130th ANNIV. SPECIAL WEB MAGAZINE Advance! キャリア形成と自立志向を「ジブンゴト化」するウェブマガジン

vol.1

卒業生の社長にインタビュー!

共立社長のオキテとホンネ

「覚悟を持って、自分の道を歩んでいる人。 それが自立している女性の条件です」/桂由美さん

2016.11.14

世界的ウエディングドレスデザイナー、そしてブライダル事業の経営者として活躍する桂由美さん。女性が最も美しく輝く日を演出し続けてきた、ブライダル業界のパイオニアです。女性を輝かせる天才である桂さんに、20代の頃を振り返っていただきながら、働く上で大切にされていること、好きな仕事を見つけるヒントなどをお聞きしました。

ブライダルファッションデザイナー

桂由美さん

共立女子大学家政学部被服学科卒業後、フランスへ留学し、デザイン、クチュール技術を学ぶ。1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。1969年全日本ブライダル協会を設立し、1999年東洋人として初めて、イタリアファッション協会の正会員となる。2005年パリ・カンボン通りのシャネル本店前に、パリ店をオープン。これまで、世界20カ国以上の各国首都でショーを行っている。学校法人共立女子学園評議員。

演劇とファッションの勉強を両立。
大学時代のあだ名は、“ミス・ハーフ”

――共立女子大学家政学部被服学科を卒業された桂由美社長。学生時代から、ファッションの世界に進みたいと決意されていたのですか?
 
「いいえ。洋裁学校を経営していた母の意向で、共立の被服学科に入学しましたが、当時の私は演劇の世界に夢中でした。第一、私は浴衣も縫えないほど、縫製が苦手でしたので」
 
――当時の夢は、演劇プロデューサー。高校卒業前には、かの有名な文学座の演劇研究所のオーディションを“お母様に内緒”で、受験したそうです。桂社長に学校を継いでもらいたいと思っていたお母様は、大反対!
 
「それでもなんとか説得して、1年間だけ文学座に通えることになりました。それからは、二足のわらじ生活。午前中は大学の授業に出席して、午後は文学座に通っていましたので、しばらくすると同級生達からは、“ミス・ハーフ”と呼ばれるようになりました(笑)」
 
――演劇ではなく、ファッションの世界に進もうと思ったのは、何かきっかけがあったのですか?
 
「当時、演劇チームのリーダーであった芥川比呂志さん(芥川龍之介さんの長男)に進路について相談したところ、『今、演劇には知性が必要なのだ。大学でしっかりと勉強しなさい。卒業してから戻ってきたっていい』と言われまして。そうして改めてファッションを見つめ直した時に、縫う事が苦手でもデザイナーとしてだったら、私が役に立てることがあると気付き、ファッションの世界を突き進もうと決意しました」

「困っている人を見ていられない」
その一心で、日本初のブライダル専門店をオープン

――卒業後は洋裁学校の講師として、生徒に指導する日々。ブライダル専門店を開きたいという思いが芽生えたのは、卒業して3年が経った頃だそう。
 
「卒業制作の課題として、ウエディングドレスを作らせることにしたのです。それで、生徒と一緒に生地屋を回っているうちに、日本って生地もレースも靴も何もないことに気が付いたんですね。それもそのはず、当時はドレスを着て結婚式を挙げる人は、全体の3%にも満たなかったんですよ。クリスチャンか、外国の方と結婚する人くらい。でも3%の人は、確実に困っているわけだから、気の毒で。何とか役に立ちたいと思って、慈善事業のつもりで始めました」
 
――そうして東京オリンピックの年に、日本初のブライダル専門店をオープン。しかし経営は厳しく、10年間給料なしで働いていたといいます。
 

「お客様は、月に2、3人しか来なかったですね。それで4人いた従業員に給料を払うと、私の取り分がない。当時は週3日、母の学校で、午前、午後、夜間と生徒を教え、夜22時を過ぎた頃にお店に戻るような生活でした。本当にお金がなかったので、お店に住んで、住居費を節約していたんですよ(苦笑)」
 
――とても苦しい時期だったと思うのですが、その時、桂社長を突き動かしていたのは、何だったのでしょうか?
 
「涙を流して喜んでくださる花嫁やご両親を見ると、とっても嬉しくて! 幸せそうに笑っている花嫁さんの姿を見るたびに、お店は何があっても続ける、と覚悟を決め直していました。それに心底好きなんですよね。ブライダルの仕事が。結局のところ、その気持ちに支えられていたのだと思います」

42歳でお見合い結婚。
“恕”(じょ)の精神で、主婦業と仕事を両立!

