Faculty of International Studies
更新日:2025年10月10日
学生の活動
【国際学部】手仕事をめぐる旅~エストニア旅行記~②
学生広報委員2年生の西田倫子さんがエストニアに関する記事を執筆しました。
前の記事はこちらからご覧ください。
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3.各都市レポート
①首都Tallinn(タリン)
【タリンとは?】
エストニアの首都で、行政や経済の中心地である。中世時代から当時のまま現存しており、1997年に世界遺産に登録された旧市街と、商業施設や会社、空港や駅などが並ぶ現代の街(新市街)がある。旧市街はかつては中世時代、現在のエストニアがリヴォニア騎士団領だった時に第二の港町として栄え、その後1154年に、デーン人*1王ヴァルデマール2世によって征服されたり、別の騎士団の支配下に置かれるごとに町の建設や防備が進められた。中世時代にはハンザ同盟を結び、北ヨーロッパの商業圏の一つの交易拠点として栄えた。Tallinn(タリン)とは、エストニア語で「デーン人の町」⋆2という意味である。
注1) デーン人:8~11世紀にかけてヨーロッパで活躍したヴァイキングの中でも、現在のデンマークを本拠としていた人々。
注2) “Taani linn” (ターニリン) が省略されて”Tallinn(タリン)となった。
”Taani“は、現在もエストニア語で「デンマーク」、”linn”は「町」を指す。
・旧市街
最初に、気候についてお伝えしたい。2024年11月の東京では、この時期に19℃で例年より暖かいなどと言われていたが、エストニアでは3℃しかなかった。この時、手袋を持っていなかった為、あまりの寒さに手を動かすことが出来なかった。2025年6月に訪れた時は、朝は12℃程で昼でも15℃前後だったと思われるが、長袖必須で日本より寒かった。夏のエストニアは日本と違い、常に乾燥している。晴れていれば日差しが強いため、気温が20℃前後でも日向は暑い。冬は日が落ちるのが早く、夏は夜でも明るい。
旧市街には貴族が住んでいた「上の町」と、庶民や商工業者が住み、様々な店が立ち並ぶ「下の町」とに分かれている。「上の町」には現在は国会議事堂や政府関係者施設があり、厳かな雰囲気が漂っている。旧市街には様々な興味深い建物があるが、この記事では、特に印象に残った聖ニコラス教会を紹介する。
●Niguliste Kirik(聖ニコラス教会)
旧市街の中では、唯一、エレベーターで上に上れる“教会”である。元々は教会として建てられたが、現在は美術館や展望台として使用されている。
入場料は一般で15€で学生が9€。たまたま持っていた大学の学生証がこんな所で役に立った。建物内には、14世紀にヨーロッパで流行った黒死病(ペスト)から死の恐怖を感じる共通性を表現された「死のダンス」(作者:リューベックの画家Bernt Notke,15世紀後半)宗教的なパネルなどが展示されていた。
・MardiLaat(マルディラート)
【マルディラートとは?】
タリンで毎年11月に開催される大規模な手工芸市場である。チケットに撮影禁止の表示があった為残念ながら写真はないのだが、アリーナのような広い会場内に様々な手工芸者のブースが並び、彼らの作品や、手芸の材料などを購入することが出来たり、ワークショップに参加することが出来る。手工芸はエストニアの民族衣装にまつわるものや、現代的な手芸作品、アクセサリーまで幅広く見ることが着る。また、ステージもあり、時々ダンスや歌、劇などが披露され自由に見ることが出来る。
私は各ブースを周ったり、民謡のステージを楽しんだりした。そして、Pärnu(パルヌ)地方の民族衣装の本と、エストニア各地の女性の民族衣装の頭飾りを紹介している本、Hiiumaa(ヒーウマー島)のPühalepa(プハレパ)地域の民族衣装のスカートの柄の細長い布を購入した。
プハレパのスカート柄の布と、民族衣装の人形(マルディラートではなく空港で購入したものだが、
参考程度に。)
次回に続く