国際学部

Faculty of International Studies

HOME

学部・短大・大学院/教育

国際学部

取り組み・プロジェクト紹介 詳細

一覧へ戻る

国際学部取り組み・プロジェクト紹介 詳細

更新日:2018年12月25日

【国際学部】リレー・エッセイ2018(27) 吉竹広次「香港 きのう きょう あした」

香港 きのう きょう あした


吉竹 広次

 

 香港のインフラについてのニュースが目を引く。10月24日「港珠澳大橋」(香港~珠海~マカオを結ぶ55㎞の世界最長の海上橋)の開通。そのひと月前の9月23日には香港と広州を結ぶ高速鉄道が開通し、中国本土の高速鉄道と接続、香港から上海や北京に乗り換えなしで行けるようになったというニュース・・・中国政府が“グレーター・ベイエリア(大湾区)”と名付けたこの地域の発展に大きな貢献をするだろう。


「港珠澳大橋」https://edition.cnn.com/2018/05/04/asia/hong-kong-zhuhai-macau-bridge/index.html

 

 

 ニュースを見て、20年前の1998年・・・・皆さんの誕生前後にオープンした香港国際空港への関わりを思い出しました。ここでは、香港、そして新学部開設にちなんで国際金融ビジネスの現場をやや難しいと思いますが紹介したいと思います。その頃、僕は三菱銀行本部(現、三菱UFJ)国際企画部でプロジェクト・ファイナンス・チームを担当するマネージャーでした。

 少し前になりますが、「倍返し」で知られた『半沢直樹』という銀行を舞台にしたTVドラマで入行式後に主人公・半沢(堺雅人)が、後に親友となる同期・渡真利(及川光博)に銀行で何をやりたいかを問うと、「俺はプロジェクト・ファイナンス志望。バンカーになったからには何千億円という金を動かして、未来を左右するような大事業に関わりたい」と夢を語ります[1]。 


 

 そうなんです。プロジェクト・ファイナンスは70年代の北海油田開発に始まり、英仏海峡を結ぶ海底トンネル(ユーロトンネル)に象徴される巨大プロジェクト向けの特別なファイナンスです。通常の企業向け融資(コーポレート・ファイナンス)と違って、プロジェクトの実施者である企業(スポンサー企業)自身が借り入れるのではなく、その企業が資本金を出して設立する新会社(プロジェクト・カンパニー)に銀行が貸し付けるもので、これによってスポンサー企業は自身の債務を増やさずに事業を実施でき(オフバランスシート効果)、新会社が失敗しても保証などの責任を負わないで済む(ノン・リコース)というメリットがあります。企業が直接借り入れないのは、北海油田やユーロトンネルのように事業規模が大きすぎて1-2社では借入リスクがとれないためです。


 他方、銀行側は新会社の資産がそのプロジェクトしかないので、その事業が失敗した場合の全てのリスクをとることになり、通常の企業向け貸付とは異なり、徹底的にプロジェクトのリスクを分析して、生産・販売・流通などプロジェクトにかかわるすべての契約の内容に立ち入って、事業が失敗しても債権者として事業を継続できるようなストラクチャー(仕組み)をつくり、契約上の権利の譲渡を担保にします(プロジェクト・ファイナンスはストラクチャード・ファイナンスの一つで「契約の塊」と呼ばれる所以です)。このため、ストラクチャーを作り、ドキュメンテーション化します(契約書にするのですが、国際金融は英国法かニューヨーク州法が準拠法なので、国際業務に慣れた英米のローファーム(法律事務所)を使い、我々のストラクチャーを彼らに文章化させ、それをチェックしながら契約書にまとめます)。そのうえで、1~2行では対応できない巨額融資のため、多数の銀行に呼びかけて協調融資銀行団(シンジケーション)を組成しますので、融資実行まで、どれほど早くても1年以上の期日を要します。銀行側にはコーポレート・ファイナンスに比べて、多くのプロジェクト・リスクを負う見返りに手数料や金利スプレッドが高いというメリットがあります。現在、日本のメガバンク3行が世界のプロジェクト・ファイナンス組成額の1・2・3位を占め、特に三菱UFJはこの6年間首位をキープしていますが、当時は未だ邦銀は新参者で欧米の大銀行が組成した案件に参加してノウハウを取り入れていた頃で、各行はそれぞれ専門チームを東京に置いて北米、東南アジア、オーストラリア、欧州と世界中の大案件を直接担当していたので、各行とも海外出張が行内で最も多い部署でした。


