Vol.51 清水 美里 29回生
1.今の自分(自己紹介・職業紹介)
中国文化が大好きで、当時中国研修旅行があった共立女子第二高を志望し、共立女子大学国際文化学部中国文化コースへ進学しました。それから、研究者をめざし東京外国語大学大学院に進学し、現在は立教大学に着任しています。2015年には博士論文をもとにした『帝国日本の「開発」と植民地台湾―台湾の嘉南大圳と日月潭発電所』を出版させてもらいました。
大学の使命には研究と教育があります。私の仕事は、研究を主に教育は少なく抑えられた職種です。学会発表や論文投稿をし、業績を積むことが最終的な成果となります。そのプロセスでは本やパソコンと対峙する時間のほかに、時にはカメラを持って山の中のダムや発電所を案内してもらったり、往時を知る人にインタビューをしたり、国際学会に参加して先端の研究動向を吸収したりなど、時に外を飛び回る体力勝負の仕事でもあります。
教育のほうは、1年生向けの授業を担当することが多いです。数年前から、台湾の大学で授業をする機会も持つようになりました。2020年11月にはオンラインで国立政治大学の講義を3回分させて頂きました。
2.共立女子第二中高時代の感想、思い出、学校の良さや受験生に伝えたいこと
私は高校から共立へ入学したのですが、私の通っていた公立中学校はいわゆる学級崩壊をしていて教室で起立や礼をしたことはほとんどなかったのですが、共立の入学式のホームルームで起立、礼という号令がスムーズになされ、これまでの学校とは違うところに来たのだと実感しました。共立の勉強は厳しかったのですが、毎日笑って楽しく過ごすようになれました。そうすると、毎年変わる学生証の顔写真の顔が変わっていき、平和なところに来たのだとしみじみ感じました。
体育大会で踊ったソーラン節や華やかな文化祭、毎日の授業、周りの目を気にせずに本気で打ち込めることがあの頃はとてもうれしく、また今でも大切な経験だったと思います。
さて、中国研修旅行があることが志望理由で共立第二を受験したわけですが、放課後には中国語の課外授業を受け、1年次と2年次に念願の中国研修旅行に参加しました。本や映像を通して見るのと現物はやはり違っていて、まず規模の大きさ、量の多さに圧倒されていました。それから、習い始めの中国語が通じたこともうれしい思い出でした。「是」(はい)とか「好吃」(おいしい)といったあいさつ程度の言葉を、丁寧に発音しただけでとてもよろこんでもらえるので、英語とは違う達成感がありました。一方で、西安交通大学と北京大学付属の中高生との交流会では、筆談と英語を使いました。中国の中高生たちは英語が非常に流暢で、私も英語をしっかり勉強しないといけないと痛感しました。それから、大量の英語の授業の予習もめげずに頑張れるようになりました。
外国語を使って仕事をする際、英語以外の言語が得意でも、英語力をある程度要求されます。大学に進学して中国語を第一外国語に選択していくと、英語はあまり勉強しなくなる同期が多かったのですが、私は高校時代の中国研修旅行の経験から、大学でもTOEICの対策講座を受けたり、アメリカから派遣されてきた先生の英語による講義を受けたりしていました。中国語に比べると英語はまだまだなのですが、語学力があると参加できる学会が増え交流できる研究者がぐっと多くなりました。日本語だけで研究している先生方もいますが、私より下の世代では外国研究では必然的に、日本研究でも2つ、3つ語学ができることが当たり前になりつつあります。また外国語を介することで新たな着想を得やすい環境を作ることができると感じています。
