文學藝術
24/158

と応えたというエピソードが紹介されている(読(9(8/08/0()。大正七年(一九一八)八月半ばから休演したものの、十月には「病気全快」として『琵琶歌』のヒロイン里野を演じ、少なくとも亡くなる年の五月までは舞台に立っていたらしい。訃報広告曰く、「中村歌江儀、予て相州平塚にて療養中、薬石無効十月六日午前五時死去致候間、此段通知申上候。来る九日、神田劇場にて告別式を行ひ、十日午前八時遺言に依り、青江本宅出棺。浅草東本願寺別院に於て執行仕候」(朝(9(9/(0/09)。二十九年の儚い生涯だった。神田劇場の再開場歌江の葬儀の後、二の替興行を終えた神田劇場は、十日間ほどの休業を挟んで、十月三十一日から第二期とも言える時代に入る。「場の内外に修繕を施し、興行組織を変へて純歌舞伎芝居とし従来の女優歌扇其他菊右衛門、新十郎他数名の名題を加へて三十一日に華々しく開場した」(朝(9(9/((/0()と報じられるように、劇場を改装し、尾上菊右衛門、市川新十郎など、歌舞伎俳優(男優)たちを招いて、神田劇場は再スタートを切ったのである。幕間には歌扇が口上を述べ、歌江のことで場内を泣かせたという(朝(9(9/((/0()。再開場の演目と配役は、次の通りである。・一番目『木村長門守』(ギヤマン風呂より血判取まで四幕七場) (菊右衛門の木村長門守、新十郎の家康)・中幕 『酒屋』 (歌扇のお園、照蔵の宗岸、楽四郎のお幸、新十郎の半兵衛)・ 二番目『博多小女郎浪枕(毛剃)』(元船より奥田屋まで) (新十郎の毛剃九右衛門、歌扇の小女郎、菊右衛門の宗ママ七、琴右衛門の座頭、芳江の女房)『木村長門守』は、明治二十六年(一八九三)八月浪花座の『大阪毎朝新聞 木村長門守之伝』を初演とするものと((文學藝術 第47号(2025)

元のページ  ../index.html#24

このブックを見る