 僕の銀行は香港では、大財閥の一角ゴードン・ウー率いるホープウェル社の深圳と香港を結ぶ高速道路「スーパーハイウェイ」プロジェクト、熊谷組による香港島と九龍を結ぶ第2海底トンネル建設、香港コンテナターミナル拡張プロジェクトがあり頻繁に出張していました。




 

 そうした中、香港支店長から、「香港政庁(英植民地政府)が香港新空港のプロジェクト・ファイナンスを当行に依頼してきた」と知らせが入り、直ちに香港に飛びました。


 香港返還に関する1984年の中英連合声明ののち、香港政庁が策定したのが香港新国際空港を核としたACP プロジェクトで、1997年の返還前の、いわば英国総督の最後の置き土産でした。当時の空港(啓徳(カイタック)空港)は、九龍の中心街に隣接、ビクトリアハーバーに面していて、着陸のため高度を下げ、香港カーブという翼を大きく傾けた旋回に入ると、空港の回りに密集するビルのなかの工場(多くは衣類や玩具、電子部品製造)で働く人々の姿がはっきり視認できるほどでパイロット泣かせの危険な空港として知られていました。


 支店長は、このプレスティージャスな大案件を手掛けることに大乗り気(もちろん、スポンサーからマンデートを得て、ファイナンスをストラクチャリングし、シンジケーションをまとめるAgent行(主幹事行)になれば莫大なフィー(手数料)と、融資実行店(ブック店)として業績も飛躍的)でした。香港政庁でイギリス人たちからプロジェクトの計画詳細の説明をうけ、特別仕立ての豪華なスピードボートで新空港の建設予定地、ランタオ島の海域に案内されました。ランタオ島は無人島。この島に接する海を埋め立てて空港にする計画で、埋め立てのクウォーリー(石材場)は想定される滑走路の先に当たるランタオ島の山を削るというのです。勿論、島は香港の中心からは25キロほど離れているので、その間を結ぶ高速鉄道も新たに建設する計画です。・・・美しい淡青色の遠浅の水面を眺めながら、予想される途方もない経費と、空港と高速鉄道が別プロジェクトであることが気になっていました。上述の香港の3案件は大成功でしたが、本部では他に厄介な案件・・・建設中だったユーロトンネル融資がありました。220行が参加した融資総額50億ポンドの最大規模の案件は86年の工事開始直後から事業会社であるユーロトンネル社と建設業者の足並みが乱れ、工事が遅延、さらに当初の甘い見積りのため工費は27億ポンドから44億ポンドに膨張、工事開始3年足らずで、プロジェクトは破綻の危機を迎えていました。90年5月に工事続行のため、ユーロトンネル社側は当初借入の40%にあたる20億ポンドの借り増しを銀行団に求めてきました。邦銀は39行が参加していたため、融資総額の23%を邦銀が占め、当事国の英9%、仏18%を上回って国別では1位でしたので、大幅なコストオーバーランと工事遅延の釈明、追い貸しの依頼のため、ユーロトンネル社のアラン・モートン社長が東京でバンクミーティングを開き、サッチャー首相からも海部首相に邦銀の支援を求める異例の親書まで提出されました[2]。この対応に悩まされていたことから、上機嫌の支店長の横で、僕は二の足を踏む思いで、気が重かったのです[3]。政庁には、分析の上で早急にその結果を知らせるとして帰国しました。


 詳細計画とデータを東京に持ち帰り、チームをあげて分析しました。当時は年間乗降客数2450万人、発着便数13.5万便、貨物取扱量 世界3位でしたが、政庁の想定シナリオでは2040年には乗降客数8700万人、発着便数37.6万便と楽観的な数字が並んでいました。


