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更新日:2018年11月23日

【国際学部】リレー・エッセイ2018(21)八十田博人「ランペドゥーサ再訪」

ランペドゥーザ再訪


八十田博人

 昨年、このリレーエッセーに書いたイタリア最南端の離島、ランペドゥーサ島について、別の視点からもう一度、書きたい。


 「移民の到着する島」として知られたことで、ランペドゥーサはいろいろな思惑の交錯する島となった。港の近くの風の強い岬に2008年にできたのが、「ランペドゥーサの門、ヨーロッパの門」という高さ5メートル、幅3メートルのオブジェであり、これを写した写真がランペドゥーサに関する本の表紙などに多く使われている。これを建てたのはアマーニ財団というアフリカ系移民を支援するNGOで、彫刻家のミンモ・パラディーノが制作した。これは、海に沈んだ名もない移民たちのことを思い起こし、歓待の気持ちを忘れないために建てられたとされる。



 特に多数の移民が死んだ2013年10月3日の事故を偲んで、毎年10月3日には移民問題を考えるイベントなどがここで行われる。他にも、島内には移民や海を思わせる様々なアートがある。



 2013年から2016年までの移民・難民の急増期には、ジュゼッピーナ(ジューズィ)・ニコリーニという中道左派の女性町長が積極的に移民支援に乗り出し、ローマ教皇フランシスコも島を訪れ、ランペドゥーサは移民を「歓待する島」だというイメージができた。ニコリーニは、「女性の自由のためのボーヴォワール賞」や、ユネスコの「フェリクス・ウフェ=ボワニ平和賞」を受賞し、民主党の全国中執に入った。しかし、地元の人が語っていたように、すべての島民が諸手をあげて移民を歓迎したわけではない。この後、ニコリーニは2017年の町長選挙では三位に沈んだ。


 この島の日常についても書こう。2度目に行ったのは、2017年の夏だった。この島の主たる産業は、夏季のリゾートとマリン・スポーツである。この島の海は大変美しく、6月から10月まで泳げる気候の良さを利用し、この5か月で1年分稼ぐようなホテルやB&B、釣船、飲食店が多く、冬季は町に閑古鳥が鳴く。大統領が開館セレモニーに訪れた地中海考古学博物館も、写真パネル展示が中心の小さな島の歴史アーカイブも、夏季は開かれているが、冬季は閉鎖される。



 小さな中心街の目抜き通りは「ローマ通り」という一本道だが、冬季は休業も多いのに、夏季は夜中の12時近くまで店舗が開いている。広場では夕刻から歌手やパフォーマーがライブを行っている。聴いてみたが、なにやら中東風のメロディーと歌詞で、初老のパフォーマーがそれに合わせて器用に踊っていた。



 3度目に訪れた2018年の春には、港が見渡せるホテルに泊まってみた。しかし、あいにくの雨の中、ホテルから約束していたはずの迎えが空港に来ない。タクシーなどはいない小さな空港である。白タクのおじさんに声を掛けられ、多少高くてもいいやと思って、乗ることを決めると、できるだけ長く乗せて稼ぎたいらしく、島内のどこでも連れて行くという。ちょうど車がないと見られない場所が幾つかあったので、金をはずみ、島を一周することにした。このおじさんは実は車のオーナーでもないらしく、途中に寄るところがあると言って、ある民家の軒先で「用ができたから、もう半日借りるよ」などと言っていた。



 車があれば、2時間もあれば一通り見て回れる島である。やはり、蛇の道は蛇で、過去2回に自分ではたどり着かなかった移民の受け入れセンターが見下ろせる場所にも行けた。町からやや離れたゴツゴツした岩山の中にあり、グーグルマップにも出ているが、うまく見下ろせる場所が自分だけでは見つけられなかったのである。中の様子までは分からなかったが、係員と思しき人とアフリカ系の移民が話している様子が見えた。



 人が住んでいない島の西端に置くと、旧NATOレーダー基地の近くに移民たちが乗ってきた船の残骸の置き場がある。まだ船の周りに救命具などが散らばっている。船はここに一時的に置かれているが、シチリア本島に移して破壊処理するらしい。



 今は集落のないところにも昔の農民の石造りの家が残っていて、これらはレンタルの小別荘として使われている。そんななかで、どこにいても人間は面白いことをするものだなと思ったのは、誰もいない島の中央部に「東京まで1万キロ」などと世界各地までの距離を書いた、わが国際学部のラウンジにも置いてあるようなプレートを誰かが作っていたことだ。



 シチリアよりアフリカに近いと言われながら、実はどこからも遠い最果ての島で、地中海のこと、ヨーロッパのこと、地球全体のことに思いを馳せた。