中国残留孤児

 日本政府は、満州国にどんどん移住するようにすすめ、第二次
世界大戦終了時には、約150万人もの日本人が満州にいた。 
 戦争終了直前にソ連が参戦すると、ソ連軍は満州国にどっと
入ってきた。 満州に住む日本人は、あわてて日本に帰らなくて
はならない。 小さな子どもがいる人は、連れていくと危険なの
で、親切な中国人に子どもを育ててもらうように頼み、日本に帰っ
た。
 こうして、中国に残された子どもたちのことを、中国残留孤児
いう。
 

 

 戦争が終り、孤児たちは自分の本当の親に会いたいと思った。 また、親も自分の子どもを捜したいと思った。
しかし、中国は社会主義国となり、日本と国交がなかったので、両方の国民が自由に行き来することはできなか
った。 

   1972年・・・日本と中国の国交が正常化する。

 国交が回復すると、日本政府は残留孤児のグループを招いて、肉親捜しをするようになった。 第1回目の来
日が1981年で、来日した人の数と、肉親が見つかった人の数は下の棒グラフのようになる。

           

 1998年までに来日した孤児は、合計で2095人。 うち、665人が肉親と会えた。 また、集団調査以外に
肉親と会えた孤児が607人いる。 肉親捜しは、だんだん難しくなってきている。 肉親がどんどん年をとっていく
からだ。 1999年をもって、集団での来日肉親捜しは、最後となった。
 2000年からは、訪中調査で日本人孤児と認定され、有力な肉親情報のある人だけが訪日調査に参加できる
ようになった。

 

 これまで、約2300人が帰国して、日本で暮らしている。  しかし、日本での生活は苦労の連続だ。 その理由
として、 日本語がうまく話せない、 仕事が見つからない、  中国と日本では生活習慣がちがう、がある。 
日本政府も、日本語を学んだり、職業訓練を行う施設を作るなど孤児が日本で暮らせるように手助けをしてい
る。