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文芸学部取り組み・プロジェクト紹介

更新日:2016年04月10日

美術史専修

受験生へのメッセージ(池上 公平)

美術史という世界
西洋美術史、イタリア美術、ルネサンス

 

1.なぜ美術史の道に進んだか


フィレンツェ大聖堂 1294年頃着工

 研究対象はイタリアにおけるルネサンスの時代、つまり15世紀、16世紀の美術です。なかでも15世紀中頃に活躍したピエロ・デッラ・フランチェスカという画家――この人は画家としてだけでなく数学者としても活躍しましたが――を主な研究対象にしています。
 子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、この道に入るきっかけの一つはテレビ番組でした。イタリア、フランス、スペインの共同制作になる『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』というドキュメンタリードラマがそれです(今ではDVDで見ることができます)。レオナルドは画家であるばかりでなく、あらゆる領域に秀でた万能の天才として知られています。現在では、そのような見方は単純すぎることがわかりましたが、当時中学生の私にそんなことがわかるはずもありません。しかし、私のナイーブな見方を変え、レオナルドという人物の実像を垣間見せ、その実像を明らかにしてくれる美術史という学問の存在を教えてくれたのが、この番組だったのです。
 それからしばらくして「発見の手帳」というエッセイを読みました。これは人類学者の梅棹忠夫が書いた『知的生産の技術』(岩波新書)という本の一部で、高校の現代国語の教科書に載っていたものです。そこに描かれていた、飽くなき好奇心の塊で目につくものを片っ端からノートに書き留めるレオナルドの姿はたいへん刺激的で、当時の私に多大な影響を及ぼしました。ついでですが『知的生産の技術』は本の読み方、情報の整理の仕方、文章の書き方等、勉強の仕方を教えてくれた本で、そちらの面でも大きな影響を受けました。現在ではもはや古典と言って良い本ですが、今でも有効な部分があり、卒論指導をする時にも役立っています。
 その頃読んだ本では、高階秀爾の『名画を見る眼』と『続 名画を見る眼』(岩波新書)も忘れられないものです。15世紀フランドルのヤン・ファン・エイクから20世紀オランダのモンドリアンまで、さまざまな名作を1点ずつ取り上げ、的確な解説を述べたもので、非常な興味を持って読みました。坂崎乙郎の『幻想芸術の世界』(講談社新書)にも大きな影響を受けました。
 そのようなわけで私は、大学に入ってから美術史を学ぶようになりました。美術史に関する様々な本を読みあさり、様々な展覧会に足を運び、さらに大学院、2年間のイタリア留学を経て、関心の対象もルネサンスだけでなく、近代のイタリア美術や一転して中世の美術、さらには日本の近代美術へと広がって行きましたが、結局、専門分野としてはルネサンス美術を選ぶことになりました。選ぶという言葉を使いましたが、実際には意識的に選んだというより、何となくそうなってしまったという感じがしています。ピエロ・デッラ・フランチェスカという画家を研究対象にしたのも、同様にそれほど考え抜いた結果ではありませんでした。けれどもその選択は、自分にとっては間違いではなかったと思っています。それは留学の間にヨーロッパ各地で自分の眼で見た数々の作品の圧倒的な力が作用した結果かも知れません。

 

2.ルネサンスのおもしろさ

 ルネサンスという時代の興味深い点は、美術作品自体の持つ魅力もさることながら、中世から近代へと世界が大きくその姿を変えつつあるがまだ完全には変わっていない、ということにあると思います。ピエロ・デッラ・フランチェスカは遠近法を絵画に持ち込み、三次元の世界を的確に平面上に再現して見せる一方で、そこから幾何学研究へと進みましたが、彼にとっての幾何学は宇宙の神秘を象徴するものであり、その理解の仕方は古代ギリシアや中世の哲学者たちと基本的には同じでした。レオナルドは人体解剖を手がけ、近代的な医学の先駆者となりましたが、しかし彼の知識は多くの場合、伝統的な中世の医学書を出るものではありませんでした。またミケランジェロは古代末期の新プラトン主義哲学の影響を濃厚に示す一方で、個人の内面という実存的な要素も垣間見せており、そういう意味では近代的ということができます。その他に、たとえば、ガリレオ・ガリレイのような科学者、マルティン・ルターやイグナティウス・デ・ロヨラのような宗教家、シェイクスピアのような文学者、モンテヴェルディのような音楽家の名を挙げることもできます。コロンブスやマゼランもこの時代の人物です。このように列挙してみると、ルネサンスという時代がどのような時代であったか、多少なりとも想像がつくのではないでしょうか。美術においてもそのほかの領域においても非常に複雑な様相を呈していて、興味が尽きません。

 

3.知識が全ての基盤

 長年にわたって美術史を学んできて痛感したことは、知識の量の重要性です。美術作品そのものに関する知識、作者に関する知識、技法や材料に関する知識、その作品が制作された時代、地域に関する知識、その社会、文化、思想、宗教、文学、美術以外の芸術分野、そして日本語であると外国語であるとを問わず、言語の知識です。昨今、グローバル化時代の進展に伴い、英語の重要性が叫ばれ、大学でも英語でやる授業を増やせという声が高くなっています。むろん国際共通語としての英語の重要性は明らかですし、大学生(もちろん教員も)が英語くらいできなくては恥ずかしいとも思います。しかし、英語以外の外国語や日本人にとっての母語である日本語をなおざりにするかのような風潮には深い危惧の念を持ちます。また、大学教育において知識の詰め込みからの脱却を叫ぶ人々も目立ちますが、知識なくしては何も考えることができません。いくらアクティブ・ラーニングをやっても基盤となるべき知識がなければ、何も生み出すことができないのは明らかです。どんな料理の名人でも、いくらレシピを知っていても、材料がなければ料理ができないのと同じです。これから大学に入学する皆さんにも、今大学で学んでいる皆さんにも、基本的な知識を着実に身につけることと、そのために必要な努力と忍耐を知ってほしいと思います。

