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更新日:2018年11月01日

【国際学部】リレー・エッセイ2018(28)橋川俊樹「夏目漱石と宮崎駿 -『門』と「崖の上のポニョ」-」



『門』新潮文庫表紙
『ジブリの教科書15』文春文庫表紙

amazonより


 夏目漱石と宮崎駿には何の関係も無さそうだけれども、「崖の上のポニョ」の主人公・宗介くんのネーミングは、漱石の小説『門』の主人公・野中宗助から来ている。

 それだけでなく、『門』は「崖の下」の家に住む貧しい夫婦の物語であることから、宮崎監督は新作アニメのタイトルを「崖の下の宗介」にしようとしたそうだ(『ジブリの教科書15 崖の上のポニョ』より)。

 前作「もののけ姫」完成のあと、心身ともにオーバーホールの必要を感じた宮崎監督は、ジブリの盟友・鈴木敏夫プロデューサーの配慮で、広島県福山市の鞆の浦にある古家でたった一人の休息に入った。この時の宮崎駿を「NHKスペシャル」が密着取材していて、どんな家で過ごしていたのか知ることができる。

 鞆の浦という町は、昔は「鞆(とも)」、「鞆の津」といい、瀬戸内海の運輸・流通の重要な拠点だった。幕末に坂本龍馬が「いろは丸」事件の関係で滞在していたことでも知られ、現在は古い港の街並みが残る観光地だ。

 この鞆の浦が「崖の上のポニョ」の舞台になった。もちろんそのままではない、マンママーレの現われる海も瀬戸内海には見えない。けれども母親のリサが軽自動車で駆け抜ける港町の姿に鞆の浦が透けて見える。

 宮崎駿はこの町の古家で読書三昧の日々を過ごしたという。その中心が『漱石全集』の読破だった。

 面白いのは、数ある漱石作品の中でなぜ『門』にインスピレーションを覚えたのかということだ。それもソウスケという名前と「崖の下の家」に宮崎監督が反応したという所に興味をそそられる。

 『門』(1910年)の主人公は野中宗助と米(よね)の夫婦。宗助は安月給の小役人で、東京郊外の日当たりの悪い崖下の借家に住み、丸の内あたりの役所まで通っている。夫婦はこの家を通りから奥まった崖下の家だからこそ借りて住んでいる。

「宗助の家(うち)は横丁を突き当たって、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代わり通りからはもっとも隔たっているだけに、まあ幾分か閑静だろうというので、細君(さいくん)と相談の上、とくにそこをえらんだのである。」(『門』2章)

 通りから最も離れた家を選んだのには理由がある。野中夫婦はなるべく世間から離れて暮らしたい、人目につきたくないからだ。彼らは夫婦となるにあたって、大きな不義理と罪を犯した。米(よね)は、宗助の友人の妻だったのだ。はじめ友人の妹として紹介されて親しくなった二人は、詳細は書かれていないが或るきっかけのために不義を犯してしまう。当時まだ大学生だった宗助は中退して下級官吏となり、お米とともに地方に赴任する。『門』は宗助が転任で東京に戻ってきてからの話である。

 のちの『こころ』(1914年)と同じく、『門』には三角関係をめぐる恋愛テーマがある。宮崎監督がそれにどんな反応をしたかは分からないが、「崖の上のポニョ」も男女の愛をテーマにしていると監督は語っている。ただし保育園児の男の子と人魚の女の子の恋愛として描いているので『門』とは大きく違う。けれども、好きな人と一緒に暮らしたいという強烈な意志のことを恋愛と呼ぶならば、案外と似通っているとも言えるのではないか。

 宮崎駿は漱石の『門』の「崖の下」を反転させて「崖の上」にしたように、世の中から身を潜め二人きりで寄り添うような恋愛の有りようを、波の上を裸足で駆けてきて男の子に飛びつくポニョという女の子のアグレッシブな恋愛像に反転させたのかもしれない。


 ちなみに、漱石の『門』については去年(2017年)、共立女子大学文芸学部発行の「文學藝術」という雑誌に「夏目漱石『門』における〈腰弁〉生活のリアリティ」を書いたので参考にして頂けると幸いです。