団も、会社組織となっている所が多数であると思われる。宝塚歌劇団には理事会があり、理事長以下常務理事、制作部長、総務部長などの役職者がいるが、実は法人格をもつ組織ではない。阪急電鉄株式会社の社長直属の部署とされ、これら役職者も、生徒も、座付の演出家も、美術・音楽等を担当するスタッフも、阪急電鉄との雇用関係あるいは契約関係にある。阪急の子会社には、裏方を担当する宝塚舞台、放送・出版などを担う宝塚クリエイティブアーツもある。諸々の運営業務は、阪急電鉄の創遊事業本部・歌劇事業部が行なっているとされる。阪急電鉄は2005年に一旦持株会社阪急ホールディングスとなり、村上ファンドによる阪神電鉄の株買い占めがきっかけとなって、TOBにより阪神電鉄を子会社化し、2006年に阪急阪神ホールディングスの下に、阪急電鉄および阪神電鉄ほか旅行・ホテル等の事業が再編成された。その際、ホールディングスのエンターテイメント部門が設けられ、その2本柱として、阪神タイガースと宝塚歌劇団が位置付けられた。現在、東証プライムに上場しているのは阪急阪神ホールディングスであり、株主総会における決算報告は、エンターテイメント事業を一括りにした形で行われている。しかしながら、阪神タイガースが阪神電鉄の100パーセント子会社であるのに対し、宝塚歌劇団が上記のような形態をとり、かつその業態が全く異なるものであることは、言うまでもない。創業者である小林一三から米三・公平と連なる後継者や、直接一三の薫陶を受けた経営者たちまでは、歌劇は阪急にとっての広告塔であり、ブランドイメージを保つために欠かすことのできない存在であり、愛し守り育てるものと認識されていたようである。一方で、阪急社員の中には、自分たちの稼ぎを蕩尽するものとして歌劇嫌いを公言する者も少なくなかったといわれる。今日のような社会的認知を得られず、また集客に苦労していた時代には猶更そのような思いも強かったと想像される。70年代はじめには解散が現実のものとなりつつあったとの証言もある。1974年の『ベルサイユのばら』初演の大成功が起死回生の一打となったとされるが、その後もかなりの赤字が続いたとも言われている。(28)特集テーマ「歌」・宝塚歌劇団と文芸学部の今後
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