没後かなり経ってから、全共闘世代の学生たちによる再評価などを経て、あるいはサブカルチャー文脈からの〈異端の作家〉としての評価を確立し、現在ではその流れを汲んでのカルト小説的な位置を保っている。総じて、夢野久作と、その代表作『ドグラ・マグラ』は、主として文学研究の主流から外れたところで注目され続けてきた作家、作品であったと言える。そうした意味では、久作とほぼ同時代を生き、同様に人間の闇の側面を見つめ続けていた芥川龍之介とは対照的な存在である。日本には、絵画の道に精進するあまり社会の常識から逸脱してしまう人々をめぐる物語がある。よく知られているのは、芥川『地獄変』の典拠のひとつとされる『宇治拾遺物語』所収の、次のような話である。――絵仏師の良秀の自宅が火事になった。良秀は、注文されて描いている不動尊像もそのままに、あろうことか妻や娘も救わず、自分だけが逃げ出して燃え盛る炎の様子を外から眺めていた。周囲の人々が、物の怪にでも憑かれたのかと思って真意をただすと、「不動尊の光背の火炎を描く参考になる」と言って喜んでいた――という話である。実在の絵師をめぐるエピソードにも、世間から見れば異様な印象を残すものが多々ある。良秀を引き合いに出したついでに、火事に関するものに絞って幾つかあげていこう。たとえば、江戸期の絵師、葛飾北斎は仕事中に火災に遭い、気が動転して何を持ち出すこともできずに家を飛び出したが、その時も、絵筆一本だけは握り締めていたという。北斎亡き後の明治期に、自由闊達な筆を揮って活躍したのが河鍋暁斎である。暁斎は、住んでいた火ひ消けし屋敷も焼失するほどの大火に遭った際、火事の様子を写生している(2(。やはり明治期の浮世絵師である小林清親は、両国の大火を写生しに出かけている間に、自宅が焼失してしまっている。高名な絵師に付き纏うこうしたエピソードは枚挙に遑がなく、ときには虚実の境すら曖昧である。しかし、真偽はともかく、こうしたエピソードには、世間から見てときに常軌を逸した存在であった彼ら自身の行動原理が強く影響を与えていたはずである。葛飾北斎は、自ら「画狂人」、「画狂老人」とも号していた。一方、河鍋暁斎の「暁斎」は、筆禍事件で入牢し、出28文學藝術 第47号(2025)
元のページ ../index.html#36