれ30分ほど話し、さらに40分ほど質疑応答を経て、合計4時間弱におよぶゼミは終了しました。


 

教員によるミニ講義:(左)バルバジェヴィッツ先生、(右)西山


 「公式行事」終了後、交流はさらに続くことになりました。むしろ、本格的な交流はここから始まったといえるかもしれません。というのも、ヤギェウォの学生たちは5つのグループに分かれ、共立の学生たちを自宅に招待してくれ、ピエロギ(ダンプリング)をはじめとするポーランド料理を一緒に作りながら話をする機会を提供してくれたからです。5~6時間と短いホームステイながら、日本の音楽、アニメ、漫画などのポップカルチャーや、ポーランドと日本の日常生活の相違など、さまざまなテーマで会話ははずみ、親睦を深めました。なかには泣きながら何度もハグをして別れを惜しむグループもあり、これまであまり馴染みのなかったポーランドがぐっと身近に感じられたようです。バルバジェヴィッツ先生、そしてヤギェウォ大学の学生の皆さんには大変お世話になりました。貴重な体験をさせていただいたことに、この場を借りて心からお礼申し上げます(ヤギェウォ大学の学生たちの感想(英語)はこちら)。


ご両親とともに歓待してくれたアグニェシュカさんの家で


 

お土産としてプレゼントした国際学部エコバッグとともに(わざわざ後日撮影してくれました)


 その後、旅はドイツへと向かい、ベルリン、ポツダム、ドレスデン、ゲルリッツと続き、最後はチェコの首都プラハに滞在しました。プラハでは天気も良く気温はプラス3~4度となり、日本に比べればまだ寒いものの、だんだんと暖かくなってきたこともあり、幸運にも病気にかかる学生もおらず、また盗難などに遭うこともなく、全員無事に帰国することができました。練達の添乗で研究旅行をサポートしていただいた奈良さん、そして旅程作成にあたっては、卒業生でもあり、後輩たちの研究旅行実施のために尽力してくれたJTBの野沢ゆりなさん、さらに厳しい天候の下で移動するなか、学生たちの体調に道中細心の注意を払ってくれた助手の小倉さん、誠にありがとうございました。


 すべてをこの記事で書くことはできませんので、ドイツ以降については以下いくつか写真を挙げるにとどめます。学生たちの参加記を含めたより詳細な内容は、GWごろをめどに「海外研究旅行」のページに掲載する予定です。

(西山暁義)


 

ポツダム・サンスーシ宮殿(左)、ベルリン・ブランデンブルク門(右)にてエコバッグとともに


写真からも伝わってくる寒さのなか、ベルリン・ホロコースト慰霊碑にて、

飛び入りで参加してくれたフンボルト大学教授ミヒャエル・ヴィルト氏の説明を聞きながら


ベルリン・イーストサイド・ギャラリー前にて


 

(ドレスデン・ヨハン国王銅像、ゼンパー・オーパー前にて/(ゲルリッツ・旧市街橋、雪の降る中ドイツ・ポーランド国境線上で


ナイセ川上流、ポーランド・チェコ・ドイツ三国国境地点にて(ポーランド側にて撮影)


 

(左)プラハ、旧市街広場にて

(右)リディツェ(19426月、ナチス幹部ハイドリヒ暗殺の報復として

破壊されたチェコの村)、虐殺の犠牲となった子どもたちの慰霊碑




国際学部のホームページはこちらから