戦後日本の     TERUO MATSUBARA  
     政党政治史

 

< 1946年〜1954年 吉田茂内閣 … この間、第5次まで。途中に他の内閣あり >

 占領下のほとんどは吉田茂内閣だった。 戦中から親米派だった吉田茂は対米従属で、1951年のサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約を 結んだ。 
軽武装のまま、アメリカに守ってもらえる、経済復興に集中できると考えたのだ。
 
 吉田茂のライバルに岸信介がいた。 岸は東条内閣の商工大臣をつとめ、戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた。 1948年、公職追放解除
より釈放され、いったんは山口県に帰ったが、吉田茂の対米従属を批判し、再び政治の舞台に立つ決意をした。 こうして、追放解除を受けた政治家・岸信介と、
戦後の日本を肯定して育ってきた政治家・吉田茂の対立が始まった。

 

 

< 1954年〜1956年 鳩山一郎内閣 … この間、第3次まで。 >

 岸信介は、アメリカ占領下にできた日本国憲法の改正を主張し、保守合同を実現させた。 吉田茂は敗れ、 自由党と鳩山一郎の日本民主党が合同して自由民主党
が誕生し、55年体制が作られた。
 鳩山一郎と吉田茂の仲の悪さも有名で、吉田のアメリカ中心の外交から一転して、日ソ共同宣言に調印してソ連との国交を回復したりと、外交に力を入れた。
 

 

< 1957年〜1960年 岸信介内閣 … この間、第2次まで。 >

 自立をめざし、対米従属を嫌う岸信介は、日米安全保障条約に事前協議制がなかったり、アメリカに日本防衛義務がないのは不平等条約だと考え、安保改定を最優
先に考えた。  
 1958年、岸信介首相は警察官職務執行法を改正しようとした。 予防拘束を可能にし警察官の権利を強化しようという法案は治安維持法の復活か?と左派から
批判を受け撤回した。 こうした岸内閣への反発は、安保改定反対へとつながっていった。
 

 

< 1960年〜1964年 池田勇人内閣 >

 岸信介首相退陣の後は、吉田茂路線の池田勇人が首相になった。 岸と吉田との間に「安保改定後は池田に首相を」という密約があったといわれる。 岸信介の
実弟・佐藤栄作の名前もあがったが、吉田と岸の箱根会談で池田勇人となった。
 その後は、経済的豊かさの中、憲法改正を主張する首相はしばらく登場しなかった。 しかし、岸はその後も憲法改正を考え続け、自分がもう一度首相になってでも
と考えていたらしい。

 

< 1964年〜1972年 佐藤栄作内閣 >

   1964年11月 ――― 佐藤栄作内閣が成立する。
 1967年には非核三原則を表明し、1971年には沖縄返還協定に調印し、1972年
沖縄返還を実現させた。 佐藤栄作は退任後にノーベル平和賞を受賞した。
 佐藤栄作内閣は長期政権で、自民党総裁の任期切れを機に総辞職した。 
 佐藤栄作は後継総裁を指名せず、1972年の総裁選挙には、「角福戦争」と呼ばれ
た田中角栄、福田赳夫ら4人が立候補し、田中角栄が総裁に選ばれた。

 

  『 自由民主党 』 のサイトに、 
    自由民主党、 総裁 についての詳しい解説があります。  

 

 

< 1972年〜1974年 田中角栄内閣 >

   1972年7月 ――― 田中角栄内閣が成立する。
 日中国交回復(1972年の日中共同声明) や日本列島改造計画などを進めたが、金脈問題が明らかになり
内閣総辞職した。

 

< 1974年〜1976年 三木武夫内閣 >

   1974年12月 ――― 三木武夫内閣が成立する。
 三木武夫は「クリーンな政治」 を掲げた。  第一回サミットにも出席した。
・  1976年 ――― ロッキード事件が発覚し、田中角栄元首相が逮捕される。
 この時、自民党の若手を中心とする国会議員が自民党の金権体質を批判して離党し、新自由クラブが結成さ
れた( 1976年 )。
   1976年 ――― 自民党は、総選挙で議席の過半数割れという事態が起こる。

 

< 1976年〜1978年 福田赳夫内閣 >

   1976年12月 ――― 福田赳夫内閣が成立する。
   1978年 8月 ――― 日中平和友好条約を結ぶ。
 福田赳夫は総裁選挙に敗れ、内閣総辞職した。

 

