わかりやすい近現代史シリーズ
 冷戦の舞台・朝鮮半島
             TERUO MATSUBARA

↑上写真 現在の板門店

 

    1910年 ――― 日本は朝鮮半島を占領し、植民地とする( = 韓国併合 )。

 

  日本は、朝鮮半島をどのように占領したか?
         『 アジアは我々のものだ! 』 のサイトにあります。

 

 

   朝鮮戦争と南北分断  

 

 冷戦はアジアにも及んだ。 朝鮮は、日本の敗北により植民地から解放されたが、北緯38度を境に、北をソ
連、南をアメリカに占領された。 北緯38度で分けたのはなぜか。 日本の植民地時代、38度より北側は
関東軍の司令部の担当で、南側は朝鮮軍司令官の指揮下にあった。 戦争末期に参戦したソ連は関東軍と戦
い、日本の敗戦後、関東軍の指揮下にあった地域を占領した。 それが、北緯38度より北側である。 朝鮮半島
の分断は、たまたま日本軍の担当地域が分かれていたことが遠因になったといえる。 朝鮮は日本が占領して
いたために1つの国になれなかった。 自らの責任ではなかった。 そして、朝鮮の人々の統一への願いは、
米ソの対立のために実現できなかった。

 

 1945年12月、米英ソの外相会議で、朝鮮半島に統一国家をつくるというモスクワ協定が結ばれたが、具体的
な話はまとまらなかった。 そこで、アメリカは朝鮮全土で総選挙をすることを国連に提案したが、北の勢力はこ
れを拒否した。
    1948年 ―― 南だけで総選挙が行われ、大韓民国が成立する。( 8月15日 )
    1948年 ―― 北に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が成立する。( 9月9日 )
       ★ 韓国の大統領は李承晩(イ・スンマン)、北朝鮮の首相は金日成

 

 やがて、統一をめぐって朝鮮民主主義人民共和国が軍事行動を起こして韓国領内に侵攻、両国の間に戦争が
起こった。
    1950年 ―― 朝鮮戦争が始まる。
 北朝鮮の精神的源流は金日成が活動していたパルチザンにあるとされ、北朝鮮は韓国の解放を目的に朝鮮
戦争を開始した。

 朝鮮戦争の対立図

  韓 国  対立    北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)  
  アメリカ中心の国連軍      ソ連    中国の義勇軍

 地図で見る朝鮮戦争の経過 

 北朝鮮が攻めてきた日の前夜、韓国のソウルでは陸軍本部将校クラブの開館記念パーティーが開かれてお
り、軍首脳は深夜まで飲み明かしていたという。 開戦の知らせが入っても、多くの将校は酔いが残っていて、動
けなかったという。 3日後、北朝鮮軍はソウルに攻め込み、プサン(釜山)まで迫った。 

 

 ソ連は、この時、国連が中華人民共和国の代表権を
認めないことを不満として国連安全保障理事会を欠席
していたので、拒否権を行使することはできなかった。
 ソ連欠席のまま、北朝鮮を侵略者と決め、武力制裁
のためアメリカを中心とする国連軍を上陸させた。   
 その後、北朝鮮もソ連中国人民義勇軍の援助を受
け、戦争は北緯38度付近でこう着状態となった。 
                                      ( 上写真は、仁川に上陸するアメリカ軍である )
 マッカーサーは戦局のいきづまりを打開するため、満州爆撃を主張したが、戦争拡大をおそれるトルーマン・
米大統領によって突然解任された。

    1953年 ―― 板門店(パンムンジョンで、朝米中の間で( 韓国は加わらず )休戦協定が成立する。

  内容は、北緯38度線の停戦ラインで南北分断を決定づけるもので、非武装地帯が設置されることになっ
た。  終戦ではなく、休戦、戦争を休んでいるという状態である。
 板門店は北緯38度線上にある小さな村だったが、中国代表が 「 板門店 」 と呼んだことから、その後もこの名
で知られるようになった。

 

