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Vol.2 神田梓 26回生

Vol.2 神田梓 26回生

1.今の自分について

「新聞社に勤めている=記者」と思われることがよくあるのですが、私は広告関係の仕事に興味があり、入社しました。新聞社には記者のいる編集局の他、販売店とともに購読部数を支える販売局、紙面に掲載する広告を扱う広告局、展覧会などの主催を行う企画事業本部、新聞電子版を扱うデジタル本部など、様々な部署があります。

現在の仕事は、ブランド推進本部マーケティング部という部署で、会社全体の宣伝、プロモーションをしています。具体的にはテレビCMの制作、放送を中心としたメディア展開やキャンペーンのPRなどを行っています。新しく紙面にできたコンテンツを訴求したり、大学入試に紙面記事からの出題が使われることを訴求したり。その時々、打ち出したい内容とその展開の方法を考えています。例えばこの春は、夏目漱石の「それから」が新聞紙面で106年ぶりに再連載になること、夏目漱石が朝日新聞の社員だったことを打ち出す内容でテレビCM、ラジオCMなどを行いました。
また、主催行事である夏の高校野球、日本代表のマッチスポンサーであるサッカーなどの取り組みのPRも行います。

2.共立二中高の思い出

共立第二を選んだのは、5歳年上の従姉が通っていて、良い学校だと聞いていたからでした。実際に通うと、校舎も広くきれいで、友達にも恵まれ、本当に楽しく過ごすことができました。

中学では野外研究部、高校ではフェンシング部に所属しました。野外研究部では学校の周りを散策して取ってきた野草を食べる「野草を食べる会」や尾瀬の合宿などとても楽しかったです。高校からスポーツがやりたくて入ったフェンシング部は先輩や後輩とも中の良い部活でした。競技人口が少ないので都大会に全員出られたり、新人戦の団体戦で準優勝したり、いい成績を残せたこともよい記念です。土曜日の体育館は時間制で様々な部で区切って使用していました。自分たちの使用時間になるまでは皆で他愛もない話で盛り上がったり、問題を出し合って勉強をしたり。今でもこの部活の仲間たちとは変わらずに会い続けています。野外研究部もフェンシング部もこの学校だからできる部活動だったな、と思います。

また、高校では山岳同好会にも参加していました。休みの日まで先生たちが私たちと一緒に山登りに行ってくださりました。お子さんを連れてきて一緒に登ったこともあり、本当にアットホームで気さくな先生方が多いと思います。

勉強では順位が下から数えたほうが早いくらいの成績を取ったこともありました。そうした時も先生が「やればできるんだから」と励ましてくれ、奮起したことを覚えています。高校ではスポーツの部活に入ったことで、時間もメリハリを持ち、自分なりに勉強にも集中できたのではないかと思います。

新聞社は以前に比べると女性社員も増えましたが、まだまだ男性の多い職場です。10人、20人といる会議で女性は自分1人、ということも今までにはありました。そうした時に「女性からの視点」というのを自分に求められます。女性の中で育ってきた中学高校の環境というのは自分の考えや見方の原点になっていると思います。

3.受験生へのメッセージ

芸術観賞会や海外ホームステイ、スキー教室、岩手や九州(当時)への修学旅行など、本当にとても生徒のことを考えた様々な行事があります。そうした行事が生徒の感性を育て、仲間や先生方との繋がりも深めさせてくれるものだと思います。また、少し前に現在の学校も見学させてもらいましたが、細かく分かれたコース制の教育プログラムや栄養や食育をしっかり考えた給食など、私が在籍していた時よりもさらにパワーアップしていると感じました。見学をしながら「いいな~」と思ってしまったほどです。充実した学生生活を送れると思います。

4.学校の良さを一言で表現すると…

「この学校に通って良かった」と今でも思える学校です。

5.プロフィール

昭和55年2月26日生。東京都出身。
平成10年 上智大学外国語学部ロシア語学科入学
平成14年 ロシア・サンクトペテルブルグに1年留学
平成16年 上智大学卒業。朝日新聞社入社、名古屋本社広告部配属
平成21年 東京本社広告局に異動
平成26年 ブランド推進本部マーケティング部に異動