――多くのカップルの結婚式をサポートしてきた桂社長。ご自身が、結婚を意識し始めたのは、42歳の時でした。
 
「パリの広場で、ひとり寂しく鳩にエサをあげる老婆を見て、残りの人生を共にするパートナーが欲しくなりました。それで見合いを始め、3人目に出会ったのが主人でした。彼は『自分のために、仕事をセーブする必要はないよ』と言ってくれましたが、ただ応援するだけ。家事は、何ひとつ手伝ってくれませんでした(笑)。社長業とデザイナー業と主婦業。毎日目が回るほど忙しくて、生煮えの大根を出してしまうようなことも多々ありましたけど、主人との18年間は、とても幸せで満ち足りた時間でもありました」
 
――共働きの家事負担は、現代女性が抱えるテーマでもあったり。「少しは手伝ってよ!」と、不満には思わなかったのですか?
 
「“恕(じょ)の精神”を心がけていたので、ちっとも不満ではありませんでした。“恕”とは、孔子の言葉で、『相手の立場に立って物事を考える』という教え。思いやりの気持ちを持っていれば、感謝の気持ちを忘れずにいられるし、相手をいたわることができると思います。実は“恕の精神”は、私が仕事をするうえで、大切にしている信念でもあります。ブライダルの仕事は、私達にとっては毎日の仕事ですけど、お客様にしたら一生で一度の大イベント。だからこそ我々は、お客様の要望が無理難題だったとしても、相手の立場に立って、最大限の努力をしないといけない。私は、ユミカツラインターナショナルの社長として、こういう精神を持っている方と一緒に働きたいなと思っています」

“恋をするように、夢中で取り組める”
そんな仕事を見つけてほしい

――桂社長のお話を聞いていると、ブライダルのお仕事への愛がひしひしと伝わってきます(笑)。どうすれば、天職を見つけられるのでしょうか?
 
「天職とは、“恋をするように、夢中で取り組める仕事”のことだと思います。そこに辿りつくためには、いっぱい寄り道をしてほしいですね。語学でも、スポーツでも、なんでも。たくさんの世界に触れることで、自分にとっての天職がきっと見つかると思います。私も本気で演劇にのめり込んだからこそ、ファッションの世界に進むという覚悟が決まりましたし。それに、演劇とブライダルは通じるものがあるんですよ。たとえば、演劇はただ芝居をするのではなく、舞台装飾、音楽、照明とトータルで魅せていくもの。それはブライダルも同じで、空間をトータルで演出していかないといけない。その空間を見渡す力というのは、演劇で培ったと思うのです。このように“寄り道”だって自分の仕事に活かせることもありますから、どんどん世界を広げていってほしいと思います」
 
――ユミカツラインターナショナルでも、“ブライダルの仕事が好きかどうか”を重視して、採用されているようです。それでは、最後に“女性の自立”についてお聞きしたいのですが、桂社長が考える“自立している女性”とは、どのような人でしょうか?
 
「覚悟を持って仕事に打ち込んでいる人、だと思います。もちろん、イヤイヤ働いているのではなく、自分の好きな仕事をね。覚悟というのは、あらゆるものを敵にまわしても、自分の信じた道を突き進む勇気でしょうか。友人の小池百合子さん(東京都知事)は、まさにそうですね。彼女のように後ろ盾が何もなくても、自分の信じた道をまっすぐ進めるのは、自立した女性の条件だと思います。そして、精神的にも誰かに依存するのではなく、自由でありたいですね。みなさんにとって、“恋をするように、夢中になれる仕事”が見つかりますように。お祈りしています」

――貴重なお話をありがとうございました!

桂社長の1日スケジュール

多忙を極める社長は、どんな1日を過ごしているの? そこには、効率よく働くヒントが隠されていました!

朝起きてから朝食までの約2時間は、ノンストップで、書類やデザイン画をひたすらチェック。また原稿や、挨拶文などもこの時間に執筆するなど、朝から大忙しです。なるべく、週の半分は自宅で夕食をとるようにしているそうですが、会合で夜遅い帰宅になることもしばしば……。寝不足だと頭がボーッとしてしまい、デザインを考案するのに支障が出るため、どんなに忙しくても6時間は睡眠時間を確保しているそう。

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