は、薬物投与化における意識の混濁と覚醒、あるいは幻聴といった要素が意識的に織り込まれていると見てよいのではないか。フランスの哲学者・社会学者であるロジェ・カイヨワは、人間が行う「遊び」を、アゴーン(競争)、アレア(賭博)、ミミクリー(演技)、イリンクス(眩暈)という四つのカテゴリーに分類した。「イリンクス――最後の種類の遊びは、眩暈の追及を基礎とする遊びであり、一瞬だけ知覚の安定を崩し、明晰な意識に一種の心地よいパニックを惹き起こそうとする試みを内容とする遊びである((1(。」眩暈という極めて不安定な身体感覚は、ある状況下においては忌避すべき不安・恐怖の対象であるが、一方で、快感をもたらす遊びの要素も持ち併せている。だからこそ、幼児は上下左右に体を揺らされることを好み、少年はジェットコースターを好み、青年は飲酒、喫煙を好み、さらに一部の人間は麻薬による知覚の混乱を至上の喜びとするわけである。『ドグラ・マグラ』作中で「ドグラマグラ」は、「堂廻目眩」の当て字をされる。「眩暈」という、平衡感覚を失う不安な身体感覚が意識されているのである。この当て字は自ずから、実際に存在していた方言「ドグラマグラ」の語源であるとおぼしき古語「てぐらまぐら」が、「手眩まし」、「目眩まし」、すなわち奇術を意味する「手眩」(てぐら)、「目眩」(まぐら)の複合語であることとも対応してこよう((1(。薬物を用いずとも、我々は日々の睡眠によって、意識の混濁と覚醒を繰り返し続けている。また、意識が覚醒している状態であっても、飲酒や喫煙によって能動的に、眩暈にも似た一種の恍惚、朦朧とした状態を作り出し、それを愉しんでいる。しかし、麻酔薬や麻薬は、人工的に、なおかつ劇的な効果を付帯して、人間の意識を撹拌するのである。『ドグラ・マグラ』は、読者の意識を覚醒させずにはおかない大量の情報を提示しつつ、全体としては茫漠とした読後感を抱かざるを得ない書物となっており、そこには、読む麻酔薬としての構造が指摘できよう。(8文學藝術 第47号(2025)
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