 

4.美術史を学ぶ意味・人文学を学ぶ意味

 美術史を勉強して、さて何の役に立つのでしょうか。いいえ、すぐに何かの役に立つようなものではありません。役に立たないという点では、ニュートリノの研究やティラノサウルスの研究と良い勝負です。ではそれを学ぶ意味はどこにあるのでしょう。
 まず、美術作品それ自体への興味が挙げられるでしょう。その作品が何を表現しているのか、どのように作られているのかを知ることは、もっとも基本的な関心事です。
 美しいものがもつ価値も挙げられるでしょう。美術作品は常に美しいとは限らないとしても、また美の要件は時代によっても地域によっても異なるとしても、美は重要な要素です。なぜなら美は、人間に存在するものを、したがって世界を肯定させるからです。
 また、私たちの社会は芸術を尊重する社会です。そのような社会において価値ありとされるものを学ぶことは、これから社会で活躍する人々にとって必要なことと言えるでしょう。そこにはもちろん人類の過去の文化遺産を知り、継承するという役割も含まれています。
 なぜ、私たちの社会では様々な芸術が尊重されているのでしょうか。それは、芸術の起源を想像してみれば明らかになると思います。
 芸術の起源そのものは私たちにはわかりません。しかし、非常に古い時代から、人類が絵画や彫刻を制作してきたことは確かです。太古の人類の制作活動については、ラスコーの洞窟壁画やアフリカ、タッシリ・ナジェールの岩絵、縄文時代の土偶など、世界各地にかなりの数の遺物が残されています。それらの古いものは1万5千年前の新石器時代に遡ります。農耕も始まっておらず、文字もなく、国家などもちろんありえないというそんな昔から、人類はすでに絵画や彫刻を作っていたのです。今では残っていませんが、詩や音楽や踊りも存在していたに違いありません。あらゆる芸術は、ですから、人類とともに存在していたと言って良いのです。絵が描けたからといって、狩りがうまくいって獲物がたくさん手に入ったり、何か得になることがあるとは限りません。おそらく、人々はそんなことのためでなく、ただ自分たちの内なる要求にしたがって、祈りにも似たものとして、それらを作っていたのでしょう。それが必要だったのです。人類にとってあらゆる芸術は、言語とともに、本質的に重要なものだったのであり、だからこそ、社会で尊重されているのです。
 文学や芸術を大学で学ぶことは、「われわれはどこから来たか、われわれはどこへ行くか、われわれは何者か」という19世紀フランスの画家ポール・ゴーギャンの問いに答えようとすることです。それは人間の本質に触れることにほかならず、それらを大学で学ぶことの意味もそこに存している、と言うことができます。もし私たちが単なる労働力であるにとどまらず、人間であり続けようと望むならば、人間が人間であることの証として、文学や芸術を、さらには人文学一般を学び続けなければならないと思います。
 このように考えれば、文芸学部で学ぶ意味も自ずから明らかになってくると思います。多くの人に、文芸学部で文学や芸術を学び、よりよく生きるための糧を得てほしいと望みます。

 

5.進路について

 私自身は大学卒業後の進路について迷わなかったので、そういう意味では参考になるような体験がありません。ですから体験にもとづく助言はできませんが、就職に関して言えば、他学部にくらべて文芸学部だから不利であるとか、文芸学部のどのコースが有利でどのコースが不利だということはない、と断言できます。現に大部分の人が就職しています。しかし、残念ながら就職もそれ以外の進路も決まらないという人がいることも事実です。その違いがどこにあるのか、十把一絡げの議論は不適切かもしれませんが、あえておおざっぱに言えば、そういう人たちには共通点があるように思います。そういう人たちはだいたいにおいて自分の外に対して関心が薄いように、私には感じられます。自分の好きなこと、心地よいこと、なじんできたことの内に安住していて外の現実の世界に目を向けない、そういう人たちが進路に困ることになる傾向があるようです。2015年の夏には安保法制に対する反対運動が日本全国で盛んになり、多くの大学生や高校生が運動に参加しました。11月にはパリで大規模なテロ事件が起こり、130人もの犠牲者が出ました。日々様々な出来事が日本で、世界で起こっています。そうした出来事に関心を持つことが必要です。それが自分を外の世界に開いていくことであり、自分を外に開くことによってしか自分の進むべき進路は決まらないと思います。簡単に言えば、世の中を知る、ということです。ここでも知ること、知識が重要であることがわかります。文学や芸術は往々にして現実と無関係のように思われがちですが、そうではありません。むしろしばしば過酷な現実の中から生まれるものであり、現実を知る手掛かりともなるものです。皆さんもぜひ、文学や芸術を通じて、現実を知り、世の中を知り、自分の進路を見出してほしいと私は願っています。