あり、その前後も晴天が続いていることがわかっているからである。また、「日記」ということをぬきにしても、この歌の前後の地の文で天候は「雨」であるとは記されていない。そのため、「さみだれ」は「五月の異名」、「五月雨」よりも「さ乱れ」の方が主意であるという形で説明されてきた。しかし、題詠などをのぞいて、現実の場での、コミュニケーションとしての歌の贈答が、その日の天候や情景、時間などといった「折」を意識し、情景描写に人事を重ねて詠むことが常であったことを考えれば、雨でない日に「さみだれ」を用いているのはやはり特異な感じがする。特異だからこそ、「五月雨」からイメージされる女の涙や、「さ乱れ」に表される思い乱れる心情が強調されているともいえるが。では、「さ乱れて」とは、何について悲しみ、何についての乱れ、なのであろうか。そのことについても諸説ある。 Ⅴ故宮(為尊)を思い心乱れる Ⅵ宮(敦道)の言葉を聞き、寺詣に行くかどうか思い悩む Ⅶ宮と私で乱れる(共寝する)ⅤとⅥは主に上の句との関わりで、Ⅶは下の句「今宵あやめの根をやかけまし」の関わりで生まれる意味である。最後に下の句について考えたい。「あやめの根をやかけまし」とは、五月五日に「若い女房は菖蒲の挿櫛をさし、物忌をつけ、木草の折枝や菖蒲の根を村濃の組紐で唐衣や汗衫などに結いつけた(((」行事のことをいい、そのため歌の「今宵」は五月五日その日をさすことがわかる。「根をやかけまし」の「根」に「音」(涙との関連で泣・・・く音、宮との関連で来・・訪)や、「寝」(宮との共寝)を、「かく」には「根をかく」と「涙をかく」を掛詞としてとる解釈もある。「まし」は「ましかば~まし」ではなく「単独で用いられたときは、推量の助動詞「む」の性質に近づき、不可能な希望の心や、ためらいの気持ちをあらわす(((」という。これらを上の句を意識しつつ解釈すると次のようになろうか。 Ⅷ今宵、一緒に菖蒲の根をかけよう(宮に共に寺参りに誘う)(特集テーマ「歌」・作中和歌の解釈をめぐって
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