バブル経済
   
   TERUO MATSUBARA

 

 バブルとは、経済が実力以上に泡(バブル)のようにふくらんだ状態をいう。
 
 日本では、1986年11月から1990年中頃まで 平成景気 と呼ばれる好景気が続いた。 戦後の好景気を
みると、いざなぎ景気( 57ヵ月 )、岩戸景気( 42ヵ月 )が大型であるが、この平成景気は、岩戸景気を追い越し
た。 この時期が、バブル経済の時期であった。 
  日本の土地や株は本来の価値とかけはなれた価格まで上昇し( 資産インフレ )、個人や企業が持つ資産の
価値が高まった。 人々は高級ブランド品、大型乗用車、ゴルフ会員権、絵画、リゾートマンションなどを買いあさ
った。 「 土地や株の値段は永久に上がり続けるもの 」 という錯覚に陥ったのだ。
 こうして、日経平均株価は、1989年12月に、38957円という高値がついた。 

 

バブルが起きた背景には?

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 1980年代初め、不景気の中で世界貿易は縮小した。  しかし、日本は対アメリカを中心に輸出が増え、世界
最大の貿易黒字国となった。 一方のアメリカは、貿易赤字と巨額の軍事費による財政赤字という、いわゆる
 「 双子の赤字 」 が深刻化した。 さらに、貿易赤字を補うため、外国からの借り入れ( 対外債務 )を行い、次
第に債務が増えていった。
 アメリカの貿易赤字を減らすためには、ドル安になればいい。  ドル安になると、アメリカの輸出品は割安に
なり、売れる。  また、海外からの輸入品はアメリカからみると割高になり、アメリカは海外からモノを買わなくな
り、輸入が減る。 そこで、アメリカは、各国にドル安になるように協力を要請した。

 

   1985年9月・・・G5( 先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議 )によるプラザ合意がなされる。
     ※ G5=アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本。  これに、イタリアとカナダを加えた先進7ヵ国は
      G7と呼ばれる。 G=Groupを意味する。
        ニューヨーク・プラザホテルで合意されたので、プラザ合意という。 
 この合意は、先進諸国がアメリカの貿易赤字を少なくするため、ドル安を進めるという内容だ。 プラザ合意に
したがって、日銀はドル安になるように協調介入を行った。 協調介入とは、外国為替市場に介入して為替相場
をコントロールすることで、この場合、日銀が持っている大量のドルを売って、円に替える ( =ドルを円と交換 )
ことを行う。 ドル安=円高であり、この措置は、日本に急激な円高をもたらし、プラザ合意前は、1ドル=240円
台だったが、2年後には、1ドル=120円台にまで円高が進んだ。  このため、日本製品の輸出価格が上昇
し、輸出が伸びず、輸出産業は打撃を受け、日本経済は不景気となった。 これが、円高不況である。 円高が
進む中、ドルを売って円を買えばもうかる、という考えが広まり、信じられないスピードで円高は進んだ。

 

 円高不況にあって、不況対策のため、日本銀行は公定歩合を下げた
 アメリカはドル安によって、今度は、アメリカに輸入される商品の値段が上がり、インフレの心配が出てきた。 
そこで、ドル安政策をやめることになった。 これが、1987年2月の先進7ヵ国蔵相会議( G7 )でのルーブル
合意である。
 ドル安をストップするには、アメリカの金利が他の国より高ければいいと考えた。 アメリカの金利が高ければ、
資金をドルで持とうと、自国の通貨をドルに変える動きが出る、からだ。  そこで、アメリカは各国の金利を下げ
て欲しいと頼んだ。 日本は円高不況で公定歩合を下げていたのに、さらに、アメリカの要求を受け入れて下げ
た。 プラザ合意前は5%だった日本の公定歩合は、1987年には2.5%にまで下がった。

 

   実は、この頃日本経済は、円高不況から抜け出し、景気が回復していた。  円高は一方で、原油安
  など輸入価格低下というメリットをもたらし、原料やエネルギーは安くなった。 また、円高により、鉄鋼
  や造船などの輸出は減少したが、自動車やハイテク産業は、商品の質を高める努力をし、生産を合理
  化し、機械化をすすめてコストを下げることで、輸出を増やした。 景気がよくなってきたので、公定歩合
  を上げようとしていたが、日本政府や日本銀行はアメリカとの協調を考え、公定歩合を上げないでおい
  たのだ。

 

 円高不況の下で、政府は公定歩合を下げるとともに、財政支出を増やし、大規模な公共投資を行った。 この
の結果、1987年以降、日本経済は公共投資・消費拡大を中心に内需主導型の大型好況( 平成景気 )へと
向かった。

 

