文學藝術
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子が役になつてゐぬ。(中略)日頃の名声に対して困つた事に思ふ」と酷評している(11(。こうした歌扇に対する批判は他でも時々見られるもので、新聞評によく見られる「楽すぎる」という表現も、段取りめいた歌扇の演技を指して言ったものだろう。菊右衛門も歌扇も、同種の批判には常に晒されていたので、ここで指摘されているような難点が客入りに大きく影響したとは考えにくいが、大正九年(一九二〇)五月頃から神田劇場では菊右衛門や新十郎の名前が見られなくなる。純歌舞伎時代の終焉へその後「歌舞伎若手名題大一座」と銘打った興行(出演者未詳)を数回見せると、同年十一月三の替の公演に歌扇が出演する。演目は得意とする『伽羅先代萩』と『恋飛脚大和往来』。そして、この公演中に歌扇が結婚して女役者を引退する旨が報じられるのである。「舞台を退いて歌扇結婚」「神田劇場を根城として神田牛込辺の人気を一手に集めてゐた中村歌扇(本名青江久)は廿日から同劇場で伽羅先代萩の乳人政岡に扮して得意の芸を見せてゐるが、是を最後に愈々長らくの舞台生活を退いて某氏と結婚し、箱根に予て経営してゐる温泉旅館の成駒の女主人になるといふ」(読(9(0/((/(()(11(。この成駒とは、箱根の木賀に歌扇が開業した旅館である。ただ、「神田劇場事務所箱根成駒旅行部」(朝(9((/(0/(()という新聞広告は、この旅館の経営にも青江が噛んでいたことを示唆している。開業時期は大正七年八月の雑誌記事に「箱根に今度開業した」とあるので、七年の春から夏の間のことだろう(11(。いずれ図4:旅館成駒の絵葉書((文學藝術 第47号(2025)

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