文學藝術
11/158

二 「折過ぎて」歌の様々な解釈言うまでもなく、和歌は平安時代の人々にとって重要なコミュニケーションツールであった。主従、親子、男女、友人間でも交わされた。特に女にとっては、どのような男と結婚するか(恋人とするか)が人生を左右するため、男に「歌」で何を伝えるかということが極めて重要だったといえるだろう。それは『和泉式部日記』における女も同様であったに違いない。以下の引用は、五月上旬(((、女の寺詣前後で交わされた宮と女のやりとりである。   またの日、(宮)A「ア今日やものへは参りたまふ。イさていつか帰りたまふべからむ。ウいかにましておぼつかなからむ」とあれば、 B「折過ぎてさてもこそやめさみだれて今宵あやめの根をやかけまし(女)  とこそ思ひたまふべかりぬべけれ」と聞こえて、参りて、三日ばかりありて帰りたれば、宮よりC「いとおぼつかなくなりにければ、参りてと思ひたまふるを、いと心憂かりしにこそ、もの憂く恥づかしうおぼえて。いとおろかなるにこそなりぬべけど、日ごろは、 c過ぐすをも忘れやするとほどふればいと恋しさに今日は負けなむ(宮) あさからぬ心のほどを、さりとも」とある、御返り、 D負くるとも見えぬものから玉かづら問ふひとすぢもたえまがちにて(女) と聞こえたり。(二五~二六頁)女のB「折すぎて」歌は、宮のA言葉(手紙)の返答としてあった。Aの発話部分で宮の言いたいことは明快である。点線で示したように、「ア今日寺詣におでかけになるのか」「イそれでは、いつお帰りになるのか」「ウあなたがいない間、いつもにましてあなたにどれほど逢いたくなるだろう」という三点である。女は宮の問いの返答として、(特集テーマ「歌」・作中和歌の解釈をめぐって

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る