スターの交代があったが、事件を直接の契機として退団した者は一人もいない(生徒死亡の直後に当時の理事長は退任して阪急グループ内の他の部署に移り、後任の理事長に就任した人物が、現在株式会社宝塚歌劇団の社長を務めている)。舞台・客席・出版物・CS放送などの外見は何一つ変わってはいないように思える。先に述べたように、阪急阪神ホールディングスのエンターテイメント部門の二本柱は阪神タイガースと宝塚歌劇団であり、今ではそれぞれが阪神電鉄と阪急電鉄の子会社であるという、きわめてバランスの取れたわかりやすい体制になった。歌劇の集客が好調で、タイガースがリーグ優勝を遂げたとなると、順風満帆といわなければならない。しかし本当にこれでいいのだろうか。というよりも、何が変わったというのだろうか。まず第一に、同じグループ内の同じ部門の事業とはいえ、プロ野球と歌劇は全く別物であることは言うまでもない。スポーツと芸術の根本的な差異を論じている余裕はないので、ここでは常識的な理解に留めておく。本論の主眼である舞台芸術における組織管理・労務管理の問題もまた多岐にわたり、本文中でも触れたように、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国と比べても日本の事情には特殊性があり、それについては深く論じられるべきであり、また論じられても来た。ただ、日本の演劇においては、伝統芸能から現在に至るまでの歴史の中で根強く残っている旧弊があり、人権や労働の観点からは前近代的と言わざるを得ない側面もあり、いわゆる「やりがい搾取」とみなされる場合が少なくない。これは、「芸」を身につけ「芸」をひさぐという生業が特殊視され、「芸道」や「武道」は修行であり、その「道」や「先達」「師」に対する絶対的な帰依が前提となっている面もあるのではないだろうか。もちろんその場合、「師」は高度な倫理と弟子に対する無限責任を求められるのであるが。これは私見として敢えて述べるのだが、宝塚歌劇のファンは、前近代的な「芸」が近代的な経営感覚と学校教育という器に移し替えられた稀有な、というより唯一無二の例が宝塚歌劇なのであり、その枠の中でこそ、生徒もファンも、ある意味で特権的な、ある意味で犠牲的な共同体を形作り、かつそれ(35)文學藝術 第47号(2025)
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