国際学部

Faculty of International Studies

HOME

学部・短大・大学院/教育

国際学部

取り組み・プロジェクト紹介 詳細

一覧へ戻る

国際学部取り組み・プロジェクト紹介 詳細

更新日:2019年06月17日

【国際学部】リレー・エッセイ2019 (7) 浅沼かおり「八重山諸島の生き物たち ―  ゆるゆる写真エッセイ」

「八重山諸島の生き物たち ― ゆるゆる写真エッセイ」

浅沼かおり


 文字が少ないぶん、八重山の風景と動物たちの姿をお楽しみください。。。



(石垣島川平湾の砂浜)

 

 沖縄には行ったことがなかったが、昨年の春、はじめて八重山諸島を訪れた。

 

 石垣島に着いたその日に、道路脇のガードレールにカンムリワシが羽を休めていた。珍しくないのかと思ったが、滞在中、見られたのは一度だけだった。野生動物というのは、不思議と探すと見つからない。カモシカなども、思いがけない時に意外な場所に姿を見せて、それっきりだったりする。



(石垣島のカンムリワシ)

 

 竹富島の真っ白なコンドイビーチには、ナマコがいっぱいいた。中国では高級食材なのにと思ったが、そもそも食べられる種類なのかどうかもわからない。



(竹富島コンドイビーチのナマコ)

 

 人より牛が多い黒島では、歩いて珊瑚礁を見ることができた。干潮時にあらわれるワタンジだ。青い熱帯魚がきれいだった。



(黒島仲本海岸の熱帯魚)

 

 西表島にも行ってみた。イリオモテヤマネコの見るも無惨な事故現場の写真が貼ってあった。新聞によると、イリオモテヤマネコの2018年の交通事故件数は9件、うち6件の事故で6匹が死んだ。事故は夜間が多く、急ブレーキが間に合わないケースがほとんどだという(「奄美・沖縄の動物 輪禍防げ」『讀賣新聞』2019年3月20日夕刊)。結局、ヤマネコには会えなかった。

 

 西表島も十分に秘境なのに、それにくっつくように浮かぶ小島が由布島である。旅行会社の広告などで浅瀬をわたる牛車の姿をよく目にしていたので、手軽に行けるところかと思っていた。こんな最果ての地とは驚きだった。

 


(由布島に掲示されていた「由布島物語」)

 

 上の「由布島物語」によると、この島はもともと無人島だった。竹富島や黒島の農家が西表島の水田を耕すさいに、マラリアを避けるため、蚊のいないこの小島に仮住まいしたのである。

 

 竹富島でも、同様の説明を読んだ。竹富島では稲作が困難だったため、松をくりぬいた船や帆船に乗って、長時間かけて西表島に渡り、田を耕したという。



(竹富島に掲示されていた「西桟橋」の説明)

 

 やがて由布島では定住者が増えた。豊かになった島民は水牛を飼うようになった。沖縄の水牛は台湾から来たと聞いたことがある。由布島には港がないので、船は大潮の満潮のときしか着岸できず、潮が残っているときは艀、ないときは水牛車で人や物を運んでいたという。だが、昭和44(1969)年の台風で大きな被害を受けたため、多くの人が島を去った。由布島に残った「西表正治おじい」が「南国の楽園」を夢見て、昭和47(1972)年から10年間にわたってヤシを植え続けた。昭和56(1981)年、水牛2頭、水牛車2台で、由布島植物楽園がスタートした。

 

 この島の歴史には、人びとの苦労がにじんでいる。

  

 由布島には、水牛車にのせてもらって渡る。海風に吹かれながら、車に揺られているだけで楽しいのだが、御者の方たちが、そろって芸達者である。話がうまくて、歌も上手だ。

 

 往路の若い方は、水牛の話をしてくれた。それぞれ相棒の水牛が決まっているそうだ。海を渡るとき、きまった通り道以外は底の土が柔らかくて、一度はまりこむと、水牛たちの力をもってしても脚を抜くことができなくなる。何気なく歩いているようにみえて、そうではない。

 

 水牛というのは水中で用を足す習性があるので、自分たちは楽をさせてもらっていると嬉しそうだった。同じ八重山諸島でも竹富島の場合、陸で車を牽くので、トイレの世話が大変なのだ。



(竹富島の水牛車)

 

 動物愛護にコンシャスな人で、けっして水牛を虐待しているわけではないと力説していた。人に飼われている水牛は、とても長生きなのだという。命をねらわれるストレスがなく、食事も安定しているからだ。野生の水牛は天敵を警戒して夜通し立ったままだが、ここの水牛たちは夜様子を見に行くと、脚を投げ出して熟睡している、と愛おしそうに語ってくれた。

 

 水牛たちは高齢になると引退して、楽をする。どこかのホテルにもらわれて、入口でのんびりしているだけが仕事の老牛もいる。だから若いうちはがんばってもらうんだ、と言っていた。いい喉で、沖縄の歌もきかせてくれた。



(由布島の水牛車)

 

 復路の年配の方(たぶん70代)は、人間のお話をしてくれた。この島で仕事しているのは、みんな「よそ者」で、地元出身者は外に働きにいってしまったという。

 

 もうすぐモズク採りのシーズンが到来するので、「派遣」の若い女性たちは忙しくなるのだそうだ。夕方、観光客が帰ったあと、海でモズクをあつめて、遠くの家族に送るのである。この島は、海好きの若者にはこたえられない場所だろう。ダイビングなんかもするのかなと想像がふくらむ。

 

 若い頃に南の島で働いてみるのは、一つの選択肢である。



(由布島の水牛車)

 

 ここは年寄りには一番いい、のんびりしてて、と復路の方が身の上話をしてくれた。「もとは鈴鹿のB級ドライバーだったの、それがいまではエンジンなしの牛だ。このあいだ免許更新に戻ったんだけど、もう少しここにいさせてくれと家族に頼んだ。退職金と家は全部家族にあげてきたの。」

 

 由布島の奥のほうに、昔の市営住宅といったふうの小さな平屋が並んでいた。あの縁側で満天の星を見上げながら、お酒を飲んだり、昔話をしたり・・・。水牛たちのみならず、人間の方々も、ご長寿まちがいなしだと思う。


 老後を南の島で過ごすのも、たしかに一つの生き方である。