 日本銀行が公定歩合を引き下げた超低金利政策の下、企業は資金が調達しやすくなり、たくさんのお金を借り
た。 個人も金利が下がったので、預貯金よりも資金が増える株や土地に手を出し、財テクを行った。 これが、
株価や地価を押し上げることになり、 「 株や土地の値段は上がり続ける 」 という神話が生まれ、土地や株を買
うことが簡単にお金をかせぐ方法だ、と信じられた。 しかし、これは明らかに異常な状況だった。    

 

  1987年にNTTが民営化されると、株式公開され、一般人もNTT株を買えるようになった。 NTT株は
 1株119万円だったのが、2ヶ月後に318万円になった。 これをきっかけに、株で儲けようとする株ブー
 ムが起きた。 プラザ合意の前は1万円くらいだった日経平均株価は、1989年12月、38957円となっ
 た。 高級車、ブランド品などもよく売れた。

 

 

 モノには適正な価格というものがある。 CD1枚なら3000円というように。 CDの値段がどんどん上がり、
1万円、2万円、となったら誰も買わないだろう。
 土地や株も 「 今後、地価や株価は上がり続けるから、土地や株を買うともうかる 」 というまちがった考えが広ま
った。 みんなが競うように買ったので、土地や株は適正な価格からはずれ、異常に値上がりした。  バブルの
頃は、全米の面積は東京23区の面積の15000倍もあるのに、東京23区の地価合計=全米の地価合計となっ
た。 これが、バブル=泡である。  シャボン玉の液は少しなのに、ふくらませば、実体からかけ離れて何十倍
もの大きさに見えてしまう。 土地や株の値段が実体からかけ離れていくのが、シャボン玉に似ているので、バブ
ルと呼んだ。

 

 また、異常なまでにお金を使ったのにインフレにならなかったのは、円高のおかげである。 円高の影響で海外
からの輸入品が安く買えたので、インフレをおさえる効果があったのだ。

  バブルまでの流れを振り返ろう

アメリカの
貿易赤字が増加
1985年
プラザ合意
円高不況 低金利政策
資金が入りやすく
土地や株に投資
バブル

 


 

バブルがはじけた!

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  しかし、バブルはいつまでも膨れつづけるわけではない。
いつかははじける。 
  政府は、不動産を買うためのお金を借りにくくするため、
@ 不動産融資総量規制と、A1989年から公定歩合引き
上げを行った。 
 その結果、銀行からお金を借りて土地や株を買う人が少
なくなり、株安と地価の下落を生むことになる。
  1990年2月 ――― 株価は暴落する。
 地価の動向をみると、右グラフのように、1991年3月を
境に下がっている。
 一度、株が下がると、多くの人が 「 このまま株が下がり
続けたら、もっと大きな損をしてしまう 」 と考えるようにな
り、心配した人は、早めに株を売った。 
 また、土地をもっているとお金がかかるようにするため、1992年1月に地価税を課した。 一定以上の広さの
土地を持つ企業や個人に税金を課し、その結果、さらに地下は下がった。 つまり、バブル崩壊が起きたのだ。

 

 銀行から資金を借りてまで土地や株に投資した会社や個人は、返済を迫られるが、自分の所有する土地や株
を売っても、バブル崩壊で価格が下がっているので ( 10億の土地が5億になったら、売ってもお金がつくれな
い・・・ )、返済するための資金にならない。  銀行に借金が返せなくなる。 銀行からみれば、回収できなくなっ
たお金 ―― これが不良債権である。 
 貸していたお金が戻ってこない時、担保となる土地や株を売却すれば、貸していたお金の一部が戻ってくる。 
このようにして、貸していたお金の一部を回収することを不良債権の処理という。  銀行や政府は、「 また地価
は値上がりするだろう 」 と考え、不良債権を処理しないままにした。  しかし、「 多少損をしても、そろそろ売ら
ないとヤバイな 」 と思い、損を覚悟で土地や株を売り出すと、需要より供給の方が多くなり、土地や株の値段は
ますます下がっていく。  
 しかし、銀行はできる限り損を少なくするために、土地や株価が底を打って値上がり出すのを待っていた。 し
かし、土地や株価はさらに下がりつづけ、銀行はますます苦しくなっていった。

 

バブルが残したもの

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 バブル崩壊は、地価や株価の下落を引き起こしただけではない。 
 多くの会社や人が銀行に借金までして土地や株を買ったが、バブルが崩壊した結果、土地や株を売ってもお金
がつくれず、多額の借金が残ってしまった。 不安感から人々はあまりモノを買わなくなり、個人消費は落ち込ん
だ。 企業の経営は悪化し、不良債権を抱えた企業の中には、銀行などに借金が返せなくなって倒産する会社
や、失業者が増えていった。   
 バブル崩壊で、必要のない社員、使わないムダな設備が増え、多くの会社はリストラをやらざるを得なくなっ
た。 リストラとは、リストラクチャリング ( re-structuring/企業の再構築 ) のことで、経営の建て直しという意味
である。 
 こうして、日本は不景気になっていった。