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Vol.16 津久間夕刈(旧姓 狭間) 3回生

Vol.16 津久間夕刈(旧姓 狭間) 3回生

1.今の自分について

現在、製薬会社の研究開発本部に所属し、医薬品の開発に携わっております。
私の仕事は、新しい医薬品の立案から発売までを、薬剤師としての知識を生かして、薬学の技術的な面と、法律的な面から進めていく仕事です。
どのお仕事もそうだと思いますが、そのプロセスにおいては、様々な課題や壁が次から次に現れますが、それらをどうやって乗り越えていくかをチームでディスカッションしながら、時には全員で落ち込み、時には社内外の専門家にご協力いただきながら、日々切磋琢磨しております。時には七転八倒しながら、また時にはコメツキバッタのように頭を下げて、お忙しいところに無理を言って実験を実施していただくこともしばしばで、申し訳なく、また正直かっこわるいですが、課題をクリアできて、新しい医薬品を世に送り出したときの感動は、言葉では言い表せないものがあります。 
医薬品は使用者の立場で、有効性、安全性、品質などに十分配慮する必要があるとの認識の基、使用者に信頼されるように、慎重にこれからも努めてまいりたいと考えております。
現在は、アレルギー用薬などを検討しておりますが、次はどんな製品を・・・といつもワクワクしながら考えております。

  • 会社でのドイツの製薬会社の方の歓送迎会にて・・

2.共立二中高の思い出

共立二高の思い出は一つ一つが宝物です。
なんといっても、登下校時の長房団地のバス停からの長い長い坂道をみんなで登校したことです。(当時はスクールバスはありませんでしたので。)雨の日も風の日も雪の日も、道の左右に季節の草花を見ながら、3年間通わせていただきました。「若い」ということは、すごいことだと思います。今、同じことをやれと言われてもできないからです。この通った3年間で、かなりの精神力と体力がついたと思います。
共立二高では生徒会活動に参加させていただきました。生徒会活動では、率直な意見をぶつけ合える素敵な仲間と出会うことができ、協力していろいろなことに取り組み、有意義で楽しい学校生活を送ることができました。
白亜祭や体育祭などの学校行事では、素敵な友人たちと、時にはぶつかり合いながら頑張りました。男子生徒がいない分、「自分たちでやるぞ!」という自立心が強く、団結力があったように思います。
毎年夏になると、楽しみな白馬岳登山がありました。先生方のご指導の基、山頂を目指すのですが、途中はかなり苦しく、山頂に到達したときの感動・感覚は、今の仕事に通じるものがあります。新製品を世に送り出すことができた時には、山頂に到達したときのあの感動・感覚をいつも思い出します。
共立二高は大自然に囲まれた学校です。授業中にキジが飛んで来たり、野ウサギが出てきたり、家庭科の授業では、ヨモギを摘んで先生に草餅の作り方を教えていただき、みんなで作っていただきました。草餅おいしかったです。当時の私にとって、これは貴重な体験でした。 
日々の授業はというと、先生方が各教科の準備室をほぼ開放しておいてくださって、先生と話がしたいときは、準備室へ行くとほぼいつも、時にはお茶を飲みながら、相談に乗っていただけたことが、本当に心強かったことを覚えています。そんな共立二高で過ごした3年間のおかげで、今、何とか壁を乗り越えていけているのです。
共立二高での学校生活で出会うことのできた素敵な友人たちとは、高校時代がまるで昨日のことのように、今も何かと交流させていただいています。

3.受験生へのメッセージ

受験生の皆様は、きっと将来に向かって、いろんな夢と希望を抱いておられることでしょう。誇りと自信をもって、好きなことをどうか一生懸命やっていただけたらと思います。世の中に不必要な仕事はないと思うからです。先生方はきっと生徒一人一人の希望や夢や心の傷に向き合ってくださると思います。
共立二高は若い皆様の成長をサポートし、有意義な高校生活を送ることができる学校だと思います。共立二高が第一志望の方も、第一志望でない方も、共立二高に入学してがっかりすることは、たぶんないと思いますので、安心してください。共立二高の自然に囲まれた環境で、希望に向かって素敵な学校生活を送っていただけたらと思います。

4.学校の良さを一言で表現すると…

“Face to face”
一人一人を大切にしてくださる学校です。

5.プロフィール

1975年3月 共立女子第二高等学校 卒業
1980年3月 明治薬科大学 薬学部製薬学科 卒業
1980年4月 エスエス製薬株式会社 入社
1980年4月 薬剤師国家試験 合格
1980年7月 薬剤師免許 取得
2008年7月 エスエス製薬株式会社 研究開発本部 薬事部長