 この戦争で、両国合わせて 126万人が死亡し、離れ離れになった家族は1000万人に上った。 以後、韓国
は資本主義国としてアメリカの陣営に属し、北朝鮮は共産主義国としてソ連の陣営に属し、全く別の道を
歩むことになる。

 

 韓国と北朝鮮の国境非武装地帯の写真 →
 現在も、非武装地帯を隔てて両国のにらみ合いが続いている。  非武装地帯の幅は、北緯38度線を境に
南北4Kmである。 その外側には敵の侵入を防ぐ高い鉄条網があり、24時間のパトロールが続く。

 

 第2次世界大戦後、世界には、東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮と、2つに分けられてしまった国が、3組
生まれた。 しかし、ベトナムは1976年に、ドイツは1990年に再び一つの国に戻った。  だが、朝鮮は南北に
分断されたままだ。  
 休戦状態から抜け出すため、朝鮮戦争にかかわったアメリカと中国が加わり、4者会談を進める動きもある。
 
 南北に分かれ対立を続けてきた韓国と北朝鮮は、関係改善に向けて対話を開始した。
   1990年 ―― 韓国とソ連が国交を樹立する。
   1991年 ―― 韓国と北朝鮮が、国連に同時加盟する。

 

 

【黄海上の2つの軍事境界線】

 1948年に両国が誕生した時は、北緯38度線で国が分かれたが、朝鮮戦争で休戦になった時に、両国の軍
隊がにらみ合っている場所が軍事境界線となった。 韓国と北朝鮮を分けているのは国境ではなく、軍事境界
線である。
 しかし、海上の境界線は決まっておらず、韓国と北朝鮮は別々の軍事境界線を海上にひいている。 1953年
にアメリカを中心とした国連軍は北方限界線をひいた。 しかし、北朝鮮はこれを認めず、1999年にこれよりず
っと南に海上軍事境界線をひいてしまった。 つまり、黄海には、韓国と北朝鮮がそれぞれ 「自分の国の領域」と
考える領域ができてしまったわけで、現場の近くの海では、何度も韓国と北朝鮮の衝突が起きている。

 

   2010年11月 … 北朝鮮が韓国の延坪島(ヨンビョンド)を砲撃し、兵士と住民4人が死亡する。
 延坪島は、韓国が定めた黄海上の軍事境界線から3km南にある。 島民1660人と兵士600人が住んでい
た。 北朝鮮が韓国領土を砲撃して民間人死者が出たのは、1953年の朝鮮戦争の休戦協定以来初めてのこ
とである。

 

 


韓国と北朝鮮の国境はどうなってるの?  板門店の様子

  左の地図は、板門店の略図である。
 
  板門店では、両国とも30人の兵士と、ピストルしか持
 たない5人の将校だけで警備する約束になっている。 
  北朝鮮側Bの 「 板門閣 」 、韓国側@の 「 自由の
 家 」 は、観光客を受け入れるための施設である。
 それぞれの建物から相手国側を見学した後、本会議場
 の中で記念撮影をすることもできる。
  ただし、見学前に 「 敵の行動によって危害を受け、死
 亡する可能性があり、訪問者の安全は保障できない 」
 という内容の宣言書にサインさせられる。
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 ↓ 軍事停戦委員会本会議場 を北朝鮮側( 左下写真 )と韓国側( 右下写真  ) から見る

 

 ↑後ろに見える建物が 「 自由の家 」   ↑後ろに見える建物が 「 板門閣 」 

 

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 軍事停戦委員会本会議場の内部は、右写真のように
なっている。 会議に使用するマイクは、北緯38度線
( 軍事境界線 ) 上に置かれてある。    

 

  韓国と北朝鮮の国境はどうなっているのか? 板門店周辺についての詳しい
 解説は 『 板門店 』 のサイトにあります。

 

  TERUO MATSUBARA の板門店レポートが 『 韓国を訪ねて 』 のサイトに
 あります。 ソウルから出ている板門店ツアーの様子がわかりますよ。