 香港返還をまたぐのですが、香港のカントリーリスクについては銀行では既に取り得ると判断していたので、もっぱらプロジェクト・リスクを精査します。空港の利用客数や貨物量を決定する多くの不確定要素のなかで、なによりも香港返還後の経済状況の予想が難しい。未だ、香港のGDPは中国よりも米国との相関が強かった時代です。当時は中国経済が天安門事件を経て、その後成長に向かうか、後戻りするかの「踊り場」、中国専門家の間でも、「香港の中国化か、中国の香港化か」といった議論がなされていました。さらに、ハブ空港のライバルとして、シンガポール空港の新設ターミナル、建設が予定されていた仁川(インチョン)国際空港(2001年開港)との競合もあり、建設コストを反映して空港使用料[4]の設定が高めにならざるを得ない香港はその点でも不利でした[5]。数理モデルをつくってキャシュフローのシミュレーションを繰り返す膨大な作業のうえで、完工リスク(コストオーバーラン、完工遅延)、マーケットリスク(旅客・貨物需要不足)さらに別プロジェクトである高速鉄道の完工遅延リスクは取り得ないと判断しました。このため銀行が取り得るbankableなリスク・レベルにするには、政庁の出資増額、コンティンジェントな保証が不可欠と結論付けました。分析結果とプロジェクト・ファイナンスとしての融資条件の説明のため再び、香港に飛びました。


 政庁側は我々の分析結果と厳しい条件を真剣に検討していました。香港支店は「他行が引受けるのでは?」と不安顔でしたが、「それはない。甘いスキームではシンジケーションで失敗する」と確信していました。政庁は去り行く英国に債務を残さないプロジェクト・ファイナンスは好都合と考えたのでしょうが、結局、その適用を諦めました。


  ・・・・その後、空港建設は資金繰りと返還を巡る中国との鞘当てもあって、工事が遅延、香港返還には間に合わず、1年4カ月遅れの1998年となり、2兆5千億円相当の世界で最も建設コストのかかった空港としてギネスに記載されることになります[6]。我々が懸念した完工リスクが顕在化しました。完成数年後、初めて降りたった時は、この地がスピードボートで回った美しい海・・と感慨深く、空港のあちこちを見て回りました。未使用のフィンガーや、空いたままの専門店用スペース(テナント料も空港の重要な収入源)があり、支店長の顔を思い出しながら、我々の分析結果に胸を撫でおろしました。もっとも、開港した年は、アジア経済危機が香港に及んだ年で、その後2004年まで香港のGDPは殆ど増加しなかったことも不運でした。


香港国際空港(もとは海)https://www.hongkongairport.com/en/


 「踊り場」だった中国経済はその後、周知の高度成長を驀進、香港のGDPも2004年からの5年間には倍増以上・・・・そして開港後20年、現在の香港国際空港の貨物取扱量は世界1位、年間利用客数は7300万人、ドーハ、ロンドン・ヒースローに次ぎ世界3位です。開港時からの2本の滑走路に加え、埋め立てによる第3滑走路の建設工事が2023年完成を目指して進んでいます。完成すれば利用客数9000万に対応するとのこと・・・みなさんの生まれ育った20年間、まさに隔世の感です。短期的には妥当だった我々の分析結果でしたが、長期的には政庁のシナリオが現実のものとなったともいえます。


 さて私ごとですが、当時、モルガン銀行東京支店に勤務していたクリス(写真)と仕事を通じて知り合いました。同業の誼(よしみ)を超えて、なぜか初めから気が合い、六本木のプールバー、飯倉のアメリカン・クラブ、葉山マリーナでのヨットなどを共にし、お互いの結婚式(彼はメイン州)にも出席する仲でした。その後クリスは香港転勤となり、やがてモルガン銀行を離れて、ヘッジファンドのマネージャーとして、対中国金融ビジネスで香港に根を下ろしました。今度の冬には、ゴードン・ウーが造ったニセコのスキー場[7]に行く約束ですが、来春からは彼の仕事を手伝うことになりました。


