文學藝術
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長岡から小出にある祖父母の家に行く途中、いつも看板は見ていたので、記念館があることは以前から知っていた。にわかに興味を持ったのは、筆者の短歌の師が、若いときに短いあいだ「コスモス」に参加していたことに気づいたから。先生は宮柊二にお会いしたことはあるものの、当時すでに体が自由に動かなくなっていて、会話らしい会話はできなかったとのこと。師の師が自分の先輩でもあって、不思議な縁を感じる。宮柊二は太平洋戦争に従軍し、四年にわたって中国に滞在した。山西省で戦闘を経験し、そのことをいくつもの歌にしている。鉄板に集まる弾たま丸の固き音さむざむと近し六むたり人の膚はだへに 宮柊二八月六日広島に原爆が投下された一九四五年八月六日からちょうど八十年。朝起きてテレビをつける。八時から平和記念式典の中継を行うため、地上波の朝ドラは十五分前倒しになっている。前日の国会で、伊勢崎賢治議員と日米地位協定の問題についてやりとりをした石破茂総理が、追悼の挨拶の結びに原爆の惨状を歌った短歌を引用した。太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり 正田篠枝続く湯崎英彦広島県知事の言葉にも考えさせられる。核抑止(自国が核兵器を持つことで敵国から核攻撃を受けることを防ぐ、という考え方)は、「あくまで頭の中で構成された概念または心理、フィクション」であって、「自信過剰な指導者」や「高揚した民衆の圧力」あるいは「誤解や錯誤」によって破られてきた、と。(14)特集テーマ「歌」・日々と歌々

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