< 1978年〜1980年 大平正芳内閣 >

   1978年12月 ――― 大平正芳内閣が成立する。
 1980年に大平内閣不信任案が可決され、衆議院は解散された。 大平首相は、選挙遊説中に倒れた。

 

< 1980年〜1982年 鈴木善幸内閣 >

   1980年7月 ――― 鈴木善幸内閣が成立する。
 増税なき財政再建を進めたが批判をあびた。 総裁選挙に出馬しなかった。

 

 

< 1982年〜1987年 中曽根康弘内閣 >

   1982年11月 ――― 中曽根康弘内閣が成立する。
 イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権とともに、「 小さな政府 」をめざす「 新保守主義 」 の立場
から、大規模減税や3公社民営化などの行政改革を進めた。          
  ※ 国鉄、電信電話公社、たばこの専売公社の3公社が民営化され、JR、NTT、JTが誕生した。
   1983年 ――― 衆議院総選挙で、自民党は過半数をとれず、新自由クラブとの連立内閣が誕生する。
 消費税案が廃案となり、後継総裁を指名して中曽根内閣は総辞職した。

 

< 1987年〜1989年 竹下登内閣 >

   1987年11月 ――― 竹下登内閣が成立する。
   1989年 ――― 消費税を導入する。
 また、消費税問題が争点となった参議院選挙で、自民党は過半数割れをおこした。 竹下登は、リクルート事
で首相を辞任した。

     政官財の癒着

 
   政治家・官僚・業界の構造的な癒着体質を示す汚職事件の発覚は、国民の政治不信を一挙に高めた。 
  ロッキード事件は、旅客機の売り込みの際にロッキード社から巨額のワイロが政治家に渡された事件で、
  田中角栄元首相が逮捕・起訴され、第一審・第二審では実刑判決が出たが、上告審の最中の1993年に
  田中元首相の死去によって控訴棄却となった。
   リクルート事件は、リクルートの会長が子会社の未公開株を格安で政治家などの有力者に譲渡した事件
  で、前内閣の官房長官・藤波孝生が起訴され、政官の汚職構造が露呈し、竹下登内閣が倒れた。
   1990年代に入ると、東京佐川急便事件、ゼネコン汚職事件などが起きた。 東京佐川急便事件は、会
  長らが政界に政治献金をバラまいた不正献金事件で、金丸信自民党副総裁などが起訴された。 ゼネコン
  汚職事件は、ゼネコンと呼ばれる大手総合建設会社が公共事業を誘致・落札するために行ったヤミ献金
  事件で、中村喜四郎元建設大臣が起訴され、有罪判決が出た。

 

< 1989年  宇野宗佑内閣 >

   1989年6月 ――― 宇野宗佑内閣が成立する。
 参議院選挙で大敗し、宇野内閣は総辞職し、約2ヵ月の短命に終わった。

 

< 1989年〜1991年 海部俊樹内閣 >

   1989年8月 ――― 海部俊樹内閣が成立する。
   1991年 ――― 湾岸戦争が起こる。

 

< 1991年〜1993年 宮沢喜一内閣 >

   1991年11月 ――― 宮沢喜一内閣が成立する。
   1992年 ――― PKO協力法が成立し、カンボジアに自衛隊が派遣される。
 1990年代初頭、佐川急便問題( 1992年 )やゼネコン汚職などの自民党議員の政治腐敗が相次いで発覚
したことから、1993年6月、宮沢喜一内閣に対する不信任案が可決され、衆議院が解散された。
 1993年6月には、自民党を離党した武村正義らが 「 新党さきがけ 」 を 、羽田孜・小沢一郎グループが 「 新
生党 」 を結成した。 衆議院総選挙では 「 金権腐敗 」 をなくす 「 政治改革 」 が焦点となり、結果は、自民党が
過半数割れとなった。

 

< 1993年〜1994年 細川護煕内閣 >   自民党は野党へ!

