いるのは、文芸学部研究促進委員会である。最後にあえて天邪鬼な言い方をするのだが、我々は、「促進」されないと研究ができないのだろうか。自ら投稿を申し込んで、締切に遅れるということがあるのだろうか。答はただ一つ、「忙しすぎるから」だろう。これは、自分の新米教員時代を思い出せば確実に言えることである。慣例通り、着任後しばらくは教授会の記録係を仰せつかったが、その当時に比べて現在の議事録と資料の量は、もはや自分などには異様としか思えない。「スタディ」と「ポリティクス」「ビューロクラシー」の役割分担がないがしろにされ、後者が異常に肥大した結果ではないのか。それを解決し本当の働き方改革をする事しか研究促進の道はないのではないか、というのが消え去りゆく老教師(兵ではない)のつぶやきである。(鈴木 国男)歴史家のサガか、『文學藝術』の歴史が気になる。本誌は文芸学部付属の文芸研究所の機関誌であった。文芸学部創設の翌年、すなわち一九五四年(昭和二九)に創設された。一九六三~六六年に『文芸研究』を刊行し、入れ替わるように本誌が一九六八年に創刊された。「文芸学部らしい」雑誌として、研究所がなくなった今も続いている。記念すべき第一号の「後記」に、杉山誠先生は「型にはまった紀要といったものではない雑誌」として、「研究論文というものだけでなく、研究ノート、エッセイ、翻訳などというものをも掲載する」と記されている。この精神は、「『文學藝術』の面白さは毎号の「特集」にあり、共通テーマのもと、専門の違う教員が「腕を競い合う」ところに魅力がある」という深津謙一郎先生の言葉にも受け継がれている(「最後の一文で読む「羅生門」」『文學藝術』四五号)。四五号は「特集 命」の他にも「半沢幹一先生定年退職記念誌上文芸サロン」、プロジェクト文學藝術講演会の記録として「宝塚」と「女性の生き方を問う授業科目」に関する原稿も収録している。「特集 命」と「宝塚」は鈴木国男先生、「誌上文芸サロン」と「女性の生き方」は橋本嘉代先生の企画である。両先生の御尽力と御寄稿いただいた先生方のおかげで、文芸学部の懐の広さと深さがよく示されていると思う。それは今号の「特集 歌」と「生成AI時代における創造的な学びの創出に向けて」にも共通する。今号もまた前者を鈴木先生、後者を橋本先生に企画していただいた。改めて御礼申し上げる。特に後者はこれまでの文芸学部には縁遠い分野であったが、今後の研究、教育に避けては通れないことを重田勝介先生に教えていただいた。お忙しいなか御登壇いただいた重田先生に改めて御礼申し上げるとともに、みなさま御味読ください。(堀 新)左開き頁へ
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