文學藝術
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が有限であるが故に、自分の意志で安心してそこに入りそこに留まることができると信じてきたのではないだろうか。だから、劇団四季は株式会社だけれど、宝塚歌劇は阪急という会社の中にある得体のしれない「歌劇団」であり「学校」なのだ、それでよいのだと思っていたのではないだろうか。それが「普通の会社」になったらどうなるのか。もちろん、永年の悪弊と怠慢のために歪が生まれ、それが悲劇を生んだのならば、それは是正されなければならない。しかしだからといって本質までがらりと変える必要があるだろうか。変えてしまったらお終いなのではないだろうか。つまり「株式会社宝塚歌劇団」は普通の会社のように見えるけれども、かつての得体のしれない「宝塚歌劇団」とほとんど同じなのです、安心して下さい、と言われているのか、いや今こそ変わらなければならないから本当に変えるのです、生徒やスタッフの世代も移り変わり、今や本気でそれを望んでいるのです、ファンだって本音を言えばそうでしょう、と言われているのか。今は、少なくとも現象的には何も変わっていないように見える。しかし本質の変化は一朝一夕で現われるものではない。はっと気がついたら変わっていたというものだろう。ここでまた全く個人的な見解を述べる。本質は変わってほしくはない。改めるべき所は改めてほしいが、本質を変えずに改善を図るのはシステムではできないだろう。システムは方便であって変えるのは人である。要は、それができる人がいるのか、どれだけいるのか、だろう。真の意味で保守的でかつ柔軟な大人が求められているのだ。それは大学とて同じ事である。さて、「共立女子学園歌」の2番には、「すこやけき実学のもと」という歌詞がある。入学式と卒業式にしか歌わないが、60回近く歌ってきたそのたびに、自分のやっていることは果たして実学なのだろうかと自問せずにはいられなかった。共立女子職業学校として始まった学園なのだから何の不思議もないかもしれないし、文芸学部ができる以前に作られ、大学も家政学部だけの頃から歌われていたのだろうと思っていた。ところが実は、制定されたのは昭和32年3月であり、まさに文芸学部が第一回の卒業生を送り出した(36)特集テーマ「歌」・宝塚歌劇団と文芸学部の今後

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