獄してからの号であり、それ以前は「狂斎」と号していた。北斎にしろ暁斎にしろ、絵画の制作を至上の命題とする余り、ときに世間から〈狂〉の烙印を押され、自らも〈狂〉を以て任じる無頼の精神を持ち併せていたのである。彼らが、美しいもの、優れたものを描こうとするだけでなく、妖しげなもの、醜いもの、怖ろしいものに心惹かれ、好んで題材としていた点も興味深い。本稿では北斎に倣って、社会の常識から外れ、自己の生活を疎かにしながらも絵画の制作に邁進する絵師を、広く「画狂人」と呼びたい。さて、以下においては、夢野久作研究でこれまで触れられることのなかった医学関係の資料を用い、その『ドグラ・マグラ』への影響の可能性を検証しながら、作中に登場する中国唐代の絵師と、作中における現代日本の医師との比較を行う。そして、本来抱いていた目的と、それを実現する為の手段とを倒錯してしまい、ついには倫理を逸脱した行為に手を染めてしまう芸術家や科学者という、作中に込められた普遍的なテーマを抽出していく。二 呉青秀と華岡青洲『ドグラ・マグラ』では、玄宗皇帝のお抱え絵師、呉青秀(ご・せいしゅう)が主君を諌める為に始めた死美人絵巻の制作が、やがて目的と手段を倒錯した単なる利己的な連続殺人へと化すことになる。そしてはるか後世、日本の九州大学では、医学の進歩という表向きの目的のために、競争する二人の医師、正木博士と若林博士による壮大な「心理遺伝」実験が行われていた。その結果、呉青秀の子孫であり、彼が行った妻殺しに始まる連続的な猟奇犯罪の記憶を無意識下で承け継いだ少年、呉一郎(くれ・いちろう)は、絵巻を見て呉青秀の記憶を一時的に覚醒させてしまい、新たな犯罪が起こる。なお実際の玄宗皇帝のお抱え絵師としては、長安で地獄変を描いた呉道玄(呉道子)という人物がおり、呉青秀のモデルの一つはここにある。一方で、妻殺し、連続女性殺人という点で言えば、呉青秀の行為は、シャルル・ペロー29自由テーマ・画狂人とマッド・サイエンティスト
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