   1993年8月 ――― 非自民・非共産の8党派からなる細川護熙連立内閣が成立する。
     ※ 細川護熙首相が所属する日本新党の他に、社会党・新生党・公明党・新党さきがけなど8党派から
      成った。
 これにより、1955年以来38年間続いた自民党の一党優位体制は崩れ、不安定な連立政権の時代を迎え
ることになった( =55年体制の崩壊 ) 。 
 政治改革を掲げて発足した細川内閣の下で、1994年、政治資金規正法が改正され、政治家個人への献金
を禁止することになった。 また、政党助成法もできて、政党の政治資金を公費(税金)で助成するようになった。
 1994年、細川首相の1億円借り入れ疑惑が起き、細川内閣は総辞職した。

    

< 1994年 羽田孜内閣 >  非自民連立内閣は継続

   1994年4月 ――― 羽田孜( 新生党 )が内閣が成立する。
 羽田内閣の与党は、新生党・日本新党など5党である。 社会党が連立を離脱し、自民党提出の内閣不信任
案に社会党が同調し、羽田内閣は総辞職した。

 

< 1994年〜1996年 村山富市内閣 >  自民党と社会党が連立! 社会党から首相選出

   1994年6月 ――― 村山富市( 社会党 )内閣が成立する。 ( 与党=社会党、自民党、新党さきがけ ) 
   1995年1月 ――― 阪神淡路大震災が起こる。
   1995年3月 ――― 地下鉄サリン事件が起こる。

 

< 1996年〜1998年 橋本龍太郎内閣 >  自民党の首相が誕生、自民党中心の内閣に戻る

   1996年1月 ――― 橋本龍太郎内閣が成立する。 
            ( 与党=自民党、社会党、新党さきがけだったが、その後、自民党の単独内閣となる  ) 
 橋本内閣は、行財政改革を掲げ、1997年には財政構造改革法を成立させた。
   1996年1月 ――― 社会党が、社会民主党( 社民党 )に党名変更する。 
         9月 ――― 旧民主党が旗揚げされる。  ( 代表 = 鳩山由紀夫と菅直人が共同 )
   1998年4月 ――― 自民・公明・社民・共産以外の勢力が結集して、新生の民主党が誕生する。
 1998年の参議院議員選挙で敗れ、橋本内閣は総辞職した。

 

 

< 1998年〜2000年 小渕恵三内閣 >  

   1998年7月 ――― 小渕恵三内閣が成立する。 ( 与党=自民党、公明党、自由党 ) 
 小渕内閣は自民党単独内閣として成立したが、後に公明党、自由党と連立し、自公連立内閣がしばらく続くこ
とになる。 2000年、小渕首相の病気で、小渕内閣は総辞職した。

 

 

< 2000年〜2001年 森喜朗内閣 >  

   2000年4月 ――― 森喜朗内閣が成立する。 ( 与党=自民党、公明党、保守党 ) 

 

 

< 2001年〜2006年 小泉純一郎内閣 >  

   2001年4月 ――― 小泉純一郎内閣が成立する。 
                ( 与党=自民党、公明党、保守党 ) 
 小泉首相は国民的人気が高かった。 
 2002年12月、保守党は保守新党と改称した。
  2003年9月 ―― 民主党と小沢一郎の自由党が合併する。
                        右写真 合併する両党党首⇒
 自由党がなくなり、議員全員が民主党に移る。 
 民主党の菅直人代表がそのまま代表をつとめる。 
 保守新党は、2003年11月の総選挙での惨敗を受けて解党
し、自民党に合流することになった。 また、社民党も選挙での
敗北の責任を取る形で土井たか子党首が辞任し、福島瑞穂が
新党首に就任した。

 

 2005年夏、郵政民営化法案が参院で否決されたため、小泉首相は国民の意見を聞くために衆議院を解散
し、総選挙を行った。
   2005年9月11日 ――― 衆議院総選挙が行われ、自民党が圧勝する
 単独で296議席を獲得し、定数480に占める割合61.7%は、戦後2番目に高い数字となった。

 

 敗れた野党第一党の民主党は、岡田克也代表が辞任し、前原誠司が新しい代表
に選ばれたが、2006年に入り、偽メール問題で、政治を混乱させた責任をとって、
前原代表が辞任をした。
  ※ 偽メール問題 ――― 民主党の永田寿康(ヒサヤス)議員が、当時の自民党幹
                事長にあやしい送金があることを示すメールを暴露した
                が、書かれた内容がうそであることがわかる。 
                 永田議員も辞職し、その後に自殺した。
   2006年4月 ―― 民主党・代表選挙で、小沢一郎( 右写真 )が選出される。
   2006年9月 ―― 小泉総裁の任期満了を機に、小泉内閣は総辞職した。

