時なのである。その時、卒業生や教員は、どんな思いでこれを歌ったのだろうか。ちなみに、筆者は本学においては一度も外国語の授業を担当したことがないが、他大学の非常勤講師として、四半世紀にわたりイタリア語を教えた。大きな大学の全学共通授業で、多い時には週4コマ、様々な学部の様々なレベルの学生を相手にした。一定の時間で一定のレベルの実用的な語学力を身につけさせろと言われても十分に応えられるノウハウはある。以前、授業見学期間にリモートで外国語のお薦め授業を聴講したことがあるが、あまりにもお粗末なので笑ってしまった。テキストも自分で作ったし、外国語科目ならシラバスもルーブリックも詳細に書ける自信はある。だが、実際に担当している文芸学部の授業については、まともに書けたためしがない。文芸学部創立の経緯については、『共立女子学園百年史』(1986年)に詳しく記されている。755頁の「文芸学部の設置」という節には、「昭和二十七年(一九五二)から昭和三十五年(一九六〇)までは学園の戦後史のなかで第二期に当たる時期である。それは総合的学園をめざしての発展期であり、昭和二十八年(一九五三)四月に文芸学部ならびに短期大学部文科が増設され、名実ともに総合大学としての一歩を踏み出すこととなった。」と記されている。また、昭和二十七年十月二十日付で文部大臣に提出された「学部増設認可申請書」の「第一 文芸学部増設要項」「一 目的及び使命」には、「文学芸術一般に亘って、高度の教養を施し、特定部門に偏らず綜合的見地に立って鑑賞・批判・創作力を養うと共に文科的専門職業に必要な技術の理論・演習を重んじ、特に出版・放送事業等に適する有能な人材を育成することを目的とする。」とある(756~757頁)。なぜ文芸学部が作られたか、その問いに答えているのがまさにこれらの文言であり、要は「総合大学」を作るということであったのだ。その後、国際文化学部(現国際学部)、看護学部、ビジネス学部、建築デザイン学部が設立され、まもなく児童学部も開設の予定で、共立女子大学が「総合大学」としての実質を備えていることは言うまでもない。その先駆けとなったのが文芸学部だったのである。「総合」とは、「単科ではない」とい(37)文學藝術 第47号(2025)
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