締役保原トクハ大正八年十月六日死亡ス」とあるので、少なくとも大正七年以降は保原姓を名乗ったのだろう。ただ、本名を青江徳とする記載もある(剣持、前掲書、高沢初風『現代演劇総覧 再版』文星社、一九一九など)。実父の名から考えると歌江の旧姓は石川であるはずなので、保原姓が何に由来するのかは不明である。(5) 剣持国男、『新旧俳優素顔と身上話』愛文館、一九二〇、一五一頁。(6) 「幕が開かぬ訳―弁天小僧の忘れ物―最後の女役者、中村歌扇(談)」読昭和十年十二月十九日。曽我五郎を石川雛子(当時は中村雛助と名乗ったか)、曽我十郎を中村歌扇が演じた。(7) 剣持、前掲書、一五一頁。(8) 岡田道一『学校家庭女子の衛生』新陽堂、一九一一、三八頁。(9) 『木村長門守』については、勝歌女助『木村長門守之伝』日進堂、一八九三、国会図書館蔵{特((-(0(}を参照。((0) 畑中傳九郎「同行無人演芸順礼」『演芸画報』大正四年十二月号。((() 拙稿「神田劇場の開場 : 附、初期上演作品一覧」(前掲)七頁((() 同右。((3) 尾上菊右衛門については、演芸画報社編『現代俳優鑑』(演芸画報社、一九一八)、剣持、前掲書、高沢初風『現代演劇総覧 再版』(文星社、一九一九)などを参照した。((() 市川新十郎については、演芸画報社編『日本俳優鑑』(演芸画報社、一九一〇)、高沢初風、前掲書、剣持、前掲書などを参考にした。((() 高沢初風、前掲書、二四頁。((() 明治四十一年(一九〇八)十一月、藤沢浅次郎によって神楽坂に開かれた東京俳優養成所が、四十三年に東京俳優学校と改称。((() 三木竹二・伊原青々園・永井素岳・竹の屋(饗庭篁村)・幸堂得知・岡野紫水「歌舞伎座合評」『歌舞伎』第四号、一九〇〇年七月。((8) 大正十五年六月歌舞伎座筋書、国会図書館蔵[特(((-(8]。((9) 平山蘆江「歌扇熱一段落」『花形』大正九年一月号。((0) 中村琴右衛門(本名、坂本秀吉)は明治十九年(一八八七)大阪の生まれで、実川実太郎と名乗って楽太郎時代の菊右((自由テーマ・女役者、中村歌扇と歌舞伎俳優(男優)の共演
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