 

 

< 2006年〜2007年 安倍晋三内閣 >  ( 与党 = 自民党、公明党 ) 

   2006年9月 ―― 自民党の総裁選挙が行われ、安倍晋三が選ばれる。
 すでに小泉首相の退任が決まっており、臨時国会では首相指名選挙が行わ
れ、安部晋三が第90代首相に選ばれた。
   2007年7月 ―― 参議院選挙で、自由民主党が歴史的な大敗をする。
 しかし、安倍首相は続投を表明した。 民主党は躍進し、初の第一党となった。
     <改選前> 自民 110  民主 81  →  <改選後> 自民 83  民主 109
   2007年9月 ――― 安倍晋三が突然に辞意を表明する。
 健康の悪化が最大の辞任理由だった。

 

 

< 2007年〜2008年 福田康夫内閣 >  ( 与党 = 自民党、公明党 ) 

   2007年9月 ――― 福田康夫が内閣総理大臣に指名され、福田康夫内閣が成立する。
 父の福田赳夫も同じ71歳で首相に就任しており、初の親子首相が誕生した。
 国会は、衆議院は与党( 自民党+公明党 )が過半数を超えているが、参議院は野党が多数を占めるという
「 ねじれ国会 」状態にあった。

 

   2008年9月 ――― 福田康夫首相は、辞任を表明する。
 ( なぜやめたのか? )
    ・  「 ねじれ国会 」の中、衆議院で可決された法案が参議院で野党に否決されたり、審議を拒まれたりと、
     福田首相にとって政治が思うように進められないから。
    ・ 内閣支持率が2008年5月に18%まで落ち込み、与党の公明党とも意見が合わなくなった。
 以上のような理由で、「このまま自分が総理大臣を続けても、やりたい政治はできない。それよりも、新しい総理
大臣に政治を任せたほうがいい」と考えて、辞任したとみられる。

 

< 2008年〜2009年 麻生太郎内閣 >   ( 与党 = 自民党、公明党 ) 

   2008年9月 ――― 麻生太郎( 右写真 )内閣が成立する。
 ねじれ国会の中、参議院では民主党の小沢一郎が指名されたが、 
衆議院の優越により、麻生太郎が内閣総理大臣に決まった。   
 麻生太郎は、母方の祖父に大久保利通をもち、母の父は吉田茂元首
相。 父方は石炭産業を中心に鉄道・電力などを営んだ九州の大財閥
で、父・太賀吉(タカキチ)も衆議院議員をつとめた。 麻生太郎は、家業
の麻生産業に入社し、32歳で麻生セメント社長に就任した。 39歳で
衆議院議員に初当選した。 衆議院議員になる前の1976年、モントリ
オールオリンピックに、クレー射撃の日本代表として出場している。 政
界きっての漫画通としても知られている。

 

   2009年5月 ――― 民主党の小沢一郎代表が辞任し、鳩山由紀夫が新代表に就任する。
     ( なぜやめたのか? )
       秘書が3月に政治資金規正法違反の疑いで逮捕され、責任を問う声が党の内外で高まったから。
   2009年7月21日 ――― 衆議院が解散する。
 議員の任期が9月10日で終わるため、ほぼ任期いっぱいでの選挙となった。
         8月30日 ――― 衆議院総選挙が行われ、民主党が308議席を獲得し、圧勝する。
            ・ 与党は自民党と公明党の合計で公示前の331議席から191議席を減らし、自民党は
             119議席と、初めて第一党の座を失った。

 

 

< 2009年〜  鳩山由紀夫内閣 >   ( 与党 = 民主党、社会民主党、国民新党 ) 

  鳩山一郎元首相を祖父にもち、父は元外務大臣の鳩山威一郎、母は
 ブリジストン創業者の長女である。 
  東大工学部、アメリカのスタンフォード大学を経て学者の道を選ぶ
 が、1986年の衆院選で立候補し初当選した。 この時は自民党議員
 であったが、1993年に自民党を離れ、新党さきがけに入り、細川内閣
 では官房副長官をつとめた。 
  1996年に旧民主党を結成し、菅直人と共同で代表に就任した。 

 