大学院進学から現在に至るまで、共立女子学園の学びは秀でていると何度も思いました。国立大学や私立上位校はさぞさかし別世界なのだろうと思っていたら、どこに行ってもすぐに順応できました。それは高校と大学の共立での7年間、のびのびと自分の力を伸ばすことに専念できていたからだと思っています。
3.受験生へのメッセージ
自分の伸ばしたい力を思いっきり伸ばして、最後まであきらめないでください。私の高校受験は奇跡がいくつか起こりました。大学院受験の時も、最初は家族からは信じてもらえませんでした。どちらも目指した時の第一志望は高嶺の花でしたが、入りたいと思っていると不思議な力が湧くものです。共立女子第二は1度訪れたら、大好きになり、卒業した後もずっと大好きな学校です。
4.この学校の良さを、ひと言で表現すると…
英気を養える
5.プロフィール
2005年3月 共立女子大学国際文化学部中国文化コース 卒業
2012年11月 東京外国語大学大学院 博士後期課程 修了
2013年 東京外国語大学・早稲田大学 非常勤講師
2014年4月 京都大学教育学研究科 日本学術振興会特別研究員PD(2017年3月まで)
2019年4月 立教大学経済学部 助教
※ 以下、台湾の新聞で著書の刊行を紹介された時の記事からの引用です。
日學者寫嘉南大圳 贈書水利會
2015-10-27 08:23:02 聯合報 記者黃宣翰/台南報導
清水美里將著作贈送給嘉南農田水利會收藏。 記者黃宣翰/攝影
日本學者清水美里研究嘉南大圳,花了近10年蒐集台、日史料,數度下鄉到嘉南農田水利會工作站,訪問退休員工與耆老,完成「帝國日本的開發與殖民地台灣」新書,日前贈送給嘉南農田水利會收藏,讓更多人了解嘉南大圳及早期民眾利用水利建設的生活智慧。
這本書副標題為「台灣的嘉南大圳與日月潭發電所」,內容包括嘉南大圳建設、日月潭發電所開發等章節,討論日本帝國主義在殖民台灣,開發水利建設過程與困境。
「謝謝你們的協助,幫助我完成著作。」清水美里日前拿著新書,到嘉南農田水利會,向會長楊明風、公關主任鍾美貞道謝。
鍾美貞說,清水美里以日本人觀點來看嘉南大圳對台灣農業影響,她9年多來,數度下鄉走訪水利會工作站,蒐集檔案、資料,克服千辛萬苦,相當難得。
嘉南大圳是台灣在1920年代最重要水利工程之一,大圳興工於1920年9月,先建造烏山頭水庫,後開鑿水路溝通曾文溪和濁水溪兩大河流系統,1930年5月竣工。
日本人研究者嘉南大圳についての著書を水利会へ寄贈
日本人研究者清水美里は嘉南大圳の研究に10年近くかけ台湾、日本で史料を集め、嘉南農田水利会のワークステーションにも何度か足を運び、退職者や昔を知る人を訪ね、新書『帝国日本の「開発」と植民地台湾』を完成させた。ここで本書をより多くの人に嘉南大圳と当時の民衆が水利建設を利用した生活の知恵についての理解を深めてもらうため、嘉南農田水利会に寄贈した。
この本書の副題は「台湾の嘉南大圳と日月潭発電所」とし、内容は嘉南大圳建設と日月潭発電所開発などの章立てとなっており、日本帝国主義が植民地台湾で行った水利建設の過程の苦境を論じている。
「みなさんの協力と支援のおかげで、著書を出版することができました。ありがとうございます。」清水美里は新書をもち嘉南農田水利会で、楊明風会長、公関室の鐘美貞主任に対し謝辞を述べた。
鐘美貞がいうには、清水美里は日本人の観点から嘉南大圳の台湾農業への影響をみている、彼女は9年以上、水利会のワークステーションにも行き、アーカイブズ、資料を集め、千辛万苦を克服し、本当に珍しいことだという。
嘉南大圳は台湾の1920年代における最重要な水利工事の一つである。1920年9月に工事がはじまり、烏山頭ダムを建設し、曾文渓と濁水渓二大河川の水路を開鑿し、1930年5月に竣工した。