言葉ではなく和歌で答えた。そこで、女がどのように答え、何を伝えたかったのかBの「折過ぎて」歌を句もしくは言葉ごとに諸説示しながら考えてみたい(((。まず、「折過ぎてさてもこそやめ」とはどのような意味だろうか。「折」については、大きくは4つ考えられる。 Ⅰ寺詣の時期 Ⅱ五月五日という時節 Ⅲ五月雨の時期 Ⅳ女と宮が逢う機会Ⅰは前後の状況から、ⅡとⅢはB歌の言葉を根拠とする。「過ぎて」の部分は、そのままだと意味が通りにくい(((が、多くの注釈書は「過ぎたならば」のニュアンスで解し、Ⅰだと「寺詣を逃したら精進が無駄になる」、Ⅱだと「五月五日を過ぎたら「あやめの根」が不用になる」、Ⅲだと、「五月雨は時が過ぎれば降り止む」、Ⅳだと「宮様と逢う機会が持てなければ関係が終わる」とする。それぞれ、ⅠとⅡ、ⅠとⅢ、ⅡとⅢなど、重ねて解釈されることも多い。そもそも、女は何のために寺詣に行くのか。その理由は作品内に明示されていないものの、従来いわれているように、故宮(敦道の兄為尊親王)追悼という理由がまず考えられる。『和泉式部日記』は「夢よりもはなかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば」という文から始まる故宮追憶から描きだされており、五月は故宮の一周忌(六月)が近づく時期でもあった。Ⅲで理解すれば「五月雨の今は亡き兄宮を偲ぶ悲しみの涙にひたる時でもあり、時がすぎればその悲しみにも区切りがつくであろう(((」となる。「さみだれて」についても、「さみだれ」はよく用いられる歌語ながら、この作品が「日記」ゆえに問題とされてきた箇所である。なぜなら五月五日は古記録と照らし合わせると「五日甲午。天晴」(『本朝世紀』長保五年五月条)と(文學藝術 第47 号(2025)
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