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更新日:2017年12月17日

【国際学部】リレー・エッセイ(26) 李錚強「“手机”からもたらされた中国社会の変化」

“手”からもたらされた中国社会の変化

李錚強


 中国語で“手机shǒujī”とは「携帯電話」のことです。“机”は「机」ではなく「機」の簡体字で、「…機械」の略語として電気製品の名前によく用いられています。初級中国語で習う“电视机diànshìjī”(テレビ)、“洗衣机xǐyījī”(洗濯機)などもこの類の造語で、中国語の新語の大半は意訳式でネーミングされています。


 携帯電話は中華圏では1980年代後半に台湾や香港で使われ始めましたが、当時は“手机”ではなく、“大哥大dàgēdà”という台湾生まれの語で呼ばれていました。この“大哥大”はのちの携帯電話よりかなりかさばり、価格も高く、また片手に持つと“大哥”(マフィアのボス)のように格好良いということからお金持ちの新しいステータスシンボルとなり、台湾や香港で流行したのです。そして80年代末に大陸中国でも携帯電話が使われ出すと、“大哥大”という言葉も改革開放の窓口だった広東省や福建省に流れ込み、そこからさらに内陸部へと急速に広がっていきました。


 しかし90年代に入り携帯電話の小型化が進むと、“大哥大”という呼び名は廃れ、より精巧で手にフィットする語感を表す“手机”に切り替わりました。


 “手机”が大陸中国で普及し始めたのは1990年代前半のことだと思います。私が“手机”を手にしたのも確か1994年春のことです。ただ、当時の“手机”には通話機能しかなく、しかも発信にも受信にも通話料金が発生する「双方向課金」というシステムだったので、フルに利用することができませんでした。


 この年に私は短期訪問で“手机”を持って東京を訪れましたが、電気製品のあふれた日本になぜか携帯電話は普及していませんでした。疑問に思った私が古い知人に尋ねてみたところ、「日本は公衆電話が普及しているから、携帯電話は必要ないんだよ」という答えでした。ところがその後、日本では中国よりも速いスピートであっと言う間に携帯電話が普及し、反対に公衆電話は2000年頃から次々と消えていってしまいました。


 一方、中国の“手机”は通話しかできない上に「双方向課金」の影響もあり、その後の十数年間、利用者は都市部の富裕層に限られていました。


 “手机”が急速に普及し始めたのは北京オリンピックが開催された2008年頃のことです。多機能を備えた海外ブランドの“智能手机zhìnéng shǒujī”(スマホ)が若者を中心に愛用されるようになりましたが、高価でなかなか手に入らない品物でもあったので、違法にコピーされた安い“智能手机”も出回り、廉価品を求める消費者市場を独占しました。このような模倣品はウェブ上で“山寨手机”と名付けられました。


 “山寨shānzhài”はもともと山中に築いた砦を意味しましたが、その後、砦のある山村のことも指すようになりました。しかし“山寨手机”の氾濫を皮切りに、“山寨”は本来の名詞から「模倣した」「非正規の」という意味の形容詞として広く使われ始め、特にネット上で中国社会の歪んだ現状を揶揄する言葉として流行し、ついには「2008年度インターネット用語ベスト10」にも選ばれました。


 こうした模倣品の種類や規模は2010年を境に急速に拡大し、それに伴い山寨”は“山寨笔记本电脑shānzhài bǐjìběn diànnǎo”(コピー版ノートパソコン)、“山寨照相机shānzhài zhàoxiàngjī”(コピー版カメラ)、“山寨软件shānzhài ruǎnjiàn”(コピー版ソフトウェア)のようにコピー商品全般に幅広く使われるようになりました。“山寨”はいっときの流行語に終わらず、異例の速さで市民権を獲得したのです。その証拠に、2012年に改訂された中国でもっとも権威のある辞典『现代汉语词典(現代漢語詞典)第6版』(商務印書館)にもこの“山寨”の新しい語義が追加されています。


 高度成長のただ中にある中国社会では、「ニセモノ」や「パクリ」の生産販売によって貧しい草の根の人々が次々と富裕層に変身しましたが、同時に人々の間にさまざまな価値観の混乱も生まれ、それが社会の広範囲にわたって浸透しつつあります。


 一方、若者を中心とした新興ベンチャー企業は新しいビジネスモデルの開発に挑戦しています。2010年頃から農村部では、“智能手机”の急速な普及に伴い、その高機能を利用した様々な新商法が展開されています。また最近では、日本のマスコミでも報道されたように、QRコードを使ったモバイル決済サービスが市民生活に大きな変化をもたらしています。


 このサービスを最初に導入したのは中国のIT業界最大手の“阿里巴巴集团Ālǐbābā Jítuán”(アリババグループ)です。同社が2004年に開発したオンライン決済サービス“支付宝Zhīfùbǎo”(アリペイ)は、都市部で右肩上がりに普及していきました。2016年10月時点の調査によると“支付宝”の中国国内でのユーザー数は4億5千万人に達し、モバイル決済シェアの5割強を占めるまでに至っています。


 “支付宝”は日本でもすでにローソンやビックカメラなどが導入していますが、2018年春には日本に本格的に上陸し、3年間をかけて1千万人のユーザーを獲得しようと意気込んでいるようです。


 “支付宝”や“微信支付Wēixìn Zhīfù”(ウィーチャットペイ)によるキャッシュレス化の進展の速さには中国人の私でさえ目を疑うほどです。ここ数年、中国短期留学の引率で北京大学を訪れていますが、今年の夏にはQRコードによるモバイル決済サービスが小さな店舗にまで導入されていることに感嘆しました。キャンパス内のスーパーで現金で支払っているのは私のようなよそ者だけでした。


 キャッシュレス化の影響は買い物だけに止まりません。今年10月10日に92年間も続いてきた北京故宮博物館の入場券販売所が閉鎖されました。電子チケット制の導入により、ペーパーチケットが原則廃止されたからです。入場券はインターネットで事前に購入するか、現地で“智能手机”を使いQRコードをスキャンして手に入れるしかありません。かつて長い行列を作って入場券を求めていた光景がもう見られなくなる一方、1日平均で8万人分の入場券を販売してきたスタッフ数百人がリストラされてしまいます。


 “手机”が中国社会にもたらす変化は一体どこまで続いていくのでしょうか。



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