クリストファー・スミスと筆者(研究室にて)


 世界の3大金融センターの一角の香港では、香港金融管理局(HKMA)がシンガポール通貨金融庁(MAS)と国境を越えた貿易金融プラットフォームを共同構築し、さらに、近々バーチャル・バンクライセンスの認可を出すなど、フィンテックを促して香港の国際金融センターとしての地位を盤石なものにしようとしています。2017年の香港からの対中直接投資は、対中投資全体の7割を占め、国・地域別で引き続き1位になっています。一方、香港に中国から大量の資金も流入しており、米国よりも中国本土との経済の一体性がいよいよ増しています。これまで長く香港$はカレンシー・ボード制によって米$に固定していましたが、その変更も視野に入ってきました。 


 そして、冒頭のグレーター・ベイエリア構想では、広東省の広州や深圳など9つの市に香港とマカオを加え、関東首都圏の倍にあたる人口7000万近い大都市圏を構築するという野心的な計画を中国政府が進めています。その中核の一つ、香港に隣接する深圳は改革開放政策40年の成果の象徴です。40年前、貧しい漁村だった深圳は昨年、そのGDPが香港をついに上回りました[8]。中国経済が減速し、成長率が6%台に低下する中、深圳の成長率は8%を超えています。なにかと話題のHUAWEI(ファーウェイ)華為技術の本社もここで、いまや「中国のシリコンバレー」として5GやAIの最先端技術開発の拠点でもあります。海上路、鉄路、空路によってコネクティビティがさらに高まれば、グレーター・ベイエリアの成長は加速し、経済的には「香港の中国化」は一層進展するでしょう。


 2014年の学生たちによる「雨傘運動」から4年、今年11月の香港立法会補欠選挙の結果、民主派は敗北、既に立法会の議員総数では過半数だった親中派が、民意を反映する直接枠でも過半数を占める結果となりました。政治の世界でも「香港の中国化」が進むのでしょうか。グレーター・ベイエリア、そして『香港特別行政区基本法』で定められた「極めて高度な自治」「一国二制度」の今後を含め、あしたの香港の行方を現地で見てみたいと思っています。




[1] 原作の池井戸潤著『俺たちバブル入行組』では上記のほか、「銀行志望者の応募理由にはプロジェクト・ファイナンスがやたらに多かった。」(pp.70-71) 「プロジェクト・ファイナンスを手がけている行員の多くがMBA取得者だった」(p.143) 池井戸氏は三菱銀行の後輩。同氏の入行当時、碑文谷研修所での入行研修のプロジェクト・ファイナンスの講師は僕が担当していました。なお、近年プロジェクト・ファイナンスの手法を用いたPPP(Public Private Partnership) PFI(Private Financial Initiative)といった公共サービスを民間資金・ノウハウを活用して実施するものも増えています。


[2] その後、この世紀のプロジェクトは1994年に完成し、現在ユーロスターが運行しているが、ユーロトンネル社は2006年に約1兆5000億円の債務を残したままパリ商事裁判所に破産保護申請、債務の株式化による債務削減から新会社が引継いだ。ユーロスター(列車)の運営会社とは別会社。


[3] 一般に、銀行では業績を上げたい営業側の支店と不良債権化を回避したい審査側の本部には、アクセルとブレーキのような緊張関係がある。


[4] 一番大きいのは着陸料、そのほか停留料・手荷物取扱施設(BHS)使用料・搭乗橋(PBB)使用料、専門店のテナント料など。


[5] ちなみに、現在羽田の着陸料は欧米の倍、東南アジアの3倍くらいである。


[6] 港珠澳大橋の総工費は75億6000万米ドル。


[7] 香港では北海道のパウダースノーが評判で、札幌への直行便もあり「一番近いスキー場」とされているとのこと。


[8] 2017年の深圳市の実質GDPは約2兆2000億元、人民元換算の香港GDPは2兆1800億元。