文學藝術
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活発で寄付文化も根付く一方、ショービジネスのダイナミックさも特筆されるアメリカ、そして中国や韓国その他のアジア諸国においても、それぞれの歴史や文化の中で、積極的に演劇を社会の中に位置づけ発展させようとする意志が見られるが、日本においてはガラパゴス的な現実が続いている。宝塚歌劇は、110年の歴史の中で、組織・経営から様式まで独自のスタイルを築き上げ、制作側・観客側からしても一定のボリューム有する、いわば1劇団・1ジャンル体制の世界でもユニークな存在といえるのではないか。さらにそれは、学校であり家庭であるという側面を持っている。建前と現実に乖離はあるかもしれないが、劇団側もファンも、その建前だけは決して捨てないで来たのである。それならば、そこにしか存在しない自律性を明確にすべきである。あえて極言するならば、世間の常識や法令のみに従って事足れりとしていたのでは、決して「宝塚の」観客が満足するようなものは作れない。ファンもそれを知っているからこそ、「常識はずれな」サポートを続けているのである。私見によれば、「伝統」と呼ばれるものには不変の要素が必ずある。シェイクスピア劇におけるテキスト(英語上演の場合)、オペラにおけるリブレットとスコアはそれにあたるだろう。それを前提に大胆な「創造」を行なうのが上演の常識とされている。 能・歌舞伎・文楽・組踊など日本の伝統芸能に関しては、テキストに「型」が加わって伝承されている。宝塚歌劇においては、『ベルサイユのばら』などに見られるごく少数の場面を除いて型は存在しない。再演を繰り返す作品も多いが、原則として新作主義を貫いている。しかし、そこには紛れもない「宝塚歌劇」の、少なくとも日本における「レヴュー」の様式があることは一目瞭然である。それがどのようにして構築され伝承されているかは、それ自体非常に大きな課題であり、ここで扱うことはできないが、そこに厳然としたシステムがあることは間違いない。それこそが「1劇団・1ジャンル」の中に存在する本質なのであり、それ自体が「生きた宝物」のように扱わなければ失われてしまうものなのである。一方で、いかなる活動も、物理的な支えがなければ長続きしない。お金が(30)特集テーマ「歌」・宝塚歌劇団と文芸学部の今後

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