(4) 五月上旬であることは、この本文の前後に「(四月)晦の日」、「つとめて」、「二三日ありて」、「またの日」、「三日ばかり」とあるところから窺える。(5) 注2同書参照。(6) 応永本は「過ぎば」である。 折過ぎばさてもこそやめさみだれの今宵あやめの根をやひかまし(応永本)(7) 三田村雅子「和泉式部日記」『紫式部日記・和泉式部日記』ぽるぷ出版(一九八七年七月)(8) 後藤祥子「五月五日」山中裕・今井源衛編『年中行事の文芸学』弘文堂(一九八一年七月)「あやめ」を「かけ」ることについては、『蜻蛉日記』や『栄花物語』にもみることができる。・大夫(道隆)、いま一つとかくして、かのところに、 わが袖は引くと濡らしつあやめ草人の袂にかけてかわかせ 御返りごと、 引きつらむ袂は知らずあやめ草あやなき袖にかけずもあらなむ(『蜻蛉日記』下巻・三〇〇頁)・五月五日、中納言(隆家)のたまひける、 思ひきや別れしほどのこのころよ都の今日にあはんものとは とありければ、女君、 うきねのみ袂たもとにかけしあやめ草引きたがへたる今日ぞうれしき(『栄花物語』浦々の別)(9) 円地文子・鈴木一雄『全講和泉式部日記』改訂版 至文堂(一九八三年)(10) 高木和子「女から歌を詠むのは異例か―和泉式部日記の贈答歌」『女から詠む歌源氏物語の贈答歌』青簡社(二〇〇八年五月)(11) 吉見健夫「紅葉賀巻の藤壺の歌「袖ぬるる~」和歌の解釈をめぐって―源氏物語の和歌の表現と場面形成」(『国文学研究』173号 二〇一八年五月)によると、これまで完了説が十三、打消説が十三、両義説が三ある。(12) 吉本隆明「Ⅳ続歌体論」『初期歌謡論』河出書房新社(一九七七年六月)※『和泉式部日記』『古今和歌集』『源氏物語』『蜻蛉日記』『栄花物語』の本文引用は新編日本古典文学全集(小学館)によるが、私に表記を変えた箇所がある。月12文學藝術 第47 号(2025)
元のページ ../index.html#20