   2009年9月16日 ――― 民主党の鳩山由紀夫が、第93代内閣総理大臣に指名される。
 民主党は、社民党(党首・福島瑞穂) 、国民新党( 党代表・亀井静香 )とともに、3党の連立内閣を発足させた。
 政治改革をめざして新しい組織を作った。
 その1つが、鳩山首相直属の機関である国家戦略局。 今までは国の役所が予算や政策作りを行ってきたが、
これからは国家戦略局が予算の骨子や政策・外交など国の基本政策方針を決める。 予算を組む仕事も、財務
省にまかせず、国家戦略局が担当することになる。 官僚任せの政治を政治家がリードするしくみに変えるのが
狙いだ。 菅直人が国家戦略担当大臣を務める。
 もう1つも、首相直属の機関で行政刷新会議。 国の事業を根本から見直し、政治のむだづかいを洗い出してや
めたり、不正が行われていないかを監視する。 実際に2010年度予算案作りでも、概算要求からむだを洗い出
「事業仕分け」を行い、「廃止」「見送り」を判断し、約2兆円の削減を行った。   

  <民主党のマニフェストに書かれていること>

 ・ 群馬県の八ッ場(ヤンバ)ダムの建設中止など、公共事業の見直し
      完成予定は当初の2000年度から2015年度に延期、総事業費4600億円のうち2008年度末までに
     70%が投じられた。 民主党はダム建設は必要ないとしている。
 ・ 子ども手当の創設 ――― 中学卒業までのすべての子ども1人あたり年31万2000円を支給する。
 ・ 高速道路無料化
      理由は、@生活や企業活動に必要な費用が安くすむ、A地域間の交流が活発になり、経済が元気が
     出る ――― などをあげている。 地方の道路からスタートして順次拡大する予定だが、大都市近郊の区
     間や首都高速、阪神高速はこれまで通り有料となる見通しである。 環境などへの影響も心配されるが、
     高速道路に車が回れば、一般道路の渋滞が緩和され、二酸化炭素の排出量は減るとしている。

 

 鳩山内閣には普天間基地移設問題があった。 「最低でも(沖縄)県外へ」と約束していたが、その実現がむず
かしくなり、移設先を名護市辺野古周辺と閣議決定した。 これに先立ち、社民党党首の福島瑞穂・消費者担当
相が閣議決定への署名を拒んだため、首相は福島氏を罷免し、社民党は連立政権から離脱することになった。
 
   2010年6月 ――― 鳩山首相は辞意を表明する。
 ( 辞めた理由 ) ・ 普天間基地移設問題で、「最低でも県外」としていた約束が守れなかったから
            ・ 社会民主党の政権離脱を招いてしまったから
            ・ 政治と金の問題で迷惑をかけたので、クリーンな民主党を作るため
   ※ 鳩山首相は、母親から資金援助を受けていたことを暴露され、贈与税脱税の疑いをかけられた。鳩山首
    相はこの資金を贈与として申告し、速やかに納税した。 また、鳩山氏の元秘書2人が、鳩山氏の資金管理
    団体と政治団体の収支報告書に虚偽記載した容疑で起訴された。在任中の首相の元秘書が刑事責任を
    追及される事態は、日本でも初めてだった。
 小沢一郎幹事長も、2010年2月、資金管理団体「陸山会」が土地購入代金の原資4億円を収支報告書に記載
しなかったなどとして、石川知裕衆院議員ら元秘書3人が起訴された政治資金問題を抱えていた。 小沢一郎は
不起訴処分となったが、検察による調査が進められている状況だった。 そのため、鳩山首相の勧めもあり、
沢一郎も幹事長を辞任することになった。
 鳩山首相の在任期間は262日間で、細川護熙元首相に1日及ばず、現行憲法下の内閣では5番目の短さとな
る。 戦後初めて総選挙による本格的な政権交代で誕生した政権は、8カ月余りで幕を閉じた。
 
  『 沖縄の基地問題 』 のサイトに、 
    普天間基地移設問題 についての詳しい解説があります。  

 

< 2010年〜  菅直人内閣 >   ( 与党 = 民主党、国民新党 ) 

   2010年6月 ―――  民主党代表選挙が行われ、菅直人(右写真)
               が選ばれる。
 同日、開かれた国会で、菅直人は第94代内閣総理大臣に指名された。
 
