思われる。この時に木村長門守を勤めた片岡我當(十一代目片岡仁左衛門)が後に手を加えて、仁左衛門家の家の芸「片岡十二集」のひとつとした。豊臣方の重臣、木村長門守(木村重成)の講談を元にした作品で、「ギヤマン風呂」では評判の良い木村を妬んだ茶道山崎三阿弥が大坂城内のギヤマン風呂で木村を殴ろうとして誤って別の武士を殴り、斬り殺されるところを、木村に救われて改心する話、「血判取」は大坂冬の陣の和睦に際して、木村が豊臣方の使者として徳川家康のもとに赴き、誓文を交わして血判を押させる話を描く(9(。東京では小芝居での上演が目立つ。神田劇場では、爽やかな二枚目武将の木村を尾上菊右衛門が手がけ、木村と対峙する徳川家康を市川新十郎が演じた。『酒屋』は『艶姿女舞衣』の一幕で、この場だけが頻繁に上演される。遊女三勝に入れあげる夫、半七を待つ、妻のお園とその家族を描いた場面である。当たり役のお園を歌扇が演じ、息子の所業に苦悩する半七の父、半兵衛を新十郎が引き受けている。近松門左衛門作『博多小女郎浪枕(毛剃)』では、海賊の毛剃九右衛門を新十郎、恋人小女郎との恋を成就するために九右衛門の仲間に入る小松屋宗七を菊右衛門、遊女小女郎を歌扇。座組の中心になる三人の共演で上演された。『木村長門守』は講談をもとに明治期に書かれてはいるものの、純歌舞伎作品であり、『酒屋』と『毛剃』は人形浄瑠璃を原作とするいわゆる義太夫狂言で、歌舞伎の中でも古風な作品と言える。神田劇場がこのような「旧劇本位」の興行に舵をきった理由はいくつかあると思うが、冒頭に述べたように歌江を失ったことは大きな理由のひとつである。座頭の歌扇は非常に達者な女役者として知られたが、新派よりも歌舞伎を得意とした。新派を演じた際には「旧劇にかけてはいざ知らず、あんな新派物へ出てゐて、厭に間延びした、時代かかつたいひ廻しをしちや困る((1(」などと批判されることもしばしばであった。歌扇を座頭として売り出していく以上、「旧劇本位」とすることは必然であったろう。また、新演劇の男優たちがなかなか定着せず、次々と交代していたことから考えると((((、興行としてもやや行き詰まっていたのかもしれない。観客が神田劇場に求めたものも、新派より歌舞伎だったのではないだろうか。前稿に述べたように((1(、興行師の青江俊蔵は神田劇場を「新しい」劇場として売((自由テーマ・女役者、中村歌扇と歌舞伎俳優(男優)の共演
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