文學藝術
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な例でいいますと、先ほど申し上げたデジタルリテラシーも私の授業の中でやっておりますが、ChatGPTを使って、ある単語を説明させる文章を作成し、その中身を分析するような議論をさせるんです。実際、その内容は全部間違っているとか、この点はどうなんだ。つまり、ある自分たちの議論の俎上に上げるような素材を作るみたいなことはあるかなと思います。次の御質問にいかせていただきます。「日本におけるデジタルリテラシーは、他国と違いがありますか」。恐らくそんなに違いはないと思います。最初に申し上げたユネスコの、いわゆるGlobal Frameworkというのは、海外のいろいろなところで教えているデジタルリテラシーをある程度包含したものになっていますので、その意味でいうと、地域ごとに多少偏りはあるが、それは全体を捉えたものになっていると思います。次、「教員側のスキルアップや精神知識の獲得はどう担保しているか」ということなんですけれども、いわゆるファカルティ・ディベロプメントでやっているところが一つあるとは思います。そういった、生成AIの使い方から、さっきの話もそうですが、こういうのも多少それに何かお役に立っているのかもしれませんけれども、やはり新しい知識を入れていくというのは、どうしても先生方の御状況とか御専門で差がありますので、ある程度底を上げて、全体に上げていくということはやっていく必要があるかなと思います。本学(北海道大学)も、ああいったクリエイティブラボみたいなのをつくる予定ですが、このような場を学生が使うことで、学生のレベルが上がり、教員に求められるレベルが上がり、教員も学ぶようになればいいなと考えています。次、「生成AIを活用するに当たって、商用面のさっきの映像を懸念している」。はい、そのとおりです。生成したものが、著作権侵害に当たる可能性が当然ありますので、そこは人の目で判断しているということだと思います。生成したものを最終的にそれをどう使うかという意思決定は人間のものですので、その部分での見極めを求められているのかなというところは、あまり変わらない気はしています。(79)文學藝術 第47号(2025)

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