   2010年7月 ――― 参議院議員選挙が行われる。
 ( 結果 ) 民主党は10議席減らし、自民党は13議席増やす。
      新勢力として、みんなの党が10人当選し、11議席を占める。
 この結果、参議院は与党が過半数に届かず、再び、ねじれ国会の状態
となった。 民主党の敗因の1つに、選挙前の菅首相の「消費税を10%
に」発言がある。 増税分を何に使うかはっきりせず、準備不足の発言だ
った。 また、鳩山前首相は「任期中は消費税を上げない」と言っていた
ので、同じ民主党政権なのに首相交代で党の考えが変わったような印象
を与えてしまった。 

 

 

< 2011年〜  野田佳彦内閣 >   ( 与党 = 民主党、国民新党 ) 

 2011年3月11日、東日本大震災が発生すると、菅内閣は地震、津波、原発事故が重なる複合的な災害の対
応に追われることになった。 震災対応は後手に回り、次第に菅内閣への批判が集まるようになった。
   6月 … 菅内閣への不信任決議案が出されるが、菅直人は一定のメドでの退陣を表明し、それを受けて、
       不信任決議案は否決される。
  8月 … 菅直人首相は辞任する。
 民主党の新代表に野田佳彦( 左写真 )が選ばれ、国会
で第95代の内閣総理大臣に指名された。
 野田内閣は、引き続き民主党と国民新党との連立内閣で
ある。
 

 

   2012年6月 … 消費増税関連法案が衆議院で可決される。
    ( 内容 ) 消費税率を2014年4月に8%、2015年10月に10%引き上げる。
 与党・民主党から反対57名・棄権と欠席16名という大量の造反が出て、民主党は事実上の分裂状態となった。

 

 造反した議員の多くは、小沢一郎を中心に民主党を離党した。
   2012年7月 … 小沢一郎を代表とする新党・「国民の生活が第一」が結党される。 ( 衆参49名 )
 新党は、反増税と反原発を旗印に掲げた。

 衆参勢力図  赤字は与党  ( 2012年7月12日現在 )

 衆議院     480  参議院        242
 民主党   250
 自民党   120
 国民の生活が第一  37
 公明党    21
 国民新党   4
 その他の野党  46
 民主党   91
 自民党   86
 公明党   19
 国民の生活が第一  12
 国民新党   3
 その他の野党   31

 

    今回も小沢一郎は「壊し屋」の顔を見せた。
    1993年、宮沢内閣不信任案に賛成して自民党を離党した小沢は、新生党を作った。 彼は代表幹事となり、
   非自民の細川政権を樹立し、自民党を野党に転落させた。 1994年には新進党を結党し、幹事長・党首とな
   ったが、その独善的手法が批判され分裂状態となり、1997年には解党した。 
    新進党解党の翌年1998年に作ったのが自由党で、3回目の新党を立ち上げ、党首となった。 1999年に
   は自民党小渕政権と連立したが、約1年3ヶ月で離脱し、自由党は分裂した。 
    2003年には民主党と合併し、2006年には小沢一郎は民主党代表に就任した。

 

   2012年11月…衆議院が解散する。
         12月…衆院総選挙で、自民党が過半数を大きく上回る294議席を獲得し、大勝する。
 再び連立を組む公明党と合わせると3分の2を超える325議席に達する。 民主党は57議席しかとれず、3年
3ヵ月で政権を譲り渡した。
 対立する民主党と自民党以外の第三者的な勢力「第三極」の動きも注目された。 石原慎太郎代表・橋下徹代表
代行日本維新の会は54議席を獲得し、民主党に迫った。 一方、同じ第三極の1つ、小沢一郎の「国民の生活が
第一」が合流した日本未来の党( 嘉田由紀子滋賀県知事が代表 )は、9議席しかとれなかった。

 

 

< 2012年12月〜  安倍晋三内閣 >   ( 与党 = 自民党、公明党 ) 

   2012年12月…安倍晋三・自民党総裁を首相とする自公連立政権が発足する。
 2007年9月に病気を理由に辞任し「政権投げ出し」の批判を浴びた安倍晋三であるが、返り咲きを果たした。

 

Japanese_house_of_councillors_elect    2013年7月 … 参議院選挙が行われ、自民党が圧勝し、
             ねじれ国会が解消する。
 自民党はアベノミクスで景気がよくなったと強調してきたが、国民の
支持を得た結果となった。 衆議院総選挙に続き圧勝した与党を引っ
張る自民党の1強時代がしばらく続きそうだ。